Episode_23.15 斥候狩り


アーシラ歴498年4月中旬 南トバ河西岸の森


 春の訪れを感じさせる森の木々は、梢の先や枝の端々に淡い緑の芽吹きを宿す。殺風景だった地面にも、徐々に温かく緩む空気に誘われた下草が芽生えつつあった。そんな春先の森は、新しい生命の誕生を促す生気に満ちた空気に包まれていた。だが、そんな森に似つかわしくない、剣呑な音が空気を切り裂く。


ビュン、ビュン、――


 低い弾道で撃ち出された二本の矢は、十人程の集団の先頭に立っていた小柄な人影 ――女性だろうか―― を目指して飛んだ。しかし、その矢が女性に達する事は無い。素早く割り込んだ黒っぽい鎧の青年が、女性を狙った矢の一本を剣で叩き落とし、もう一本を盾で弾いた。金属製の盾の表面で鏃が呆気無く弾かれ、カツン、という音が響く。


「ユーリー!」

「大丈夫か、リリア?」


 矢に狙われた女性と、それを防いだ青年が短く無事を確認し合う。そして、その青年、ユーリーは他の面々に鋭く声を発した。


「いたぞ、北の斜面の下だ!」

「了解! いくぞ!」


 ユーリーの声に応えたのは冒険者にも傭兵にも見える男達数人だ。その中には長剣バスタードソードを携えた剣士風の男と、戦槌と大盾を構えた大男がいる。ジェロとイデンである。二人は他の傭兵達と共にユーリーが指した斜面下の茂みへ向かう。


 そんな彼らへ目掛けて、茂みの中から更に二本、四本と矢が立て続けに発射された。だが、それらの矢は、駆け出した傭兵達の手前で勢いを失うと彼等によって容易に防がれた。


「タリル、助かる!」

「良いからさっさと済ませろ!」


 礼を言って寄越すジェロに、後方の魔術師のタリルは毒舌で返していた。


 一方、ユーリーとリリアはその時既に森の中を走り出していた。二人の動きは素早いが、それを上回る身軽さで二人の前を駆けるのは小柄な男 ――リコット―― であった。リコットは二人の前を駆けながら、後方のリリアに見えるように、左手で合図を送る。


(南から回り込む、周囲に他の敵は?)


 その問いに対して、リリアは短く、


「無いわ!」


 と答えた。そして、三人は斜面の背後、南側へ回り込む。不意に前方の茂みが揺れる。そして、三人の男が飛び出してきた。顔に泥を塗り付け、動きやすい革鎧の上に偽装用の枯れ草を縫い付けた姿は、王弟派の「猟兵」に間違いなかった。


 三人の猟兵は、退路に回り込まれた事を悟ると、素早く剣を抜きユーリー達を排除しようと斬り掛ってくる。それに対して、先頭に立っていたリコットは、


「それっ――」


 という声と共に、見えないほどの手捌きで鉛の塊 ――礫―― をなげうった。しかし、三発撃った礫は全て躱されてしまう。


(え? あれ――)


 まさか三発とも外すと思っていなかったリコットは、慌てて距離を取ろうとしたが、猟兵の方が速かった。春の午後の日差しに、振り下ろされる鋼の刀身がギラリと光る。猟兵の動きは素晴らしい速さだった。


 ギィィィンッ――


 しかし、その剣はリコットの体に届く事は無い。リコットと猟兵の間に割って入ったリリアが伸縮式の槍ストレッチスピアの柄でその一撃を打ち払ったのだ。風と土の加護ともいえる俊足ストライドの効果を得たリリアは、目に留まらない速さでその一撃を防いだ。そんな彼女は勿論、それに留まる事は無い。


「地の精よ、打ち払え!」


 次いで叫ぶリリアの声は意思を体現し、地の精霊に対して強制力を発する。そして、およそ石礫いしつぶてと呼ぶには大き過ぎる地面の一部が剥がれ飛ぶと、猟兵の側頭部を打ち据えた。


