Episode_23.04 タトラの渡り瀬の戦い 伏兵同士


 マーシュ団長率いるコモンズ連隊と民兵団が南側の平地に退避した時、タトラ砦の北の森ではロージが「行動開始」の指示を発していた。周辺の森に分散して潜むのは遊撃兵団の歩兵部隊総勢千と徒歩となった騎兵部隊総勢九十、それに「オークの舌」と「骸中隊」という傭兵団の合計四百人弱の傭兵達である。


 彼等の位置は「タトラの渡り瀬」西岸に展開した王弟派軍の直ぐ北の森の中だ。二つの傭兵団が南に位置し、本隊である歩兵部隊と騎兵部隊は北に位置していた。その内、北に位置していた歩兵部隊と騎兵部隊が「渡り瀬」の戦闘開始を察知し行動を開始する。ロージの号令を受けた部隊は、二つの傭兵団の半数を助勢・・として伴い南下を開始した。彼らが目指す先は、王弟派が布陣する「タトラの渡り瀬」西岸の北部だ。突撃を開始した敵の部隊の側面後方を襲撃し、敵の突撃の勢いを鈍らせるのが任務である。


 一方「オークの舌」のジェイコブや「骸中隊」のトッドは、各自半数を遊撃兵団の援護に回しつつ、残りの者達をその場に留める。そして、北側を警戒する態勢を取った。というのも、彼等が真っ先に排除しなくてはならない敵は、分かり易く南に展開する王弟派の第二騎士団では無く、いまだ気配さえ掴めない森の奥に潜伏する「猟兵」であるからだ。


 この時、弓を主力とする「骸中隊」は森の東側、つまり南トバ河の付近に位置していた。その辺りの地面は他よりも少し高いため、微かに見通しが優れていたからだ。一方、精霊術と近接戦闘を主力とする「オークの舌」は西側の窪地となった場所に身を隠すように位置していた。


「ったく、敵の姿も気配も無いとか、やり難いぜ……」


 冬枯れの森、木立の幹が密集した森の奥へ目を凝らす「骸中隊」首領トッドは小声でそう毒づくと、凝った肩を解すように回すと長弓を構えなおした。


(ジェイコブのおっさんと、リリアとかいう小娘頼りとは……)


 若くして養父の後を継いで傭兵団の首領となったトッドは、何かに付けて背伸びをして強がりを言うことが癖になっていた。後見人役のジェイコブは「若いうちはそれくらいで良い」と言うが、それもまた気に入らないトッドである。しかも、行く先々で仕事に絡んでくる優男風の青年騎士ユーリーと、見た目は良いが周囲の男に対して一切興味を示さない女精霊術師リリアなどは、歳が近い事もあり無意識のうちに対抗心を感じていた。


 尤も彼はそういう風・・・・・であるが、先代から続く部下の傭兵達は若い首領トッドをそれなりに信頼している。先のインヴァル戦争中に代替わりを経験し、その後「骸中隊」を率いて戦い抜き、追加の報酬を幾つか勝ち取ったのは首領の実績に他ならないのだ。


 また、デルフィル領内に潜んだ四都市連合の傭兵部隊との戦いでは、思い切りのよい前進・後退の指示を出し白兵戦が苦手な傭兵団の被害を最少に食い止めた。そして、これまで働き口とはならなかったコルサス王国の内戦に王子派として首を突っ込む事が出来たのだ。新しい仕事を持ってくるという意味でも、トッドは皆から首領と認められつつあった。


 そんな若い首領に率いられた骸中隊の面々は隊列を組むのではなく、周辺の倒木や大木の陰など、身を隠し易いところに分散して潜んでいた。彼等は時折周辺の仲間と手信号を交わし合い待機を続ける。全員が矢を弓につがえた状態である。


 その時、トッドの周囲で風が起こった。風の精霊術を用いた遠話テレトークである。トッドは馴染み深い感覚に次いで起こる「声」を待つ。すると、


(猟兵のやつら、遊撃兵団の動きにつられて南に動き出した。そろそろ会――)

「かい? なんだ、ジェイコブ?」


 「オークの舌」の首領ジェイコブのだみ声が耳元で聞こえたが、それは敵 ――猟兵―― の動きを伝えた後、不意に途切れた。思わず訊き返そうとするトッドだが、その声を押し殺す。さっきまで緩く渦を巻いていた風がピタリと止んだのだ。これと似た状況を嘗て「暁旅団」と行動を共にした際に経験していたトッドは、周囲に見える仲間達に合図を送った。


 ――敵が近い、警戒――


 簡潔な手信号は直ぐに部隊全員に伝わる。全員が冬枯れの森で木立の先へ目を凝らす、だが、先手を取られたのは彼等だった。分散した彼等の右翼、東側に数十の矢が降り注いだのだ。


