Episode_23.18 アフラ教 Ⅱ


 一方、アフラ教は「赤衣の聖者ナリス」という人物が開祖となり、ここ百年ほどで広がった新しい信仰である。その始まりは「六神教」と類似点が多く、似過ぎていると揶揄されることもしばしばであった。


 その発祥の地は六神教と同じ龍山山脈である。その山中で瞑想の日々を送っていたナリスはある日突然創造主の意思を声として聞き、自らが新しく正しい創造主の教えを人々に広める決心をした、ということだ。


 そして、ヴァースケール南の小都市ローサに現れたナリスは精力的に布教活動を行った。当時のヴァースケール周辺は「六神教」発祥の地でありながら、各神殿は無残に堕落しきっていた。その惨状を堂々と人々に訴えたナリスは、直ぐに街の人々の注目を浴びる事になる。


 当時のナリスは


――人は偉大なる創造主アフラの前ではみな平等――


 と謳いながら、拝金的で世俗的な各神殿を痛烈に批判したという。その結果、小都市ローサの為政者によって「騒乱罪」で捕えられたナリスだが、彼は為政者の無理難題


 ――攻めよせるヴァースケルドの軍勢を偉大なる創造主の力とやらで退けてみろ――


 に対して、それを見事に実行してみせた。


 当時、嘗ての帝都アルシリアを手中に収めた東方ヴァースケルドは中原地方に割拠した小都市国家を全て併呑する勢いであり、当然の如く小都市ローサも標的とされていた。そして、万を越える大軍がローサの街を包囲せんと近づく中、為政者たちによって後ろ手に縛られ目隠しをされたまま馬に乗せられたナリスは、単騎でヴァースケルド軍へと近づいて行った。


 その時、彼を見送ったナリスの街の人々は同情を寄せる者、嘲笑う者が半分半分であったという。そのような人々に見送られたナリスだが、彼の乗った馬がヴァースケルド軍に近づいた時、不意に彼等の軍勢の北側に別の軍勢が現れた。それは、ローサを庇護していたヴァースケールからの援軍であった。だが、その到着は二日以上先だと思われていた。そんな援軍が突然出現したため、ヴァースケルド軍は単騎で近寄る男の存在を忘れると戦闘に突入した。その時、いつの間にか目隠しや手を縛っていた縄を解いたナリスは、ローサの街へ向かって大音声で叫んだ。


――ローサの民よ、今こそ好機! アフラ神の名の元にヴァースケルドの軍を退けよ!――


 その声は尋常ではない距離を渡ると、ローサの街の人々の耳元に直接響いたという。そして戦いは、ヴァースケルド軍に対して二方面から挑む格好となったヴァ―スケール・ローサ連合軍が辛くも勝利を収めた。


 その後、戦いの転機を作ったナリスは人々から絶大な支持を集める事になった。また、この戦いに於いてローサの街の為政者の多くが不自然に命を落とした事も彼に幸いした。その後、ローサの街で地盤を固めたナリスは自らを「ナリス・ローサ」と改名して名乗ったが、多くの者はその姿から彼の事を「赤衣の聖者」と呼んだ。


 そうして「赤衣の聖者ナリス」と彼の教えを信じる「アフラ教徒」に街の運営を委ねたローサは、その後彼等を庇護していたヴァ―スケールを逆に取り込むと、遂には帝都アルシリアを支配下に治めるまでに成長した。後世、第二アーシラ帝国または「ロ・アーシラ」を名乗る勢力の地盤はこの時に完成した。


 だが、人々、特にローサの勢力圏外の都市国家では、ナリス・ローサの人物評は聖者ではなく、驚異的な頭脳を備えた軍略家、というものであった。その評価の理由は、奇跡的に見える数々の勝利の裏に、よく練られた戦略が隠されていたためである。そのため、ナリス・ローサの功績は説明不能な勝利ではなく、よくよく注意深く観察すれば理由を見出すことのできる勝利の積み重ねと判断された。この評価は、新たな聖者が現れ自分達の既得権益を侵されることを恐れた六神教の神殿によって積極的に広められた。


