Episode_22.11 人待ち暮らし


 ユーリーを送り出した翌々日のリリアは、トトマの家で味気ない日々を過ごしていた……かというと、そうでもない。彼女は彼女なりにやることがあった。それは有体ありていにいうと職探しである。


 というのも、トトマに棲家を得たユーリーとリリアだが、その棲家はトトマ市政の財産、ひいてはレイモンド王子の財産とも呼べる没収住宅を賃貸している、という形式であった。そのため、住むには家賃が発生する。これは当初、レイモンド王子によって


「それは、無しで良いではないか?」


 という提案があったものを、ユーリーが拒んだためである。彼は王子の申し出を断ると正規の家賃を支払うことに決めていた。それは、再びこの地を離れて別の場所へ向かう可能性を考えた末、友情と正当な報酬以外を受け取らない、というユーリーの考えであった。そしてユーリーがそう決めた以上、リリアには何の文句も無かった。


 だが、騎兵隊長の給料は月に銀貨二十五枚、年に換算すると金貨十枚分である。一方家の賃貸料は曰く付き・・・・の物件であることを差し引いても、月に銀貨十五枚であった。実に月々の収入の三分の二が家賃として飛んで行く格好である。普通の騎兵隊長や騎士で小隊長を務める程度の者達は、もっと安い長屋に毛が生えたような住宅に住むのが一般的だ。だが、ユーリーはこれで「良し」としていた。


 実は、ユーリーとリリアの二人には可也の額の蓄えがあった。東方見聞職の支度金自体も(一部は傭兵ブルガルトに取り上げられたが)残っていた上に、その後の第二次アドルム攻勢での報酬や、インヴァル半島東岸域への偵察任務の支度金と第三次アドルム攻勢に於ける戦いでの報酬が殆ど手付かずで残っているのだ。


 ユーリーは本来リムルベート王国のウェスタ侯爵領の軍属と言う身分であるが、正式に復帰しないままに従軍していた。そのため、彼の扱いはブルガルトやジェイコブ達と同じ傭兵とされた。リリアに至っては言うに及ばず傭兵である。


 そして、ユーリーもさることながら、先の戦いでリリアが果たした功績も絶大だった。部隊間の連携を受け持ち、広大な索敵範囲を駆使して部隊を優勢に進軍させた功績は、前線で戦う傭兵や騎士とは別の意味で、しかしそれに劣らぬ重要な役割だった。そのため、二人には通常の傭兵以上の報酬が支払われていた。それは或る意味で、自家で召し抱えることが出来なかったユーリーに対するアルヴァンの心遣いという側面もあったが、とにかく多額の金貨を得たことは間違いなかった。


 そんな二人が蓄えている額は、この程度の家賃が問題になる額では無い。そのため、ユーリーは特に問題を感じる事無く、この家に住みついているのだ。だが、女の身としては少し発想が違う。リリアは、


(でも、将来何があるか分からないし……それに、自分の食い扶持は自分で稼がないとね)


 という想いだった。そのため、彼女はユーリーの帰りを待ちながら出来る仕事を求めていたのだ。


****************************************


 この日、リリアはトトマの旧市街ともいうべき大通り沿いの商店を訪れていた。そこは嘗てトトマ衛兵団の詰所があった場所だが、今は「ゴーマス商会」という看板が掲げられている。その名の通り、隊商主ゴーマスが営む商店であった。


 因みにゴーマス商会は、数年前の不作時にアント商会が行った経済援助の際に作られたものである。当時、今以上に国外勢力の介入を神経質に嫌っていたレイモンド王子と、王子派と王弟派のどちらが勝つか分からない状況で、今後の商売に悪影響が出ないようにしたかったスカース・アントの協議の末の産物である。


 その役割はアント商会から王子派領に流れる金銭借款や調達物資を商取引に見せかけるものであった。そして現在は、借り入れた金銭の返済をやはり商取引に偽装して行っている。尤も、それは現在の「ゴーマス商会」の役割の一部でしかない。


 当時はそのような役割であった「ゴーマス商会」であるが、今はゴーマス自身の才覚で、それなりに手広く正規の商売を行っていた。その主な商いはトトマ―デルフィル間を行き来する隊商のトトマ側の取次や、王子派領内へ物資を行き渡らせるための小規模隊商主への仕事の斡旋であるという。また、近々ダーリアの穀物取引所に本格参入するという話も持ち上がっていた。


