Episode_23.03 タトラの渡り瀬の戦い 緒戦


 アートン北東の北部森林地帯を源流とし、レムナ村の南で二手に分かれ、そこからリムン砦の谷下を経てリムル海に流れ込む南トバ河。リムルベート王国を南北に縦断するテバ河を「女河」と称するのは、このトバ河が「男河」と呼ばれることに起因する。その支流である南トバ河の流れは、その名を違う事無く全般に渡って急流だ。


 南トバ河には、分岐したもう一方の西トバ河と異なり滝を形成する地形は無い。だが、急流がコルタリン山系の東側を削り取る事によって流入する大量の土石が全般的に河底を浅くし、流れを早くしている。そんな南トバ河は下流に行くに従い、幾つか広範囲に及ぶ「瀬」が形成されている。急な流れが白波を立てて殊更勢いを増す場所だが、その一方で水深はくるぶし上から膝下程度となる。そんな「瀬」の中で人馬、荷馬車の類がなんとか渡河出来る最も北側に位置するものが「タトラの渡り瀬」だ。


 嘗て、トトマ、ダーリア、アートンと回りターポへ抜ける内陸街道での交易や人の行き来が活発だったころ、このタトラの渡り瀬は「北回り街道」のリムン峠に次ぐ難所であった。タトラ砦もサマル村も、その難所を通る旅人を援護する事が目的で造られたものだ。だが、今現在、その難所はコルサス王国を二分する勢力の最前線となっていた。


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 夜明けと共に王弟派第二騎士団の動きを察知した王子派軍は、サマル村を出撃すると、タトラの渡り瀬を挟み、敵と相対した。


 タトラの渡り瀬は、タトラ砦の北二キロ、サマル村の南四キロの地点に位置している。季節は二月の中旬であるため、雪解け水が河の水位を押し上げる時期ではない。寧ろ一年で一番水位が下がる時季だ。それでも、渡り瀬の奥行きは東西両岸の距離が五十メートルに及び、周囲の河原を含めれば三百メートルを超える一帯が大小の岩や石に覆われた河原となっている。また、渡河が可能な渡り瀬の南北の幅はおよそ一キロ弱である。勿論その範囲ならば何処でも渡河可能という訳ではない。瀬の中には落とし穴のような深みが点在しているし、足元を掬うほど流れが急な場所もある。


 そのような地形であるため、タトラの渡り瀬一帯は王子派が陣取る東側の河原の一部 ――南側の狭い場所で土の地面が森まで続いている―― を除き、騎馬による突撃戦術を展開する事が難しく、戦いの主役は両軍の歩兵や、弓兵となる。それは五日前の戦いで証明済みの事実であった。


 両軍は先の戦いを踏襲するように、設置式の大盾、矢盾の類を前方に押し出すと最前列とする。そして、朝霧が晴れる時刻を待って、両軍は矢による射撃戦に突入した。この時点で両軍の距離は渡り瀬を挟んで約百五十メートルである。そのため余程腕の良い射手以外は敵を狙って矢を放つ事は出来ない。両軍の弓兵は双方の合図に応じて斉射を繰り返した。


 この時、河原に展開した王子派軍の数は三千百。レイモンド王子が総大将となる軍勢の内訳はマーシュ団長率いる合同部隊の三個大隊千百と、シモン将軍率いる騎士三百に三個大隊兵士千五百である。その内、射撃戦に応じたのはマーシュ団長率いる合同部隊の民兵一個大隊とコモンズ連隊であった。彼等は通常の防具の上から毛布の真ん中に頭を出す穴を開けただけの粗末な防寒用上衣を身に付け、数日前と同じ射撃戦に挑んだ。


 一方シモン将軍率いる残りの騎士や兵士は河原の北側、サマル村へ繋がる街道の位置で待機していた。彼等の内、東方面軍と中央軍の騎士達は河原での戦闘に備えて騎馬を降りていた。馬を連れていない騎士も多く、騎士の数に比べて騎馬の数が少なかったが、対岸の王弟派軍の見張りが注目する事は無かった。


 朝から始まった射撃戦は当初拮抗して見えたが、徐々に変化が見え始める。両軍の装備の差が戦果の差となって現れ始めたのだ。


 王子派軍の兵士の内、民兵団の兵士とコモンズ連隊の兵士ほぼ全員に支給されている弓は山の王国から取り寄せた折り込み装弦式の弩弓の複製品だ。原型品は遊撃兵団が所有しているが、その優れた速射性と携行性の良さをアートンの鍛冶工が模倣して造った普及型の兵器である。速射性では通常の弩弓の一倍半を誇る。だが、ドワーフの造りを完全に再現出来ない故に、折り込み部の強度に劣り、それを補うため、弦の張力が弱められている。結果として、軽い矢ならば二百メートル程度飛ばす事が出来るが、敵の鎧を撃ち抜く重い矢の射程は精々百メートルである。至近距離での射撃戦では問題無いが、渡り瀬を挟んだ遠距離の射撃合戦には不向きな特性であった。


 一方、王弟派の弓兵達は古式ゆかしい長弓や短弓を用いる。専門性の高い熟練兵である彼等は、王子派の兵士の中で不用意に矢盾の外に出た者を正確に射抜いていた。数では劣るが威力と精度で勝る、弓兵の本懐と言うべき戦果を上げていた。


 両軍の装備と編成の違いによる戦況の変化は、王弟派有利に進む。王子派軍は渡り瀬の我岸に配した矢盾をじりじりと河原の奥へ後退させる結果となった。一方の王弟派軍は前列の矢盾を前進させると渡り瀬の流れに足を踏み入れた。


