Episode_22.21 避難誘導


 トリムの港には解放戦線の兵士を含む暴徒化した民衆派の労働者が、東側から入り込んでいる。彼等の集団は大型帆船が接岸した岸壁付近まで、東から南に伸びる隊列のような集団を形成すると、奪った武器を手渡しで行き渡らせている。そんな暴徒に対して、港の東側を守っていた五個小隊(一個中隊)の傭兵部隊は勢いに負けて押し込まれる格好となったが、監視小屋付近にいた小隊と作業を監視していた小隊が合流することで部隊を立て直していた。彼らは、岸壁に取りついた暴徒の集団に対して、北から南に向けた防衛線を張ると、反転攻勢を掛けた。


 数こそ脅威だが、ほぼ全員が武器など持ったことも無い労働者だ。喧嘩ならばそこそこ・・・・だろうが、刃を向け合う戦いでは傭兵に敵う訳が無い。そのため、暴徒化した労働者達は岸壁側からじわじわと押し戻された。そこに、港の北にある港湾ギルドから傭兵部隊の援軍が小隊単位で合流し始めた。非番に招集を受けた彼らは鬱憤を労働者達にぶつけるように戦う。


 その光景を見るユーリー達貧民街の労働者は空白地帯となった港の西口側に固まっていた。既に夜明けから一時間ほど経とうとしている時間だ。


(傭兵側は二個大隊分を防衛に投入したな。このまま押し返すのか? いや、ここまで計画してこれでお終い・・・・・・は無いだろう)


 冷静に港の様子を見るユーリーは、このまま傭兵側が優位に立って港から労働者を排除するとは思えなかった。なんとなく、暴徒化した労働者達は何かを待っているような気がしたのだ。そんなユーリーの勘は正しかった。


 ある一瞬、港に聞き慣れない喇叭ラッパの音が鳴り響く。それは港の東口から響いた。そして、その音を合図に、暴徒化した労働者達は一斉に岸壁から東側に後退したのだ。


「なんだろう?」


 思わずユーリーは港の東側に目を凝らす。すると、暴徒達が確保していた東口から港内に騎馬の集団が突入してきた。それら騎馬集団の背後には徒歩で続く歩兵の姿もある。民衆派の武装組織、解放戦線の本隊であった。


 解放戦線の騎兵部隊は、港湾地区の荷役場所を北から回り込むよう進むと、丁度ユーリー達の目の前で南に転進し、傭兵部隊を襲った。この時、傭兵部隊の一部は岸壁付近まで前進しており、背後から騎兵部隊の攻撃を受けることになってしまった。


 解放戦線の騎兵部隊の突入は絶妙な間合いで行われた。彼等の騎馬部隊は二個大隊である傭兵部隊を分断するとその半分を岸壁に追い詰める形で包囲した。残り半分には歩兵部隊が弩弓を撃ち込んでいる。港を巡る戦いは一気に解放戦線が有利となった。


 その状況に、四都市連合側は港湾ギルドの防備を割いて再び援軍を送る。また、接岸中の大型帆船からも自衛のための攻撃が始まる。四都市連合の海運ギルド所属の商船は、最低限の防御手段として、弩弓や固定弩バリスタなどで武装している。そんな商船からの援護射撃は、岸壁に包囲された傭兵部隊を助けることになった。


(射線に入っているな、危ない)


 この戦いと無関係のユーリーは、商船からの射撃線上に自分達が居る事を察知すると、目立たないように力場魔術の縺れ力場エンタングルメントを発動した。彼の読み通り、狙いを外した弩弓の矢が何本か、彼らの元へ飛来する。しかし、太い弩弓の矢は彼らの手前で魔術による力場に絡め取られて勢いを無くすと手前の地面に落ちた。


(これで固定弩でも撃ち込まれない限りは大丈夫だけど……ん? 焦げ臭い?)


