Episode_23.12 欺瞞の協定


アーシラ歴498年3月初旬


 二月半ばの「タトラの渡り瀬の戦い」以降、王弟派第二騎士団はタトラ砦に籠ったままであった。王子派側の見立てが正しければ、先の戦いで王弟派が受けた損害は凡そ千から千五百である。未確認ながらその内半数が戦死者であるとして、残り七百名前後が負傷者として砦に残っていることになる。そのため、砦に籠る王弟派は、それらの負傷兵を手当しつつ、後方からの援軍を待つ構えだろうと思われた。


 一方で、王子派側に捕虜として捕えられた重傷者の内、一命を取り留めた百五十名は王弟派に返還されることになった。勿論無条件ではない。この捕虜返還の代償として王子派は停戦協定を申し入れた。


 両軍の使者が何度か行き来した後に、停戦交渉の場は成立した。その交渉はタトラ砦から北に一キロ離れた場所に仮設の幕屋を張り行われた。王子派から使者として赴いたのは騎士アーヴィルと騎兵一番隊を引き連れたユーリーであった。対する王弟派はオーヴァン将軍とレスリック以下数名の騎士であったという。この時ユーリーは初めてオーヴァン将軍とレスリックという人物の顔を間近で見た。その印象は、


(このレスリックという騎士、猟兵の首領だというが・・・・・・恐ろしい)


 というものであった。ぱっと見の印象ならばいかつくいかにも豪傑に見えるオーヴァン将軍の方が威圧的である。一方のレスリックは注意していなければ印象すら残らないような人物に見えた。だが、ユーリーが名乗った瞬間に、彼に向けられたレスリックの瞳は「普通」ではなかった。何の感情も表わさない、鏡のように冷静な瞳の奥に、凍てついた底なし沼のように深い殺気ともとれる「何か」が潜んでいた。


(自分一人で敵うだろうか?)


 不意にそんな不安を感じるユーリーは、平静を取り繕うことに苦労することになった。


 しかし、停戦交渉自体は、そんなユーリーの内面を余所に、極めて理性的に行われた。王子派から提示された条件は停戦期間を半年とし、その間、タトラの渡り瀬の中間点を起点とした東西の線を暫定の境界線とするものだ。これに対し、オーヴァン将軍の傍らに位置するレスリックから幾つかの対抗条件が出された。


 一つは期間についてである。半年は長すぎるとされ、三か月に短縮することを要求された。もう一つは境界線である。タトラの渡り瀬の中間点を起点にしたものではなく、南トバ河そのものを境界線とすることを要求された。それらの王弟派からの逆条件は、彼らが決して「負けた訳ではない」と考えている事の表れでもあった。


 実のところをいえば、王子派にとって停戦期間の長短は問題ではなかった。彼等の真の狙いは「停戦協定を求めた」という事実を作ることである。これは、別の戦略目標を設定した王子派が行う欺瞞工作であり、ユーリーの策であった。事の発端となった捕虜の返還も、百五十人程度の捕虜を返還するのが惜しいか? と訊かれれば必ずしもそうではない。寧ろ、定員を越えた騎士と兵士達を収容し、補給物資のやり繰りに支障が生じているであろう・・・・タトラ砦に、更なる補給の困難を与えるためには、願って返還したいほどである。


 しかし、南トバ河を境界線とすることは受け入れられなかった。何といっても、アートンから続く補給線の終端に位置するスリ村は王弟派を遠ざけておきたい王子派の拠点なのだ。その事を理解しているアーヴィルはチラとユーリーに目をやった。一方のユーリーは平静な表情を保ちつつ、ゆっくりと首を振る。そして、


「南トバ河を境界線とすることは断固として受け入れられない。だが、タトラの渡り瀬の中間点を起点とし、西岸の北に広がる森を両軍の立ち入り禁止区域とする事は出来る」


 と切り出した。不意に発言したユーリーに王弟派の面々の注目が集まる。しかし、それに構わずユーリーは言葉を続けた。


「ただ、これだけだと釣り合わない条件なので、こちらとしては東岸の南も両軍の立ち入り禁止区域としたい。これでお互い同等な条件のはずだ。停戦期間の短縮についてもお互い様・・・・なので其方の言い分を呑む事は出来る」


 と発言した。ユーリーの発言は筋が通っていた。両軍平等な条件に見えるものだ。このユーリーの発言に際して、王弟派の面々はレスリックでさえも少し驚いたような表情となったという。彼等は騎士アーヴィルがレイモンド王子の名代と名乗ったので、彼が全てを仕切ると思っていたのだ。だが、護衛部隊の隊長程度にしか見えなかった青年が建設的な発言をしたのだ。しかも、アーヴィルはユーリーの発言を追認するように頷くと、


「という条件で如何か?」


 とオーヴァン将軍に迫った。その後、交渉は幾つかの押し引きがあったものの、最終的には、


 ――停戦期間三カ月、両軍の境界線はタトラの渡り瀬中間点から東西に引いた線とする、但し、南トバ河西岸、境界線以北の森、及び、東岸、境界線以南の森は双方立ち入り禁止とする――


 という条件で合意が形成された。そして、レスリックとユーリーの手で二通の羊皮紙に同じ文言と条件が書き込まれた。その一通にオーヴァン将軍がその場で署名し、オーヴァンの署名入りの一通と無記名の一通はアーヴィルが預かるとサマル村へ引き返すこととなった。


 そして、サマル村でレイモンド王子が二通に署名をし、オーヴァン将軍の署名が無い一通を捕虜であった兵士達に持たせ、翌日には彼等をタトラ砦へ送り返した。


 こうして、王子派軍と王弟派軍は内戦開始以後初めて、文書による停戦合意を行うことになった。それは、アーシラ歴四百九十八年三月初めの事であった。


 尤も、これ停戦合意は両軍ともに破る事が前提の合意である。その証拠に、タトラ砦の王弟派軍は北の森での哨戒活動を継続したし、王子派もそれを阻止するべく傭兵団を森に配置した。これは、精霊術師リリアの「眼」によって明らかであった。


 一方、南トバ河東岸の森では、王子派軍が森の南へ続く簡易的な道を作っていた。これもまた停戦合意を無視する行為であった。しかし、作業はオゴ村の村民の力を借り、急速に進んでいく。森の中に出来た細い筋のような道はオゴ村から南に伸びると、森の端まで続くものだ。精々荷馬車二台が肩を並べて通ることのできる程度の幅だが、木を切り倒し、切り株を取り除き、出来た穴に土を盛る。そうやって作った簡素な道であった。


 そして森を縫って南へ続く細い筋が道の役割を果たすほど完成に近くなった時、四百人程度の集団がスリ村からオゴ村を伝ってトリムへ続く荒野へ進み出した。彼等は歩兵と騎兵、そして荷馬車を従えた一団だ。その先頭には、厳しい表情を浮かべたマーシュとロージの兄弟騎士の姿があった。彼等が南へ出発したのはアーシラ歴四百九十八年三月最後の日のことであった。



Episode_

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る