Episode_23.10 痛み分け


アーシラ歴498年2月16日


 この日、朝から始まったタトラの渡り瀬の戦いは、正午前に王弟派が「退却」の合図を発した事により終結に向かった。


 歩兵の大部分と騎士隊の一部が南トバ河の東岸に渡っていた王弟派軍は、撤退に際してシモン将軍率いる部隊の追撃を受けることになった。しかし、足元の悪い河原という地形が王子派軍の迅速な追撃を阻んだ。


 また、渡河途中であった王弟派第二騎士団の騎士隊が撤退する歩兵部隊の殿しんがりを受け持ち、渡り瀬の西岸から弓兵部隊が射撃で支援した結果、追撃を試みた王子派軍の一部が逆に大きな損害を受けることになった。


 その事態に王子派軍は追撃を断念すると、河原に散らばった負傷兵の収容と、両軍の死者の整理に取り掛かる事となった。重傷者の中には逃げ遅れた王弟派軍の兵士も相当数含まれている。彼等は若干後回しにされたが、最終的には王子派軍の重傷者と同様に荷馬車によってサマル村へ送られることになった。これは、レイモンド王子の厳命によるものだったという。


 死者や重傷者の収容が進む中、傷が軽い者達はその場で応急手当てを受け次なる戦いに備えた。しかし、西岸に退却した王弟派の軍勢に再び渡河攻撃を行う気配は無かった。彼等は部隊を再編成すると、一部の部隊を渡り瀬に残し、他はタトラ砦へ退いて行ったのだ。その様子に、レイモンド王子はシモン将軍やマーシュ団長、アーヴィルらと短い協議を行い自軍もサマル村まで後退することを決定した。王弟派軍と同じように健在な東方面軍の歩兵一個大隊河原に残した王子派軍は午後の遅い時間にはタトラの渡り瀬から北のサマル村へ後退した。


 こうして、タトラの渡り瀬の戦いは、明確な勝者と敗者を決めることなく一旦終結となった。


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 夕暮れ前にサマル村に戻ったレイモンド王子は、その日の日暮れ時に幕屋で我軍の損害の報告を受けた。


「民兵団とコモンズ連隊の損失は負傷者百五十、重傷者五十三、死者百二十二です」

「東方面軍は歩兵の損失が負傷者二百、重傷者七十二、死者は八十七、騎士隊は負傷者二十、死者はありません」

「重軽傷者を併せた捕虜の数は二百五十程度です」


 マーシュとシモン、そしてアーヴィルからの報告である。幕屋の中には彼等とレイモンド王子のみであった。夕食を取ってもよい時刻だが、レイモンド王子は食欲が無いと遠ざけていた。


「そうか……重傷者で動かせそうな者は後方のスリ村へ、救護院の者達が来ているだろう。手当てを受けさせるように……勿論捕虜も同じだ、急いでやってくれ」

「はっ、急ぎ移送の手配に掛ります」


 レイモンドの指示にマーシュが答えると、他の面々にも一礼して幕屋を後にした。一方、マーシュが出て行った後のレイモンド王子は両手で額を押さえ、大きな溜息を吐いた。汗と脂が染みた金髪が重たい房のように纏まって掻き上げられる。その下の端正な顔立ちは机に向けて伏せられているため、表情までは分からない。だが、全体的に弱気な印象を与える姿だった。そんなレイモンド王子の様子にシモン将軍が言葉を発した。


「痛み分け、ですな」

「ああ……」


 戦果を評したシモンの言葉にレイモンド王子は俯いたままで答えた。その言葉には戦いで傷つき命を落とした者への哀悼が籠っているが、同時に彼等の犠牲を以ってしても目論見を達成できたと言いきれない不安があった。というのも、


「戦略的には、今後に備えてもう少し王弟派軍を削っておきたい所でしたが・・・・・・ロージ団長らの報告を待つしかないでしょう」


 そんなアーヴィルの言葉が示すように、王子派軍にはタトラの渡り瀬に於ける戦いに、外見上とは異なる戦略的な目標を設定していた。


 常識的に考えれば、タトラ砦とサマル村の中間に位置するタトラの渡り瀬で衝突した両軍の戦略目標は「王弟派がサマル村奪取と王子派の駆逐」であるのに対して、王子派は「タトラ砦の攻略」とするのが普通だ。だが、王子派がこの戦いで狙っていたのは、アーヴィルの言葉にあるように「敵兵力の減衰」であった。つまり、レイモンド王子率いる王子派軍の戦略は目の前のタトラ砦攻略ではなかったのだ。


