Episode_22.12 王子の憤怒


 トリムの街から逃げ出した人々は、なんとかリムン砦に収容されていた。だが全員無事という訳には行かなかった。彼等の中には矢で傷ついた人々が多数いたのだ。その中で最も重傷だったのは冒険者集団「飛竜の尻尾団」のリコットであった。ユーリーはそんなリコットの姿を砦に戻ってから目にすることになった。


 彼の容態はどう見ても瀕死であった。ユーリーは驚きを押し殺すと精一杯の魔術による治癒を試みた。習熟が進んだ止血術ヘモスタッドは小男の身体に突き立った鏃を取り出す際に効果を発揮し、バックリと開いた無残な傷口をあっと言う間に埋めて行った。だが、失われた血液と、衰弱した体力がリコットの回復を妨げた。魔術の治癒ヒーリングは生物が持つ自然治癒力を増幅する付与術だ。だが、生命力が極めて低下した瀕死の怪我人にはその術は負担にしかならない。そのため、ユーリーは魔術による治癒を諦めると、只管身体を温めるように介抱する兵士達に言った。先ずは意識を取り戻させ、自力で何かを食べるまで回復する事を祈りつつ、ユーリーは他の怪我人たちの治療に回った。


 一方、他の住民達にも重傷の者は多かった。そのため砦の麓、リムンの街に居る数名の神蹟術の遣い手と救護院の面々が、深夜にもかかわらず砦に呼び寄せられた。だが、寝入りばな・・・・・を無理矢理叩き起こされて砦まで連れてこられたマルス神とミスラ神、それにフリギア神の聖職者達は、残念な事に優れた神蹟術の遣い手では無かった。精々が簡単な治癒ヒーリングを数回使える程度である。そのため、彼等は専ら軽傷者の治癒に当たるが、リコット等の重傷者には手が付けられない状況であった。


 そして、リムン砦はまんじり・・・・ともしない一夜を過ごしたのだが、事態は翌朝、ある人物の訪問を受けて一気に好転した。


 翌日の早朝、丁度朝日が東側の山壁の上に顔を出すころ、元パスティナ救民使白鷹団のジョアナが数名の供をつれてリムン砦にやって来たのだ。リムン砦側は重傷者に対応するため、普段アートンに居る彼女を呼び寄せる使者をこの日の朝にアートンへ送る予定だった。だがそれより早く当の本人が砦に現れたのだ。そんな幸運な偶然にユーリーや騎士隊長マドラは大いに驚いたが、驚いたのはジョアナも同じであった。


「二日前の夢にリシアが出てきて、あの子ったら『今すぐリムンに行って』って言うのよ。それで気になって来たのだけれど……」


 ということだった。そんな神憑かみがかり的な理由でリムン砦を訪れたジョアナは、


「ジョアナさん、助けて下さい」


 というユーリーの悲鳴のような声を受けると、供連れの面々と対応を開始した。


 流石は人生の大半を「救民使」という信仰と奉仕の活動に捧げた地母神パスティナの聖職者である。ジョアナと供連れの面々はリムンの街から呼ばれた聖職者とは比べ物にならないほど高位の神蹟術を発揮すると、手が付けられなかった重傷者達を次々と癒して行った。その姿に、


「おお、これが噂に名高い聖女様……? だが、聞いていたよりは随分と老けておるな……聖母様といった方がしっくりくるわ」


 と、ギムナン老人は見当違いの感嘆を上げていたという。だが、彼が勘違いするのも仕方がないだろう。それほど、その時のジョアナは神々しい威厳と優しさに満ちていた。


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 アーシラ歴498年1月11日 アートン城


 リムン砦の南の麓で起こった事件から三日後、ユーリーの姿はアートン城にあった。リムン砦から共にアートン城を訪れたのは、東方面軍シモン将軍と怪我から何とか回復した密偵リコット、そして、王弟派の街トリムの太守であったというギムナン老人である。因みに、避難民を巡る戦いで腰を痛めていたシモン将軍は再びジョアナによって癒されていたが、その後幾つか小言のような忠告を受ける事になっていた。一方、リコットの傍らにはずっと彼の服の端を掴んで離さない幼い女の子が居た。ユーリーはその様子に、


(……もしかして、リコットさんの子供? うーん、あり得るかも)


 という感想を抱いていた。だが、怪我は癒えたものの衰弱から完全に回復していないリコットと、その彼から離れようとしない女の子の様子に、その関係を詮索する気が起きなかった。


