Episode_22.23 炎の下で Ⅱ


 不明瞭なリリアの声を受け取ったユーリーだが、彼女が考えたように動いていた。


「みんな、ここは危険だ。西口に移動しよう」


 火事に浮足立った貧民街の労働者達にそう声を掛け、彼等を伴いユーリーはトリムの街の西口を目指した。


 港と街の西口はそれほど離れていない。二十分ほど道を進むと西口が見えてきた。周囲には隊商を手配する小規陸商の店が軒を連ねている地域だ。商業区の入り口ともいえる場所である。そこに辿り着いたユーリーは、てっきりリリアがここで待っていると思っていた。しかし、実際に待っていたのはスランドと貧民街の婦人や老人子供達であった。


「スランドさん! やっぱりあっちで火事ですか?」

「ああ、たぶん民衆派が仕込んだんだろう」

「で、リリアは何処に?」

「ん……あれ、おかしいな? さっきは居たのに」


 ユーリーの問いにスランドの返事は覚束ない。一方、ユーリーと共に港湾地区から引き揚げてきた労働者達は避難してきた家族を見つけると無事を確かめあっていた。そんな中、


「ガン! メサがまだ見つからないけど安心してね!」

「ああ、坊もきっと大丈夫だ」


 と言った会話がユーリーの耳に聞こえてきた。労働者ガンは何かにつけてユーリーを手助けしてくれた人物だ。そのガンは、婦人や老人の言葉に茫然自失となった様子だった。


「すみません、何かあったんですか?」


 思わず問いかけるユーリーに、ガンとメサの家の近所だった婦人が答える。


「メサの姿が見当たらないの。でもきっと大丈夫よ、リリアさんが助けに向かってくれたから――」


 婦人からそう聞いたユーリーは一瞬だけ胸騒ぎのようなものを感じた。だが、リリアは外見通りの可憐なだけの女性ではない。その事をよく知るユーリーは、


(リリアなだ大丈夫だ)


 と自分に言い聞かせるようにして気持ちを落ち着けると、人々を荷馬車の方へ誘導しようとする。だが、次の瞬間、そんなユーリーの頭上を一羽の大きな鳥が掠めた。


「うわぁ! ヴェズル?」


 若鷹ヴェズルはユーリーの頭上を掠めて飛ぶ瞬間、力強い足で頭を覆ったフードを蹴った。そして、


「クェッ!」


 と一声鳴くと、見上げる男の頭上を三度旋回してから煙を上げる貧民街へ飛び去る。


 並みの鳥獣とは比較にならない知性を持つ若鷹の振る舞いに、ユーリーは何かを察した。そして、スランドに向かって大声で叫んだ。


「スランドさん、皆をまとめて下さい。もしも正午までに戻らなければ後は任せます!」

「ユーリー、どうしたんだ?」

「リリアを助けに行く! レイモンド王子の軍勢は北。オゴ村まで、いや、森に入ればなんとかなる!」



 スランドの問いに叫ぶように答えたユーリーは、その後の問いには答えずに東の貧民街を目指した。彼の目は空の低いところを飛ぶ若鷹の姿を追う。その先には重苦しい黒煙に包まれた粗末な街並みがあった。


****************************************


 王弟派の兵士と傭兵部隊の背後から回り込むように駆けたリリアは、中途半端に作られた防火帯の北側へ出ていた。迫る炎に近づく格好となったが、ガンとメサの夫婦が住みかとしていた掘立小屋は直ぐ目の前だ。


 だが、夜明け過ぎから断続的に高度な精霊術を使い続けたリリアの魔力は限界に近付いている。普段は特別意識することなく使用している「地の囁きアースウィスパ」や「風の囁きウィンドウィスパ」でさえ、精霊の声に意識を傾け続けるのが難しくなっていた。