 流れ矢を防いだところで、ユーリーはふと朝の空気の中に薄く漂う焦げ臭を感じた。殆ど同時に、他の労働者達もそれに気付いたようだ。


「何か焦げ臭くないか?」

「本当だ、火事か?」


 焦げ臭さは北風に乗って徐々に濃くなっていく。ユーリーと労働者達は反射的に風上の北側 ――貧民街の方―― を見た。そして、既に誰もがソレとわかる黒い煙を見つけた。


「やっぱり火事だ!」

「俺達の家の方だ!」

「おい、オレんち、爺と婆しか居ないんだぞ」


 風上にある粗末な住まいと家族を心配する男達は急に慌てだした。


(このままじゃ危ないだけで、港に留まる必要はないな。今日は解散だ)


 その様子にユーリーはそう思った。そして「解散しよう」と口にしかけた時、不意に周囲の風が動いた。


(ユーリー、聞こえる? そっちの皆を街の西口へ誘導して)


 耳元で響いたのは、少し疲れた様子のリリアの声であった。


****************************************


時間は少し遡り、夜明け直後――


 リリアが火事の兆候を見つけた時、それは既に数軒の住居を巻き込む規模のものだった。折からの乾いた北風に煽られた炎は黒い煙と共に、燃えた住居の一部を巻き上げる。そして、風に煽られた炎の種が数軒先の家屋の屋根に落ちると、たちまちのうちに燃え広がる。炎の回りは極めて早いものだった。


(ど、どうしよう?)


 炎の勢いは既にリリアが制御できる規模を上回っている。彼女は咄嗟に吹きすさぶ北風を抑えようかと考えたが、


(いえ、風を抑えても炎はどうにもならない)


 と、思いとどまった。それよりも、この区画にいる人々を助けるのが先だと思った。そして、彼女は息を鎮めると意識を集中し、周囲を満たす風の精霊に呼びかけた。


「風の精よ、自然の摂理をしばし抑えよ。私の声を行き渡らせて」


 すると、リリアの周囲で吹いていた焦げ臭い北風が不意に弱まった。その感覚に満足したリリアは一つ頷くと、


「皆さん火事です。直ぐに家を出て南へ避難してください!」


 と言った。本来ならば、リリアの声が貧民街全てに行き渡る事はあり得ない。だが、風の精霊術である「拡声エキスパンドボイス」を使用したリリアの声は貧民街に凛と響き渡った。


 同じ言葉を三度繰り返したところで、精霊術の短い効果は途切れる。するとリリアは再び上空のヴェズルの視界を得て眼下の貧民街を見渡す。掘立小屋のような粗末な住居からリリアの大声・・を聞いた人々が慌てて外に飛び出してくる。中でも北側に住居を持つ者達は火事の様子に気づき慌てた様子を見せていた。


 リリアは、そんな人々の元に今度は遠話テレトークで直接声を届かせた。


「直ぐに逃げてください。南です」

(わっ、びっくりした! あ、あんたリリアさん? あれ、何処にいるの?)


 リリアの声を耳元で聞いた中年女性は驚いたように周囲を見る。だが、詳しい事情を話す時間の無いリリアは、


「南の通りで待っています。近所の皆さんに声を掛けながら逃げてきてください!」


 と言うと精霊術を一旦切る。そして、再びヴェズルの視界を得る。


 戸惑ったように動こうとしない人や、間違って炎の方へ逃げようとする人、少ない家財を運び出そうとする人等をヴェズルの視界で見つけては精霊術で声を伝えて誘導する、という行為をリリアは何度も繰り返した。時には足の不自由な老人が居る家に、逃げる人を誘導し避難の手助けをさせたりもした。


 時間の感覚を無くすほど集中し避難の誘導を行うリリアだが、魔力の消耗は無視できない程度になってきた。精霊術の行使もさることながら、若鷹ヴェズルとの視界の共有も無負荷では無い。そのためリリアは鈍い頭痛と軽い眩暈を自覚していた。だが、彼女は歯を食いしばって同じ行為を繰り返す。


****************************************


 一方、火事の報せを受けた王弟派の留守部隊と傭兵部隊は、東端から貧民街の区画へ入ると、五百メートルほど進んだ場所で防火帯の構築に着手した。兵士や傭兵達がまだ火が付いてない家々を打ち壊し始める。そんな部隊を指揮する一騎の騎士は、貧民街へ入って直ぐに区画の異様な光景に気がついた。彼は、既に何者かによって打ち壊された家々が北から南へ道のように伸びているのを発見したのだ。


