Episode_22.17 民衆派の決断


 トリムの港は中原地方と西方辺境域を結ぶ海の玄関口である。中原地方からの交易品はこの港に荷揚げされると、それ以降はコルサス王国内の海商の手に委ねられる。一部は内航船によって王都コルベートに運ばれ、また一部は同じ船で隣のターポ港を経由し四都市連合の海商に引き渡されると南方大陸や西方辺境へ運ばれる。つまり、トリムやターポの港には対立構造にある「ロ・アーシラ」と「四都市連合」の間を取り持つ役割があった。


 しかし、それも二年前までのことであった。今、トリム港の桟橋を埋める大半の船は四都市連合の一角、カルアニスからやって来た船だ。それ等は南方大陸アルゴニア帝国や西方最辺境の国オーバリオンからの物資、主に穀物類を満載にしてトリムへやってくる。そして荷揚げされた物資は、コルサス王国王弟派支配地域で消費される。


 特にコルサス王国東部地域は数年前の不作以降、穀物生産を担う農村地帯が壊滅的な打撃を受けていた。無理な食糧の徴発によって農村自体が疲弊した後、大量に流れ込んだ四都市連合からの食糧により穀物市場が混乱したことが原因だった。そのため、この地域の農村は食糧の大半を占める穀物を都市部に供給することが出来ない状況に陥っていたのだ。


 そんな状況であるが、たとえ王弟派と対立する「民衆派」であっても腹が減れば食べ物が必要だ。しかも、トリムの街の半数を占める「民衆派」の住民達全てに食糧を行き渡らせるほど、アフラ教会とその背後に立つロ・アーシラの支援は潤沢では無かった。それは、主にベートからの陸路による物資輸送「量」の問題があった。そのため「民衆派」の人々は対立する「四都市連合」の海商が運ぶ食糧に依存せざるを得ない。


 自分達の食糧を敵に押えられた状況での戦いは本来勝てる見込みなど万に一つも無い。しかし「民衆派」がこれまで特に食糧面で不利を被らずに戦ってこられたのは、彼等を支持する大勢の港湾労働者に依るところが大きかった。彼等が提供する労働力は港の運営を維持するために絶対必要な一種の「影響力」となり、四都市連合からの食糧供給を担保していた。


 しかし、先の「大節分祭」に起こった王弟派からの一斉攻撃は、そんな危うい均衡を崩すように作用してしまった。王弟派と四都市連合の傭兵部隊による攻撃は、解放戦線以外の一般の人々にも被害を出していた。そして、その暴挙に抗議するため、主に民衆派を支持する港湾労働者が仕事を放棄したのだ。


 表面的には港の運営を麻痺させ、四都市連合の交易を阻害する行為に見える。この抗議を通じて、四都市連合の態度を軟化させる、或いはトリムから手を退かせるための交渉材料のようにも見えた。しかし、それは「民衆派」や「解放戦線」そして「アフラ教会」の意図するものではない。労働者達の自発的な運動だった。そして、これが悪手だった。


 トリムの港は一時的に機能を麻痺させたが、直ぐに別の労働者を得ることで回復していた。しかも新たにやって来た労働者達は「強制労働」という名の無給労働者である。日々の食事さえ支給してやれば、賃金を払う必要が無かった。四都市連合から見れば、意に沿わない労働者を一気に炙り出し排除する事と都合の良い労働力を獲得出来たという、正に一挙両得な幸運としか言いようのない状況だったのだ。


 そして、トリムの街で流通する穀物の価格は元々高止まりしていたものが更に三倍に跳ね上がった。それは、王都コルベートでの価格と比較すると実に十二倍の差がある乱暴な金額である。その状況に「解放戦線」は行動を起こす必要性に直面していた。


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 トリムの東の外れに建つ「アフラ教会」は城壁のような背の高い外壁と四隅に建つ物見櫓によって、砦のような外観となっている。しかも、その周囲には「解放戦線」の騎兵や兵士とは別に、民衆派を支持する人々が独自に幾つもの集団を作っていた。集団を形成するのは男ばかりではない。家族ぐるみでやって来たと思われる集団には女や子供、老人の姿も見られた。それらの人々はアフラ教への帰依の見返りとして与えられる食糧の配給を待っているのだ。


