Episode_22.20 トリム港の戦い


 ユーリー達労働者が早朝から荷役作業を行うトリムの港は、街を北に背負うように南のリムル海に面した港だ。街の東側にある岬状の半島のお陰で、年中波が穏やかな良港である。


 その港は、歴史的に中原地方との交易が盛んだったため、三本マスト以下の中型帆船を係留し荷の積み下ろしをするための桟橋を多く備えた構造になっていた。ただし、今は四都市連合の大型帆船を係留させるため、桟橋は一部を残して撤去され、急造の岸壁に姿を変えている。それでも複数の大型帆船の荷役を一度に行うことができず、一隻ずつの作業となるのが難点だった。


 そんな岸壁には三隻の船団の最後の船が係留されている。これから半日で荷降ろしを行い、残りの半日で積み込みを行う。それを担うのはユーリーを含む貧民街から来た労働者と、長く職場を放棄していた民衆派を支持する労働者達だ。しかし、民衆派を支持する労働者達はいつも通り、作業開始の時間には姿を現さない。


 作業開始の号令前に、他の労働者達と待機しているユーリーは港の様子を見まわした。トリムの港は桟橋や岸壁の奥に幅五百メートル、奥行き百メートルの荷役場がある。その荷役場には東西から二本の道が繋がっている。一方荷役場の更に北には作業監視小屋があり、その奥は倉庫街だ。その倉庫街の更に奥には港湾ギルドの砦のような建物があるが、ユーリーの場所からは、その建物は見えない。


 ユーリーは殆ど無意識に港を警備する傭兵達の配置を観察した。朝日が昇る前の薄暗い港だが、どんな武装をした傭兵が何人、何処にいるか、といった基本的な情報は読み取ることが出来た。


(東側の入り口に五個小隊、まぁこれは当然だな)


 東側から港に入り込む道は、そのまま民衆派と解放戦線の勢力圏に繋がっている。そのため警備が厳重なのは当然であった。


(荷役場には二個小隊、百人か……アイツ等仕事の邪魔なんだよな)


 続くユーリーの感想は労働者然としたものだった。思い返せば十六の年に、ウェスタの河川港で短いながら港湾荷役の作業を経験しているユーリーである。ふと当時の懐かしい記憶が思い起こされるが、彼は頭を振って懐かしい思い出を脇へ押しやった。


(後の百五十人……三個小隊は監視小屋の付近だな)


 四都市連合の一個大隊は十個から十二個小隊、五百から六百人で編成される。そして中隊長以上は戦時作軍部か常設部と呼ばれる組織の士官が担うことになっている。暁旅団の首領ブルガルトから仕入れた知識で四都市連合の傭兵部隊の配置を読み解いたユーリーは東側の防御に一個中隊と一人の指揮官、荷役場にもう一個中隊と指揮官、そして監視小屋に大隊長が居ると考えていた。だが、


(まぁいい、戦いを仕掛ける訳じゃないからな)


 と、そんな思考を途中で止める。というのも、彼の周囲で作業開始を待っている労働者達が、ざわざわと言葉を交わしているからだ。その内容は、


「――その話は本当なんだな?」

「ああ、王子様の軍勢が北の森で待っているって」

「でも、オレんちの婆や爺は足がダメだ。歩けねぇって」

「オレんちもだ、爺婆二人も担いで逃げるなんて無理だ――」

「大丈夫だって、スランドさんが荷馬車を準備してる」

「でもな、いつなんだ?」


 そんなやり取りが聞こえてくる。彼らの言葉は徐々に大きくなり始めていた。当初は懐疑的であったり、消極的であった彼らだが、ここ数日で様子が変わり始めていた。その事実にユーリーは内心でほっと一息吐く。そして、全員に注意を呼び掛けた。


「みんな、傭兵に聞かれると拙い。決行は明日教えるから、今日は我慢して」

「バレたらおしまいだ、静かに」

「あと、民衆派にも聞かれちゃなんねぇぞ」

「内緒だぞ、内緒」


 ユーリーの他に、スランドから紹介された労働者ガンを始めとした数名の労働者達も仲間を鎮めるような声を発する。そして、ざわつきが治まったころに、港湾ギルドの荷役担当者が現場にやってきた。


