Episode_23.07 タトラの渡り瀬の戦い 偽兵激突


「後詰めか……」


 王弟派第二騎士団のオーヴァン将軍の元に、北の森で伏兵達と対峙している部隊からの増援要請が届いた。その知らせにオーヴァン将軍は少し躊躇した。彼の手元には待機状態の一個大隊があった。だが、


「オーヴァン将軍、主戦場を渡り瀬と決めたからには、北の森の伏兵は二個大隊と猟兵に任せるべきです」


 考え込む様子となったオーヴァン将軍に、隣のレスリックは冷静な意見を述べた。元々レスリックの意見を蹴った上で、決められた戦いの筋書きなのだ。その筋書きをなぞるためには、有利に進んでいるように見える対岸の戦いに、待機中の一個大隊を投入する必要がある。それが今のレスリックの考えだった。


 しかし、指揮に口を出すような意見をオーヴァン将軍は認めなかった。彼は、援軍要請にやって来た伝令兵に対して、


「分かった! 待機中の一個大隊は北の森に向かえ!」


 と、号令していた。そして、何か言いたそうなレスリックに対しては、


「貴殿の口出しは無しに願う。猟兵からの情報は役に立ったが、第二騎士団は私の指揮下だ」


 と怖い形相でそれ以上の言葉を遮ったのだった。


 口を閉ざしたレスリックを一瞥したオーヴァン将軍は、次いで背後に控える騎士隊へ号令を発する。


「騎士隊も渡河準備にかかれ! 対岸の北に待機しているのはシモン将軍の部隊だ! こちらが渡河すれば必ず襲いかかってくる。北側への警戒を怠るな」


 オーヴァン将軍とて歴戦の将である。消極的な王子派の戦い方には、彼の軍を対岸へ誘いこむ意図があると見抜いていた。しかし、そこで躊躇しないのが「王の剣」たる第二騎士団を預かるオーヴァンの性格である。彼は、戦力に劣る兵士の一個大隊は伏兵の対処に回し、その代わり精鋭中の精鋭である騎士隊を対岸へ送り込むことを決めたのだ。策を弄して待ち構える敵に、予想を越える勢力をぶつけて粉砕する。それがオーヴァン将軍の戦い方だ。


「伏兵や、見え透いた後退など、シモンも老いたな」


 彼は吐き捨てるようにそう言った。


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 渡り瀬を進む王弟派の兵士達は、先行した弓兵部隊が設置した矢盾を足がかりに対岸へと渡る。途中、対岸南側に退避した王子派部隊から彼等の前進を妨害するような弩弓の攻撃があったが、そもそも射程外であった。更に、瀬の中に留まった王弟派の弓兵部隊が牽制するように弓の応射を行ったため、被害は出なかった。


 速やかに渡河を終えた部隊は最初の二個大隊が河原を南北に隔てるように進出する。一方、少し遅れて後に続く部隊は南側の平地へ退避した王子派の部隊を正面に捉えると隊列を組み前進を開始した。距離は二百メートル程度。その距離を兵士達は手持ちの盾で自分と隣の仲間を守りながら進む。


 対する王子派の部隊は西向きに設置していた矢盾をそのまま障害物として、その東側に横隊列を組む。受けて立つ構えだ。横隊列を構成したのは射撃戦から引き続き民兵大隊とコモンズ連隊の大隊一つだった。だが、彼等の背後に庇われていたコモンズ連隊のもう一つの大隊からは、兵士達が逃げ出すように背後の森へ駆け込んで行く。その数は二百を越えていた。


 その様子に、王弟派の兵士達は怒号とも歓声ともつかない大声を発した。戦う前から敵の戦列が崩壊したように見えたのだ。そして勢いを増した彼等は残りの距離を一気に詰めると王子派の横隊と正面から衝突した。