「うわっ!」


 堪らず地面に転がる猟兵。一方、その仲間である二人の猟兵にはユーリーが立ち向かっていた。


 リリアよりは劣るが、習熟が進んだ「加護」の付与術により、ユーリーの動きも相当に素早い。彼は、突出した一人をリリアとリコットに任せ、後続二名を受け持った。そして、飛び込みざまに一人を魔力衝マナインパクトで撃ち払う。不意を突かれた猟兵は増加インクリージョンの効果を受けた魔力の塊に弾き飛ばされ、森の地面に転がる。一方、もう一人の猟兵は覚悟を決めたように片手剣を正眼に構えると、魔術を撃ち放った直後のユーリーへ斬り掛った。


 その一撃は、ユーリーが引き戻した魔剣蒼牙の鍔元で受け止められる。二人は瞬間、鍔迫り合いを展開するが、不意に猟兵が力を抜き、ユーリーの下腹へ狙い澄ました蹴りを放った。


「うぐっ」


 鋭い蹴りがユーリーの胴当てを蹴りあげる。思わず息が漏れるほど強烈な一撃だったが、これくらいならば、リムルベートの成り上がり子爵・・・・・・・の方が遥かに威力があった。そして、そんな剛力自慢を相手に剣の腕を磨いてきたユーリーは、当然の如くビクともしない。蹴りを完全に受け止め、更に一歩踏み込んだ。


「ッ!」


 蹴り足が戻ると同時に踏み込んだユーリーは、低い体勢で相手の懐に飛び込むと、伸び上るように蒼牙を下段から振り抜く。その一撃を猟兵は仰け反って躱そうとした。だが、深く踏み込んだユーリーの切っ先は、斜め下から喉笛を斬り裂いた。剣を持つユーリーの手に、肉を裂き、切っ先が頸椎を浅く傷つける感触が伝わる。その一撃により、敵の猟兵は雷に打たれた如く硬直し、その姿勢のまま地面にドウッと倒れた。猟兵の屍からは、肺から抜ける息と動脈から迸る血が相まって、ブビュー、ブビュー、と濁音めいた音があがる。


(リリアは?)


 倒した敵から意識を外したユーリーは、恋人の安否を気遣い背後を見る。そこには、リコットによって留めを刺された猟兵の姿があった。勿論リリアは無事であり、既に周囲の様子を警戒する態勢に入っていた。


 一方、北の斜面の下へ向かったジェロやイデン達の戦いも終わったようだった。その証拠に、森に静寂が戻っていた。


 結局この時の戦いで、ユーリー達の部隊は猟兵五人からなる斥候部隊を倒す結果となった。北の斜面では二人の猟兵をジェロやイデン、そして「オークの舌」の傭兵達が協力して倒し、その南では、ユーリーが一人とリリアとリコットが一人である。因みに、ユーリーの魔力衝によって跳ね飛ばされ、しばらく失神していた猟兵一人は、逃げられないと悟ったのか、短剣を胸に突き立て自害していた。


 ユーリー達が王弟派の猟兵と戦いを繰り広げたのはスリ村から南トバ河を渡った西岸の森である。そこは、本来停戦合意によって「両軍立ち入り禁止」と決められた場所だ。だが、実際に王弟派は猟兵を中心とした斥候部隊として派遣しているし、王子派は「斥候狩り」の部隊を展開していた。


 その「斥候狩り」部隊を率いるユーリーは、冒険者と傭兵から成る部隊の面々に呼びかける。


「一旦東に退こう。スリ村の西岸で休息だ」

「もうちょっとで終わる」

「わかった、僕も手伝うよ」


 「斥候狩り」部隊は、戦いの痕跡となる猟兵達の亡骸を森の地面に浅く掘った穴に纏めて埋葬する。その穴の浅さが、度重なる戦いに疲れた心を表しているようであった。


****************************************


 猟兵の亡骸を埋葬したユーリー達一行は、東へ向かい南トバ河の川岸付近の崖へ出た。切り立った崖が雪解け水で水量を増した河の縁にせり出している場所だ。崖下には幅が狭くなった河原があり、対岸にはスリ村の河原がある。