「ボンクラども! 今日中にあの船の荷物を全部降ろし、ここの荷物を全部船に積むんだ! 明日出港だから、作業が終わるまでは帰れないぞ!」


 普段以上に苛立った声である。四都市連合から派遣されたこの男が大勢の労働者相手に威張り散らすことができるのは、近くに荷役作業を監視する傭兵達が居るからだろう。


「さっさと仕事を始めろ!」


 その荷役担当者の言葉と、背後からザッザッと聞こえる傭兵達の足音に、労働者達は急かされるようにして作業を開始した。


「ちっ、まだ民衆派かぶれ・・・・・・の連中は来てないのか。ったく、仕事を舐めやがって」


 ぞろぞろと荷物に取りつく労働者の姿を見て、その荷役担当者は吐き捨てるように言うと作業監視小屋の方へきびすを返した。まるでそれが合図であったように、東の岬から昇る朝日が姿を現した。


****************************************


 港湾地区と港湾ギルドの間には倉庫が立ち並ぶ区画がある。二か所の距離は直線にして約五百メートルほどである。ギルドの建物は少し小高い場所に建てられているが、その二階からでも、立ち並ぶ倉庫に遮られて港の見通しは効かなかった。


 そんな港湾ギルドに本拠を構える四都市連合のトリム駐留部隊はちょっとした騒ぎになっていた。北の貧民街で火災が発生した、という報せが飛び込んできたのだ。報せたのは、トリムの城塞に籠る第二騎士団だ。彼等は、兵の一部を消火のために出撃させたが、人手不足を理由に四都市連合に協力を求めていた。


「この風向きでは、港に火が及ぶ可能性もあります」


 そんな部下の大隊指揮官の言葉を聞くまでもない。今朝も相変わらず乾いた北風が吹いている。その状況に作軍部長は、


「仕方がない。夜勤明けの傭兵部隊を港湾ギルドの警備に回し、今の警備部隊を火災の消火に向かわせろ」


 と命令した。そして、夜勤明けで非番に入ったばかりの傭兵部隊が士気の下がった様子で港湾ギルドの前に集結した。そんな傭兵部隊と入れ替えに、それまで港湾ギルドの警備を行っていた部隊が北の貧民街へ向かう。そのころには、港湾ギルド周辺にも建物が焼ける焦げ臭いにおいが漂っていた。


「港の部隊に警戒を厳とするように指示を出せ。あと、今日の夜勤組にも待機態勢を取らせるように」


 作軍部長の指示は、火災の混乱を機に民衆派が攻勢に出ることを警戒したものだ。だが、その時すでに、大勢の民衆派は労働者として港に入り込んでいた。その証拠に、


「港湾地区で労働者の暴動だ! 応援を頼む」


 港湾ギルドの建物に飛び込んできたのは傭兵だった。彼は、あちこちを殴られたように痣だらけの姿でそう叫んだ。


****************************************


 夜明け直後のトリム港、岸壁近くでユーリー達労働者は作業を開始した。最初、船から降ろされるのは、コルサス王国第二騎士団への補給物資である武器類だという話だった。槍や剣、それに最近採用を開始した弩弓と専用の矢が詰まった木枠梱包の荷は見た目以上に重い。それを、着地点に敷いた厚板で受ける。板の下には木製のコロが敷かれている。それで、港の荷役場の奥まで重い荷物を運ぶのである。


 そうやって積み荷の一部を船から降ろし始めたころ、東の方から民衆派を支持する労働者の集団がやってきた。


 昨日は千人だったが、今朝はそれ以上の大勢である。彼らは麦粥の配給に並ぶこともなく、ズカズカと港の中に足を踏み入れてきた。その普段とは違う様子に、港の東側を警備していた小隊の一つが彼らを制止しようと前に出る。しかし、大勢の集団を止める事が出来ずに、逆に押し返されるようになってしまった。


 この時点で、武装した傭兵達と労働者達の間に不意に衝突が発生した。衝突の発端は、労働者達の中に潜んでいた武装した男達だ。彼等は、港湾労働者とは思えない動きで列を割って前へ出ると、傭兵達に斬りかかった。