 魔力の欠乏による体調の不良には個人差があるが、概ね頭痛や眩暈、脱力感や嘔吐感として現れる。この段階は飲酒による「二日酔い」の状態に非常に似ている。そして、その状態で尚魔力を消費すれば、その先に待っているのは昏倒だ。また、一度の魔術や精霊術でその領域を行き過ぎるほどの魔力マナを消費すれば、体は魔力を補填するために生命力エーテルを消費する。一旦その状態に陥ると、二つの力は均衡を失い生命力が一気に魔力に変換されてしまう。そして飽和した魔力は大気に蒸散する。この状態は生命力が尽きるまで、つまり術者が死を迎えるまで続くことになる。大変危険な状態である。


 その一歩手前である「魔力欠乏症」では、通常魔術や精霊術、神蹟術の行使は絶対に控えるべきだ。だが、リリアの状況はそうも言っていられないものだ。既に黒煙を噴き上げる炎はゴウゴウと音を立てながら十メートル北まで迫っている。だが、周囲には目で見た限り、メサという女性の姿も生まれたばかりの赤子の泣き声も聞こえないのだ。


 そのため、リリアは薄氷の上に足を置く気持ちで、風の精霊に呼びかけた。


(……)


 割れんばかりに痛む頭では、風の精霊が伝える周囲の気配を言葉に置き換えることも出来ない。だが彼女は、南側で大勢の男達が怒声を上げて戦いを繰り広げる気配とは別に、前方の路地の先で微かな空気の揺れを感じた。それは、燃え上がる炎が生じる空気の渦ではない。もっと繊細で力の弱い揺れ、赤子の泣き声だった。


「そこね」


 そして、リリアは煙の下を更に進むと、一本の路地の奥を覗き込む。そこには、太ももに矢を突き立てた状態で、血を流しながら地面を這い進もうとする女性と、その胸に抱かれた赤子の姿があった。女性はメサで間違いなかった。彼女は逃げる際に解放戦線が放った弩弓の流れ矢に当たり、路地の奥で身動きが取れなくなっていたのだ。


「メサさん!」

「お願い……この子だけでも」


 リリアの声に顔を上げたメサは、そう言うと辛そうに胸に抱いた赤子を差し出す。だが、


「そのまま抱いていて下さい。肩を貸します、さぁ、立って!」


 リリアはそう言うと、メサの腕を取り、体を引っ張り上げるように立たせた。


「うぅぅ……」

「我慢して。さぁ、歩くわよ」


 リリアの肩にもたれかかるように立ったメサは大柄な女性だった。その重みにリリアがよろけそうになるが、なんとかその体を支えて歩き出す。そして路地から出ると来た道を引き返し始めた。


 既に炎は赤い舌のような先端が見える距離まで迫っている。周囲は相当な熱に包まれているが、その中をリリアと赤子を抱いたメサは必死に進む。そして、戦いの中心となっている場所を迂回するために、何度も小さな辻を曲がり南西の方角を目指した。だが、一つの小さな辻を南に折れた時、彼女達は不運にも数人の傭兵と鉢合わせになってしまった。


「なんだ、こんなところに女がいるぞ」

「逃げ遅れたのか」

「ん、そっちの小さい方も、良く見れば女か」

「せっかく抜けてきたのに金目の物が全くない貧乏長屋だ、憂さ晴らしに頂戴しようぜ」

「ははは、お前は本当にそう言うのが好きだな」

「この間だって、小さなガキを連れた女に滅茶苦茶やってたな」

「それは、お前らだって一緒にやってただろうが」


 リリアとメサを見つけた六人の傭兵達は、口ぐちにそう言い合い、卑しい笑い声を上げる。彼等は乱戦の混乱を利用し、早々と戦線から離脱した者達である。彼等のような存在は、士気と統制が低い傭兵部隊では珍しいものではない。特に市街地など人家や商店の近くで戦う場合は、傭兵達の誰かがこうやって戦闘を離脱し、乱暴や強盗を働く。女性に対する暴行は分配出来ないが、商店などからぶん捕った金目の物は、後で部隊に戻った際に他の者達と分け合うのだ。


 そんな傭兵達は凄惨な凌辱を意図する言葉を吐きながら、ジワリとリリアとメサの方へ詰め寄る。対するリリアは、メサを背後にかばうように一歩前へ出た。貧民に変装した彼女は剣の類を持っていない。しかし服の内側には山の王国製の伸縮式の槍ストレッチスピアの柄を隠し持っていた。


