Episode_23.08 タトラの渡り瀬の戦い 退却
南トバ河東岸の河原、その南に逃げ込んだ王子派軍は兵士に偽装していた騎士の早替わりによって、形勢を一転有利に展開していた。彼等二百騎の騎士による突撃で王弟派の二個大隊は前列の戦線を乱した。そこに詰め寄ったコモンズ連隊長以下、隊の元王弟派正規兵、そして王子派領各都市や農村から集まった若者による民兵団は、槍や盾、弩弓によって敵の兵士を更に北、河原の中央へ追いたてる。
勿論王弟派兵士の反撃も凄まじい。更にタトラの渡り瀬に留まった弓兵部隊が精密な援護射撃を行い、民兵団の兵達を中心に少なくない被害が出た。しかし、戦場の勢いは一度傾くと、何か別の決定的な出来事が無い限りその傾いた天秤棒を元に戻すことはない。
結果として、王子派の兵士達は徐々に王弟派兵を河原中央に押し返す格好となった。
一方、河原中央に展開していた二個大隊は、北から王子派本隊の攻撃を受けていた。彼等に接近、攻撃を仕掛けるのは、王子派軍の中でも西方面軍と並ぶ精鋭と称される東方面軍の兵士達だ。しかも、彼等は将軍であるシモンの指揮を直接受けている。老齢の騎士は徒歩となると、その代名詞ともいえる「柳槍」を片手に兵士達と前列を駆けた。これだけで味方は勇気百倍、逆に敵は畏れを抱いた。
「柳槍のシモン、ここに在り! 腕に覚えの有る者から順に相手をしてやる!」
少し気負ったシモンの怒声が響く。だが、王弟派軍の中でもその名が知られる豪傑シモン将軍に挑む兵など居るはずが無かった。これが騎士であれば、名を上げる好機、と挑むものも居たかも知れないが、兵士には無理な注文だろう。
シモンは、自分の名乗りに向かってくる者がいない事を嘆くような気持ちになった。
「敵としても不甲斐ない連中だ! ならば矢で射よ、石を投げよ、見事当たればオーヴァンが頭を撫でてくれるぞ!」
そう挑発するが、残念ながら王弟派の弓兵は全員が南を向いている状態だ。しかも足元に広がる石や岩ばかりの河原は、実際のところ投擲に適した大きさの石はそれほど多くないのだ。そして、シモンの挑発を余所に、王子派の前列は王弟派の兵士達が作った隊列に突入する。
河原中央に陣取った王弟派の兵士達は南北から圧力を受ける格好となる。
一方、彼等の背後、タトラの渡り瀬には渡河途中の王弟派騎士隊の姿があった。だが、彼等は重い装備類によって、流れが速い渡り瀬では自由に動く事が出来なかった。更に、騎士隊が上陸を目指す河原は、南北から王子派軍の圧力を受けた兵士達が
そのため、王弟派の騎士隊は、腿まで河の水に濡らしながら、劣勢に立たされた味方兵士の戦いを見守るしかなかった。
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「おのれ、騎士を兵士の格好に偽装するとは! 柳槍のシモンめ、見下げた男だ!」
王子派の準備した策に嵌り込んだオーヴァン将軍は、憤懣やるかたない声を発する。だが、憤ったところで戦況は好転しない。対岸に渡った兵士達は、特に王子派の騎士による不意打ちを受けた南側の部隊が壊滅寸前となっている。彼等が壊滅すると、河原中央で王子派本隊を受け持った部隊は南北からの挟撃に遭う。そうなれば、多くの兵を失うことは目に見えていた。
「止むを得ん、後退の合図を!」
オーヴァン将軍の苦渋の決断であった。タトラの渡り瀬に後退合図の
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伏兵から転じて囮役となった遊撃兵団と傭兵団はロージ団長指揮の元、森の中をじりじりと北へ後退していた。一方、彼等を追う王弟派の部隊は、応援部隊が合流した結果三個大隊千五百人に増えていた。
王弟派の部隊は当初、森の中から現れた八百人弱の王子派遊撃兵団を包囲しようと長い横隊陣を敷いていた。だが、いざ包囲のために両端の部隊を前進させると、彼等は森の中に潜んだ王子派の小部隊から矢を射かけられ、前進を阻まれた。まず障害となる敵を排除する必要に迫られた両端の部隊は、姿が見えない王子派の小部隊を追う事を決断した。しかし、王子派の小部隊は弩弓からと思われる斉射を三度繰り返すと、追う王弟派をあざ笑うように森の奥へ後退する。そして、再び一、二度斉射をする、という行動を繰り返した。その結果、包囲は成立せず、両端の部隊は森の奥に誘い込まれるように、姿の見えない敵の後を追い続けることになった。
