Episode_23.11 和解


 同じ日、サマル村の南に位置するタトラ砦でも同じような戦果確認の報告が行われていた。被害甚大とまではいかないが、冷静に考えれば、王子派軍と比較して王弟派軍の損害は大きかった。それは各部隊からの報告を聞くオーヴァン将軍が最も強く認識するところであった。


「負傷兵の手当てを……他は休め」


 オーヴァン将軍は、部下にそう命じると、砦の居館にある自室に戻った。そして、鎧を脱ぐことも億劫なほど虚脱した心持ちで粗末な長椅子に身を伸べた。途中で輜重兵が用事を聞くために部屋に来たが、それも無言で手を振って戻らせた。


 酒をあおる気さえ起きないほどの意気消沈であった。不意に第二騎士団の将軍という職務が重く感じられる。


(充分な援軍を送らないからこうなったのだ……)


 彼の思考は最初、こう・・であった。王都コルベートに居座り続ける第一騎士団から三分の一でも兵と騎士を回してくれれば、この日の戦いの結果は違ったと思われた。だが、そんな事を考えるうちに、彼の思考は徐々に自分自身を責めるように変わっていく。


(エトシアの時も、ディンスの時も……俺には軍を率いる才が無いのか)


 心の底に眠っていた不安と疑問が首をもたげ、意気消沈した自分自身を窺っているような気がした。それは、決断する勇気を鈍らせ、突進する足を重くするものだった。それが心の中に広がっていくのを感じたオーヴァン将軍は、まるで不安と疑問それから逃れるように、一度遠ざけた強い火酒の瓶に手を伸ばした。


 だが、瓶を掴んだ手がふと止まった。


(あの時、伏兵せん滅を選択していたならば、今回のような結果にはならなかったのか?)


 伏兵せん滅はレスリックの提案だった。だが、オーヴァンはそれを退けレイモンド王子の本隊を討ち下すことに拘った。今更になって考えれば、レスリックのいう策を選べば、王子派が用意した姑息な偽兵の計略も全く効果を発揮しなかっただろう。渡り瀬を無理に渡る必要も無かった。全てが自陣側の南トバ河の西岸で済む話だったのだ。


(……エトシア砦の時もそうだった……)


 過去を振り返るオーヴァン将軍の思考は数年前に敗北を喫したエトシア砦攻略戦まで遡った。二度目の攻撃に際し、レスリックの第三騎士団の動きは消極的であった。当時はそれを敗北の理由と考えていたが、その時王子派軍は軍勢を二つに分け、その内一つはストラの街を狙っていたのだ。レスリックの言葉に耳を傾け足並みを揃えていれば、エトシアを落とす事は難しかったかもしれないが、ストラを守る事は出来たはずだ。


 オーヴァン将軍はそのような思考を頭に浮かべ、そして、何とも難しい決断を下そうとしていた。それは、これまでの自分の言葉や立場態度を否定するような決断であった。だが、後が無い彼にとっては必要な決断であった。自分に無いものを持つ人物に協力を願う。喩えそれが、今まで彼の方から対立するような態度を取っていた相手であっても、この後の戦いを勝つためには詫びを入れてでも必要な事であった。ただ、騎士として、将軍として決まりの悪さ・・・・・・が最後に残った。


 オーヴァン将軍は、最後の踏ん切りの一歩手前で留まっていた。そんな時、部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。


「……入れ」


 そう返事をしたオーヴァンは酒瓶をテーブルに置くと開く扉を見た。そこには、今まさに詫びを入れてでも協力を願おうと考えていた相手 ――レスリック・イグル―― の姿があった。


「いいかな? 将軍」

「……」


 扉を開けておいて尚も入室の許可を求めるレスリックに、オーヴァンは一度だけ頷いた。


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 部屋に入ったレスリックは、甲冑を脱ぎ鎧下に上着を着込んだ姿で帯剣もしていない。そして、驚いた事に酒肴を盛った盆とワインの小樽を携えていた。これまで二人で酒を飲むという事など考えられなかった関係であるが、この時の彼はそれを持っていたのだ。


