Episode_23.06 タトラの渡り瀬の戦い 遊撃


「くそったれぇ! 押し返せぇ!」


 ジェイコブの怒声が響くのは森の西側の窪地である。今回の布陣と作戦で、一番割を食った・・・・・のは「オークの舌」の面々であった。百を超える猟兵に突入された彼等は乱戦に持ち込まれていた。


 自分達とほぼ同じ数の猟兵を迎え撃つジェイコブ達「オークの舌」は、精霊術を封じられた状態で劣勢に立たされる。敵は強かった。対する「オークの舌」は精強な傭兵団であるが、部隊に名立たる剣の達人がいる訳でも、怪力を誇る巨漢の戦士がいる訳でもない。彼等の強さはジェイコブと彼の弟子ともいえる十人の精霊術師の働きに依る事ころが大きい。


 だが、それでも生存率の高い部隊は古参の強兵を生む。そして彼等は、同じく古参の猟兵達と、激しい白兵戦を演じた。至る所でお互いの刃を削り合う近接戦が起きる。敵と武器を打ち合う者と背中合わせに、彼の敵が味方と打ち合う。敵と味方が時に背を預け合うほどの濃密な乱戦であった。


 しかし、変化は直ぐに訪れる。午前の冬の森、人いきれ・・・・と血煙に咽る窪地の熱気を爽やかな涼風・・・・・・が吹き払った。少なくとも、ジェイコブを始めとした精霊術師達には、そう感じられた。その瞬間は丁度少し離れた場所で、ユーリーが竜骨杖を破壊したのと同時だった。周囲を重く押し包んでいた虚無の空間ヴォイドフィールドが効果を失う。そして、


「狙って撃て! ジェイコブのおっさんに当てるなよ!」

「わかってますよ!」

「チョロチョロ動くな! 黙って的になりやがれ!」


 そんな号令に応える声と共に、トッド率いる「骸中隊」が応援に駆け付けた。彼等は窪地の東端に陣取ると、斉射ではなく精密な狙撃を以って白兵戦を繰り広げる敵の猟兵を射抜いて行く。


「トッド! あっちはいいのか?」

「ユーリーが来た。あいつに全部任せてやったぜ!」


 窪地から見上げるようにジェイコブが言うと、トッドは肩を竦めながらそう答えた。そして、次の瞬間素早く矢を放つと一人の猟兵を射殺した。


「……まぁいいか。他人の心配より我が身の安全だ!」


 トッドの返事にジェイコブは半笑いで答える。そして、意識を地面に集中した。精霊の力が戻ったならば、やる事は一つである。


「お前ら、足元注意だぞ! 地の精霊よ我が意思に応えよ。窪地の底を重い泥濘で満たせ!」


 ジェイコブの意思を伴う声に応じて地の精霊が動く。そして、堅かった足元の地面がみるみる内に膝下まで浸かる浅い泥沼になった。勿論ジェイコブ一人で窪地全てに拘泥の枷スラッジバインドを行き渡らせる事は出来ない。だが、彼には十人の術師がいた。方々で似たような声が上がる。そして、沼地の底は泥濘で満たされた。これには敵味方区別なく足元を取られる。だが、首領の号令の意味を理解している「オークの舌」の面々は慌てる事が無かった。


「水精よ、この地に来りて清き泉を成せ!」


 しかもダメ押しとばかり、ジェイコブは水精招来コールアクアを発動する。膝下まで埋まる窪地の泥濘が腿の半ばまで浸かる沼地に姿を変えるのは直ぐの事だ。こうなると、敵も味方も満足に動けない。焦って動き、泥濘に足を取られて転倒、そして浅い沼と化した窪地の底でもがく者が多い。その殆どが敵の猟兵だった。


 そんな敵の猟兵達は、トッド率いる「骸中隊」に取って格好の射撃の的である。


「狙って撃て! おっさんの部下に当てるなよ!」


 トッドの号令の元「骸中隊」の熟練弓兵達は猛威を発揮する。中には何とか窪地を這い出て西の森に逃れる兵もあった。だがその数は二十を少し超える程度だったという。


「追撃はいい、被害確認と負傷者の手当てを!」


 泥塗れとなったジェイコブは、そんな勝利宣言にも等しい声を上げた。少なくない犠牲の上に打ち立てられた勝利を喜ぶ鬨の声が上がった。


「大声を出すな! 南から来るお客を迎える準備だ。使える矢を回収しろ!」


 そこに、少し神経質なトッドの号令が掛る。そして、二つの傭兵団の面々は次の戦い・・・・に備えるのであった。


****************************************


 ロージは森の南へ部隊を進出させていた。背後に不安が無いかと言えは、それは否だ。だが、彼はユーリーが伝えてきた作戦を実行するつもりだった。彼等の作戦は単純である。伏兵としての任務 ――渡河攻撃を開始した王弟派軍の背後を突く―― を実行するだけであった。


 少ない兵力を以って大軍に損害を与えるからこそ・・・・の伏兵である。そのためには、敵に気付かれる事無くその不意を突き、急襲を成功させる必要がある。隠密性こそが伏兵戦術において最も重要な要素といえる。だが、ロージ率いる遊撃兵団は敵の猟兵によってその位置を探り当てられていた。こうなってしまえば、彼等の伏兵としての意味は無いに等しい。


