Episode_22.29 森の中の追跡劇
ユーリー率いる遊撃騎兵一番隊は南トバ河の急流を渡ると、そのまま西の対岸に広がる森の中を進んだ。河の西岸に広がるこの森は、そのままターポの街の直ぐ北までせり出している。また、真っすぐ西の方角を目指せばコルタリン山系の東側の斜面へと出ることになる。
アートン周辺とは異なり広葉樹が目立つ森林は、冬枯れの季節、どこか閑散としている。枯れた下草は足元の地面を隠す事が無く、枝を横に広く張る性質のブナや椎、ケヤキといった広葉樹の大木のため、鬱蒼とした印象は無かった。
そんな森の中で彼らが目指したのは、先行するロージ率いる部隊本隊との合流である。遊撃兵団と傭兵部隊を併せたロージの部隊はこの森の南側に存在するタトラ砦周辺への接近潜伏を意図していた。数日の内に再発すると思われるタトラの渡り瀬を巡る戦いに備えるためだ。その目的は戦線の裏側をかく乱し、敵の本拠地に対する遊撃を仕掛ける、というものである。
広大な森林地帯に入り込んだ二千人弱の集団を探す事は藁山の中に紛れた縫い針を探すように困難なことだ。通常の部隊運営であっても、離れた部隊同士が一点で合流するのは中々難しい。視界を遮る障害物が無い平野であっても合流に失敗する可能性がある。それが、障害物ばかりの森の中で、事前の打ち合わせも無く、しかも潜伏の意図を以って隠密性に注意を払った部隊と合流するのであれば、困難は二重三重となる。
だが、騎兵一番隊に同行するリリアがそんな彼等の助けとなった。彼女の純粋な
「前方一キロ範囲に敵も味方も居ないわ」
森の中の獣道を進む騎兵一番隊。その先頭に立ったリリアはユーリー達から少し先行していた歩みを止めると周囲の気配を探り、そう断言した。全員が騎馬だからこその騎兵隊だが、今は森の中を行軍するため全員徒歩である。馬はスリ村に置いてきていた。
「そうか……そろそろ南下した方が良さそうだと思うけど」
そんなユーリーは手に持っていた簡易な地図に目を落とすと、大まかな自分達の位置をその上に墨片で記した。彼等の位置はタトラ砦から十三キロ北、スリ村からは西に五キロである。一方、副官のパムスは横からユーリーの手元を覗き込むと、
「ロージ団長が森へ入ったのは二日前です。タトラの渡り瀬での戦いを援護する目的ならば、後十キロは南進しているでしょう。そうでなければ即応性が保てません」
元は、東方辺境伯ライアード配下の小規模な騎士家の三男であったというパムスは、兵法、特に部隊運用に明るい人物だった。その彼の指摘はユーリーの考えを補完するものだ。ユーリーは軽く頷き同意を示すと、リリアに視線を向けた。
「ヴェズルは?」
「今のところ、元気に空を飛んでるわ……気になるものは無いみたいね」
「わかった、じゃぁパムスさん、南に転進しよう」
「わかりました」
そんなやり取りのあと、一番隊とリリアは進路を南に変じた。
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その後の行軍は、一から二キロ進むと周囲を確認する、という行程の繰り返しであった。その途中、ユーリーは二度ほどリリアに
「ちょっと広めに探索するわ。予想が当たっていれば、何か引っかかるはずよ」
そう言う彼女は、一度だけユーリーの目を見た。彼女の大きなハシバミ色の瞳は、まるで「魔力欠乏症になったら、後はよろしく」というような、真剣ながら少し
「この世の骨格をなす地の精、空間を埋める風の精よ、この地に探知の天蓋を下ろし、中の事象を私に伝えて」
意思の力を言葉に乗せるリリア。彼女の意図はその言葉の通りである。周囲数キロだった探知範囲を大幅に増大させ、その圏内にある動物、鳥、人間の動きに網の目のような精霊の監視網を張る。これは
そうして広大な領域に探知の知覚を広げた彼女だが、その内部に自ら働きかける事はしない。風や地に働きかけたほうが状況は鮮明に分かるが、敢えてそれをせずに領域内の事象に注意を傾けた。
――微小な力を感じ取り、丁寧に扱う――
傭兵団「オークの舌」の首領であり優れた精霊術師でもあるジェイコブの教えは、強過ぎる力に
(出来るなら探知していることを気取られたくないのよね)
あわよくばそんな
最初に感じられるのは風の動きだ。コルタリン山系の上空を渡った北風が南のリムル海へ抜ける。その途中にある森林は、二月半ばの冷たい空気で満たされている。それが大気の定めに従い風として流れていく気配だ。風は冬枯れの木々の枝や幹に当たり、それを揺らす。無数の樹木が奏でる振動は雑多で整合性のない雑音のようであり、無数の弦楽師が奏でる音の