****************************************


 トッド達骸中隊が陣取る場所の西側、少し地面が落ちくぼんだ場所に潜むのはジェイコブ率いる「オークの舌」の面々だ。その中で、ジェイコブは少し離れた場所に陣取るトッドに対して遠話テレトークの精霊術を用いた交信を試みていた。勿論敵である猟兵の動きを伝えることが目的だ。


 その情報は、ジェイコブ自身が用いた風の囁きウィンドウィスパによって察知した情報だ。だが、森の中で微かな気配しか発しない敵の存在は、優れた精霊術師であるジェイコブにもそう・・と言われなければ察知できないものであった。


 そんな、背後に迫る敵の存在を知らせたのは、リリアに懐いた若鷹であった。


 昨夜、真夜中過ぎに音も無くジェイコブの元に舞い降りたその若鷹は、驚いたジェイコブに対して太い足に巻きつけられた書付を「早く外せ」と言わんばかりに見せたのだ。その書付にはユーリーの字で、


 ――背後に敵、およそ二百五十――


 という短い文章と共に、ジェイコブ達の位置と、北側の森の中に分散した敵の位置関係を示した簡単な地図が在った。


 その事実を最初は信じられなかったジェイコブだが、意識を凝らして敵の潜む場所を探ると、確かに不自然な気配が感じられた。そのため彼は、周辺に散会して翌朝の行動を待つ遊撃兵団長ロージや骸中隊のトッドにこの事実を伝えた。


 一方、何処に潜むのか分からないユーリー達の一行と、ジェイコブのやり取りはその後も若鷹を通じて三度行われた。そして、現在のような布陣と行動になったのだ。その目的は、背後に潜む猟兵という敵兵をジェイコブやトッドの傭兵団の半数・・で叩き、残りの傭兵とロージ率いる遊撃兵団は当初の目的通りに伏兵の任務を行う、というものだった。


 そして、風の精霊に働きかけたジェイコブは、自分の声を離れた若者に伝える。


「猟兵のやつら、遊撃兵団の動きにつられて南に動き出した。そろそろ会敵するぞ、注意しろ」


 だが、その言葉の途中でジェイコブは不意に眩暈に襲われた。感覚が一つ無理矢理奪い取られたような錯覚を覚える。周囲の同じ精霊術師である部下達も呻き声や驚きの声を小さく漏らした。その感覚は良く覚えのあるものだった。


「せ、精霊封止? いや、竜骨杖か……チッ、面倒な物を!」


 ジェイコブ達の記憶に在るのは「暁旅団」の参謀役である魔術師バロルがここぞ・・・という場面で使用する強力な魔術具の効果である。成竜の眉間の骨から削り出されたとされる象牙色の小ぶりな杖は、周囲の精霊の働きを完全に止める効果を持つ。それは、一種類の精霊の動きを止める精霊封止エレメンタルシーリングとは異なり、一定範囲内の全ての精霊の動きを止めるものだ。同等の効果を持つ精霊術は虚無の空間ヴォイドフィールドと呼ばれる高度なものである。


 彼自身も使用するに至らない高度な精霊術ヴォイドフィールドよりも、希少だが大金を積めば購入可能な魔術具による効果と判断したジェイコブは舌打ちしつつ、部下に注意を促した。


「仕掛けてくるぞ、注意しろ」


 その声に、近接戦闘に優れる者達は無言で武器を手に取った。ジェイコブも腰の鞘箱ケースから片刃の戦斧を取り出し構える。だが、普段なら彼を助けてくれる精霊の囁きは全く感じられない。そのため、敵の気配など知りようも無かった。


(普段から頼りきりだと、こういう時に困るな)


 今更の反省であるが、その考えは不意に途切れる。大勢の人間が枯れた下草を踏みつけて向かってくる音が聞こえたのだ。


「来るぞ、各班で散開。白兵戦を仕掛ける」


 そして、窪地に展開した「オークの舌」の面々は首領の言葉に従い五人から十人の班に分かれるとお互いの距離を取った。


 果たして、敵の猟兵は直ぐに姿を現した。革鎧の上に下草や枯れ枝を捲き付けた風変わりな格好をした戦士達が思い思いの武器を手に窪地へ飛び込んで来たのだ。数は百を少し超える程度である。だが、全員が森を駆ける獣のように動きが素早い。


 彼等は身軽な身のこなしで窪地に飛び込むと、奇しくも「オークの舌」の傭兵達同様、数人でひと組を作り、傭兵達に襲いかかった。窪地は瞬く間に白兵戦の場と化した。

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