Episode_22.24 炎の下で Ⅲ


 若鷹ヴェズルの後を追い貧民街へ飛び込んだユーリーは、煙の下を低く飛ぶヴェズルに導かれるように入り組んだ雑多な路地を駆け抜けた。東へ少し離れた場所では戦闘が起こっているようだったが、今のユーリーはそちらへ関心を向けていない。只管ひたすらリリアの身を案じていた。というのも、普段はユーリーに対して対立的な態度を見せる若鷹ヴェズルが、必死にユーリーを誘導しようとしているからだ。その理由は一つしか考えられなかった。


(リリア、今行く!)


 心の中で何度も繰り返す言葉と共に、ユーリーは一つの小さな辻を東に折れる。そこで彼の目に飛び込んできた光景は、彼が心の底から恐れていた光景だった。


(ッ!)


 不意に数年前に見た悪夢が脳裏を過った。たしか、ノーバラプールで大規模な暴動が発生したという報せを聞いた後の事だ。王都リムルベートのウェスタ侯爵邸宅で寝泊まりしていた見習い騎士だったユーリーは、その夜こんな光景を悪夢として見ていた。大勢の乱暴な傭兵によって愛する少女が襲われ汚される悪夢。長く思い出すことも無かった想像上の光景が目の前にあった。


 ユーリーの目の前、およそ十メートル先で、六人の傭兵が二人の女性を取り囲んでいる。一人は矢傷を受け、腕に赤子を抱いた女性、そしてもう一人は、貧民街の少年のように装っているが紛れもなくリリアだった。


 六人の内二人が奥の女性に飛びかかり、その腕から赤子を引き離そうとしている。対してその女性は細い悲鳴を上げながら、わが子を胸に抱いて地面に蹲るようにして身を守っている。一方、リリアの方は既に四人がかりで地面に組み敷かれていた。


 圧し掛かる傭兵達を撥ね退けようと、リリアは必死でもがいている。その動きにつられ、みすぼらしい麻の上着から白い肌がこぼれた。その光景で、瞬間自失していたユーリーは我にかえった。同時に、心の中を一瞬で埋め尽くす筆舌しがたい怒りの塊を感じた。感情を増幅させる魔剣蒼牙を持っていないにもかかわらず、膨らんだ怒りはユーリーに細かい思考を許さなかった。炎と熱と煙の下で、ユーリーの視界は急速に蒼くなる。そして、


「貴様らぁ、どけぇぇっ!」


 そんな怒声が口を吐いた。それと同時に彼は左手を振り払った。まるで、十メートル先で暴力をほしいままにする傭兵達を打ち据えるように腕を振るったのだ。その瞬間、巨大な翼の形をした強烈な白光が一度だけ路地を照らす。


 ゴゥゥッ――


 そして発生した衝撃波が爆風のように路地を舐めると、傭兵達を跳ね飛ばした。それは、近接防御魔術である魔力衝マナインパクトに似た効果であった。しかし、ユーリーが頻繁に使用する魔力衝は、蒼牙が持つ増加インクリージョンの効果を得ても、これほど広範囲に衝撃波をもたらすものではない。第一、この瞬間のユーリーは魔術陣の起想すらしていなかった。


 だが、その現象にユーリーは疑問を持たない。こう・・すればそう・・なる、と自然に体が動いた結果だ。そんな彼は、次の瞬間、吹き抜ける衝撃波を追うように地面を蹴った。彼の背後で再び両翼を広げた光の翼が具現化する。それは一瞬だけ強くまたたくと、ユーリーの体を一気に前方へ押し出した。視界の中で、両脇に迫る貧民街の建物が一瞬で後方に流れる。そして、再び地面に足を付けた時、ユーリーは衝撃波を受けて地面を転がったリリアの隣に立っていた。


「ユーリー……」


 足元から上がるか細い声に、一度頷いた彼は、路地の少し先でようやく起き上がった六人の傭兵達に無造作に近づいて行った。


「て、てめぇ、仲間が居たのか」

「面倒くせぇ、やっちまえ!」


 そんな月並みな台詞と共に、片手剣を構えた四人がユーリーに殺到する。だが、彼等はユーリーを剣の間合いに捉える直前、目の前に現れた十本の炎の矢に驚き、突進を緩めてしまう。


「ま、魔術師!」


 四人の内の一人が驚きの声を上げるが、次の瞬間、彼等は火炎矢ファイヤアローを正面から受けることになった。着弾と同時に小さく爆ぜて炎を燃え移らせる初歩の魔術は、四人の内三人を捉えると彼等の突進を阻んだ。だが、火炎矢に当たらなかった一人がユーリーに迫ると、大上段から片手剣を振るう。