 しかし、幸運にも自分達の存在が露呈していることを知り得たロージには二つの選択肢があった。一つは直ぐに引き返してサマル村の本隊に合流する事。しかし、当時既に夜半を過ぎていたため、明日の戦いには間に合わないと思われた。一方、もうひとつの選択は、存在が露呈したことを知りつつも囮としてこの場に留まり続ける、というものだ。ロージは後者、つまり囮として留まり続けることを選択した。


 伏兵が森に潜むと分かってしまえば、王弟派の軍は何らかの対策を打たなくてはならない。背後や側面に危険が潜むと知りつつ全軍を前方に差し向ける采配は豪胆と称する以前に愚かである。そう考えたロージは、少なくとも王弟派の兵士千、または数百の騎士を前線から遠ざけておくために、森の中に留まることを決めたのだ。


 そんなロージの決定に対して、ユーリーが提案した作戦は


 ――敵はこちらが「察知されている」と知っていることを知らない。この差を利用しない手は無い。予定通り伏兵として行動しつつ、多くの敵を森の中に引き付けよう――


 というものだった。若鷹の足に括り付けた書付の文書で数度のやり取りであった。その中でユーリーは、後方に潜む猟兵を排除するために傭兵団の勢力を半数残し、残りは予定通りの作戦実行を提案したのだ。ただし、その目的は相手に直接損害を与えるのではなく、少しでも多くの兵を前線となる渡り瀬から遠ざけることだ。そして、ロージはこの提案に乗る事に決めた。


 現在ロージ率いる遊撃兵団と二つの傭兵団の半数は南トバ河の西岸に陣取った王弟派軍の北五百メートルの森の中にいた。


「歩兵第一から第八小隊、及び骸中隊の一部、配置完了です」

「敵兵千が森の西側に潜んでいました。あっちも斥候を置いていますがこちらが上手です」


 斥候の報告に頷くロージは周囲の面々を見渡す。彼の周囲には徒歩の騎兵九十人、そして、第九から第二十までの歩兵小隊六百人、さらに「オークの舌」の傭兵半分がいた。敵を引き付ける役割は彼等が担う事になる。残りの面々は森の中に分散配置させた。その配置は完了したようだった。後は行動あるのみだ。


「よし、作戦開始だ。くれぐれも頑張りすぎるなよ。我々の目的は敵のせん滅ではない。一人でも多くの敵兵を森の中に引き摺り込む。それだけだ!」

「応!」


 ロージの言葉に全員が短く気合の籠った返事を返す。そして、彼等は南を目指して進軍を開始した。


****************************************


 ロージ率いる八百弱の部隊は南下を始めて直ぐに王弟派軍と会敵した。斥候が伝えた通り、二個大隊千人前後の王弟派部隊は、王弟派の本陣から北の森の中で東西に長い横隊状に百人隊を配して待ち構えていた。その丁度中央部で会敵したロージ達の部隊は、思いがけない・・・・・・待ち伏せに驚愕すると、部隊の統制を乱した。


「待ち伏せだ!」

「後退しろ!」

「進め、突破するんだ!」


 方々から小隊長達の矛盾した指示が飛び交う。混乱した部隊は、前進も後退も決定出来ず、混乱したままその場に留まる。ただし、そんな状況下でも、遊撃兵団の兵士達はしっかり前方の敵に対して弩弓を射掛け、容易な接近を許さなかった。


 王子派の伏兵部隊が非常に分かり易い・・・・・・・・混乱状態に陥った様子は王弟派側の大隊長にも伝わる。その状態に二人の大隊長は敵部隊を包囲しようと、両翼の隊に対して敵の背後へ回り込むように指示を発した。そして、東西に長い横隊布陣の両翼が王子派の伏兵部隊の背後に回り込もうと動き出した。


 しかし、彼等は思わぬ妨害を受けた。東西両端の百人隊は、固まったまま立ち往生する王子派の伏兵部隊の北側へ出ようと其々進んだが、しばらく森の中を進むと、側面から矢を受けたのだ。


「なんだ、別働隊か?」

「分かりません」

「応射……くそ、弓兵を取られていたな。仕方ない、突撃だ!」


 この時、王弟派各百人隊に分散して配備されていた弓兵は渡り瀬の射撃戦のために特別編成を受けていた。そのため、各部隊は遠距離攻撃の集団が乏しかった。その状態を思い出した百人隊の隊長を務める騎士は、森の奥に潜む別動隊を追い払うために、部下達に突撃を命じた。東西どちらの隊も同じようであったという。


 そして、意図した包囲が遅れる。その間に、ロージは部隊を後退させていた。


「退くぞ!」


 彼の号令によって、これまで混乱状態であった部隊はピタリと落ち着きを取り戻すと、真っすぐ北へ向けて後退を開始した。


「逃がすな、追え!」

「本隊に伝令、後詰めの増援を求めろ。一気に敵を叩く!」


 我軍の半数である敵の後退に、二人の大隊長達は部下に追撃を命じた。


 タトラの渡り瀬北の森では、伏兵作戦に失敗した王子派軍を待ち伏せに成功した王弟派軍が追撃する様相となった。その状況を森の中でリリアから知らされたユーリーは、戦況が思い通り進んでいることに安堵のため息を漏らしつつ、彼等に合流するために南へ急いだ。


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