Episode_23.01 ガリアノの憂鬱
アーシラ歴498年2月中旬
コルサス王国の王都コルベート。コルタリン半島の突端に位置し、岬全体を埋め尽くす巨大な都市は、ここだけ内戦の影響など感じさせない賑やかさを保っていた。そんな大都市を王都たらしめるのは岬の先端付近に聳える白亜の王城である。その美しい外見と、白を基調とした街の外壁が相まって、コルベートは昔から「リムル海の真珠」と呼ばれ、白亜の王城は
だが、その美しい外見とは裏腹に、この都市と王城の守りは堅い。城は石灰岩によって造られた四層の宮殿と後宮で構成されており、その周囲に三重の城壁を持つ。また、王都全体を取り囲む外壁を加えると四重の城壁を持つことになり、これは西方辺境のみならず、中原や南方、東方辺境を含めても、この世で最も守りの堅い城の一つと言われている。
またその立地も守り易く攻め難いものだ。
コルタリン半島から突き出した岬に位置する王都は、コルタリン山系の尾根が直ぐ北まで迫っており、街並みは尾根から続く丘によって東と西に分けられている。その尾根と丘によって東西に分断された土地は、王都を守る強大な守備兵力を圧倒するほどの大軍を攻め手が展開するには不向きである。そのため、王都を陸上戦力で攻撃する場合は、真っすぐ北から南へ攻める事が出来ず、勢力を東西に分散させる必要があった。一方、護る側は高台の上の要塞を出城のように使い、高所から平地に展開した敵を攻撃できる利点がある。
また、海側の守りは岬の東西に造られた強力な水城が担っていた。自然の岩礁を利用した人工島に建てられた水城には、船舶で押し寄せる外敵を退ける強力な
そんな白珠城を頂く王都の港は、城から見て北東側の岬の付け根に相当する場所にある。嘗て防衛上の理由から国内の港を行き来する内航船しか入港が認められていなかった港だ。しかし、長く続いたその決まりは今や打ち捨てられている。というのも、王都の港には四都市連合の船舶や軍船が多く入港しているのだ。そして、便利性を増した交易によって、他の都市の苦境をしり目にコルベートだけが栄えている状況だった。港の荷役を担う労働者は早朝から忙しく、活気を帯びて立ち働いていた。
この日、第三城郭の東に面した城壁の上には、そんな活気のある港を見下ろす若者の姿があった。国王ライアードの妾腹ガリアノ王子である。ガリアノは上品な衣服に身を包んでいるが、良く見ると腕章型の喪章を身に着けていた。先ほどまで続いていたタバン太守アンディー・モッズの葬儀の帰りであった。
因みにタバン太守であったモッズ家は、王家との取り決めにより、アンディーを最後に太守の任から解かれる事が決まっていた。そのため、今後のタバンはコルベートと同じく王都の直轄統治都市となる。
(得をしたのは王家……いや、ロルドールか……父上は何を考えているのだ?)
突然の訃報、しかも不審な死である。ガリアノの配下として王都に残った第三騎士団のドリムやアン、ニーサ達はしきりにこの出来事を宰相ロルドールの奸計だと言っていた。それはガリアノにしても同じ気持ちであった。だが、同調する事を控えたガリアノはドリム達にも「殊更に騒ぐな」と伝えていた。
港を眺めつつ思いを巡らすガリアノは死んだアンディー・モッズの事を考える。生前の彼はガリアノに対して好意的とはいえない人物だった。その政治的立ち位置は、気弱さが目立つ国王ライアードの注意を王子派軍の動きに向けさせ、内戦を積極的に展開しようとするものだった。そのため、内政 ――特に食糧事情の再建と健全化―― を訴えるガリアノとは対立的な立場であった。
幾度となく御前の会議で対立したが、最終的には宰相ロルドールの裁定と助言により、先軍的な政策が採用されていた。つまり宰相ロルドールもアンディーと同じく先軍的な政策を行い、ライアード国王の注意を内政から逸らす意図を持っているといえる。
(いや、力関係からいえばロルドールの意図を汲んでアンディーが動いていたというべきか)
そう考え直したガリアノは、だからこそ今回の事件が不可解であり不気味であった。
(味方であっても利益を得るためには容赦無く謀殺する……それが事実だとして、一体何がそうさせるのだ?)
そう自問するガリアノだが、答えは既に示されていた。王都を離れる前のレスリックがガリアノに言った言葉だ。
――欲望が金や女に向いている内はまだ良いです。醜く歪んでも人間の形は保つことができる。ですが、権力や支配力といった漠然とした「力」を求めだした時、その者の心は魔性に囚われる――
ガリアノはレスリックの言葉を改めて考える。
殆どの者は権力や支配力を欲するとき、そこには目的がある。享楽的で放蕩な生活を送るために必要な金であったり、嗜虐的な行為を満足させるための地位であったりする。そういった者達にとって様々な形の「力」は手段であり目的ではない。
だが宰相ロルドールは別であるように見えた。その私生活に華美な点は見受けられない。若い女を求める訳でもないし、かといって男色の趣味があるようにも見えない。自ら進んで飲酒しないので、美酒の類にも興味が無く、節制が行き届いた体つきは美食に溺れる風でもない。
(やはりレスリックが言ったとおり、純粋に権力や支配力を求めているのか?)
