Episode_22.18 潜入


 この口入れ屋は、数年前にトリムで発生した王弟派第一騎士団による民衆派摘発騒動の際に多くの怪我人が担ぎ込まれた場所であった。この店の主の名はスランドという。彼は信心深いパスティナ神の信者で、当時トリムに逗留していたパスティナ救民使「白鷹団」に宿泊場所を提供していた人物でもある。そして、その時に目にした「聖女リシア」の奇跡・・に心服し、周囲の人々がアフラ教会へ宗旨替えする中でも、一人パスティナ神への信仰を貫いていた。


 ユーリーがこの口入れ屋を潜伏拠点に定めたのは、事前にリコットから、


「その口入れ屋が、この前まで俺のねぐら・・・だった。王子に伝言したのが、その店のオヤジのスランドだ。いいオヤジだ、顔は怖いけどな」


 という話を聞いていたからだ。


 リコットが素性を明かしても協力的だった、という点は安全な潜伏先を求めるユーリーとリリアにとっては好都合であった。また、


――レイモンド王子の軍勢が北の森林地帯まで進出し街から逃げる人々を待っている――


という情報を拡散する伝手つてとして、口入れ屋は便利であった。ただし、本当に口入れ屋の主人が協力的なのか? 何かの事情で立場が変わっていないか? という疑問は残った。だが、そんな疑念は店を初めて訪れた時に吹き飛んでいた。


「え? 聖女様? ……いや、見間違いか」


 その時のユーリーは、リリアが施した変装術によって何処から見ても職を求める貧民の姿であった。端正な顔にわざと・・・泥を塗り、ぼろ布同然のフードを被っている。そのフードから垣間見える黒髪も数日洗わずに重たく脂じみている。しかも、成長した彼はそこまでリシアと瓜二つというわけではない。だが、口入れ屋の店主はパッと見た印象で「似ている」と直感したのだろう。思わず聖女リシアの名を呼んでいた。


「確かに似ているが、聖女様はレイモンド様のご所領へ行かれたのだ。今更こんな危ない街に戻るはずはないか」


 次いで、自分の勘違いを取り消すような店主スランドの独り言が続いた。目の前の貧民ユーリーはそっちのけであるが、その言葉には若干ながらレイモンド王子への敬意も窺うことができた。その様子にユーリーは、隣のみすぼらしい少年に格好に変装したリリアへ頷きかける。彼女もまた、ユーリーに頷き返す。そして、


「リシアは私の姉です。スランドさんですね?」


 と切り出したユーリーの声は、力無く蒙昧とした貧民のものではなかった。その声と言葉の内容に店主スランドは驚き、まじまじとユーリーの顔を覗き込む。


「実は少し込み入った話があるのです」

「あ、ああ。こちらへ――」


 驚いた表情のまま、スランドはユーリーの言葉に応じると彼らを店の奥へ案内していた。そして、スランドの事務室に通されたユーリーとリリアはぼろ布のようなフードを外すと改めてスランドと向き合う。


「リコットさんに預けた伝言、レイモンド王子はしっかりと受け取りました」

「今、王子の軍はリムン砦を越え南の村々に留まっています」


 ユーリーとリリアが話す内容に、スランドは驚いた。レイモンド王子については、若いながら人々の暮らしに心を寄せる為政者で、気さくな人物だという風にリコットから聞いていたスランドだ。しかし、まさか一介の口入れ屋の主の言葉を受け取って、しかも行動に移してくれるとは思っていなかったのだ。