「蹴散らせ! 勝負は見えた!」

「裏切り者のコモンズを殺せ!」


 王弟派の百人隊長や大隊長の声が聞こえる。特に彼等がコモンズ連隊に向ける憎悪は凄まじかった。流石に裏切りを許さない、という決意があるのだろう。


 戦線は勢いを得た王弟派が有利に押した。一方、粘る王子派は徐々に南の森へ押されていく。そんな中、コモンズ連隊長は、部下や預かった民兵達を鼓舞する。


「耐えろ! 後十分、耐えるんだ!」


 そう言った彼は、負傷した兵士を引っ張り下げると自ら前列に立って声を張り上げた。


「コモンズはここだぞ! 話があるならオーヴァンを呼んで来い!」


 その声と姿に、敵の兵士達は色めきたった。


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 河原の先、南の平地で繰り広げられる戦いを、同じ河原の北側に布陣した王子派本隊から見守る騎士アーヴィルは注意深く戦況を観察していた。ちょうど、コモンズ連隊から二百人の人員が南の森へ離脱したところだった。その光景を見つめるアーヴィルは、万事予定通り、と確信した。だが、同時に彼の両脇に立つ二人の人物から発せられる異様なほど息を詰めた熱気を感じていた。


 アーヴィルの左隣には戦装束である白銀の甲冑に身を包んだ凛々しい偉丈夫 ――レイモンド王子―― が立っている。今回の戦いでは目立つだけで邪魔になる騎馬には乗らず、徒歩であった。そんなレイモンド王子は、部下である民兵団やコモンズ連隊の兵士達の踏ん張りを怖いほど真剣な眼差しで見ていた。噛み締めた奥歯の立てる音が聞こえてくる気がするほどだ。


(作戦とはいえ、犠牲になる者がいる事をレイモンド様は気に病むのだろうな)


 長い月日を共に過ごすアーヴィルにはレイモンドの内心が手に取るように分かった。直情的で熱血に見える青年レイモンドだが、その内面は非常に優しく人死や不幸な出来事が起きる事を嫌う繊細さを持っている。また、二十二歳という年齢の割に純粋な面もある。それらはレイモンド王子が兵や民を惹き付ける理由であるが、殊戦場いくさばとなると、命を駆けて戦う者達の姿が生々しく若い王子の心に迫るのだ。


(お優しい事は、平時の君主ならば良い事だが……)


 そう思う騎士アーヴィルが無意識の内に思い浮かべて比較するのは滅んだ祖国の王マーティスだ。彼が知る限りマーティス王はきさくで温厚な人柄であった。だが、その内面はどうだったのだろうか? 当時二十半ばのアーヴィルには、そんな嘗ての君主の内面を推し量ることは出来なかった。ただ、マーティスの孫であるユーリーを見る限り、外面とは異なる内側を持っていたのだろう、と考えさせられるのだ。


(……もしも、ユリーシス様がレイモンド様と入れ替わっていたら……)


 アーヴィルの心は戦場という場を忘れて、夢想の域に達する。もしも、ユリーシス、いやユーリーがレイモンド王子と立場を入れ替えていたならば……ドルフリー・アートンは八月事件を起こすことなく、正当な君主に平伏恭順し内戦の決着にまい進しただろう。四都市連合も、王弟派ではなく王子派に接触したかもしれないし、民衆派が台頭することも無かったかもしれない。王弟派内の太守排斥という流れに乗じて各都市を政治的に取り込むことも可能だったかもしれない。全ては「――かもしれない」という、あり得ない妄想だが、ユーリーの姿をマーティスに重ね合わせるアーヴィルはそう考えてしまう。そして、アーヴィルが愛するイナシアは周囲の勧めを受け入れユーリーの腕に抱かれていただろう。その傍らには、それを祝福する彼自身の姿が……


(わ、私は何と馬鹿なことを考えて!)


