Episode_22.15 王子派軍、南進!


アーシラ歴498年1月25日 ディンス


「オシア、行ってくるよ」

「お気を付けて……くれぐれも突出し孤立するような事がないように。牽制ということを忘れてはなりません」

「お父様、マルフル様はそんな猪武者ではありませんよ」


 そんな会話はディンスの中心部に建つ城砦の中の出来事だ。西方面軍マルフル将軍とその元副官・・・オシア、そして彼の娘でマルフルと婚約したカテジナの会話である。


「立ち上がるのが億劫なので、ここで失礼します。カテジナ、お見送りを」


 ベッドに横たわったオシアは、先のタバン攻略の際の矢傷が元で左足の自由を失っていた。それでも、杖を突けば立ち上がり動き回る事は出来るのだが、今の彼は娘とマルフルを二人きりにさせてやる口実に自分の怪我を使ったのだ。


「分かりました、さぁ、行きましょう、マルフル様」

「ああ。留守中のディンスの護りを頼む。頼みます、お義父さん」

「ははは、止めてください、腰の矢傷が痛みます」


 怪我を得たことで、将軍と副官から義理の親子へと関係性を変えつつある過渡期の彼等は、そんな言葉が楽しく、そして嬉しかった。そして、明るい笑いと共に、マルフルはカテジナを伴って部屋を出る。


「……」


 しかし、城砦内の廊下を歩く二人の内、カテジナは片手でマルフルの手甲をした腕を取ったまま無言で俯き歩を進める。周囲の目が無い二人きりの時、普段のカテジナは年上の女性らしく淑やかさと節度を持ってマルフルと向き合っている。だが、この時の彼女は、彼の腕を掴む手に力を籠めるだけだ。そんな彼女にマルフルはもう片方の手を被せるように添わせた。


「カテジナ……」

「マルフル……」


 いつの間にか名前で呼び合うようになった二人は足を止めると、手を取り合い見詰め合う。周囲は丁度空き部屋ばかりが左右に続く廊下の途中である。以前は大勢の使用人が住んでいた城砦一階の区画だが、今は人の気配が無い場所だ。空き部屋の一つに転がりこめば簡単に二人きりになれる。そんな想像に若い二人は急激な感情の昂ぶりを覚えた。


 際限なく昂ぶる情に最初に突き動かされたのはカテジナだった。彼女はマルフルの腕を離すとその首にしがみ付くように抱き付き、仔細に構わず唇を重ねた。昔は自分よりもずっと背の低かった少年マルフルは、いつの間にか逞しい青年に変わっていた。その事実が火に油を注ぐのだろうか? これまで守ってきた純潔を、今こそその時・・・・・・とばかりに青年の前へ差し出した。


「カテジナ……」

「抱いてください。今、お願い」


 興奮と羞恥で頬を赤らめる婚約者、その表情を見るマルフルもまた、煮え滾るような感情の渦に巻き取られそうになる。まるで供物を捧げるように押し付けられた柔らかい感触に愛情とも欲情とも付かない気持ちが膨れ上がる。それは若い男にとって抗しがたい圧倒的な力を持っていた。だが、既に戦う男の心に変じている彼は、そんなカテジナをひと際強く抱きしめると、長い口付けを交わすだけに留めた。そして、静かに彼女を引き離して言った。


「ありがとう。それは、戻った時に取っておく。必ず戻る、心配するな」

「そ……はい……」


 カテジナの瞳は真っ直ぐマルフルを見る。少しの恥じらいは残ったが、それ以上に、昔から知る少年の成長を感じていた。


「それに、そういうのは、鎧を着る前に言ってくれ」

「ば、バカッ。もう、マルフル!」


 やはりマルフルはマルフルなのか。そんな言葉でおどけて見せる彼の心が堪らなく愛おしいカテジナであった。


****************************************


 この日、ディンスの街を出撃した西方面軍は西トバ河を渡るとタバンへ続く街道を進んだ。その軍勢の規模は西方面軍を総動員した総勢四千を超えるものだ。しかも、急な命令であったにもかかわらず、マルフル将軍は資材を満載した補給部隊を後方に配していた。その部隊が運ぶ資材は「出城」建設の資材である。


「只の牽制攻撃では面白くない。この際、タバンとディンスの間に拠点を造ってしまえ」


 それは、マルフルとオシアの発案であったが、必要な資材は随分と前から準備されていた。そして、南進を続ける西方面軍はタバンから半日の距離に留まると「出城」の建設を始めた。


 この動きに、タバンを守る王弟派第一騎士団の分遣隊と主力の傭兵部隊は座視することが出来ずに部隊を繰り出した。そして、王子派西方面軍と王弟派軍の間で数百人規模の小競り合いが頻発した。


 支配地域の目と鼻の先で拠点の建設を行われたタバンの太守アンディー・モッズはその状況を王都コルベートの宰相ロルドールへ報告した。


 ――王子派は強硬策に出ると思われる。タバンの北に拠点を建設中。至急第一騎士団本隊の応援を求む――


 その報せを受け、宰相ロルドールは三千の兵と二百の騎士をタバンに派遣した。併せて四都市連合に対して追加の傭兵動員を要請した。今、王弟派の全決定権は宰相ロルドールに集中している。そんな彼の元には全ての情報が集まることになっているのだが、その反面、部下が耳に入れたくない情報は中々届いていなかった。


