Episode_23.05 タトラの渡り瀬の戦い 伏兵狩り


(前方五十メートル、数は……五十四、弓兵と精霊術師ね。残りは南西二百メートル……近接戦闘要員かしら……きっとそうね)


 目を閉じ、極限まで意識を集中したリリアは、風が鳴らす枯れ草や落ち葉の音、微弱な地面の振動、そして上空を舞うヴェズルの視界から敵の位置と数を読み取っていた。彼女が内心で呟く通り、彼女達は森の南に展開する猟兵の集団を把握していた。そして、五十五人の弓を装備した集団の北、五十メートルという至近距離まで接近していた。


 平地の五十メートルは至近距離である。だが森の中の五十メートルは、余程卓越した野伏レンジャーでもなければ、潜んだ気配に気づく事は難しい。しかし相手には四人も精霊術師がいることが分かっている。リリアは、そんな相手に対してここまで警戒を受けずに接近出来た事に疑問を感じた。そんな彼女は隣のユーリーを見る。同じような疑問を感じていたユーリーも首を振った。曖昧だが「分からない」という意味の返事であった。


 彼女達が追う猟兵の集団は正確には百六十四人だ。その内百十人が近接戦闘を主体とする兵で、残り五十四人が弓などを主体とする遠距離戦闘の専門だった。そして、昨夜一晩中を費やして彼等を追跡したリリアは、彼等の中に少なくとも四人の精霊術師が含まれている事を探り当てていた。


(なんで、精霊術師が居る部隊がこちらに気づかないのだろう?)


 そんな疑問を感じるリリアであるが、現に敵の猟兵達は、気付いているのに気付かない振りをしているようには見えない。本当に気が付いていない様子で、前方の傭兵部隊に注視を続けているのだ。


 彼等のうち、近接戦闘を主体とする百十人は、ジェイコブ率いる「オークの舌」が潜む窪地へ向かっていた。一方、遠距離弓攻撃と精霊術者達は東側の高台に陣取る「骸中隊」へ向かっている。その事実をリリアはユーリーに読唇術の要領で伝える。発声を伴わない伝達方法を用いるのは、至近距離に位置する精霊術師を含む敵の遠距離攻撃部隊が、こちらの発声による空気の揺らぎを察知する可能性があったからだ。


――東に弓兵五十と精霊術師、南西に兵士百十――


 唇の動きでそう伝えられたユーリーは、一瞬考えた後、


(まず弓兵と精霊術師達を叩こう。遠距離攻撃と索敵の目を同時に潰せば、トッドさん達にジェイコブさんの援護を任せられる)


 と、考えた。そして、彼とリリアを含めた十一人のみの騎兵一番隊の面々に合図を送ろうとした。だが、


 キィィィ――


 不意に、酷い耳鳴りが彼を襲った。思わず半閉式の兜ハーフクローズの上から耳の辺りを押さえるユーリーは、同じように頭を抱えるリリアを見ていた。


「リリア、なんだ、これは?」

「……虚無の空間? そんな……」


 ユーリーの問いにリリアの答えは断片的だ。だが「虚無の空間ヴォイドフィールド」という高位精霊術についてリリアから事前に聞いていたユーリーは、同じく彼女から聞いたドルドの森の修行の最終局面に関する話を思い出す。


(精霊が排除される空間? 都合が良い!)


 その時、なぜユーリーが精霊を排除する力場の展開を察知できたのか、それは分からない。だが、彼は一気に色あせる周囲の状況を感じ、リリアの声から状況を判断すると、パムス以下一番隊の面々に号令を発した。


「抜剣! 敵の弓兵に突入する! 続けぇ!」


****************************************


 トッド率いる「骸中隊」の半数を襲った弓矢の射撃は驚くほど正確だった。現に後方に控えていたトッドも倒木の陰から外に出ていた右足の腿に浅い矢傷を負ったほどだ。


「応射! 怯むな!」


 焼けつくような痛みをこらえてトッドは、平然とした声を発した。


 ――死ぬ一瞬前まで最善の命令を平然と下せ――


 そんな養父ゴルムスの教えが彼を支配していた。


 初撃の被害は十数人、応射は十分に可能。だが、肝心の敵の姿は見えない。その状況に熟練の弓兵が多い骸中隊は無駄矢を堪えて枯れた茂みと木立の間に目を凝らす。その時、敵から二射目が発せられた。その瞬間に敵の姿を認めた弓兵達が応射する。彼等の多くは敵の矢を受けたが、敵の姿が見えなかった味方にその位置を教える事になった。