 スリ村の河原には、一日に一度、上流から届く補給物資を積んだ筏の姿があった。五枚の筏は河原に乗り上げる格好になっており、大勢の兵士やスリ村に戻った村人たちが積み荷を降ろしている風景がハッキリと見えた。


 その様子を対岸の崖上から眺めるユーリーは、河原の奥に続くスリ村の方へと視線を向けた。森の中の街道沿いの村であったスリ村は、以前は村の内と外を分ける簡単な木の柵程度しかなかった。しかし、ここ二カ月ほどで村の周囲には二から三メートル近くの高さを持つ外壁が出来上がっている。


 村をすっぽりと取り囲んだ外壁は、解体された筏の木材を支柱にし、木板で補強した土壁だ。厚みも五十センチはあり、石壁とそん色のない強度を持っている。しかも、村の南側と河原のある西側の外壁の外には、浅い空堀まで掘られ、その付近には十人程度が居座る事の出来る物見櫓まで造られている。これで、村の中心に強固な石造りの居館でもあれば、そのまま「砦」と呼んでも通用する仕上がりであった。もっとも、今スリ村の中心には、そのような居館ではなく、積みあがった補給物資を雨から守る天幕が張られているだけだ。


 そんなスリ村の様子を眺めるユーリーは、トリムへ向かったマーシュとロージ、それに遊撃兵団の面々の事を考える。


(交渉は上手くいっているのだろうか?)


 しかし、思考が其方へ向いて深くなる前、ユーリーは近くから名前を呼ばれて我に帰る。


「なぁユーリー、一度スリ村へ戻らないか?」


 そう声を掛けて来たのはリコットである。因みに、彼を含む冒険者集団「飛竜の尻尾団」がこの場所に居るのは、それなりの紆余曲折を経た上での事だった。リコットは余りその経緯について詳しく語らないが、ユーリーがジェロから聞いたところによると、リコットが言い出した事らしい。


 ――俺は、この内戦を早く終わらせたい――


 どういう風の吹きまわしか、リコットは実に彼らしくない・・・・・ことを語ったという事だった。これまで、その手の発言はジェロの役回りであったのだが、とにかく、リコットはそう言って、一人で王子派軍への参加を決めてしまった。


 一旦そうなると、幼馴染のさがであろうか、他の三人も釣られるようにスリ村へ向かうことになった。そして、全員が傭兵という立場で王子派軍に加わっている。


「さっきので最後だったみたいよ。周辺に気配は無いわ」


 リコットの言葉に賛成するようにリリアもそう言う。彼女は相変わらず気配の薄い猟兵達に苦戦しながらも、上空を舞うヴェズルの視界とオーラ視を用いて付近一帯に細かい探索の網を張っている。そんな彼女が言うのだから、ユーリーには反対意見は無かった。


「そうだね。これで四日目だから、一度戻ろうか」


 ユーリーの言葉で、他の面々もホッとした顔つきとなった。その時、対岸のスリ村を何気なく見ていたタリルが声を上げた。


「なぁ、あの物見櫓の兵士……こっちに向かって手を振ってるぞ」

「ほんとだわ、何かしら?」


 タリルが見つけたのは、スリ村の西側にある物見櫓の上の兵士だ。他が民兵団の格好をしている中、その兵士だけは遊撃歩兵隊の格好をしていた。彼は、明らかに対岸の崖上にいるユーリー達へ向かって手を振り、何事か口を動かしている。その様子に気付いた一同のうち、特にリリアとリコットはその兵士の口の動きに目を凝らす。そして、


「ユーリーの事を呼んでるぞ」

「あなたの事を呼んでるわ、あれアデールさんじゃない?」


 二人はほぼ同時にそう言うとユーリーの方を見るのだった。

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