北へ後退する遊撃兵団を追う王弟派の部隊は、その後も何度か彼等の退路を遮ろうと、迂回部隊を出した。だが、何れも森の中に潜んだ王子派の部隊から弩弓による射撃を受けて目的を達せられなかった。
王弟派の迂回行動を阻止したのは、「骸中隊」の弓兵の一部と遊撃兵団の歩兵小隊である。遊撃兵団の歩兵小隊からは、錬度と経験の高い第一小隊から第八小隊がその任務を受け持った。その中で、通称「アデール小隊」と呼ばれる第一小隊は、最も危険な南東側の森に潜んでいた。彼等は、最初に本隊を包囲しようと前進してきた王弟派部隊の東翼に牽制射撃を加えると、その後は徐々に森を北に進みつつ、敵を引き付け続けた。
因みに、南東が最も危険という理由は、直ぐ東を南トバ河が流れているためだ。東に逃走する余地が無く、アデール小隊は北に逃げるしかない。しかも、後退を続ける本隊と歩調を合わせて北上しなければ敵中に孤立することになる。
「親分! そろそろ潮時ですよ」
「バカヤロ―、俺達がとっとと逃げたら敵が本隊に向かっちまうだろ」
「でも、結構粘ってると思いますよ」
「うるせぇ、無駄口きいてる暇があったら、一発でも余計に撃ちやがれ」
元々ダーリアのやくざ者であるアデール一家が中心の第一小隊だ。その後新兵で入って来た者達も、毒されるようにやくざ者の口調となっていた。大体、「隊長」を「親分」と呼ぶ小隊はここだけである。だが、その口調と普段の態度とは裏腹に、ココ一番という場面で発揮する度胸は遊撃兵団随一と評価されている。
「北から敵、しつこい連中だ!」
「それ、放て!」
号令と共に弩弓が一斉に太い矢を放つ。そして、戦果を確認する間もなく、
「ヨシ! 移動だ、遅れるな」
と、号令を発して北を目指した。彼等が位置する南トバ河の東岸一帯は、河沿いが切り立った崖となった小高い丘へ向かう緩やかな上り斜面である。既に一時間近く、敵を引き付けながら北へ後退を続けるアデール小隊は、敵と絶妙の距離を保ちつつ、斜面を登る。敵より常に高い場所にいるため、見通しの悪い森の中でも敵の位置を把握する事が出来た。
しかし、敵の位置が良く分かる故に、アデールは敵を引き付ける事に専念し過ぎていた。更にこの間、弩弓の射撃により敵部隊の十数人を仕留めていた。一方、自隊の損害は皆無である。そんな状況に、アデールは無意識に敵への損害をより多く与えようと意図してしまう。その結果、アデール小隊の後退は本隊や他の小隊と比べて遅くなっていた。
実はこの時、ロージ率いる本隊も王弟派の本隊はアデール達が思っている以上に北に進んでいた。結果的に、アデール小隊は王弟派本体よりも南、つまり敵中に留まっていた事になる。そして、その事実は最悪な状況としてアデール小隊に降り掛った。斜面を登り切ったアデール小隊の目の前に、王弟派の別の迂回部隊が現れたのだ。
王弟派の別の迂回部隊は当初、小高い場所から北西側を見ていた。アデール小隊とは別の、もっと北に配置された別小隊からの牽制射撃によって迂回を妨げられたために、本隊へ帰還しようとしていたのだ。そこで、斜面を登ったアデール小隊が鉢合わせとなった。
「しまった!」
「お、王子派の部隊か!」
アデールの声と、敵の百人隊長の声が交差する。両者ともに驚きの声である。だが、次に発せられた声は、言葉は違うが同じ内容だった。
「と、突破だ、突破するぞ!」
「抜剣! 迎え討て!」
アデールの怒声と、敵の百人隊長の号令が小高い丘の上に響いた。
小高い丘の上では、左右に迂回する事も出来ない。さらに背後にはアデール小隊をしつこく追っていた王弟派の部隊が迫っている。死中に活を見出すためには、正面の百人隊を突破して北へ逃れるしかなかった。
一つだけ幸運な点があるとすれば、アデール小隊の面々は弩弓につがえていた矢を一度だけ放つ事が出来た、ということだろう。彼等は、アデールの怒声に応じると、混乱しつつも前方の王弟派の百人隊へ向けて一度矢を放つ。至近で弩弓の斉射を受けた王弟派の兵士達は、大勢が矢を受けて倒れた。
「止まるな、進め!」
アデールの怒号が響く。そして、小高い丘の上は戦列も戦術も存在しない乱戦の場となった。
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