Episode_22.25 脱出


 リリアが行使した「凍気の瀑布」ともいうべき精霊術は、ユーリーとリリア、それにメサ親子の命を救った。だが、思わぬ事態に発展していた。上空から新鮮で濃い大気が大量に流れ込んだ結果、火災の炎が猛り狂ったかのように力を増したのだ。炎は一気に勢いを増すと、火事場で争っていた王弟派第二騎士団の部隊と傭兵部隊、そして解放戦線の兵士達を一気に呑みこんでしまった。また、民衆派の人々が事前に作っていた火災誘導のための防火帯を飛び越え、トリムの街の東側にも火の手を広げていた。正午過ぎのトリムは街一帯を覆った黒煙のせいで、夜のような暗闇に包まれることになった。


 貧民街の火災はそれを計画した解放戦線指揮官マズグルの思惑に反し、大火たいかの気配を見せ始めた。その状況に、港湾ギルドを包囲していたマズグルは解放戦線の兵士と民衆達を退くと、火災の消火活動に当たらせざるを得なくなった。


 一方、港湾地区で繰り広げられた戦いは、港湾ギルドの包囲を中止した部隊から聖騎士モザースが率いる神聖騎士団の部隊が応援に加わった結果、民衆派の労働者達と解放戦線騎兵や兵士を中心とした勢力が支配権を確立するに至った。この日の夕暮前の事である。


 この戦いで特筆すべきは、岸壁に留まっていた一隻の大型帆船とその水夫達の活躍である。彼等は最後まで頑強に抵抗した。港を守っていた傭兵団が完全に撤退する時点まで弩弓や固定弩バリスタによって彼らを援護していた船は、その後、自ら帆柱マストを切り倒すと上部の構造物に火を放った。そして最後の瞬間、沖に停泊していた仲間の輸送船から放たれた銛のような固定弩の矢を船腹に何本も受け、その大穴から浸水することで岸壁側に船底を向ける格好で横転し、擱坐かくざ着底した。


 見事な自沈処分をやってのけた船長以下の船乗り達は暗い冬の海に飛び込むと、仲間の大型帆船に助け上げられた。何とも四都市連合の船乗りらしい豪胆な仕業である。半沈没した大型船が残った港は、当分の間、その利用を制限されることになるだろう。


 そんな中、港の支配権を奪われた四都市連合の傭兵部隊は残存兵を集結させると、港湾ギルドの建物を放棄して、トリムの城塞に逃げ込んだ。丁度港の大型船が自沈した前後の出来事だ。港を奪われた以上、港湾ギルドよりもトリム城塞の方が籠城に適している、という作軍部長の判断だった。この時点で、火の手は城塞の北に広がる商業区の三分の一と、東の居住区の半分を呑みこんでいた。そのまま延焼が続けば、港一帯が炎に呑みこまれる恐れもあったのだ。トリム城塞に逃げ込んだ四都市連合の傭兵達の数は千五百に満たなかったという。


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 もうもうと黒煙を噴き上げるトリムの街。そんな街を風上から見守る集団があった。荷馬車百数十台に老人や子供、怪我をした人々を乗せた集団は、その数五千に上った。貧民街の人々だけではない。解雇された後、安宿街で燻っていた労働者や、焼け出された商業区の人々も一緒だ。


 そんな集団は一路北の森を目指していた。そこには、彼等を迎えるために軍を南下させたコルサス王国の正当な主が待っているはずだった。その若者は決して人々が住み暮らす街に自ら火を放つことは無い。また、貧しい人々をどうでもよい・・・・・・存在として無視することも無い。対立を煽って双方を戦わせることも無い。利己的な利益のために人々から職を奪うことも無い。


 そう皆の前で説いたのは、彼方此方焼け焦げたぼろ布を身に纏った青年だった。彼は、顔を煤で真っ黒にした状態で、連れの女性と共にひと組の親子を火災の中から救い出した後、街の西口に集まっていた人々の前でそう宣言した。


「私の名はユーリー・ストラス、レイモンド王子の御旗に集う遊撃兵団騎兵隊一番隊隊長だ」


 そう身分を明かしたユーリーは、次いで


「もし、今私が言った事をレイモンド王子が破るなら、その時は皆に代わって私がそれを正す」


 と言った。その言葉の内容は不遜な物だったが、妙に威厳を帯びた青年の言葉に、人々は疑問を持たなかったという。そして、彼の先導を受けた五千の人々は街を後にし、北の荒野へ足を踏み入れたのだ。


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「さっきの演説は振るっていたわね」

「え……リリアまでそう言う。やめてよ、恥ずかしいから」

「そう? 案外、ああいうのが向いているんじゃないの?」

「ったく……」


 人々を先導するように荒野を進むのはユーリーとリリアだ。二人とも、ボロボロになった麻の服に顔は煤で真っ黒という散々な格好をしている。だが、一つの難事を乗り越えた二人の声は明るかった。