 一方、昨年一年のねぎらいと今後の戦略に関する会議、として召集されたレイモンド王子の御前会議だが、その主催者である王子自身は最初から非常に不機嫌だった。苦虫を噛み潰したような顰め面で家老達の内政報告を聞き、そのままの表情で、


「ご苦労だった、今年も益々励んでくれ」


 と言う。言葉は労いだが表情は険しかった。一方、王子がそうなる理由を既に察している家老達は、余り余計な事を言わないようにして、王子の労いを受ける。そして、内政に関する報告が終わったところで、レイモンドは次の議題を切り出す。


「で……トリム太守ギムナン。貴様は民を守る義務を放棄し、おめおめと我が領内に逃げ込んだのか!」


 アートン城の居館一階大広間、石造りの重厚な壁に王子の声が響いた。叱責というよりも、怒鳴り声である。その剣幕は出席した武官達、アーヴィルやマーシュ、ロージでさえも一瞬ギョっとするような怒りを孕んでいた。一方、会議の進行役であった元公爵、現宰相のマルコナは「やれやれ」といった風に溜息を吐くと、若い王子の怒りを執成すべく発言する。


「王子、このギムナンは長く民衆派により軟禁されていたということです。その後王弟派の騎士団によって軟禁は解かれたようですが、市政に戻ることなく捨て置かれていたと――」

「左様な事を問うているのではない!」


 だが、祖父でもあるマルコナの言葉も今のレイモンド王子の怒りを解くことは出来なかった。レイモンド王子の怒りは、太守の役割を放棄したようなギムナンに向けられている。だが、本当のところは、同じ血を引く敵方の首領、叔父であるライアードに向けられていた。内戦に外国勢力四都市連合を引き込むやり方に裏切られた気持ちとなっていたレイモンドだが、そこに来て自らが庇護するべき民に武器を向ける所業には、怒りが骨の髄まで染み入る気持ちだった。


 その怒りを受け、ギムナン老人は顔面蒼白となりその場にひれ伏した。「そうは言っても」などと反論できる雰囲気では無いのだ。ただ、頭を下げ、王子の発する凄まじい怒りに小さく震えながら処断を待つ心持であった。


 その時、後ろに立っていたリコットの服を掴んでいた幼い女の子がトコトコと歩み出ると、ひれ伏すギムナン老人の顔を覗き込むように横にしゃがみ込んだ。その子は何も喋らないが、心配したように小さな手でギムナンの後ろ頭をポンポンと撫でた。


 その光景は王子の怒りで凍り付いたように静まっていた大広間では異質なものだった。だが、誰もその幼子の行為を止めさせようとする者は居ない。只一人、レイモンド王子だけが問いを発した。


「……その子は?」


 すると、リコットが身体を重たそうに動かしながらギムナンの隣へ歩み出て、その女の子の手を掴んで言う。


「トリムで拾った子だ。戦災孤児だな……王子様、ちょっと喋っていいかい?」

「ああ、構わない」

「確かに、ギムナンの爺さんは頼りないし、今のトリムの状態に責任が無いとは思わない。だけど、民衆派と王弟派の間に挟まれたトリムの人々をここへ逃れさせたのは、間違いなくこの爺さんの手柄だ」


 リコットはレイモンド王子を真っ直ぐ見て言う。


「俺一人じゃ、四百人近くの人々を纏めて街から連れ出すなんて出来なかった。精々、この子一人を連れて来るのが関の山だ。だから、そんなに怒らないでくれないか」

「うむ……そうなのか……」

「それに、もう一人の協力者からの伝言もある。港湾地区のしけた・・・口入れ屋のオヤジだが、そのスランドから王子への伝言だ」

「うむ……何と?」

「王弟派と民衆派の間で行き場をなくした人々はこれだけではない。王子の助けを待っている。スランドのオヤジはそう言っていた」


 彼の言葉にレイモンド王子は考え込んだ風になった。その時、リコットの言葉と幼子の掌に勇気を得たのか、ギムナンが顔を上げて声を発した。


「レイモンド殿下、スランドめの言うとおり。トリムには未だ二つの勢力に挟まれて行き場の無い人々がおります。恐らくターポも同じことでしょう。このギムナン、わが身に対する責めは如何様にも負いますが、何卒、残してきてしまった人々をお救い下さい」


 涙混じりの声で必死にそう言うギムナンの声に、その場に居た者達は全員がレイモンド王子の返事を待った。


「……言われるまでも無い。それについては心配するな」


 幾分怒りを解いたレイモンドの声が大広間に響いた。

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