 アフラ教会西方司教であるアルフと、聖都アルシリアからやって来た神聖騎士団隊長モザースの二人は、先ほどまで教会の外に集まった人々に説法をしつつ、彼等の声に耳を傾けていた。そんな二人が聴いた人々の願いは、苦しい食糧事情の打破に集中していた。


 彼等の願いを聞いた上で教会の中へ戻って行った二人の聖職者に、飢えた人々は望みをつないだ。しかし、教会内での会話は外の人々の願いが難しい物であることを如実に物語っていた。


「今の我らの勢力で港を襲っても、勝てる見込みは可也低い」


 西方司教アルフと聖騎士モザースの言葉に難色を示したのは「解放戦線」指揮官のマズグルだ。しかし、そんな彼に司教アルフは説き聞かせるように言う。


「民は飢え掛けている。飢えは人を野性に戻す。アフラ神の聖なる教義に帰依した者に野の獣と同じ行動をさせてはならない。必ず道は拓け、その先には勝利が在る」


 また、四十絡みのガッシリとした体格の聖騎士モザースは、


「我らの信仰は鋼よりも硬く強い。神の導きにより必ず勝利します」


 と言う。


(……話にならん、二千数百の戦力で、どうやって戦闘準備を整えた第二騎士団と三千五百と傭兵二千五百を相手にするつもりだ……)


 だが、長く中原で傭兵団を指揮していたマズグルから見れば、司教アフルも聖騎士モザースもアフラ教に毒された狂信者にしか見えない。しかし、悲しいことに、そのアフラ教会に(実質的に)雇われているマズグルには、この二人の意見を退ける事が出来なかった。


「どうなっても知らんぞ」


 最後は投げ捨てるような言葉になったマズグルであった。


 そんな彼だが、その後に起こった奇跡のような展開に天を仰ぐ気持ちとなる。それは二月七日の出来事だった。戦闘準備を整え、今にも再攻撃を仕掛けてきそうだった第二騎士団が一部の兵力を残し、突然トリムから姿を消したのだ。


「これこそ、神意。今こそ好機」

「マズグル殿、共に行かん!」


 司教アルフと聖騎士モザースの言葉に焚付けられた訳ではないが、この好機を逃すべきではない、と考えたマズグルは兼ねてから準備していた作戦を実行に移した。それは、少ない兵力でも敵を攪乱し、港湾地区を確保するための策であった。この策が叶えば、ベートから物資を満載した船が港に入ることが出来る。また、ベートから乗り入れた船が武装していれば、港の支配権をより長く確保することも可能だった。


「では、五日後、十二日早朝に戦える信者達を教会前へ集めてください。あと、教会周辺に集まっている労働者達とも話したい」


 マズグルの覚悟を決めたような声が教会の一室に響いた。


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 街の北西に広がる貧民街から徴集された人々はこの日も港湾地区の荷役労働に駆り出されていた。彼等を管理し、鞭と罵声で働かせるのは四都市連合の港湾ギルドから委託を受けた傭兵達である。トリム地場の労働力が去ってしまった港に残ったのは横暴な使用者と無力な労働者という構図だった。


 そして労働力を精一杯提供した貧民達には、その日の朝と夕暮れの二回、日当代わりの食糧支給が行われる。大人の男女一人に対して塩味の薄い麦粥が碗に大盛り一杯。その場で食べずに家族に持ち帰りたい者には、片手で三掬いの穀物である。それが一日の労働の報酬であった。


(生かさず殺さず……とは、何かの喩えに使う言葉だけど……これは本当に生かさず殺さずだな)


 食糧支給の列に並ぶ一人の青年はズタ袋のような服を纏い、寒い外気に鼻を垂らしながらそう思った。彼は、衣類と同じようなボロボロの袋を差し出すと片手三掬いに満たない麦を袋に入れられ、肩を突き飛ばすように列から外へ弾かれた。その青年は突き飛ばされた勢いを柔軟に吸収すると、わざとらしく二、三歩よろけて見せた後は普通の歩みに戻った。


(とにかく戻ろう……)


 内心でそう呟く青年は、港湾地区と商業地区の境目に存在する労働者達の安宿街へ駆けて行く。彼が目指したのは、看板も掲げていない一軒の口入れ屋だ。そこが、彼と相棒の拠点となっていた。

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