 数十の矢が次々と敵の潜む辺りに撃ち込まれる。それとほぼ同時に、敵の背後に肉薄した兵達の姿が在った。ユーリー率いる騎兵一番隊の面々だ。


「撃ち方、待て! 味方だ! ……あんな所から出てきやがって、こっちの矢に当たるだろ、馬鹿が」


 同士撃ちを避けるため、トッドが鋭い声を発する。そして小さく毒づいた。


 一方、敵の弓兵部隊の背後を突いた騎兵一番隊の面々は、馬を置いてきているが、それでも遊撃兵団の中で選抜された精強さを誇る。そして、十一人全員に隊長ユーリーが発した強化の付与術が行き渡っていた。


「トッド! こっちは俺達が受け持つ。ジェイコブの援護へ!」


 先頭に立って猟兵の弓兵集団に突入したユーリーは、大声でそう言うと手に持った片刃剣を振るう。真っ先に狙ったのは精霊術師と思しき猟兵四人だ。彼等は弓を持っていないので分かり易かった。その内一人に斬り掛ったユーリーは、自分の蒼牙を受け止めようと咄嗟に振り上げられた象牙色の小杖を目にする。


(杖? 竜骨杖、そうか!)


 彼は、見聞きした情報と目の前の状況を瞬時に重ね合わせると、虚無の空間を作りだした原因を見抜いた。そして、


 バキィ――


 上段から振り下ろされた魔剣は、竜の骨でできた魔術具の杖を叩き折り、その下の敵を袈裟掛けに斬り払った。その瞬間、重苦しかった周囲の空気がサッと晴れ渡ったように感じた。だが、近接戦に突入したユーリーはそこまで繊細に周囲の変化を感じない。ただ、目の前の応戦態勢を取れていない敵を叩くことに集中する。


 そんな彼は、切り下ろした切っ先を跳ね上げるようにして、今度は逆袈裟で別の一人を屠る。そして、魔力を魔剣蒼牙に叩き込み、その効果である増加インクリージョンを感じながら、虚空に模様を描くように蒼い切っ先を躍らせた。次いで発したのは大きな炎の矢と爆発であった。あっという間に五人の弓兵が消し飛び、爆発の余波で十人程度が転倒する。転倒した猟兵には、ユーリー配下の騎兵達が殺到すると、速やかに、且つ残酷に息の根を奪い取っていく。


「トッド、早く!」

「くそっ、分かったぞ! 全員、ジェイコブのおっさんを援護だ!」


 魔術による炎の熱気を感じながら、トッドは配下の弓兵にそう命じると、小高い丘状の高地から窪地に駆けだした。彼の後ろには忠実に彼に従う弓傭兵達の姿が在った。


****************************************


 弓兵と精霊術師の集団に背後から突入したユーリー達一番隊の面々は、序盤の戦いを有利に展開していた。特に、先頭を切って突入したユーリーは、弓を構えていない精霊術師と思われる猟兵を剣と魔術で確実に葬っていた。


 しかし、背後から不意を突かれた上、火爆矢ファイヤボルトの爆発によって痛手を受けた猟兵達は、戦意を喪失することなくこの状況で最善の行動をとった。それは、肉薄する王子派の小勢を壁役の兵士が近接戦で押し留め、残りの者が距離を取って弓矢で討ち取る、という合理的な戦術だった。不意の急襲に対応する戦術であるが、実戦でこれを行うには決死の胆力が必要である。だが、彼等はそれを実行した。


 猟兵の内、ユーリー達に接近戦を挑んできた者の数は十五、いずれも第一線で働く兵士としては歳を取り過ぎている老兵の風貌だ。だが、「たかが老弓兵」と侮れない腕の持ち主達だった。内戦が続くコルサス王国では「王の隠剣」と呼ばれた猟兵の活躍する場は少なかった。だが、嘗ては「猟兵一人は並みの騎士に匹敵する」と称された時代があった。そして、ユーリー達に立ち向かった老兵達は、その世代の生き残りだったのだ。


「魔術を使う若い騎兵……エトシアの戦いでドリムやんちゃ坊主を叩きのめした奴だな!」

「ターポでガリアノ様を狙ったとも聞いた!」

「せめて奴だけは討ち取れ!」


 しかも、接敵から僅か数分で魔術を使うユーリーの素性を見抜き、若干の誤解を孕みつつ、狙いを彼一人に絞って来た。十五人の猟兵の内、半数近くの六人がユーリーに殺到した。更に、距離を取る事に成功した残り二十弱の弓兵達は、さっきまで骸中隊が陣取っていた場所を確保すると、鋭い鏃を彼に向ける。


「ユーリー隊長!」

「隊長を援護!」


 その状況に、副官パムスや若手のサジルが声を発する。だが、彼等も自分達へ向かってきた残りの猟兵の相手で手一杯だ。一対一の戦いが九組出来上がりつつあった。


 一方、部下達の心配をよそに、当のユーリーは動じていなかった。確かに手強い敵ではあるが、彼等の大半の注意が自分に向いているのは好都合だった。なぜなら、この戦場で一人気配を完全に消した存在が、取り戻した精霊の力を使うことを知っていたからだ。


