Episode_22.27 任務復帰


 翌朝、可也早い時間にユーリーとリリアは目を覚ましていた。朝に迎えに来るという副官パムスに対して、しっかりと身支度を整えて、軽い朝食でも振る舞う余裕を見せよう、というユーリーとリリアの共通した発想が、二人を早起きさせていたのだ。


 そんな二人は貴重な朝のまどろみの時をなんとか切り上げる。そして、仮住まいの農夫の家を掃除すると、次いで装備を整えた。偽竜の革ドレイクスキン製の鎧下の上に黒塗りの軽装板金鎧ライトプレートを着込むユーリーは、いつの間にか手慣れた風に手伝うリリアに殆ど任せる格好で装備を整えた。鎧も手甲も腰の剣も、全て普段通りだが、幾分胴鎧の腰回りが緩く感じていた


 一方、古代樹の板を仕込んだ革鎧ブリガンダインを身に付けたリリアも同じように感じたようで、嫌そうな声を発していた。


「やだぁ!」

「どうしたの?」

「胸が……」

「胸が?」


 そう言うリリアに、何事かと聞き返すユーリーだ。対して彼女は背中と胸側の装甲を繋ぐ革ベルトを一番狭く締め上げた状態で自分の胸と鎧の胸当ての間に手を差し入れて、


「縮んじゃったぁ!」


 と、この世の終わりのような表情で訴えていた。実際はそれほど隙間があるわけでなく、彼女は無理やり手を差し入れている状態だ。だが、気にしていたのだろう。そんな様子が可愛らしくて、ユーリーは思わず吹き出した。そして、


「僕も少し痩せたみたいだ、鎧が緩いや……トリムの人達が、早く太れるほど沢山食べられるようになるといいね」


 と答えた。だが、その返事はどうもリリアが意図したものではなかったようだ。そのため彼女はふくれっ面でユーリーを睨む。


「あっ……でも、リリア。昨日の夜は全然気がつかなかったよ。直ぐに戻るって、心配しなくても良いよ」


 恋人の表情に、大切な事への言及を忘れていた彼は慌ててそう言った。女性というものは、存外相手の男が考えている以上に色々と気にしているものだ。現に男勝りで鳴らした哨戒騎士団の女隊長も、詐欺まがいな「豊胸に秘薬」にリリア共々騙され掛けるほどだった。随分昔に感じられるそんな事件を思い出したユーリーは、それでも、頬を膨らませたままのリリアの表情に思わず笑ってしまう。


「何よ! 本当はサーシャちゃんとか、ノヴァさんみたいなのが好みなんでしょ!」


 豊満な胸の持ち主の名を上げるリリアだ。こうなると、もう道理や理屈では無くなってしまうところが困ったところだが、そう言うリリア自身も怒った風に繕う目元が笑っていたりする。その後、キャッキャと他愛のない言葉を言い合う二人だが、その様子はいつの間にか玄関口に立っていた副官パムスの声で遮られた。


「えー、約束通りお迎えに上がりました……が……」


 その瞬間、ユーリーとリリアは凍りついたように動きを止めると、ニコニコと笑みを浮かべるパムスの方に顔を向けるのだった。色々と目論んでいた事は、どうも無駄に終わったようだった。


****************************************


「レイモンド王子が来られます」


 副官パムスは短くそう言った。物資集積所の幕屋へ向かう途中の事だ。それにユーリーは短く頷いた。サマル村南の戦況は一触触発だが、それでも、逃げて来た民と直接言葉を交わしたい、レイモンド王子がそう思う事はユーリーには予想が出来ていたことだ。だが、


「そろそろ、到着されます」


 という言葉には驚いた。サマルとスリ村の間は馬で二時間ほどだ、まだ朝という時刻を勘案すると、レイモンド王子は夜明け前にサマルを出発したことになる。


「随分と気合が入っているな」

「そうですね、本当に良い君主になられる方だと思います」


 世辞でも何でもなく、思った通りを言う副官にユーリーは頷いた。そして、彼等が幕屋に到着してしばらく後、レイモンド王子が姿を現した。思った通り、共回りはアーヴィルを含む数騎の騎士だけであった。


 そんな王子は朝食の配給を終えた幕屋に足を踏み入れると、どよめくトリムの人々の前で両手を振って静粛を求めた。彼以外に、人々を鎮めさせようと鋭い声を発する威圧的な者は居ない。そのため、しばらく声援に手を振る格好となったレイモンドだが、ようやく彼の声が届くほど、人々のどよめきは治まった。


「まずは、皆無事か? 腹はくちたか? 戦陣の食べ物故、塩気ばかりが強く、ご年配や幼い者には食べ難い物かもしれない。我慢してくれ――」


 そう呼びかけるレイモンド王子である。実際、昨晩とこの朝に配給された食べ物は、少し硬いがちゃんとしたパンと、塩漬け肉や乾燥野菜の煮込みであった。長く、薄い塩味のみの麦粥ばかりだった人々には、とても旨く感じられる食べ物であったはずだ。


 人々はそんな王子の言葉に黙って聞き入る。声を上げる者はいない。いや、正確には上げられなかった。為政者として、雲の上の存在であるコルサス王国王家の正当な末裔。そんな存在が自分達の様子を心配して声を掛けてくることが信じられなかったのだ。


