Episode_23.16 暴かれた翼


 スリ村西の櫓でユーリーを呼んでいたのはリリアの見立て通りアデールだった。その様子に急いで南トバ河の急流を渡ったユーリー達「斥候狩り」部隊にアデールから告げられたのは、


「レイモンド様が及びだ、サマル村へ急いでくれ」


 という、内容だった。だが、時期的にトリムでの交渉に動きがあっての呼び出しと理解したユーリーは、自隊の面々をスリ村に駐留する「オークの舌」首領ジェイコブに預けるとリリアを伴いサマル村へ急いだ。


 そのせわしない様子に、事情を察知したのは冒険者集団「飛竜の尻尾」のリコットであった。


「ユーリー、まさかと思うがトリムへ行くのか?」

「リコットさん……分からない。でも可能性はあると思う」

「そうか、気をつけてな」


 トリムで幼い少女を拾ってから、リコットは嘗てのような飄々ひょうひょうと軽薄な態度を取る事が少なくなっていた。その変化は、仲間内との日常会話には現れないが、戦いの趨勢にに対する真剣なまなざしとして現れていた。


 ユーリーはリコットがトリムで保護した少女の事を詳細に知らない。名前すら聞いていないほどだ。微かに、元トリム太守のギムナンがアートンで庇護していると聞くだけだった。だが、そんな幼い存在を守った小男は、確実に心情の変化 ――この場合は成長と言うべきか―― を示していた。


「大丈夫よ、ユーリーの背中は私が守る。リコットさん、あんまり根を詰めたらだめよ」


 そんな彼とユーリーの会話に割って入ったのは、リリアだ。彼女の鈴を鳴らしたような声は、或る程度の自信を示すと、それと同時にリコットに注意を促した。


「そ、そうだな……そうさ、適当にやるさ」


 そんなやり取りをジェロ達が放っておく訳も無く、スリ村を離れる支度を整えたユーリーとリリア、そして見送るリコットの近くに、ぞろぞろと近寄って来た。


「大丈夫、俺達が付いてるんだ。真剣にやろうとしても限度があるってもんだ」

「最近のリコットは、少し真面目過ぎて詰まらん。かびた麦でも食ったのか?」

「マルス神は戦いの形を定義しない。立ち向かう何かがあれば、そこは即ち戦場」


 ジェロ、タリル、イデンの三人は、茶化すような、それでいて理解を示すような言葉を発する。そこに、彼等を引き受けた「オークの舌」ジェイコブも加わって言う。


「まぁ、こいつらの扱いは任される。優秀な連中だ、精々使い潰す事にする。それよりも、ユーリー、お譲ちゃん。王子の護衛ならば、気を付けるんだ」

「分かってる……じゃぁ、行ってくる」


 そんなやり取りの後、ユーリーとリリアはレイモンド王子の待つサマル村へ馬を走らせた。


****************************************


 サマル村に到着したユーリーとリリアは、そこで、トリムに向かったマーシュ達の報告を聞いた。それは、


 ――民衆派の指導者といえるアフラ教会西方司教アルフは王子と直に対面することを望んでいる。その際アフラ神の神蹟術を用い、民衆派と協力する、という当方の申し出に偽りが無いかを確かめようとしている――


 という事だった。


 アフラ教の神蹟術は西方辺境地域では余り知られていない。だが、六神教の一角、法の神ミスラの最高位聖職者が同じような神蹟術を用いることは知られていた。そのため、そのような秘跡がある事を疑う者は居ない。だが、その報告を聞いたシモン将軍は自らの主君の言葉を疑う民衆派に若干の憤りを見せていたものだ。


 一方、その想いの真贋を見定める、というアフラ教会司教アルフの言葉はレイモンド王子を怯ませる事無く、寧ろ焚き付けるように作用してしまった。


「だから、最初から私が行けばよかったのだ。そうであろう、アーヴィル、シモン?」


 以前の軍議の結果を蒸し返すレイモンドは、問答無用とばかりに自身がトリムへ赴く事を決めてしまった。その共連れとなるのは、僅かにユーリーとリリアの二人、そして残留していた遊撃兵団の残りの部隊と追加の食糧を載せた荷馬車であった。彼等はその日の内にサマル村を出発すると、一度スリ村を経由し、オゴ村、そして森の南へ続く林道へ入った。