次いでリリアの元に届くのは足元の地面が伝える振動だ。樹木を撫でる北風が枯れた下草や落ち葉に吹き付け、それが地面を浅く掻くような振動だ。だが、そこには生き物の気配があった。振動はまるで水面を伝わる波紋のようである。止むことなく足元を揺らし続ける波紋の中に、時折小石を投げ込んだような波が混じる。それは、餌を求めて歩き回る獣の足音だろう。
(……)
そんな事象の一つ一つに注意深く意識を向けるリリアは、探知の領域を徐々に広げていく。いつの間にか彼女の額にはじっとりと汗が浮かんでいた。だが、彼女の集中が途切れることは無い。それは、ユーリーが魔力を込めた手で触れても変わる事が無かった。
ユーリーはそんな彼女の様子を見ていた。相変わらず美しい顔立ちだと緊張感の無いことを考えていた。だが、そんな彼は次の瞬間に起きた変化に気付いた。薄く閉じていたリリアの瞳、その上で半月の弧を描く眉が一瞬、
リリアはその瞬間、異質な存在を感じ取っていた。それは大勢の人間の気配だ。千人を超える集団が森の中に広く散らばっている気配である。更にその周辺には緊張感を持った風の精霊が薄く漂っていた。恐らく精霊術師が、集団の気配を消そうとしているのだろう。
(見つけたわ)
その様子を先行する部隊だと確信したリリアは集中を解きかけた。だが、ふと気になる気配を同時に感じ、そちらへ意識を向けた。
それは最初、森の鳥獣の気配のように自然体であった。そのため彼女は直ぐに意識を向けるのを止めようとした。だが、次の瞬間その気配が動いた。それは一つではなかった。最低でも百近い気配が一斉に動いたのだ。それも、千を超える人間を恐れることなく、まるで後を追うようにジワリと近づいた。生き物の気配自体が
(何?)
彼女はその異質な存在の周囲に更に意識を集中した。対象の輪郭は淡く消えかかりながら、時折鮮明さを増す。それを見極めるのは根気の要る作業だ。彼女は意識の集中を保ちつつ、助けを借りるため上空の
「先行する部隊を見つけたわ。でも、その周囲を監視するように、別の集団が隠れている」
予想外の事態に、リリアの声を聞いたユーリーは部隊の面々と顔を見合わせるのだった。
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その後、ユーリー達騎兵一番隊とリリアは慎重に夜の森を南下した。目指すはロージ率いる部隊と、それを追尾するように動く集団である。集団の正体と意図は不明であった。だが、王弟派と王子派が河を挟んで対峙する状況で、相手の支配域へ潜入を試みた部隊を追跡しているのであるから「友好的」な集団ではないのは明らかである。しかも、リリアの精霊術をもってしても気配を察知する事が困難な相手である。特殊な訓練を受けた王弟派の部隊だろうと皆が考えていた。
(おそらく「猟兵」と呼ばれる連中だろう)
ユーリーは、以前トトマとデルフィルを繋ぐ街道を襲撃した集団を連想していた。野盗に扮していたが、襲撃開始から撤退に至る間の一糸乱れぬ行動は高い錬度を連想させるものだった。更に正規の部隊としては珍しく精霊術師や魔術師を同行させていた。後で聞いた話によれば、嘗てコルサス国王の身辺に仕えていた「王の隠剣」と呼ばれる部隊がその「猟兵」だということだった。
そして、ユーリーはそんな猟兵達を率いていた男を思い出す。魔術具の大剣を持った騎士だ。三度顔を合わせ、その内二度剣を交えたが勝負がつかなかった強敵だ。
(ドリム……とか言ったな)
この先、タトラ砦を巡る戦いで、その騎士と決着をつける時が巡ってくるかは分からない。確実なのは、再び朝日が昇った後この森が戦場となるだろう、ということだった。若年ながら戦場での経験豊富な青年騎兵隊長は、近づく戦闘の予感に部隊の南下を止めると一時の休息を取らせる。だが、朝まで休む事は出来ない。前方に展開する正体不明の集団の詳細を見極め、ロージの部隊とサマル村の本隊へ知らせなければならない。
「リリア」
「なに?」
「今夜は忙しくなりそうだ」
「そう……そうね。今の内に休みましょう」
「そうしよう」
そう言う二人は周囲に対する最低限の遠慮を発揮すると、朽ちた大木の根元に座り込むと、背を預け合うようにして休息を取るのだった。
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