純朴さを残した若いガリアノには理解できない心境である。そして、理解できないが故に薄気味悪く感じた。
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ガリアノはその後もしばらく、城壁の上で物思いに耽っていた。周辺を警備する兵士達は、順位はスメリノ王子に劣るが、それでも第二王位継承権を持つガリアノ王子に遠慮し周囲には近づかない。そのため、ガリアノは理解できない心境への考察に没頭する。そんな彼は、彼を呼ぶ声によって現実に引き戻された。
「――ノ様、ガリアノ様!」
思った以上に近くから発せられた声は、溌剌とした若い女 ――ニーサ・イグル―― のものだった。
「ん? ニーサか、アンも……どうしたのだ?」
少し
姉妹揃って中々な美女だが、青年期の手前までイグル郷で育ったガリアノからすると二人とも妹のような存在であった。だが姉妹の内姉のアンは以前からガリアノに思慕を向けている。今も彼女がガリアノに向ける視線には淑やかながら籠められた熱があった。
「……」
ガリアノは一瞬だけアンと視線を合わせるが、次いでそれを避けるように目を逸らす。その仕草にアンの表情は曇る。そんな彼女に済まないと思いつつも、彼にはアンの想いに応えられない理由があった。
(あの人は、一体どこの誰なのだろうか?)
そんな内心の呟きと共に思い出されるのはターポの港での出来事だ。暗殺者に襲われたガリアノは、危ないところを或る女性に助けられた。少女といっても良いその女性は、溌剌とした美しさを放ち、文字通り旋風と共に姿を消した。
(王子派の者だと言うが……)
その後の調べで分かった事は少なかったし、ガリアノ自身は直ぐに王城へ呼び戻された。だが、全く手掛かりの無い状況にガリアノの想いは募るのだ。ハシバミ色の瞳と明るい茶色の髪、僅かに聞きとった凛とした声、名前も知らない女性の姿が若いガリアノを虜にして離さない。王城内の複雑怪奇な権力構造や、ロルドールの真意、果ては自身の行く末を考えている時でも、その女性の姿がチラチラと思考に割り込んでくるほどだった。
「あの、ガリアノ様!?」
「あ、ああ、すまない。で、なんだ?」
今も思考を奪い取られた格好となっていたガリアノだが、流石に直ぐ近くから掛けられたニーサの苛立った声に我を取り戻した。そして、取り繕うように無愛想な返事をした。
「ドリムが話があるからって」
「城郭の外なので、お迎えに参りました」
その後、二人に連れ出されたガリアノは王都の城下街へと赴いた。王子とはいえ妾腹の彼は名目上第二位の王位継承権を持つが、実際には有名無実の権威である。本人もその事を自覚している。そのため、軽率な行為も
だが、普段はそんなガリアノの行動を諌める立場のドリムが城郭の外に彼を呼ぶのは初めての事であった。
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その日の夕方、王都の比較的城壁に近い一画に在る一般的な料理屋を訪れたガリアノは、そこでドリムともう一人の人物と対面していた。ドリムが連れていたその人物はイグル郷の猟兵の装備である焦げ茶色の革鎧を身に纏い、腰に
「ドリム、この者は?」
「今日から猟兵の一員としてガリアノ様の御側に付けます」
ガリアノの問いにドリムはそう答えた。そして、事情を説明した。
ガリアノとしては、タバン太守の事故死が実際は暗殺であった事は想像通りだった。一方、タバン近郊に裏の仕事を請け負う者達の隠れ里が在った事は知らなかったが、その里が何者かによって襲撃されて全滅した事は純粋に「痛ましい出来事」だと思った。そんなガリアノだが、それらの事件を主導した組織の名前は全く初耳であった。
「無明衆……何だそれは?」
当然の疑問である。だが、彼の疑問は見慣れない猟兵によって止められた。
「その名前は余り口にしない方が良い」
その時初めて喋った男の声は割れたように聞き取り難いが、真剣な凄味を帯びていた。その異様な声にガリアノは思わずドリムを見た。
「この方の素性は言えませんが、我ら一族の本家のような所の方です。その連中の後を追ったところコルベートに辿り着いた。という事です」
「昔の伝手でレスリックを頼ろうとしたが、不在ということでドリムに話を通した」
ドリムとその猟兵の説明では、レスリックやドリムとその猟兵は以前から面識があったようだった。だが、一方のガリアノはさっぱり事態が呑み込めなかった。そんな彼の困惑した表情に、猟兵の男は言い聞かせるように言葉を発した。
「連中は暗殺者だ。それが王都に入った。目的はなんだ? そんな事は決まっている。では、誰を暗殺する? タバンの太守を排除した者が次に排除を目指すのは誰だ?」
そんな猟兵の言葉に、ガリアノは先ほど城壁の上で考えていた宰相ロルドールの読めない意図が重なった気がした。悪寒にも似た寒気が背筋を襲っていた。
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