****************************************


 司教アルフがレイモンド王子をトリムに呼び付けるような言動を取ったことには理由があった。勿論、彼の言葉の通り、アフラ神の最高位神蹟術である秘跡「真実の問い」を行うことが表向きの理由であるが、その裏には余り王子派に知られたくない事情があった。その事情 ――ベート国の情勢変化―― を見極める時間を得るため、王子派の総大将を自勢力圏から離れたトリムの街に呼ぶ、という判断に手間取る要求をしたのである。


 一方、解放戦線の指揮官マズグルは、時間を掛ける間でも無く、間もなくベート国からの支援が今以上に少なくなると確信していた。それは、先日までベート国に出向き情勢を直接見聞きした聖騎士モーザスの話や、彼自身の個人的な情報網で明らかであった。


――間もなく、ベートはオーチェンカスク公国連合と戦争状態になる――


 それが、情勢の変化であった。


 歴史的に見ても、地政学的に見ても、ベート国とオーチェンカスク公国連合は友好的とは言い難い関係である。それでも、ここ数十年間は大きな戦いが無い小康状態を保っていた。その間、ベート国と中原の覇者となったロ・アーシラが同盟関係を構築したため、今後は大きな戦いが起きない、とさえ思われていた。


 だが、この数カ月の内に、オーチェンカスク公国連合の三つの小公国で、公王が相次いで暗殺される事件が起こった。それらの国々は何れもオーチェンカスク湖の南、ベート国との国境を形成する小公国である。公国連合はこの事態を「ベート国による謀略」と断じ、にわか・・・に国境付近に軍を集結させた。それが、二週間前の事である。


 対するベート国は、自らの潔白を主張し、国境沿いに集結した公国連合軍の解散を求める交渉を行った。だが、交渉結果は不調に終わるだろう、という憶測が支配的となっていた。


 一旦ベート国とオーチェンカスク公国連合が戦争を開始すれば、ベート国としてはその力を集結して事に臨まなければならない。つまり、どれだけ同盟国であるロ・アーシラがアフラ教徒の保護を訴えても、コルサス王国東部の「民衆派」への補給は軍事的優先順位が下がる。


 そんな状況に舞い込んできた王子派からの協力要請は「民衆派」にとって渡りに船・・・・な申し出であった。だが、民衆派の殆どの人々はベート国を取り巻く情勢を知らない。そのため、安易に王子派の要求を呑む事が出来ず、今回のような対応となった。それは、司教アルフと指揮官マズグルの一致した考えであった。


****************************************


 マズグル達がレイモンド王子との面談を希望してから四日後、その面談は実現していた。場所は同じくトリムの東に位置するアフラ教会の二階の一室である。この日、その部屋にはレイモンド王子以下、マーシュとロージの兄弟騎士、王子の護衛としてユーリーとリリアが居た。対する民衆派の顔ぶれは以前と同じく指揮官マズグル、司教アルフ、聖騎士モーザス、それに配下の聖騎士二名である。


「不躾な願いにも関わらず聞き入れて頂き、ありがとうございます」

「構わない。私の心に偽りは無く、マーシュやロージが語ったように、この国を民が治めるようにしたいと考えている」

「そうでございますか」


 司教アルフの言葉に堂々と答えるレイモンド王子である。その風貌は、前王ジュリアンドに良く似ているとされるが、幾多の戦いを自ら切り抜けてきた分、精悍な印象を与えるものだ。少なくとも、前王ジュリアンドに批判的なマズグルにはそう見えた。


 一方、その場にいるユーリーは、レイモンド王子の背後に立つと何気ない視線で「民衆派」の面々を観察していた。彼の横には、同じようにしてリリアが立っているが、彼女の意識は教会の上空を舞うヴェズルへと向けられているだろう。万が一の異変に直ぐ気付くための対応である。


 ユーリーの視線は「民衆派」としてこの場に居る五人に向けられたが、最終的にその視線は彼等の背後に控えている三人の聖騎士に向けられていた。


(……強いな……生半可では勝てない)