 そして、形勢有利と判断したのか、王弟派の後列では幾つもの百人隊が一気に河を渡るべく突入隊形を整え始めた。


「矢盾を少し下げろ!」

「怪我人を後ろへ!」

「そろそろ、無駄撃ちに気をつけろ」


 目に見えて劣勢な状況であるが、コモンズ連隊と民兵団の各小隊長は部下達を鼓舞しながら徐々に部隊を後退させる。三つの大隊の内、射撃の矢面に立つのは民兵大隊とコモンズ連隊の大隊一つである。彼等はもう一つの部隊を背中に庇うように応射を続ける。だが一人、また一人と敵の矢を受け負傷者が出る状況だった。兵達は矢傷を負った仲間を矢盾の影に引っ張り込むと、じりじりと河原の奥、しかも本隊が待機するサマル村の方ではなく、反対の南側の森へと後退していく。そこは石ばかりの河原が途切れ、平坦な地面が森まで広がる場所だった。


 これは、王弟派の弓兵達が河原の北側奥に控える王子派本隊と射撃戦を展開する部隊の分断を狙い、河原の中央部を重点的に狙撃した成果であった。しかも、射撃合戦の序盤に効果の薄い斉射を繰り返したため矢の残りが心許なくなったのか、河原の南側へ後退した王子派軍からの矢は明らかに勢いが衰え始めていた。


 だが、そんな状況下に於いて、兵士達を指揮するコモンズもマーシュ団長も取り乱すこと無くじっと耐えていた。被害は出ているが、戦いの展開は意図した通りに推移していたのだ。マーシュもコモンズも、ちらと奥の森に視線を送った。予定通りの準備・・・・・・・である「騎士の友」がそこに隠されていることに心強さを感じた。


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 王弟派の軍を指揮するのは第二騎士団オーヴァン将軍である。その傍らには援軍として砦に入った第三騎士団のレスリックが少数の騎士と猟兵十数人を連れて付き従っていた。


 彼等の布陣は、各隊から抽出した弓兵のみの一個大隊五個百人隊を渡り瀬の我岸に配し、そのすぐ後方に五個大隊、全部で二千五百の歩兵という布陣だ。一方、四百騎の騎士は少し後で待機していた。また、残りの兵士の内、二個大隊千人には別命を与え、王子派の陣から見えないように戦線の後方へ配置している。そんな布陣の中、オーヴァン将軍やレスリックは兵士達の最後尾、騎士達の最前列という場所で戦況を見守っている。


 朝霧が晴れると同時に始まった矢による射撃合戦は味方の弓兵達の活躍により、有利に展開していた。五日前の戦いでは互角の射撃戦であったのが、今日の戦いでは見違えるように王弟派が押している。不思議な事である。従来のオーヴァン将軍ならば、その理由を王子派軍の前列が目算を誤り弩弓の射程を越える距離に布陣したため、だと考えていただろう。少なくともレスリックが合流する前のオーヴァン将軍ならばそう考え、傾いた戦況を一気に確定させるべく、後方の兵士らに突撃を命じていたはずだ。


 だが、王子派軍の伏兵を事前に察知していたオーヴァン将軍は目の前の戦況に任せて突撃を命じる事は無かった。彼は斜め前に位置するレスリックの顔に一瞥を送る。対するレスリックはオーヴァン将軍の視線に気付いたようだが、表情を変えなかった。


 今回の戦いに際して、オーヴァン将軍とレスリックの間では微妙な意見の相違があった。二人とも、猟兵達が見つけ出した王子派の伏兵を叩く、という点では一致している。その上でレスリックは、伏兵達をおびき寄せて包囲せん滅することを今回の戦いの主目的とするべき、と主張した。一方、オーヴァン将軍は伏兵の対処は二個大隊分の歩兵に任せ、あくまで主目的はレイモンド王子と名将シモン率いる東方面軍の撃破と決めて揺るがなかった。


 結局反りの合わない二人は妥協点を見出す事が出来ず、戦いは第二騎士団の将軍であるオーヴァンの意見に基づき、王子派軍の撃破を目的としておこなわれる事なった。その決定にレスリックがどれだけ不満を感じているか、それはオーヴァン将軍には分からなかった。だが、その後もレスリックは配下の猟兵からの情報を惜しみなく提供していた。


(協力してくれるのは有難いが……感謝をするべきか、どうか……)


 そんなレスリックの対応に、オーヴァン将軍はかたくなな自分の態度に疑問を持ち始めていた。


 前方では、弓兵部隊が渡り瀬中央まで進出しており、続く各大隊は四列縦隊を組み、渡河の突撃の号令に備えている。そして、準備を整えた各大隊から伝令兵がオーヴァン将軍の元に駆け寄ってくる。


 そんな中、オーヴァン将軍は騎馬を少し歩ませるとの手綱を握っては緩める動作を繰り返しながら、隣のレスリックを見た。レスリックは瞑目して何かを待っているようであったが、オーヴァンの視線に気づくと目を開ける。それと同時に、二人の周辺で突然不自然な風が起こった。そして、


(伏兵、動き出しましたぞ)


 という、年老いた猟兵の声が響いた。


「よし、前方四個大隊は前進、渡河を開始せよ。後方の二個大隊は北の森へ、敵の伏兵を迎え討て」


 風が運んだ声を精霊術の一種と知っているオーヴァン将軍は、命令を待つ伝令兵達に行動開始を命じた。各伝令兵が自隊へ駆け戻っていく。そして、南トバ河西岸の王弟派軍が動き出した。


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