 彼等の戦略は、数日前にスリ村でユーリーがレイモンド王子に語り、その後王子が持ち帰り軍議に掛けた方針、つまり、トリムの街への進出と民衆派との協力共闘である。この戦略を実行する時、タトラ砦とリムン砦の間に広がる森の中の村々は北の王子派領と南のトリムを連絡する重要な中継地点となる。今まで、打ち捨てられるようになおざり・・・・な防備しかされていなかった地域の戦略価値が一気に跳ね上がるのだ。


 そして、王弟派の第二騎士団はサマル村とスリ村を奪還し、その連絡を絶つ必要に駆られる。その時、攻守の立場が真反対に転換する。この時代の武器と戦術では、攻守の優劣は圧倒的に守勢が有利である。特に、後方からの補給が確保されている拠点を攻略するには、守勢の三倍以上の兵力を準備する必要があると言われている。


 だが、準備が整わない状況でも王弟派は動かざるを得ない。なぜなら、敵対する王子派の総大将であり旗印でもあるレイモンド王子が直接トリムでの和解交渉を行うからだ。王弟派としては、その間にサマル村とスリ村を確保できれば、王子派の総大将を自領内で包囲する事が出来る。それは、二十年を超える内戦に終止符を打つ瞬間といえる出来事だ。そのため、二つの村は王弟派にとって最重要攻略対象となる。そして、勇猛で誇り高い第二騎士団のオーヴァン将軍は、その役割を自らの手で行おうとするだろう。彼等は防御を固めるサマル村を是が非でも攻略しようとするはずだ。


 サマル村はこの一カ月ばかりで砦の如く守りを強化されている。攻め落とすことは容易たやすい事業ではない。だが、本格の砦ではないため、防御に一縷の不安があった。そのため、今回の戦いでは、なるべく王弟派の軍勢に損害を与えておきたかったのだ。


「そうだな、ロージ達からの報告は明日であろう。それまでは待つしか……」


 レイモンド王子は、手元に落としていた視線を上げるとそう言った。しかし、彼の言葉を否定するような声が幕屋の外から上がった。それは、連絡を取り次ぐ伝令兵が発した声だった。


「騎兵一番隊ユーリー隊長、サマルに帰還しました」


 余りに早い到着に幕屋の中の三人は思わず顔を見合わせていた。


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 レイモンド王子の幕屋に通されたユーリーは流石に疲労の色を濃く滲ませている。正午過ぎに戦いが終わった後、彼とリリアの二人は遊撃兵団長ロージから戦果報告を託され、ひと足先にサマル村を目指していた。全行程駆け足の強行軍であった。その結果、途中のスリ村に辿り着いたところでリリアが疲労により動けなくなってしまった。そのため、ユーリーはリリアをスリ村の仮設救護院に残し、そこからは騎乗の人となって単身サマル村にやって来たという訳だった。


「無事だったか?」


 安堵を含んだレイモンド王子の言葉にユーリーは疲労が籠った掠れた声で、


「無事とは言いにくいけど、それなりの戦果だったと思う」


 と返事をすると、戦果と被害を報告した。


 伏兵として西の森に潜伏していた遊撃兵団と傭兵部隊は、王弟派の猟兵によって存在を発見され、伏兵としての優位性を失っていた。もしも、それに気付かず王弟派の渡河に合わせての本陣を襲撃していれば、遊撃兵団は前後を挟まれ全滅していただろう。


 だが、実際は事前に猟兵の存在を察知し、作戦を伏兵から囮に切り替えていた。そして、背後に潜伏していた猟兵の集団を傭兵団とユーリー達が粉砕し、一方、ロージ率いる本隊は森の中で後退戦を繰り広げた。


 王弟派の兵士三個大隊分を引き付けたロージ達の戦いは、森の中に分散配置した遊撃兵団歩兵小隊の活躍もあり、大きな戦果を上げていた。恐らく王弟派の第二騎士団は一個大隊分、五百人程度の損失を出しただろう、というのがユーリーの報告だった。