「しねぇ!」


 気合の蛮声と共に鋼の刃が振り下ろされるが、ユーリーは冷静だった。彼の目から見れば、その傭兵の一撃は緩慢過ぎる。そのため、横にも後ろにも避けずに素早く一歩前に出た。そして、振りかぶられた片手剣の柄頭を左手でガッチリと抑えると右手の掌底で驚いた傭兵の顎を下から打ち上げた。


「ぐぇ」


 その一撃で舌でも噛んだのか、その傭兵は剣を離して仰け反った。次の瞬間に、傭兵の持っていた片手剣はユーリーの手に収まっている。やたらと鍔元がガタつく粗末な剣だった。ユーリーはその剣を水平に一振りした。ピュッと剣先が走る音が鳴り、仰け反った傭兵の喉が真一文字に斬り裂かれる。致命傷だ。しかし、肚の底に煮えたぎる怒りを感じるユーリーは止まらない。喉から血を噴き出し絶命しつつある傭兵を踏みつけると、だらしなく開いた口に剣の切っ先をねじ込み、体重を掛けて脳髄を刺し貫いた。傭兵の体は一度大きく痙攣するとそれを最後に脱力した。


 一方、体に燃え移った炎を地面に転がりなんとか消した三人の傭兵は残り二人の仲間と共に、ユーリーを半周包囲するように狭い路地に広がった。


「くそぉ、やっちまえ!」

「魔術師だって一気に畳みかければ」

「お、お前が先に行けよ」


 だが、彼等は踏み込む切っ掛けを失い尻込みしていた。目の前の貧民然とした男は、魔術だけでなく剣も相当に遣うように見えたのだ。そのため、仲間内で先を譲るような言い合いをしつつ包囲を保つだけだ。


 対してユーリーは背中にリリアと赤子を抱えたメサを庇うように立っていた。目の前には尻込みするような五人の傭兵。その背後は炎を上げる街並みしかない。広範囲に威力を及ぼす魔術を遠慮無く使える立ち位置だった。そして、何の遠慮も感じないほど怒る彼は、素早く魔術陣を起想、展開すると目の前に大きな炎の矢を一本出現させた。火爆矢ファイヤボルトである。


「畜生! 掛れ!」

「うらぁ!」


 もたもたしている内に、新たな魔術を発動させてしまった傭兵達は、それを契機に覚悟を決めて、一気にユーリーへ殺到する。対するユーリーは狭まる包囲の一点に炎の矢を撃ち出した。燃え上がる炎は、短槍を構えた傭兵に直撃すると、両隣の二人を爆炎に巻き込み吹き飛ばした。そして爆風によろめいた残り二人に対してユーリーは冷酷に間合いを詰める。


 その後の事はあっけないほど簡単に済んでいた。ユーリーは、残った二人の傭兵の一人に対して袈裟掛けに剣を叩き込み、返す刃で首を撥ね斬った。そして、逃げだそうとした最後の一人に背後から迫ると、脳天に大上段から一撃を加えた。その衝撃でなまくらな剣は根元から折れたが、頭に折れた剣を角のように生やした傭兵は足を縺れさせて転倒すると、その場でジタバタと手足を痙攣させ、やがて動かなくなった。


****************************************


 肚の底で煮えたぎった怒りを、その原因を作った傭兵達に叩きつけたユーリーは、それでも収まらない怒りに戸惑いを感じていた。彼は荒れた感情をなんとか鎮めようと深呼吸を繰り返す。そして、先ほどよりも一層濃い煙の匂いを感じた。煙だけではない、肌を炙るような熱気も迫っている。


「ユ、ユーリー……」


 そんな彼に後ろから声を掛けたのはリリアだった。彼女は柄だけの伸縮式の槍ストレッチスピアを頼りに起き上がると、地面に蹲り慄いたままのメサを立ち上がらせて、ユーリーに声を掛けたのだ。その彼女の声に、ユーリーは弾かれたようにそちらを向いた。そして、


「リリア……大丈夫、だよね?」

「うん、ごめんなさい」


 確かめるように訊くユーリーに、リリアはそう答える。だが、声に力が無かった。彼女の顔色は土気色となり、重病人のように憔悴した表情だった。それは、ユーリーもよく知る症状であった。


「もしかして……魔力が?」

「そう、朝からずっとだったから」


 申し訳なさそうに言うリリア。その様子にユーリーは怒りの感情が融けるのを感じた。正確には外を向いていた怒りが自分に向けられたと言ってもいい。


(駄目だな、なんで直ぐに気づけない……)