 それが、ユーリーの素直な感想であった。以前、タトラの渡り瀬を巡る戦いの休戦交渉に於いて目にした王弟派の騎士レスリックとは異質の強さ、純粋な信仰に裏付けられた迷いの無い勇気のようなものが感じられた。一方、聖騎士達の隊長であるモーザスも、チラチラと何度かユーリーへ視線を向けていた。二人は一度だけまとも・・・に視線が合ってしまい、どちらともなく頭を下げて軽い会釈を行うと、それ以後は努めて視線を向けないようにした。


 レイモンド王子と指揮官マズグル、司教アルフの交渉は条件面や協力内容に及んでいる。既にマーシュとロージが申し入れた内容の確認である。それが済んだ所で、会談は重要な局面に入る。


「それでは、アフラ神の御印に縋り、殿下が仰られた事に偽りが無いかを確認させて頂きます」


 司教アルフはそう宣言する。思わずその部屋に居る全員が居住まいを正した。そして流れる沈黙の中、アルフの祈りの言葉だけが重く部屋に響く。


「――いと聖なるかな、聖なるかな。御名が天の至高に掲げられ、地上を御業御印御心が満たしますように――」


 祈りの言葉はアフラ神に対する賛辞で綴られる。信徒達が普段唱える聖句と出だしは同じであるが、何度も重ねられる内に徐々に内容が変わっていくものだ。


「――天を行く陽光の更に高いところから、我らの心を照らし給え。在るものの形を在るべき姿で照らし給え――」


 低音で独特の抑揚を持つ司教アルフの祈りの言葉に、背後の聖騎士達が同じ聖句を呟き重ねる。幾つかの声が混ざり合い、部屋の中を重たい気配が満たす。それは、レイモンド王子やマーシュ、ロージには「神聖な空気」に感じられた。だが、ユーリーは違う。


(なんだ……この感触は?)


 彼は部屋に漂う気配の中に、何処か異様なものを感じた。何がどう異様なのか? と問われても説明は出来ないが、何処かで感じた事の有る気配だ。それに反応するように、ユーリーの体は寒気に包まれる。腰の辺りから背中を伝い後ろ頭の辺りまで、何とも言えない悪寒が走った。その不快感に彼は思わず身動みじろぎをすると、隣のリリアを見た。すると、リリアも同じような不快を感じていたのか、やや青褪めた表情をユーリーに向けていた。


(嫌な感じよ)

(うん)


 唇を動かすだけで、そう伝えあう二人である。


 一方、祈りの言葉を続ける司教アルフは秘跡を呼び起こす最後の聖句に差し掛かっていた。


「いと聖なる大御心を地に伝えしむる使命を助けたまえ。偽りと隠し事から我らを守りたまえ。我が身に御印を宿らせたまえ」


 長く続いていた祈りの言葉が止む。そして、瞑目していた司教アルフはそっと目を開くと、相対して座るレイモンド王子へ視線を向けた。だが、その視線は王子に辿り着く前に、或る一点で止まる。それは、リリアと視線を交わしているユーリーに向けられていた。


(な! なんだ……光の……翼?)


 突然示された目の前の光景に、アルフの表情が驚愕に歪んだ。そこには、まるでレイモンド王子を庇護するように、彼の背後に立つ者の存在があった。その存在は、眩い白光を放つ翼を背に折りたたみ、隣の女と視線を交わしている。まるで、自分の背に在る光の翼を全く意識していないような振る舞いだった。


(たしか……ユーリーと名乗ったか)


 そんな事を考える間も、その神々しい姿から視線を外せないアルフである。そんな彼の視線の先で、流石に自分へと向けられた尋常ではない注目に気付いたのか、ユーリーがアルフを見る。その瞳は、まるで自ら蒼い光を放っているようにアルフには感じられた。


「どうかされたか?」

「ん? アルフ殿、どうした?」


 そんな彼に、レイモンドとマズグルの声が掛る。


「い、いや、何でもない・・・・・・」


 その声で我に返った司教アルフは取り繕うように、視線をユーリーから無理矢理外すとレイモンド王子を見た。レイモンド王子の体は薄い水色で満たされている。それは、この秘跡に於いて、対象者が嘘偽りや害意を持っていないことの証しであった。


「た、確かに、その言葉に偽りが無い事を認めます」


 そう宣言する司教アルフの声は、どこか茫然としたものだった。

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