「これから皆には北へ向かってもらう。アートンで人定と都市籍を取得することになるだろう。その後は、我が祖父である宰相マルコナに任せるが、トトマかディンスの街へ住居を割り振られるだろう。手に職を持ちたい者は各ギルドが行う職業訓練もある」


 そこまで言うと、レイモンドは一度人々を見渡した。そして、幕屋の隅に立つユーリーに気がついたように、一度頷く。そして、再び人々に視線を戻した彼は言う。


「だが、皆を受け入れるにあたり、一つ皆にお願い、いや約束をして欲しい」


 その言葉に人々は少し困惑した風になる。為政者が言うことは命令であり、依願や約束では無い、それが彼等の常識だからだ。だが、目の前の若者はコルサス王家の末裔の名に恥じない金髪碧眼の偉丈夫として威厳を伴いながら、人々に約束への同意を求めた。


「この内戦は私が終わらせる。いずれ、皆にはトリムに戻る時が来るだろう。その時、ライアードの手先となり皆を苦しめた者達や、民衆派として皆を無視した者達に復讐を意図してはならない。全ての苦難の原因は不甲斐ない王家が引き起こした内戦にある。どうか、復讐ではなく宥和の気持ちを持ってほしい」


 レイモンド王子の言葉がどれほど人々の心に届いたか? それは、今のところ誰にも分からない事だ。だが、彼が訴えた言葉はこの場の人々の心の底に留まるだろう。そして、


(全ては、今後次第……だな)


 と、その様子を見守っていたユーリーは考えていた。


 その後レイモンド王子の話は終わり、民兵団の大隊長が今後の予定を伝達した。トリムからの避難民は正午前にスリ村を出発するとリムン峠を登り砦で一泊した後、翌日リムンの街、その後アートンへ向かうということだ。因みに、彼等の避難を助けた荷馬車の持ち主である行商人や小規模隊商主はアートンまで同行した後、王子派領内での商業活動が認められることになった。多くの者達は、アートンからスリ村の間の陸路による通常の物資運送を担う事になるだろう。


 一方、話を終えたレイモンド王子はユーリーを幕屋の外へ誘い出した。


「ありがとう、皆に代わって礼を言う」

「はは、お安い御用とは言い難いけど、なんとか上手くいったよ……トリムの状況か?」


 礼を述べるレイモンドに笑って答えるユーリーだが、それだけのために幕屋の外に連れ出された訳ではないと気が付いていた。


「どんな様子だった?」

「結末まで見届けていないけど、恐らくトリムの街は民衆派、いや解放戦線とアフラ教会が再び支配を確立するだろう」

「そうか……」

「港を支配下に置いた彼等にとって、ベートや中原からの海路を利用し食糧受け入れる事が急務だ」

「ベート国、それに中原……ロ・アーシラか」


 レイモンド王子はゾッとしたような口調で呟いた。


 元々、コルサス王国は今のトリムよりも東に広大な領土を保有していた。王弟ライアードが東方辺境伯として護っていた地だ。だが、その土地はレイモンドが生まれる以前のコルサス・ベート戦争によりベート側に奪われていた。その戦いにより、当時僅かに残っていた騎士家 ――たとえばマーシュやロージのロンド家、解放戦線の指揮官マズグルの生家―― は失地領主となり領民の安全を守るためベート支配域に留まった。それが、その後の民衆派運動と解放戦線の下地となっていた。


 また、その戦争の末期、王都へ逃げ伸びる若き王弟ライアードと、彼を献身的に守った若い女猟兵が秘かな恋に落ちた。その恋の行方が今の内戦の遠因である事を、この時のレイモンド王子は知る由が無い。


「難事ばかりを言い募るつもりは無いけど、レイ、トリムは国外勢力に支配を奪われつつある」

「……どうすればいい、ユーリー?」


 幕屋の外で行う立ち話としては、深刻すぎる内容だ。だが、レイモンド王子は親友の告げる言葉にそう訊き返さざるを得なかった。


「これは僕の考えだけど。トリムに進軍し、民衆派と手を結ぶしかないだろう。彼等の考えは急進的だが、君の思う将来の国の姿・・・・・・に重なる部分もある。それに、今の彼等の大義名分の一つはアフラ教徒の保護だ。それを約束すれば、民衆派の急進的な勢力を挫く事が出来るかもしれない」


 そこまで言うと、ユーリーはレイモンドの肩をパンと叩いて、そのまま手を置いた。


「いずれにしても、まずは目の前のタトラ砦をなんとかしないと。その後はレイ、君次第だと思う」

「……分かった……」


 二人の若者は強く頷き、一度だけ抱擁を交わした。お互いの金属鎧がガシャリと鳴る。


「そう言えば、その格好、任務に戻るのか、ユーリー?」

「ああ、勿論だ。聞けばロージさんの部隊は対岸の森の中に潜伏しているらしい。合流するよ」

「そうか、また、アーヴィルがイライラと心配する日々が始まるな」


 少し冗談ぽく言うレイモンド王子は、次いで真剣な顔で「気をつけて」と言った。対するユーリーは、


「レイも。正面攻勢の指揮に伏兵達の心配は不要だ」


 と、まるで「任せておけ」と言うような表情で応じるのだった。


****************************************


 その後、サマル村の本陣へ帰るレイモンド王子を見送ったユーリー達騎兵一番隊は、リリアを伴って南トバ河を北上した。そして、筏が乗り付ける仮設の桟橋に出た彼等は解体される前の筏を使い、河を渡ると対岸の森へ姿を消していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る