 辛い症状である魔力欠乏症に陥った恋人の様子。それに気付けなかった事を責める言葉を噛み締めながら、ユーリーは素早く魔力移送トランスファーマナの付与術を発動すると、自分の魔力をリリアに移す。両掌で軽くリリアの両頬を挟み、そこから伝わる温かい力に意識を集中した。


「はぁ……ごめんなさい、心配掛けて……ありがとう」


 一気に本調子には戻らないが、ユーリーの魔力を受け取ったリリアの顔色は随分と良くなっている。彼女は小さく呟くと、ユーリーの体にもたれかかるように抱きついた。しばらくぶりの感触に、彼女を受け止めたユーリーの腕には自然と力がこもる。だが、状況は二人に恋人同士の時間を与えるものでは無い。


 不意にメサの赤ん坊が泣き声を上げる。それで我に返った二人は、


「逃げよう」

「そうね、ユーリー、メサさんをお願い」

「分かった」


 と言い合う。ユーリーが怪我を負ったメサを背負い、代わりにリリアが赤子を抱いた。そして彼等は貧民街を南西に逃れようと歩み出した。真っすぐ南に逃げないのは、直ぐそこまで戦いの音が迫っていたためだ。そのため、迫る炎の壁に対して南西側にしか逃げ場が無かった。だが、この選択がユーリーとリリアを次の窮地へ追いやることとなった。


****************************************


 この時、貧民街に放たれた炎は折からの北風に煽られ、南を目指すように燃え広がっていた。それは貧民街を舐めるように這い回る巨大な炎の舌のようであった。そんな炎の舌の先端は、画一的に南へ向かう訳ではない。区画の造りによって、延焼が速い場所と遅い場所が出来上がっていた。そのため、まだ火の手が掛っていないと思い飛び込んだ区画の先が、炎で埋められていることも充分起こりえる。


 そして、ユーリーとリリアにメサ親子を加えた四人は、まさにそんな路地に入り込んでしまった。彼等の目の前には両脇を土壁に遮られた幅二メートルほどの路地が奥行き五十メートルで続いている。だが、その両脇の土壁の向こうでは建物がゴウゴウと音を立てて炎を吹き上げている。その熱は凄まじく、土壁の表面は煮立ったように気泡を生じるほどだ。その路地は炎に遮られてはいないが、代わりに凄まじい熱に満たされていた。


「しまった! これじゃ、通れない」


 先頭を行くユーリーが声を発する。路地から吹き付ける熱風に、前髪がチリチリと焦げる匂いがした。だが、彼らが慌てて引き返そうとした時、背後の路地は火事場風を受けて倒壊した掘立小屋の残骸に塞がれてしまった。


「こっちも!」


 炎と熱に前後を塞がれた路地はみるみる内に温度が上がる。まるでパン焼き窯の中に居るようだった。そんな絶体絶命の窮地に、先に声を上げたのはリリアだった。彼女はユーリーに向かい言う。


「ルフの力を借りるわ!」

「なんだって?」


 ゴウゴウと炎が風を捲く音に遮られ、ユーリーはリリアの声が聞き取れない。思わず訊き返すユーリーに、彼女は読唇術のやり方で短く「ルフ・・」と告げる。そして、


「天空を満たす清浄なる凍気よ、南天の前王ルフと北風の王フレイズベルグの名によって命じる。くこの地に来りて目の前の熱を払え」


 次の瞬間、トリムの上の空が割れた。そして、まるで滴る蜜のように濃く冷たい天空の凍気が滝となって地表を目指す。周囲との温度差から大気を揺らがせ、白雲を纏った凍気の塊は、天を仰いで両手を上げたリリアの前の路地へ落ちた。それは最初、細い糸のような空気の筋だったが、次第に大きくなると、周囲の温度を奪っていく。


 ジジジジィィ――


 高熱の空気と極低温の空気が路地の中でせめぎ合い混ざり合う。聞いたことの無い異音が周囲を埋め尽くした。だが、上空から絶え間なく流れ落ちる凍気が、この一瞬だけ熱に打ち勝った。


「今よ! 行きましょう!」


 そして、リリアの声に急き立てられるように、ユーリーはメサを背負って走り出す。煮立った土壁の表面は一気に冷却され硝子めいた光沢を放っている。その路地を彼等が駆け抜けると同時に、地上の熱が大気を押し返した。だが、ユーリーとリリア達四人は熱と炎の地獄を抜け出していた。


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