「いらっしゃいませ。あら、リリアさん!」


 詰所を改装した店は入口の間口を目一杯広くとり、一階部分が全て商談場所となっている。そんな店を覗いたリリアに声を掛けてきたのはアリサという若い娘だった。


 以前はデルフィルの宿屋で働いていたのだが、王子派領に戻ってきた女性である。但しその途中で王弟派の襲撃に遭い、その際に右肩に重傷を負ってしまい今でも右腕が不自由であった。その後色々とあったようだが、今はゴーマス商会で働いている。彼女の二人の弟も、隊商の見習いとして頻繁にデルフィルとの間を行き来しているようだった。


「アリサちゃんお元気そうね。ところで、ゴーマスさんか……トーラスさんはお店に居る?」


 そんなアリサにリリアはそう声を掛けた。因みにトーラスとは、ゴーマスの片腕として隊商を支えていた人物で、今はゴーマス商会の店舗運営を任されている。というのも、現在のゴーマスは隊商主や商店主というよりも、それ等の纏め役としてレイモンド王子の施政に係わることが多くなったからだ。そして、この時も、


「ゴーマスさんはアートンに出掛けていますけど、トーラスさんなら二階にいますよ」


 ということで、ゴーマスは不在であった。そのため、リリアはトーラスへの取り次ぎを頼んだ。


 ほどなくしてトーラスが二階から降りてくると、リリアを一目見て、


「ああ、リリア様ですね。旦那様から聞いています。さぁ、お二階の方へどうぞ、こちらへ」


 と、彼女を二階へと促した。


****************************************


 二階の一室に通されたリリアは、そこで手に持っていた重そうな皮袋をテーブルの上に置いた。ジャラと、中身が鳴る音がする。一方トーラスは、彼女を部屋に案内した後に一度席を外していたが、直ぐに二枚の羊皮紙とペンとインク壺を手に戻ってきた。


「ご融資頂けるということで、有り難い事です」

「いえ、大金を自宅に置きっぱなしというのも不用心ですから、私達の方も助かります」


 リリアの用向きはそのようなものであった。三百枚以上に膨れ上がった蓄えは、彼女が言う通り自宅で保管するには少し不用心である。そのため、去年の内からユーリーとリリアはゴーマスに金貨を預けてしまうことを考えていた。これは、ゴーマス側としても「願ったり叶ったり」の申し出でであったらしい。


「それでは事前の約定どおり、利回りは年率五分。単年契約の自動更新です。複利は発生しませんが、利回りの範囲内ならばいつでも現金をご用立てします。お引出しの金額が利息よりも少ない場合は――」


 トーラスは羊皮紙の契約書に書かれた内容をテキパキと読み上げていく。中身についてはユーリーとゴーマスの間で昨年の内に合意したものだった。リリアは念のためその契約内容に目を通した。一方口頭での説明が終わったトーラスは、リリアが持ち込んだ皮袋の中 ――ぎっしりと詰まったコルサス金貨三百枚―― の確認を始める。十枚ずつ山に積み数を数えた後は、部屋に在る秤に乗せて重さの確認を怠らない。


「あの、トーラスさん」

「はい、何かご不明な点でも?」

「いえ、そうじゃないのですが……日雇いか週雇いのお仕事ってありませんか?」


 一方のリリアは、金貨を勘定するトーラスにそんな相談を持ち掛けた。こちらもリリアにとっては重要であった。だが、


「前にユーリー様からも相談されたのですが、今の所、うちの人手は足りておりまして……」


 と、トーラスからは良い返事が貰えなかった。その後、羊皮紙の契約書に署名をしたリリアは自分達の控えとしてその片割れを受け取ると、合せてアント商会が発行する金貨十五枚分の為替手形も受け取っていた。そして、ゴーマス商会を後にした彼女は、次の心当たりであるトトマ救護院へ向かうのだった。


****************************************


 トトマの街の西側にある救護院は、リリアからすれば、働き口としては望み薄な場所だった。何と言っても給金が安いのだ。だが、賃金の安さ以上に厄介な問題があった。それは「働きたい」と望む求職者の多さである。その殆どが街の若い娘であるという。それは、一面で「聖女」と呼ばれるリシアの人気が原因であるが、他方では、