 間もなく、ユーリーの確信は現実となった。小高くなった戦場の後方、弓兵達が陣取る場所に強烈な凍気を伴う風塊が出現したのだ。


****************************************


 ユーリー達が敵集団に斬り込んだ時、リリアは近接戦には加わらなかった。精霊の力が使えない状況では俊足ストライドの効果を得られないからだ。それに、余計な気配りをユーリーにさせる事にもなり兼ねなかった。


 そんな彼女は、養父譲りの黒塗りの弓で背後から援護を試みる。だが、一射も放つ間もなく、丁度ユーリーの魔術が炸裂する瞬間に、周囲に満ちていた精霊を排除する力が無くなった事に気が付いた。


(これなら!)


 自分の力が最大限発揮できる状況を取り戻した彼女は、徐々に戻りつつある精霊達に意識を傾け、特に上空の凍えた大気に呼びかけた。


「北風の王フレイズベルグと南天の前王ルフの名に於いて命じる。凍える大気よ、冷たき刃の嵐となれ!」


 彼女の意思は発声と共に強制力を発揮する。そして、遥か上空から呼び寄せられた凍気が地上に達した瞬間、強烈な気圧の変化と共に刃の嵐ブレードストームが発動した。白く輝く極低温の風塊は、高台に陣取った弓兵達を包み込むと、凄惨な刃の檻に閉じ込める。そして、悲鳴すらかき消す暴風が過ぎた後には、切り刻まれて真っ赤な霜が降りた弓兵達の死体が折り重なっていた。


「風と地の精よ、私に不可視の翼を!」


 だが、その戦果に留まらないリリアは自らに俊足ストライドの精霊術を発動すると、背中から伸縮式の槍ストレッチスピアを取り出し、素早く伸展する。そして、目に留まらない早さで騎兵達の援護へ向かう。


 彼女の視界の少し先では、騎兵一番隊の面々が其々手強い敵と相対しているのが見えた。仲間の弓兵を一掃された猟兵達は、やや浮足立ちつつも、この場に留まって戦いを続けている。十対十五という数の優位が彼等にそうさせたのだろう。だが、数の優位な部分を一手に引き受けたユーリーは、素早い立ち回りと魔術を交えた戦いで六人の敵と渡り合っていた。


 状況を素早く判断したリリアは、先ず一番近くで敵の攻撃にやや押されていた隊の若手サジルの援護に回る。二十メートル近くの距離があるが、俊足ストライドの効果を受けた彼女は、まるで背中に見えない翼を得たように、一気に距離を詰めた。


「リリアさん!?」


 視界の外から突然姿を現した人影、その存在に気付いたサジルは驚きの声を発した。この時、一番隊のユーリー以外の面々は彼女の力を「強力な精霊術者」と認識していた。だが、本来の彼女の力はその評価に留まるものではない。リリアはその瞬間、サジルの戸惑いを帯びた声を完全に無視すると、手にした短槍を鋭く突き出した。穂先に姿を変えた養父の剣が俊足の効果を受けて目に留まらない速さの突きとなる。そして、


 シャンッ――


 それでも、初撃は猟兵の振るった剣で弾かれる。だが、刺突と同時に飛び込んだリリアは、巻き上げるように石突側を振るい、敵猟兵の胸甲を打つ。そして、


「風よ!」


 リリアの短く鋭い声が風を起こす。その瞬間発生した突風は地面の落ち葉と共に敵猟兵の体を大きく弾き飛ばした。かなりの衝撃だったのだろう、その猟兵は落下した先の地面でピクリとも動かなくなった。


「なっ、なっ、なんだ……今の」

「援護よ!」

「え?」

「掴まって!」


 リリアが発した強風ブローの煽りを受けて転倒していたサジルは、尻もちをついた状態で驚きの声を発する。苦戦した敵を一瞬で倒した少女といってもよい女性。その様子に驚くサジルに、リリアは少し苛立った様子で短槍の石突側を差し出した。彼女の表情にサジルは無意識のうちにそれを掴むと起き上がる。そんな彼にリリアは、


「他の人の援護よ。行くわよ!」


 と言うと再び疾風の如き速さで駆け出していた。サジルは落ち葉に塗れた尻を叩くことも忘れて、彼女の後を追うのだった。


 東側の小高い場所での戦いはリリアの活躍で攻守の均衡が破られた。その後、騎兵一番隊が一気に押す展開となると、近接戦を挑んだ猟兵達は或る瞬間にその場で踵を返し、一斉に西の森へ逃走を開始したのだった。鮮やかな引き際であった。


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