「このまま進み続けるの? それとも途中で休憩する?」


 ユーリーをからかう・・・・言葉を止めたリリアは代わりにそう訊いた。すると、


「いや、足が不自由な人は皆荷馬車の上だ。直ぐに追手がかかることは無いと思うけど、急いだ方が良い」


 とユーリーは答えた。トリムの街の混乱は、街を離れる際にリリアがヴェズルの視界で確かめていた。王弟派も傭兵達も民衆派も、どれも逃げる人々を連れ戻す事など考えられないような状況だった。一方、街の様子を確かめた後、若鷹ヴェズルはユーリーの書付を足に縛り付けて北のレイモンド王子の元へ飛んでいた。上手くいけば、明日の早朝にはオゴ村に駐留している部隊が出迎えに南下してくるとユーリーは考えていたのだ。


 その後、しばらく無言のまま二人は歩を進める。時折背後の様子を振り返り頷き合ったりしている。


 ふと、リリアが口を開いた。


「ねぇ」

「なに?」

「二つほど訊きたい事があるんだけど……」


 そう言うリリアは隣のユーリーを覗き込んだ。対するユーリーは、突然の質問に驚いたが続きを促した。


「トリムの火事が酷くなったのって、やっぱり私のせいかな?」

「あぁ……たぶん……でも気にする必要なんて無いよ」


 ユーリーはそう笑って言う。


「住む人が居なくなった街だ、しかも火を放ったのは民衆派だろう。勝手に燃えさせておけばいい。気にする事じゃないよ」

「そう……ユーリーがそう言うなら、気にしないわ」


 ユーリーの言葉に「元気づけたい」という響きを感じ取ったリリアは少し笑ってそう言った。そして、


「次の質問だけど。あの時、私に対してもちょっと怒ってたわよね」

「えっ」


 続くリリアの思わぬ問いにユーリーは言葉に詰まった。あの時、とは火災現場でリリアが傭兵達に襲われていた時の事だろう。そして、言葉に詰まったのは、ユーリーに心当たりがあるためだった。確かにあの時、大した事の無い相手に襲われてしまったリリアにも若干の怒りを感じていたのだ。


「……まいったな……でも、そうだよ」

「……」


 嘘は言わないと約束した二人だ。ユーリーは渋々ながら認めていた。対してリリアは無言のまま、その先を聞きたがる様子だ。


「だって、僕の大切な人なんだ。あんまり簡単に危険な目に遭ってもらっちゃ困る。それにあの光景は……」

「光景は?」

「リリアがノーバラプールに居た時、暴動があったでしょ。それを聞いた時に見た悪夢と重なってしまって……ちょっと……我を忘れた」


 そこまで言うと、ユーリーはリリアの方を向き「怒ってしまってごめん」と言いかけたが、その言葉はリリアの手で塞がれた。


「いいの、確かに私が悪かったわ。次からはもっと用心深くなるって約束する」


 そう言う彼女は真剣な顔をしていた。ユーリーにその心の中は分からない。だから、素直にもう一言付け加えた。


「頼りにしているよ、相棒」


 すると彼女はそっぽを向いてしまった。少し肩が震えている。


(あれ? 何かマズイ事言ったか?)


 ユーリーは予想外の彼女の反応に慌ててしまう。一方、そっぽを向いたリリアはそのままで言葉を発した。泣いているのか鼻に掛った声だった。


「もう一個質問があるの。さっき抱きしめたとき、私臭かった?」

「え? いや、ぜんぜ――」


 これまた予想外の質問にユーリーは反射的に答える。だが、全て言い終える前に、そっぽを向いていたリリアはクルリとユーリーに向き直ると、次いで飛びつくように抱きついてきた。


「……」


 何も言わずに抱きついてきた彼女は、ユーリーの胸のあたりに頬を擦り寄せるようにする。その体が少し震えていた。


「大丈夫だ、大丈夫」


 察したような声がユーリーの口から洩れた。後続の荷馬車が追いつくまでには時間があるだろう。恐らく後ろから見ているであろうスランドやガンから、後でからかわれるかも知れないが、構うものではない。そう思ったユーリーは優しい力で彼女を抱き締め返していた。


****************************************


 荒野を進み、北の森のほとりで夜明けを迎えたトリムの避難民は、翌日午前に森の中で王子派軍と合流していた。彼等を出迎えたのはオゴ村に駐留していたはずの遊撃兵団の部隊や傭兵部隊ではなく、民兵団の大隊だった。その理由を知ったユーリーとリリアは、どちらともなく顔を見合すと、自然と頷き合っていた。

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