「なんだ、お前ら!」

「襲撃だ!」


 そんな声が傭兵達から上がる。


 民衆派を支持する労働者の中から飛び出したのは五十人ほどの男達だった。労働者然とした身形みなりをしているが、剣と盾を持っている。そして、戦い方も明らかに訓練を受けた者のソレである。また、そんな彼らに労働者の一部も加勢するように動き出した。労働者の殆どは丸腰か棒きれを持った程度である。だが、傭兵の小隊を包囲するように動くと、武装した男達の戦いを助けるように動いた。


 また、それ以外の労働者達は、岸壁に停泊した大型帆船から降ろされる荷に殺到した。彼らは、船から降ろされたばかりの武器を目当てとしたのだ。


 そのとき、ユーリーは少し内陸側で積み荷の通り道となるコロを地面に並べていた。そんな彼の元にも、大勢の人々が争う音、怒号や悲鳴が聞こえてくる。


「なんだ?」

「たぶん暴動だ!」


 周囲ではそんな声が上がるが、ユーリーの視界は貧民街の労働者達が運ぶ荷に殺到する別の労働者の姿が映った。貧民街の労働者達は、荷を守るつもりはないが、殺到する別の労働者達に驚き立ち尽くす。そんな彼らは、別の労働者 ――民衆派を支持する者達―― によって、殴られ、蹴られ、脇へ退かされる。


「ちっ!」


 舌打ち一つを残して、ユーリーは彼らに駆け寄った。


「全員を奥に下がらせて。荷役どころじゃない!」


 走りながらユーリーは、後ろを振り返らずにそう言った。彼の目の前には四都市連合の傭兵と、暴徒と化した民衆派指示の労働者の乱闘に巻き込まれつつある人々の姿ある。


(積み荷の武器を強奪するのも暴動の計画の一つか!)


 普段から頭の回転が速い青年ユーリーだが、危険を前にすると、その速度は数倍に跳ね上がる。そんな彼は暴徒と化した労働者達の狙いを見抜く。そして、彼らに駆け寄る間隙に、港の東を見た。そこには、組織的に戦い傭兵達を渡り合う集団の姿あった。


(あれは素人じゃない……民衆派、解放戦線だな)


 そこまで見抜いた彼の頭は、この暴動が偶発的ではないことを察知した。数日前から戻り始めた労働者。そして、元の労働者が解雇される騒動に伴い遅れる武器の荷降ろし。それらは、ひと繋がりの思惑としてユーリーの頭の中で像を結んだ。


(民衆派支持の労働者を兵力として、港を占拠するつもりだな。おおかた、飢餓に訴えたのだろう。しかし、第二騎士団の留守を狙うとは、レイの南進が裏目に出たか)


 十歩駆ける間にそこまで考えたユーリーは、そこで一旦思考を区切ると目の前に集中する。そこには、積み荷を中心に、どうして良いか分からない、といった風に立ち尽くす貧民街の労働者と、彼らを排除しようとする民衆派の労働者の姿があった。ユーリーは背後から素早く駆け寄るとその間に割っては入り、手に持っていたコロ・・の棒を三度振るった。


 そして三度の手応えと共に、民衆派の労働者が三人地面に倒れる。更にユーリーは駆け寄った勢いのまま、四人目に渾身の飛び蹴りを食らわした。細身とはいえ締まった体はそれなりの重量がある。その全体重を受けた相手の労働者は見事に吹き飛ぶと石畳の地面を転がる。一連の動きは目にも留らぬ早業であるが、ユーリーにしてみれば身体機能強化フィジカルリインフォースメントや加護の付与術を掛けるまでも無い事だ。強いて言うならば、普段と違い重い甲冑を身に着けていないからこその、身軽な身のこなしと言える。


「皆、積み荷はいい、放っておこう!」


 仲間を背後にかばうようにユーリーはそう言うと、そのまま港湾地区の奥へ後退する。対する暴徒と化した労働者達はユーリー達を追うよりも、積み荷の武器を確保することを優先したようだ。釘抜きやハンマーを手に木枠梱包を打ち壊すと中の槍や剣、そして弩弓を掴みあげる。


「武器を確保したぞ!」

「皆に配れ!」


 そんな声が上がる。


 トリムの港に侵入した労働者達は、徐々に武装した千人の民衆派へと姿を変えたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る