 一方、王子派側の損害は、猟兵集団との戦闘で「オークの舌」の傭兵が二十数人、「骸中隊」の弓兵が十人弱犠牲になり、遊撃兵団ではアデール率いる第一小隊の死者十三人が最も大きな損害だった。結果的に、失った兵の数は百に満たない程度だった。


 遊撃兵団の損害が少なかった理由は、彼等の装備と戦術にあった。歩兵のほぼ全員が弩弓を装備しており、それを活用した戦い方の訓練を積んでいるのだ。特に、見通しが悪く会敵即近接戦となる林間の戦いや、敵が勝手に追い掛けて来てくれる後退戦では、中短距離で威力を発する弩弓は有効な武器であった。更に、遊撃兵団の歩兵達は、常に弩弓の弦を引き絞り、矢をつがえた状態で携行している。彼等はその矢を「命のいち矢」と呼んでいた。山の王国のドワーフ武器職人が作った弩弓ならではの安全性と堅牢性が為せる業であるが、そのいち矢・・・が多くの場合、歩兵達の命を救っていた。


 そういった事情もあり、西の森の後退戦は彼我の損失差を考えれば間違いなく大戦果であった。しかも、


「三個大隊か……もしも渡り瀬の方に投入されていれば、危なかった」


 と戦いを振り返るアーヴィルの言葉が示す通り、タトラの渡り瀬で互角の戦いとなったのは、西の森で囮役を果たした遊撃兵団の功績であった。彼等の戦いは戦果以上の意味を持っていた。


「良いところを持って行かれたか。今回はロージと遊撃兵団、そして若造の勝利だな」


 また、シモン将軍は不器用な言葉でその功績を褒める。それを聞いたレイモンド王子は親友の無事に安堵したのか、または、トリム進出の地均しが完了したことに安堵したのか定かではないが、とにかく顔色を取り戻していた。


「今後の事もあるが……今は兵達に休息を。私も、ようやく腹が空いてきた」


 朝から水以外口にしていなかった事を思い出したレイモンド王子がそう言い、その場は解散になった。


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 その後シモンやアーヴィルは王子の幕屋を立ち去るが、その中でユーリーはレイモンド王子に呼び止められると、夕食に付き合うことになった。疲労困憊であったユーリーは直ぐにでも何処かの幕屋で適当な毛布に潜り込みたかったが、今後の話もあるのでレイモンドに付き合うことにした。


 そして、サマル村に陣取る東方面軍の輜重兵が丹精込めて作った、食事が運ばれた。それは、貧相な干し肉を葉物野菜のピクルスやサマル村で入手した干しキノコなどと共に煮込んだ雑煮と、量ばかり多い堅パンであった。全く兵士や騎士と変わらない食事である。


 その食事をワインで流し込む作業のような時間の合間にユーリーはトリム進出の状況が整った事を確認していた。そして、ついで・・・のような話として、二つの傭兵団の追加報酬についてレイモンド王子から確約を取り付けていた。小隊救援に任務外の働きを見せた「オークの舌」と「骸中隊」には追加報酬で金貨五十枚が与えられることになった。更に、その話の後にユーリーはレイモンド王子から思っていなかった提案を受けた。


「なぁ、ユーリーと何時も一緒にいる女性……リシアと名前が似ているあの女性だが」

「ああ、リリアのこと?」

「そうだ、そのリリアさんだが、今回の一番の功労者だろう。シモンも有難がっていたぞ」

「へぇ……まぁ、リリアが居なかったら酷い目に遭っていただろうね」


 レイモンドのリリアに対する評価に、ユーリーは思わず顔が赤くなる。自分の事を褒められる時は「そうじゃない」と言いたい気持ちが高まるが、恋人を評価されるのは「まんざら」でもないのだ。確かに、リリアの功績は先のインヴァル戦争でも、戦いの趨勢に直接作用するものだった。広範囲の情報伝達や遮断、索敵や隠匿というのは、軍事行動で最も難しく、最も価値の有る行為だ。


「特別報酬を出そうと思う」

「そんな……うーん……で、いくら?」


 その瞬間のユーリーは、幼馴染で親友のヨシンのような顔をしていたかもしれない。その事を破顔したレイモンドから指摘され、ユーリーは怒ったように反論した。結局リリアへの特別報酬は宰相マルコナの決済を得てからということになったが「ヨシンみたいだ」と言われたユーリーは釈然としない気持ちをしばらく引き摺る事になるのだった。

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