「そ、そんな……畏れ多い事を……」


 彼はそう呟くと絶句する。対してユーリーは、そんなスランドに一歩詰め寄ると、


「王子は、ギムナンさんやリコットさんが連れ出せなかった人々を迎えに来たのです。協力を願えませんか?」


 と語りかけた。聖女と同じ黒曜石の瞳が力強くスランドを捉えていた。


****************************************


 その後、ユーリーとリリアはスランドから協力を取り付けると、トリムの街の最近の情勢を聞くことになった。スランドが二人に語ったのは、今年初めの「大分節祭」の戦い以降、民衆派の労働者が職場を放棄していること。それに対する報復的な穀物価格の値上げがあり、食糧事情がひっ迫していること。そして労働力の補てんのために、街の北西に追いやられていた貧しい人々が僅かな食糧配給と引き換えに港湾労働に狩り出されていること。更に昨日、王弟派第二騎士団が一部を残してトリムを去ったことであった。


 ユーリーは、スランドの話した状況に少しの違和感を覚えた。彼は「民衆派」と「アフラ教会」という勢力ならば、ひっ迫した食糧事情を逆手にとり、港湾労働に従事するようになった貧しい人々を自勢力に取り込むと考えたのだ。だが現実には、


「民衆派の連中も食糧事情は苦しいらしい。海路を四都市連合に押さえられているからな。ベートからの陸上輸送だけでは、一万を超える人々の腹を満たすことが出来ないようだ」


 とスランドが語った通りであった。そして彼は同時に、


「一度職場を放棄した労働者達が昨日から港の荷役作業に戻り始めた。待遇は後から雇われた人々と同じだから随分と悪くなったが、それでも戻っている……もしかしたら何か裏があるかもしれない」


 とも語っていた。それは、トリムの港を巡りひと波乱起きる可能性を危惧したものだった。その可能性も含め、ユーリーは翌日から労働者に紛れて港の様子を確認することになった。手配は口入れ屋スランドが請け負った。一方リリアは、多くの労働者が住み暮らす北の貧民街に向かうことになった。


「ギムナンとリコットの説得に応じなかったのは、彼らの多くが家族を抱えているからだ。そのため危険な逃避行を選択出来なかった。だから、そっちのお譲ちゃんは、彼らの家族を説得して回って欲しい。私も同行する」


 ということであった。そして、翌日二月九日からユーリーとリリアにスランドを加えた面々は活動を開始したのであった。


****************************************


 夕方、食糧の配給を受け取ったユーリーはスランドの口入れ屋に帰ってきた。しかし、店主のスランドとリリアは貧民街から戻ってきていなかった。そのため、ユーリーは店の奥に続く安宿の一室で二人の戻りを待ちながら今日の出来事を思い返す。ユーリーはこの一日で、港の労働者の構成やトリムに駐留する傭兵の大雑把な規模を掴んでいた。


 現在、トリム港には四都市連合の大型帆船三隻が入港しており、その荷降ろしに従事する者や、次の航海に必要な物資を運び込む者、更に、次の積み荷を港に運び込む者達が作業に従事していた。その数は二千人程度である。内訳としては、元々の港湾労働者で、民衆派支持とは別の者たちが約五百人。そして、スランドが「戻り始めた」と言っていた民衆派の労働者達が五百人。残り千人は貧民街から連れてこられた労働者であった。ただし、民衆派の労働者は昨日に比べて二百人ほど増えたということで、もしかすると明日はもっと増えるかもしれない、という話だった。


因みにその話をユーリーにしたのは、貧民街出身の労働者でスランドがユーリーに紹介したガンという名の三十半ばの男だった。その男の他にも、数人の貧民街出身の労働者がユーリーに協力し「王子派軍が迎えに来ている」という話を仲間達に広げた。


 一方、四都市連合の傭兵部隊の数はユーリーが見たところ二千人強、といったところだ。多くても三千は超えていないと思われた。それらのうち五百人ほどが日中の港を警備し労働者達の動きに目を光らせていた。港の警備は日中と夜間の二交代で行われているということだ。また、四都市連合が接収した港湾ギルドの建物にも同じ数の傭兵の姿があった。更に、帰り道沿いに点在する飲み屋街では、昼間から酒を飲み続けていたような傭兵達が酔っぱらって騒いでいた。それらは、非番の傭兵なのだろう。