 そして、レスリックは居住いずまいを正したオーヴァン将軍の前の小机にそれを置くと、対面する椅子に座った。その様子にオーヴァン将軍は少し戸惑った表情となり「何のつもりだ?」という棘の有る言葉が口を衝きかかった。だが、寸前の所でそれを押し留めると無言を保つ。


 一方のレスリックは、杯にワインを満たすと先にそれに口を付け、ひと口呑んで見せる。そして、まだ空だったオーヴァンの杯に彼の火酒の代わりにそれを注いだ。


 この間二人は無言であった。居心地の悪い静寂が部屋を包む。そんな沈黙の中で、オーヴァン将軍は最初、突然部屋を訪ねてきたレスリックの意図を考えた。


(自分の策が正しかったと今更事・・・を言いに来たのか? それとも、俺の失敗を嘲笑いに来たか)


 最初に思い付いたのはそんな事だった。だが、レスリックは何も言葉を発せずにチビリと杯のワインを舐める。その様子にオーヴァン将軍も喉の渇きを覚えて、杯のワインに口を付けた。沈黙の時間は尚も続いた。


 その間オーヴァン将軍は二人きりの室内の様子を、我ながら奇妙な構図だ、と感じていた。だが、帯剣せず鎧も取り去った状態で酒を持ってやって来たのはレスリックの方だ。その様子は、懐柔や謝罪に訪れたようにも見えるが、その実、決してそうではない。


(……試されている、のか?)


 不意にそう感じたオーヴァンは、それが正しいと確信した。そして、先ほどまで決め兼ねていた結論の背中を押されているような気持ちになった。相手が折れてくれているならば、気まずさ・・・・などは些細な問題なのかもしれない、そう思った。


「レスリック殿……」

「……」


 話しかけたオーヴァン将軍に対して、レスリックは無言で視線を向けるのみだ。


「王子派軍は侮り難い。今回は貴殿の策とは相容れなかったが、以後は思い付いた事、何でも良いので貴殿の考えを聞いたうえで行動を決定したいと思う」

「わかりました」

「よろしく頼む」


 頭こそ下げなかったが、両手を膝に置いた状態でオーヴァン将軍はそう言った。言ってしまえば、何とも大した事の無い一言だった。


****************************************


 実はこの時、レスリックは最後の判断・・・・・をするためにオーヴァン将軍の部屋を訪れていた。


 今回の敗戦は、レスリックにとっても痛手だった。イグル郷の猟兵、しかも引退した者達を掻き集めて挑んだ戦いだが、結果として多くの猟兵を失うことになった。これでは郷の者達に顔向けが出来ないし、もしもガリアノの身に何かあった場合、その助けになる事も出来ない。


 一方、生き残った猟兵達の話によれば、王子派軍は猟兵達の存在に気付いていた節がある。それが本当ならば、恐ろしい索敵能力といえる。しかも、伏兵としての優位性を失った事に気付きながら、それを囮のように活用する戦術の柔軟さも垣間見せた。ハッキリ言って強敵である。


 その強敵を相手に、オーヴァン将軍の采配は心許なかった。


 そのため、もしもオーヴァン将軍が態度を改めないようならば、それなり・・・・の事に及ぶつもりだった。明日の朝、自室で首を短剣で突いたオーヴァン将軍の遺体が見つかったとしても、皆は敗戦を苦にした自害と受け止めるだろう。勿論、レスリックが将軍の部屋を訪れていた証拠はない。今の彼は、砦の外で野営する生き残りの猟兵を見舞っている事になっているのだ。


 だが、寸前の所でオーヴァンは自身の態度を改める言葉を発した。そのため、レスリックは懐中に忍ばせた短剣を抜く必要が無くなった。


 その後しばらく、二人は今後の方針について話し合った。レスリックは、当面戦力の回復に努めることと、北側の森を中心に警戒活動を強化することを提案した。警戒活動は王子派の補給拠点であるスリ村への侵攻経路を調査する、という意味も含まれていた。


 一方のオーヴァン将軍は、レスリックの言葉に耳を傾けると、それに反対する事も無く話に聞き入っていたのだった。

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