 その一方で、彼と彼の伝える教えを信望する「アフラ教会」の信者に「六神教」の神官司祭のような神蹟術の遣い手が非常に少なかったことも黎明期の「アフラ教会」の不利に働いた。現在では、アフラ教会の聖職者の中にも多数の神蹟術の遣い手が居る。その数や質に於いて、六神教全ての聖職者を上回ると評されているほどだ。しかし、理由は不明だが、当時のアフラ教会信者には、アフラ神の御業を体現できる者がナリスを含めて数人しかいなかったと伝わっている。


 それでも、アフラ教は戦乱に倦み疲れた人々よって受け入れられたのだが、六神教の広まりと比較すると、見劣りする勢いであった。その事実は晩年のナリス・ローサも実感していたようで、彼はアルシリアを陥落させた後にこのような遺言を残している。


――聖人アルフの墓の上に、高い塔を備えた聖堂を建てよ。その塔の頂きが完成し、地にアフラ神を求める声が満ちる時、神は我らの前に御姿を現すだろう。私の遺骸はその聖堂の礎とせよ――


 その遺言は、ナリス・ローサ亡き後数十年後のアーシラ歴四百八十四年にアルシリアの聖墳墓跡地で始められた「アフラ教大聖堂建設」によって実現への足がかりを得ている。完成までには後数年を要するが、現時点で途中まで建てられている全部で五本の尖塔は古今東西類を見ないほど荘厳な存在感を周囲に放っている。それこそが「光翼使プルイーマ」のような存在を欠いたアフラ教会が求めた「分かり易い神聖さ」であった。しかし、


「……より分かり易く……光翼使が我らの元に降臨すれば、信者を増やし勢力を拡大することなど造作も無い」


 という司教アルフの呟きは切実である。ロ・アーシラとその都アルシリアの威光が届く中原では、確かに大聖堂の存在は意義がある。しかし、遠く離れた西方辺境の地で布教活動を任された西方司教アルフにとっては、余り効果を感じられない、というのが率直な感想である。


 西方辺境域、特にデルフィル以西の各国は政情が安定しており、六神教の腐敗はそれほど深刻に人々に受け止められていないのが現状だ。しかも、デルフィルやリムルベート、オーバリオン王国といった国々は、中原の大国となりつつあるロ・アーシラの影を感じ取りアフラ教とは距離を置く姿勢である。そのため、今後の布教活動は難航が予想された。布教活動の滞りは、そのまま教会内での司教アルフの地位を脅かす結果となり兼ねない。その事実に、司教アルフは焦りを感じている。


 だが、非尋常な布教活動 ――例えばトトマの街で行ったような自作自演の活動―― は二度と行うべきではない事は明白だった。それは、先ほどまで続いた会談でレイモンド王子の口から語られた言葉で明らかであった。まだ「真実の問い」の力を残していた司教アルフの目は、


――先のトトマでの事件は最大限に譲歩して不問とする。しかし、今後の布教は国の法に則って行うように願う――


 と事件に言及した際のレイモンド王子の言葉に偽りが無く、さりとて心中には決して赦すことが出来ない怒りが存在することを察知していたのだ。


「……コルサス国内での正式な布教活動が認められた、これを当面の功績とせざるを得ないな」


 そう呟くと、アルフは椅子を立つ。彼は部屋の窓際に置かれた机に向かうと羽根ペンを手に取る。そして、アルシリアの教皇会議に対する報告書の手紙を書き始めた。内容はコルサス王国「王子派」との間に協力体制を確立した事である。だが、そんな彼のペン先は或るところで止まった。そして、


(『光翼使』については……)


 と考える。その後、止まっていたペン先が再び動き出すまで、司教アルフの部屋は沈黙に包まれていた。

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