Episode_22.13 新たな局面


 王弟派の内情をよく知るギムナンはアートン城にとどめ置かれることとなった。後で詳細な情報を訊かれることになる彼は、リコットから幼子を預かると幾人かの騎士に伴われて会議の大広間を後にした。その後姿を見送るレイモンド王子の視線は依然として厳しいが、先ほどのような怒気を孕んだものでは無かった。


 そして、元トリム太守が退出した大広間にはしばらくの沈黙が流れた。民を救ってくれ、というギムナンの声に「言われるまでも無い」と応じたレイモンド王子の次の言葉を待っているのである。その沈黙の中でレイモンド王子は瞑目して考えをまとめていた。


 そもそも、レイモンド王子はこの日の会議で今後の重要な方針について家臣達に問おうと考えていた。それは、このままコルベートを攻め落とし白珠城パルアディスから王弟ライアードを駆逐するまで戦いを続けるべきか、それとも、ディンスとリムンを国境として南北に別れたまま講和するか、というものだった。


 実際、昨年の前半までのレイモンド王子は後者の「南北分割状態での講和」を密に願っていた。そして、結局は罠だったが、タバン攻略が叶えば「好条件で講和できる」とさえ考えていた。しかし、レイモンド王子の目論は外国勢力である四都市連合の露骨な軍事介入によって難しい事態となった。


 昨年後半に頻発した海岸線沿いの村落への襲撃事件がまさに四都市連合の介入であった。しかし、王子派領は何とかその襲撃を跳ね除けた。そして、レイモンド王子はその時点でも、まだ「講和」が最善策だと考えていた。寧ろ、外国勢力が内戦に於いて重要な位置と意味を持つ前に「講和」を急ぐべきだとさえ考えた。しかし、その考えも数日前までの淡い夢であった。


レイモンド王子がアートン城に帰還してすぐにもたらされた凶報 ――王弟派騎士団によるトリムからの逃亡民への襲撃事件の報せ ――によって、レイモンド王子は自分が抱いていた甘い考えを否定せざるを得なくなった。


「内戦が続けば、これまで戦火の及ばなかった街の人々にも被害を出すことになる。いたずらに被害を広げるよりは、このまま講和を結ぶべきではないか。そう考えていたが……考えを改めざるを得ない」


しばらく瞑目していたレイモンド王子は碧い瞳に憂いを浮かべると、そう言いながら大広間に残った面々を見渡した。そして、


「トリム、並びにターポの街が王弟派と民衆派の戦場になるのならば、そこから逃れる人々を受け入れられるよう、リムン砦の南へ軍を派遣しようと思う」


その言葉に大広間に居合わせた面々はどよめいた・・・・・


「民への被害を恐れて消極策を取ったとしても、それによって余計に民が苦しむならば、たとえ一時いっとき血が流れることがあっても、それを最小の被害と信じよう……」


 覚悟と決意を持った王子の言葉に、大広間に低く響いたどよめき・・・・は止むどころか大きくなる。そんな人々の声を割って、レイモンド王子は高らかに宣言する。


「それ故、皆に命じる。リムンの砦から南へ進出し、麓の村々を押えよ! 逃げ延びる人々に安住の地までの道標を示すのだ!」

「応!」


 王子の言葉に、集まった騎士隊長や各軍団長は声を上げた。それは、早速「会議」などでは無い上位下達の命令であるが、誰もレイモンド王子の言葉の正しさを疑っていない。本来ならばコルサス王国とはえん所縁ゆかりも無いユーリーであっても、


(それが最善の策だろうな)


 と感じていたほどだった。


****************************************


 レイモンド王子の号令下、次の戦略は固まった。


 大広間に残ったのは武官を中心とした三十人ほどである。既に文官である家老達は宰相マルコナと筆頭家老ジキルを残して退席した後だ。時刻は夕方を回っている。軽い食事が運び込まれた大広間だが、人々は食べることもそっちのけ・・・・・でリムン砦とその南の麓を描いた地図に目をやり、時折指で地図をなぞりながら思案や話し合いを繰り広げている。彼等の前には「地形」という困難が立ち塞がっていた。


「一週間程度戦線を維持するならともかく、永続的に支配権を確立するとなると……」

「うむ、補給が苦しいな」

「確かに。リムン砦は要害ですが、その堅牢さを支えるリムン峠の斜面が邪魔になります」


 そんな会話は長くこの地を治めていた西方国境伯アートン公爵マルコナの言葉で始まり、レイモンド王子が端的に問題を述べると、シモン将軍がその言葉尻を捉えた。彼等の会話が示すように、南へ軍を送り込む場合の最大の困難は、継続的に大量の物資を送るための補給線であった。リムン砦が建つ峠は、王子領側である北側の斜面は緩く長い。一方、王弟派領側である南は勾配が急で道幅が狭いのが特徴だ。それは、大軍を一度にリムン砦へ送り込む事を阻むが、その反面でリムン砦から南への補給も困難にしていた。


「馬力の強い農耕馬を徴発し、それで荷馬車の隊列を組ませるしかないでしょうな」


 リムン砦が自分の庭のような東方面軍将軍シモンはそう言う。だが、彼の提案は現実的では無かった。


「そんな事をすれば、来春の耕作に支障が出る。若干の供出を頼む事は出来ても、全て掻き集めるのは駄目だろう」


 レイモンド王子にそう否定されると、シモン将軍は頭を掻くような仕草でそれには反論せずにもう一度地図を睨んだ。中々良い案が浮かばない会議は、各々が難しい顔で考えを巡らしては、それを否定するような思索の袋小路に入っていた。