「メサさん、大丈夫。私がなんとかするから」


 リリアは背後で震えるメサにそう言う。


「おお、勇ましいな」

「小汚い格好だが、良く見りゃ別嬪じゃねぇか」

「へへへ、おっちゃん達と遊ぼうぜ」


 そんなリリアをからかうように六人の傭兵達は無遠慮に近づいてくる。しかし、


「風よ! 渦巻く怒りの相を示せ!」


 次の瞬間、リリアは懐から取り出した棒を伸展させながら風の精霊に呼びかける。この時、彼女は風の精霊術「旋風ワールウィンド」の発動を意図していた。本調子の彼女ならば、六人程度の傭兵など、造作も無く戦闘不能にする事が出来る強い風だ。しかし、この時のリリアは少し冷静さを欠いていた。目の前の傭兵達が声高に喋った内容は、既にこれまで多くの女性に対して暴力を働いてきたことの証しだった。そして今、その劣情を自分に向けている。そんな連中に対して二重の意味で怒り、そして冷静さを失っていたのだ。


 その怒りは自分の状況 ――酷い魔力欠乏症―― を忘れさせた。そのため、風の精霊術としては高位に分類される「旋風」の発動を意図してしまったのだ。そして、彼女の意思を受けた風の精霊が動き出す。だが、魔力を欠いた状態の意思は途中で途切れてしまった。そのため吹き始めた旋風は中途半端な風塊となって、六人の傭兵の内二人を転倒させる結果に留まった。


(うっ……)


 そして当然の結果として、リリアは強烈な脱力感と眩暈に襲われた。


「なんだ! てめぇ精霊術師か!」

「民衆派かもしれない」

「しゃぁねぇな、ぶっ殺せ」


 一方の傭兵達は、精霊術を使ったリリアを見当違いに民衆派と決め付けると次々に武器を身構えた。短槍を持った者が一人、片手剣の者が四人、そして戦槌を持った者が一人だ。その内、最初に飛び込んできたのは短槍を持った傭兵だった。その傭兵は傷んだ穂先を鈍く繰り出し、リリアの何処を狙ったのか分からない突きを放った。


 対するリリアは、ふらつく足元をなんとか槍の柄で支え、上体を捻り一撃を横に逸らせた。だが、それだけである。本来ならば、下から石突を振り上げて敵の顎を砕きたい所だが、足に力が入らないのだ。


「なんだ、ヘロヘロじゃないか」

「どこかで黒蝋でもキメて来たのか?」


 嘲るような声も、今のリリアの耳にはワンワンと耳鳴りのように響くだけだ。そんな彼女は、ドルドの森の修行で体に染み込んだ棒術の動作だけで、短槍の攻撃を凌いでいる。だが、その状態が長く持つはずは無い。剣を持った二人の傭兵が攻撃に加わった時点で、リリアは対処しきれなくなった。そして、短槍の強振を受け止めきれずに地面に倒れ込んでしまった。


(マズイ……)


 どうしようもない状況に、朦朧とした彼女の意識はそんな一言を脳裏に浮かべる。同時に彼女のハシバミ色の大きな瞳は、黒煙を背景に振り上げられた鋼の切っ先を妙に鮮明に捉えていた。


「……」


 だが、その切っ先は振り下ろされること無く傭兵の手元に戻る。そして彼女の上に複数の男の無遠慮な重さが圧し掛かって来た。それを必死で撥ね退けようとするリリアだが、両手を別々の地面に押さえつけられ、身動きが取れなくなってしまう。別の傭兵の手が乱暴に彼女の体を這うと、麻の上着を一気に剥ぎ取ろうとする。そんな時だった、


「貴様らぁ、どけぇぇっ!」


 普段滅多に聞かないような恋人の怒声がハッキリと彼女の耳に届いた。そして、火災の炎が迫る路地に、強烈な光と爆風が吹き荒れた。

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