 その端的な例は、先にトリムで起こった民衆派拠点であるアフラ教会攻撃についてである。攻撃作戦の首尾が不調に終わった報告はロルドールの元に届いていた。しかし、その最中にトリムの住民の一部が王子派領に逃げ出した事、更にそんな彼等を元太守のギムナンが扇動していたこと、そして、リムン砦の南の麓に駐留していた第一騎士団の一部隊が王子派の東方面軍騎士隊と交戦し敗退したことなどは、直ぐには宰相ロルドールの耳には届いていなかったのだ。


 そのため、王都コルベートに駐留する第一騎士団の三分の一をタバンに差し向ける決定は速やかに行われていた。


 その様子を冷やかな目で見るのは元第三騎士団・・・・・・のレスリックとドリムである。彼等の第三騎士団は規模縮小を繰り返した末に騎士団の呼称を奪われると、王弟ライアードの妾腹ガリアノを隊長とした近衛兵隊となっていた。そして、碌な任務も無いまま、王都コルベートの深奥、白珠城パルアディスに留め置かれていた。


「レスリック様、第一騎士団がタバンに差し向けられた今、我々は……」

「うむ……ドリム、ライアード様とガリアノ様の身辺に注意を払え」


 ドリムの言葉にレスリックはそう答えた。彼には宰相ロルドールの采配が、別の意味を持つように感じられたのだ。そのため、部下の猟兵達にライアード王の妾腹ガリアノの警備を厳重にさせる指示を下した。彼の心配が思い過ごしである保証は何処にも無かった。


****************************************


アーシラ歴498年1月末日


 コルサス王国の西側、タバンの北に広がる平野で、王子派と王弟派が小競り合いを繰り広げる最中、遥か東のリムン砦では、鉄城門が厳かに開かれた。これまでは、防戦を主とし偵察部隊程度しか送り出さなかった難攻不落の砦の門から、今二千を超える騎士と兵士が吐き出されている。彼等の先頭に立つのは年老いた騎士である。だが、その老騎士は威厳に満ちた声で全軍に号令をかける。


「今日中に三つの村を落とす。全軍、駆け足!」


 彼等の目指す先には、峠道から南トバ河沿いに続く街道上の村とその周辺の森の中に在る村々である。最もリムン砦に近いスリ村には、王弟派の一個大隊が駐留していることが分かっていた。今月初めにシモン将軍率いる偵察部隊と逃亡民の集団を巡って戦った部隊である。


 その一方、最もターポに近い街道上のサマル村と、最もトリムに近い森の中のオゴ村の戦力は分からなかった。だが、


「西方面軍が敵を引き付けている。敵の目が西へ向いている今が好機と信じて進め!」


 やるべき事を目の前にしたシモン将軍の決意は揺るがない。そして、王子派軍の中でも最も経験豊富な指揮官に率いられた集団は、補給物資を後続部隊に任せた身軽さでリムン峠を南に駆け下って行った。迅速を尊ぶ急襲作戦が開始された。


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 総勢二千を超える騎士と兵士に襲撃されたスリ村には、先の戦いで被った損害を補てんした王弟派第一騎士団の分遣部隊である一個大隊があった。しかし、彼等はまさかリムン砦から偵察部隊以上の勢力が繰り出してくるとは思っていなかった。二十二年続く内戦で、王子派がリムン砦から本格的な攻撃を仕掛けた事は一度も無かったのだ。


 その油断を突かれた大隊は、スリ村の護りを放棄し、街道沿いにサマル村へ後退した。だが、後退する敵部隊はシモン将軍率いる騎士を中心とした足の速い部隊によって追撃された。サマル村の南、南トバ河を渡った先にはタトラ砦という小規模な砦が存在する。そこに駐留する敵の勢力は不明だが、逃げる大隊が砦の勢力と合流すれば、サマル村を落とすことが困難になる可能性があった。


 そのため、執拗に敵の大隊を追撃したシモン将軍は、殆ど逃げる敵と同時にサマル村へ到達すると、彼等が村に留まる事を許さなかった。そして、シモン将軍の部隊は無防備だったサマル村を占拠し、後続の歩兵部隊の到着を待った。この村の南に存在する、南トバ河の渡り瀬・・・が王子派軍と王弟派勢力の新しい境界線となるのは、直ぐ先の事であった。


 一方、本隊と分離した歩兵中心の二個大隊はスリ村を確保すると、街道を逸れて森の中に踏み入る。木々の間を縫って続く細い小道を辿った彼等は、オゴ村に到達するとほぼ無抵抗に村を占拠した。


「私の名はマドラ。レイモンド王子の軍の騎士隊長を務めている。これより、オゴ村は我々の支配下に入る。どうか大人しく従って欲しい」


 村長と思しき老人と村の若者達を前に、大隊長であるマドラはそう呼びかけた。


「レイモンド王子の厳命により、我々があなた達に剣を向けることは無い。だが、ある程度の統制には従って頂きたい」


 武装した千人の兵士に囲まれた状態では些か説得力に欠けるが、マドラの言葉に村人達は従う以外の選択肢を持たなかった。


 そしてこの日、シモン将軍率いる王子派の急襲部隊は特筆すべき損害もなく三つの村を支配圏に収めていた。この作戦によって、王子派の支配地域は二十二年続く内戦を通じて初めて元西方国境伯アートン公爵領の外へ勢力を伸ばす事になった。


 この事実が王弟派の各街へ伝わるのは直ぐの事であった。

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