(四つから五つの大隊、といったところか。数は二千から二千五百前後だろうな)


 おそらく日勤二回と夜勤二回の間に一日の非番を挟むという形で輪番を組んでいるのだろう、とユーリーは予想していた。


 ユーリーがそうやって見聞きしたことを思い返しているところに、リリアが部屋へ帰ってきた。


「少し遅くなったわ。心配した?」


 部屋のドアをそっと閉めつつそう言う彼女に、ユーリーは近づくとその体を抱きしめようと手を伸ばす。だが、


「ちょっと、ダメよ……こんな格好じゃ恥ずかしいわ。それに自分でも分かるくらい匂うもの」


 と、リリアは抱擁を拒否するように距離を置いた。確かにそう言う彼女の姿はユーリー同様、貧民街ではありふれたみすぼらしい少年・・・・・・・・の格好である。女性であると悟られると必要以上の危険があるため、リリアは年々豊かになりつつある胸に布をきつく巻きつけ膨らみを目立たなくしている。その上で体型に合わないぼろ布のような麻の上着を被れば、父や兄のお下がりの服を着た貧相な少年、という風に見える。


 また、後ろに束ねただけの茶色い髪の毛はユーリー同様数日洗われることなく脂じみている。しかも、束ねた髪の下に覗く白いうなじは、本来ならばユーリーにとって堪らない・・・・光景なのだが、今は泥と顔料を混ぜた物を薄く擦り付け、垢じみて見えるように演出していた。


「た、確かに……匂うという点では僕も相当だ」

「でしょ、しばらくはナシよ。お互いのために、ね」


 それでも構わない気がするが、そこは女性ならではの気持ちがあるのだろう、と彼女の気持ちを汲んでユーリーは少し離れてベッドに腰掛ける。リリアも同じように反対側のベッドに腰掛けると、二人は今日一日の成果を話合った。


 リリアが伝えるところによると、貧民街の男手は殆どが港の労働に狩り出されているということで、日中の貧民街は老人か女子供しかいない状況だったということだ。そこで、男たちを労働に送り出した後の掘立小屋のような住居を訪れ、リリアはスランドと共に人々を説得して回った。だが、


「首尾は上々、とは言えないわ。どうしてかしら、皆諦めたように、今の環境を受け入れているの……」


 と言うリリアは少し悔しそうだった。緩慢な速度で徐々に悪化していく環境に彼らは適応していたのだろう。そして、将来に希望を持てない人々は現状を変えるための「何か」へ踏み切る決断が難しくなる。より良い明日が想像できないため「現在」を変える勇気が出ないのだ。そう思うユーリーだが、彼にしてもその状況を打開する術はなかった。


(レイや……姉さんが居れば……)


 とも思うが、まさか王子派の総大将を単身連れてくる訳にはいかないし、トトマに居るはずの姉を呼ぶことも難しい。


「諦めず、説得するしかないね」

「そうね……あと、スランドさんがね――」


 ユーリーの言葉に健気な笑みを浮かべたリリアは、そこで話題を変えるとスランドが言っていた事をユーリーに話した。それは、貧民街の様子についてだった。スランドが言うには、以前の貧民街はもっと東のアフラ教会よりに在ったということだ。それが、先のトリムを巡る民衆派の蜂起によって街の西へ追いやられた。東側が教会を中心とした民衆派の拠点となったためだ。


 と言っても、元々街の区画上貧民街と居住区は境目が曖昧なまま繋がっている。しかし、その境目を明確にするような行為が民衆派の人々によって行われていたのだ。


「街の区画を仕切るみたいに真っすぐ一本線を描くように家々が壊されていたのよ。北からトリムの城塞付近まで真っすぐ南を目指して、まるで新しい道を造っているみたいだったわ」


 その様子を若鷹ヴェズルの視野で確認したリリアはそう伝えた。しかし、その時のユーリーはそんな事よりも、貧民達の反応の鈍さが気になっていたので、その理由を深く考えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る