 その光景はまるで何者かが事前に火災を予想して作った防火帯のようである。その様子に馬上の騎士は首をひねる。そこに、傭兵部隊を率いる四都市連合の大隊長が声を掛けた。


「なんだこの防火帯は? 誰が作ったんだ?」

「知らない。だが、これは助かる。火が東へ燃え移る心配はないだろう」


 大隊長の声に、その騎士はそう答えた。だが、


「お前は馬鹿なのか? これは炎を南に誘導するための防火帯だ!」


 四都市連合の作軍部に所属する大隊長の見立ては一介の騎士よりも鋭い。そう言われた騎士は「馬鹿」と罵られたことを忘れるほど驚いた。そして、


「まさか、火災も仕組まれた?」

「可能性は高い。とすれば、やるのは民衆派だけだ。やつらの狙いは――」


 しかし、二人の指揮官の会話はそこで途切れた。なぜなら、貧民街へ入り込んだ彼等の部隊に、民衆派が作った防火帯の反対側から弩弓の一斉射があったのだ。打ち出された無数の矢は全てが火矢であった。それが傭兵や兵士の上に降り注ぐ。


「くそ! 応射しろ!」

「一個中隊は東の敵へ、残りは消火を急げ!」


 そんな号令が飛び交う。彼等は北から迫る火災の炎と、東の防火帯の向こうから射掛けられる矢に対して、不利な状況に置かれてしまった。


****************************************


 貧民街の東の端でにわか・・・に戦闘が始まったとき、それを知る術の無いリリアは同じ貧民街の南西の端にいた。彼女の元には、誘導に従い逃げてきた人々が集まりつつあった。逃げる途中で転倒して軽い擦り傷を負った者以外は大した怪我人は出ていないようだった。そんな彼等は無事を喜ぶ余裕も無いように、不安気な様子でもうもうと立ち上る黒煙を見ている。中には家財を失う事を悲嘆して泣きだす者もいる。そんな彼らにリリアは、


「皆さん無事ですか? 逃げ遅れた人が居ないか確認してください」


 と声を掛けた。その後しばらく、人々の間で近所同士を確認し合う声が飛び交うようになった。そんな時、トリムの街の西口の方から三十人程度の男達が駆け寄ってきた。彼等は口入れ屋スランドと昨日解雇された労働者達であった。労働者達はスランドが営む口入れ屋の安宿に滞在していた男達のようだった。


「お譲ちゃん、皆大丈夫なのか?」

「はい、今、念のため確認してもらっています」

「そうか……実は荷馬車の手配が直ぐに出来そうなんだ。この際、今日の内に逃げてしまわないか?」


 スランドはこの日、ユーリーとリリアが店を出た後直ぐに外出すると、西口の或る商会を訪れていた。その商会主には、数日前から秘密裏に「暇な隊商を集めてくれ」と頼んでいたのだ。その手配の状況を確認しに出向いたのだが、予想以上に早く必要な荷馬車が揃ったと聞いたのである。それをユーリーとリリアに伝えようとしたところに、貧民街の火災の報せを受けて、手伝いを申し出た労働者達と共にやって来た、というわけだ。


「確かに、この状況では……ユーリーに聞いてみます」

「それが良い。私は皆を連れて西口の方へ移動する」


 リリアとスランドはそう言葉を交わす。そして、リリアは痛む頭をこらえて上空のヴェズルに意識を飛ばすと再びその視界を得る。


(お母さん、頭痛いの? 大丈夫?)


 まるで幼い子供のようにリリアを気遣う声が頭の中に流れてきた。


(大丈夫よ、それよりユーリーを見つけて頂戴)

(……分かった)


 ヴェズルは少しだけ不満そうにするが結局リリアの意思に従うと南の港を目指す。だが、


(え? 港で戦闘が……)


 そんな若鷹の視界に飛び込んだのは千人以上の男達が戦いを繰り広げる港の様子だった。一方のヴェズルは同族で殺し合う愚かな行為に疑問を感じつつも、リリアの望み通り、母の恋人を探し出した。その男は、揉み合い戦闘を繰り広げる集団から少し離れた場所で千人弱の男達を背に立っていた。


(ありがとう)


 同じ視界でユーリーの姿を捉えたリリアは、その場所目掛けて「風」を送る。そして、


「ユーリー、聞こえる? そっちの皆を街の西口へ誘導して」


 と伝えていた。だが次の瞬間、不意に湧き上がった吐き気に集中が途切れて風の精霊を見失ってしまった。彼女にしては珍しい失敗だった。

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