 一方、体調が不完全な状態でこの場に残ったリコットは、壁際の椅子に腰かけて、食欲が沸かないながらも何か口に入れようと、同じく壁際に並べられたテーブルの上の食べ物に手を伸ばす。そんな彼に近付いたのはユーリーだった。


「リコットさん。具合はどう?」

「ああ、情けない所を見せて……でも助かったよ」


 リコットは引き攣る痛みが続く左手をテーブルの食べ物に伸ばすが、それを先回りしたユーリーが、黒パンに塩蔵肉を挟んだ物をリコットに手渡す。


「へへ、悪いな……」

「リコットさん、トリムの状況はどうだったの? あと何人位が逃げてきそう?」


 礼を言うリコットにユーリーは問い掛けた。基本的な質問である。どれくらいの人々が王子派領に逃げ込むか? この目算は補給計画に大きな影響を与えるものだ。


「そうだな……トリムから二千以上、ターポからはそれの倍・・・・くらいは逃げてくるだろう」

「え? そんなに?」

「ああ……数年前の不作から、その二つの都市の人達は疲弊したままだ。トリムには東から民衆派への援助物資が入っているが、ターポはどうだろう? 可也物価が高騰しているって、トリムに居た時から噂は聞こえていた」


 リコットの見立てにユーリーは言葉に詰まった。今、大広間に集まった面々が行っている話し合いは精々数千の王子派軍を「食わせる」ためのものだ。だが、実際事を始めればそれ以上の人々が逃げ込んでくる可能性がある。それでは、


(農耕用の馬を全部動員しても捌ききれない……別の方法を考えないと……)


 という事だった。そして、ユーリーは自分も肉を包んだパンを齧りながら、遠目でリムン周辺の地図を眺めた。丁度、彼の位置からは、地図を北側から覗き込むようになる。上下逆さまで地図を見ている格好だ。


(北部森林地帯を迂回して……これは論外だな。じゃぁ、いっそ土木工事でリムン南の峠道を拡張するか? いや……それじゃぁ、どれだけ時間が掛かるか分かったものじゃない)


 そう考えるユーリーは、ふと以前の光景を思い浮かべた。それはディンス攻略を前にした作戦会議での光景だった。あの時、ユーリーは幼馴染ヨシンと共に、自身が経験した「ウェスタ侯爵領オーク戦争」の敵方戦術を模倣する提案をした。そんな事を思い出したユーリーはふと、地図の上に気になるものを見つけた。


(……河? 南トバ河……補給路……そうか!)


 何かを思い付いたユーリーは、人々の中にレイモンド王子の姿を探すと、


「レイ、補給は河からやろう! 筏だ!」


 と、声を上げた。彼の声が届いた範囲で、それを聞いた面々は王子だろうが宰相だろうが騎士だろうが、全員が彼に注目したのだった。


****************************************


 ユーリーの発想は、インバフィルを巡る戦争中、第二次アドルム攻勢に備えたウェスタとウーブルの二侯爵が協力して実行した補給策の再現であった。つまり河川伝いに補給線を伸ばし、部隊や物資を送り込む、というものだ。


 地図の近くに歩み寄ったユーリーはレイモンド王子やシモン将軍、その他主要な面々を前にその補給に付いて説明した。


「アートン周辺の森の木で筏を組み、レムナ村へ送る。レムナ村には補給物資を集積しておき、筏に積んで南トバ河を下るんだ。そして、丁度この辺り、リムン峠の南側の村の付近の河原に桟橋を設置し、ここで物資を回収する。この場所は攻略目標の村々よりも大分北側だから、王弟派の襲撃も受けにくい。しかも、峠の坂を越える必要は無いから、この先の村々への物資の分配は問題ないと思う」


 ユーリーの説明でその日の会議は一歩前進した。河を輸送手段とする手法は、内戦前のコルサス王国に於いてアートンからターポへ木材や鉄を送る手段として細々と使われていた程度である。しかも二十二年に渡る内戦で、そんな輸送は廃れていた。そのため、この場の人々が思い付かなかったのは無理も無いことだ。


 だが、ユーリーの説明は、そんな歴史を知っている数名 ――宰相マルコナやシモン将軍―― の同意と支持を受ける事となった。そして、補給方法の目途を立てた会議は次いで作戦に投入する部隊の規模へと話し合いの内容を移して行った。


 その会議の途中まで、リコットは同席していた。ユーリーが彼に聞いた予想される避難民の数については、その時点でレイモンド王子から改めて質問があった。「三千から六千、または万に達するかもしれない」というリコットの返事は王子達を驚かせ、また憤らせたという。


 そして翌早朝まで続いた会議の最後に、レイモンド王子は何通かの勅令書に署名をした。それは、


 ――遊撃兵団歩兵、及び騎兵は全員速やかにアートン城へ集結せよ――


 ――コモンズ連隊は速やかにアートン城へ集結せよ――


 ――ダーリア駐留の民兵団は、教練隊を除きアートン城へ集結せよ――


 ――西方面軍マルフル将軍に命じる。タバンへ牽制攻撃を仕掛けよ。方法は一任する――


 ――トトマ駐留の傭兵団に告ぐ、新しい仕事を依頼したい。至急アートン城へ来られたし――


 ――民政長官に命じる。各街の救護院から神蹟術の遣い手を選抜し、至急リムンの街へ集めよ――


 というものだった。


 コルサス王国を二十二年間苛んだ内戦は、レイモンド王子の決断を以って新しい局面へと突入した。

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