 そんな光景を空想したアーヴィルは不意に我に返った。彼の夢想を遮ったのは、自分以外の男に抱かれる妄幻の中のイナシアと、彼の右隣に立っていたシモン将軍が発した声だった。


「えぇっい! 遅いぞ、マドラ! 馬に乗り換えるくらいサッサとせんか!」


 シモン将軍の発したその声は、彼の部下である東方面軍騎士隊長マドラを叱責するものだった。だが、その叱責を受ける相手であるマドラは南側の平地、その更に奥の森の中にいた。思わずアーヴィルもそこへ目を向ける。その時であった。森の木立を割って多数の騎士が姿を現したのだ。


「よぉーし! レイモンド王子、我々も部隊を前進させます!」


 森から姿を現した騎士の姿に、シモン将軍は打って変わって喝采の声を上げると、次いでレイモンド王子に進軍を申し出る。その後直ぐに、シモン率いる歩兵大隊と僅かに残った徒歩の騎士、そして騎士に偽装していた民兵団の兵士が河原の中央目掛けて前進を開始した。


 一連の王子派軍が取った行動は、昨夜未明に西の森の中から若鷹が運んだ、


 ――こちらの存在は王弟派に察知されている。こちらは囮として動くので、本隊は伏兵無しでも成り立つ戦術を――


 という報せを受けて、急場で考えられた策だった。


 嘗てディンス攻略の前哨戦に於いて、西方面軍と民兵団が姿を入れ替えて王弟派側の守勢をかく乱した事があった。その実績、つまり「偽兵の計」を今回も使用したのだ。時間的猶予は余りなかったが、なんとか渡り瀬の南に広がる森に二百騎の騎馬を隠す事が出来た。


 そして、今朝から始まった緒戦の射撃戦に臨んだマーシュ率いる部隊の一部を東方面軍の騎士達と入れ替えた。騎士達の偽装には防寒用の上衣が用いられ、騎士の身に着ける金属鎧を隠す事が出来たことは幸いだった。そして、マーシュ率いる部隊は射撃戦で押されるように振る舞い、河原を外れて南側の平地まで後退した。その場所は足場の悪いタトラの渡り瀬で唯一、騎士が騎乗となった威力を発揮できる場所であった。


****************************************


 タトラの渡り瀬の対岸に出た王弟派の部隊は、南進を開始した王子派の部隊と河原の中央付近で衝突した。この時点で、前線は両軍共に二個大隊である。王弟派の背後には弓兵のみで構成された特別部隊と、渡河を開始した騎士隊がいる。たが、彼等は渡河の途中で先が詰まり立ち止まることになった。


 一方、南に退避したコモンズ連隊を中心とした部隊を追っていた二個大隊は思わぬ反撃を受けることになった。なんと、逃げだしたと思った兵士達が森の中から再び姿を現したのだ。しかも彼等は、分厚い防寒用の上衣を脱ぎ捨て、鈍い鋼色の金属甲冑を身に着けた精強な騎士として舞い戻って来たのだ。その先頭に立つのはマーシュ・ロンド、そして東方面軍騎士隊長のマドラであった。


 彼等騎士隊は、前列に出た裏切り者の騎士コモンズを討ち取ろうと躍起になっていた王弟派部隊に、東端から突入する。そして、東西に伸びた前列を横断するように騎馬を走らせ矢盾が置かれた西側へ抜けた。想定外の騎士の突入に、王弟派の前列は散々に踏み荒らされ、形を失った。


 そこに、息を吹き返したかのごとくコモンズ連隊の兵士や民兵団の兵士が肉薄した。再度槍衾を形成した彼等は、前列を北に押し上げる。槍衾の先頭に立つのは元王弟派軍の正規兵だったコモンズ連隊の兵士達だ。一方、民兵団の面々はその隙間から弩弓を撃ち放つ。遠距離の射撃戦では効果が少なかったが、槍が届くほどの距離ならば彼等の弩弓は十分な威力を発揮するのだった。


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