「ちょっと、あの人素敵よね」

「ああ、骨折で運ばれてきた人? うーん、でも衛兵団の人でしょ? 私は遊撃兵団の人が良いわ」

「でも遊撃兵団の人って任務次第で何処に行くか分からないんでしょ。やっぱり安定しているのは衛兵団よ」

「そうかしら? 皆優しいわよ……でも、あのアデール一家は駄目ね」

「ねぇ、衛兵団とか遊撃兵団も良いけど、最近トトマに来ている傭兵さん達も素敵じゃない?」

「なに? 貴女、ああいうのが良いの?」

「だって、ちょっと悪そうなところとか、素敵じゃない?」


 という、若い娘達の笑い声混じりの会話が端的に示す理由もあった。彼女達は所謂いわゆる「素敵な男性」との出会いを求めて働きに来ているのである。それでも、口も動かすが手も動かして良く働くので、救護院としては多少の風紀の緩さは大目に見ている、ということだった。


(これは、望み薄ね……)


 そうやって談笑を交えながら忙しく立ち働く娘達の数を見るにつれ、リリアは諦めたように溜息をついた。そして、


「困ったわね……」


 と思うように行かない職探しに独り言を呟いていた。すると、その言葉尻を捉える者が声を掛けてきた。


「何が困ったんだい、お嬢ちゃん」


 それは、傭兵集団「オークの舌」の首領であるジェイコブだった。リリアが振り返る先には、彼の他に数人の傭兵達がいた。


「あら、ジェイコブさん。こんにちわ」

「どうしたんだい、昼間っから溜息を吐いて」

「実は――」


 そう言うジェイコブは、何度か共に戦ったこともあり、同じ精霊術師としてリリアに力の使い方を助言した恩人である。それに、傭兵団の首領という強面な外見とは裏腹に、気さくな人物であることも知っている。そんなジェイコブに、リリアは現状を打ち明けていた。


「ハハハッ、それは贅沢な悩みだろ」

「そうですか? でも、彼に頼ってばかりも悪い気がするし。自分の分は自分で稼げ、と養父にも言われていたので」

「そうかい……じゃぁ、俺達の手伝いをしないか?」


 生活に困窮している訳ではないが、自分の食い扶持は自分で稼ぎたい、というリリアの話を聞いたジェイコブは、彼女にそう持ち掛けた。実はジェイコブ率いる「オークの舌」とトッド率いる「骸中隊」は、昨年のデルフィル領内に於ける襲撃作戦以後、トトマに滞在していた。それは、


「近く、大きな戦いが有るはずだ」


 という傭兵特有の勘が働いた他に、レイモンド王子から引き留められていた事も理由だった。レイモンド王子曰く、


 ――王弟派が四都市連合と結んでいるならば、これからの戦いは騎士や兵士だけではなく傭兵も相手にする機会が増える。だが、我々は傭兵という兵種に不慣れだ。そこで、お二方の力を借りたい――


 という事で領内に慰留された彼等は、現在コモンズ連隊や遊撃兵団の歩兵小隊と共に、トトマ近郊の治安維持に当たっていると言う事だった。


骸の連中・・・・と一日おきに、朝トトマを出て日暮れ後に戻るっていう仕事だ。ユーリーの帰りを待ちながらする仕事なら丁度いいじゃないか」


 一日おきの日中仕事で日当は一日銅貨七枚というジェイコブの条件に、リリアは少し日当が安い気がしたが、結局は誘いに乗ることにした。その後、彼女はしばらくの間「オークの舌」の臨時雇いとして行動を共にすることになる。


 ユーリーがトトマに戻るまで、と思って始めた仕事だが、状況は彼女の思惑通りにはならなかった。それから一週間後の或る日、トトマ近郊に存在していた遊撃兵団各部隊とコモンズ連隊、そして二つの傭兵団に召集令が掛ったのだ。


 ――至急、アートン城へ集結せよ――


 レイモンド王子の勅令であった。その報せに妙な胸騒ぎを得たリリアは、ジェイコブ達に同行してアートン城へ向かうのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る