Episode_22.07 柳槍のシモン


 重い足取りの一団は黙々と森を北に進む。途中倒木や小川、登り切れないほどの窪地に遮られるたびに進路を迂回させて進む彼等の歩みは遅い。そんな一行の最後尾に付いたリコットは、流石に自分も体の不調を意識し始めていた。恐らく熱でもあるのか、耳鳴りと共に頭の奥が痛み、足元が覚束ない時がある。だが、精一杯気を張ってそれを押し殺すリコットは、その時立ち止まり周囲の気配を探った。しばらく、周囲の様子に無関心だったことに気が付いたのだ。


 通常ならば、凄腕のスカウトであるリコットは他の作業に注意を向けている時でも、常に周囲の気配には一定の意識を割り振っている。彼にとっては特別な事では無い。だが、意識に霞が掛かったような彼の感覚は普段通りとは言い難かった。それでもその一瞬、意識に掛かった霞が晴れる。そして彼は周囲の「普通では無い気配」を感じ取っていた。それは不幸中の幸いだったかもしれない。


(マズイ! 追手か?)


 後方から大勢の人が迫る気配は、一度気付くことが出来れば本調子でないリコットにも追う事が出来る。そして、彼は自分達の集団を背後から半包囲するように森の中を進む集団の圧に似た気配を感じていた。


(どうする?)


 そう問いかけるが、選べる選択肢は一つである。


「皆、追いつかれた! 街道へ向かって走れ!」


 精一杯の大声でリコットは集団に促す。そんな彼の声と、背後から矢が射掛けられるは殆ど同時だった。


 風切音と共に何本かの矢が自分に迫る。それを感じたリコットは咄嗟に地面へ身を屈めそうなったが、寸前で思い留まると、矢に立ち向かうようにその場で振り返る。背中に負ぶった子供を矢から守るためだった。


 ズンッ――、ズンッ――


 そんな彼の身体に衝撃が伝わる。二本の矢はリコットの肩口と腿に突き立った。革鎧ハードレザーやじりの威力を幾らか削いだが、長弓から放たれた矢を完全に防ぐことは出来なかった。


 二本の矢を受けたリコットは片膝を地面に付いた状態でその場から動けなかった。きびすを返して逃げようにも、矢を射る敵に背後は見せられないのだ。そうやって、その場に留まるしかないリコットに、更に幾本かの矢が降り注ぐ。


「チクショウ!」


 悪態と共にリコットは降り注ぐ矢を引き抜いた右手の小剣と素手のままの左手で払い除ける。再びの衝撃と焼けるような痛みが左腕を襲った。見るまでもなく新しい矢が突き立っているのが分かった。


「リコットォ!」


 その時、リコットは自分の名を呼ぶ声を聞いた。それは皺枯れた男の声だったので、最初リコットはギムナン老人だと思った。


(ったく、さっさと逃げろよ!)


 咄嗟にそう思う。だが、怒鳴ろうにも腹に力が入らない。そして、視界が急速に暗くなる。


(やべぇ……俺、死ぬのか?)


 彼が覚えている限り、最後に考えたのはその事だった。そして、意識を失う間際の彼の耳に、ギムナン老人とは違う張りのある号令が聞こえてきた。


「今行く! 全員、追手との間に割って入れ!」

「応!」


 だが、その号令に対して何かを考えるよりも早く、リコットの意識は闇に沈んだ。


****************************************


 シモン将軍率いる偵察部隊がその光景を見たのは全くの偶然だった。彼は偵察部隊を率いると本隊を待機させた街道から南進し、村に近付いたところで脇の森に入った。可能ならば、村の様子を偵察しようという積極的な彼らしい発想があったのだ。そして、その発想が功を奏した。


 森の中の小道を伝って村へ接近した偵察部隊は、森の奥の方でチラチラと動く人影を見つけていた。シモンを始めとする騎士達は、その人影を最初は村の木こりか王弟派の斥候かと思った。だが、その人影はヨタヨタと木の幹に縋りながら纏まって移動する百を超える人の集団だったのだ。彼等の姿は木こりにも兵士にも見えない。


「なんだ? ……逃げてきた民か?」

「わかりませんが、随分と大勢です。とにかく問い掛けてみましょう」


 第一班の班長である騎士がシモンに提案する。そして彼等が木立の中へ分け入った時だ。集団の後方から叫び声が聞こえてきた。それは、


「――た、街道に向かって走れ!」


 という男の声だった。それを受けて集団の面々は驚いたように後ろを振り返り、ついでもたもたと街道の方へ、つまりシモン達の方へ向かってきた。


「ひぇ!」

「回り込まれた!」

「チクショウ!」


 集団の先頭に居た男達は、シモンらの姿を王弟派の騎士と見間違え、そのような声を発する。中には、


「こ、降参じゃ! 皆に手出しをするな!」


 と、震えながらも気丈に言う老人の姿もあった。だが、シモンは彼等を見ていなかった。老将軍の目には彼等の後方で一人、殿しんがりを努めるように立つ小男の姿を捉えていた。その男の更に先には弓や剣を構えた兵士の姿がある。しかも、シモンはその小男の姿形を見覚えていた。


(ん? まさかリコットとかいう冒険者ではないか?)


 一致する姿形だが、当の本人リコットはターポやトリムに潜入し王弟派と四都市連合の動向を探っているはずである。相反する情報にシモンの頭が一瞬混乱した。そんな老将軍の視線の先で、無情に矢が射られた。決して狙って放った矢ではない。恐らく集団が逃げないように牽制するための射撃だろう。だが、無防備な人々の上に降り注いだ矢は幾人かの不運な者に突き立つ。


 その光景の中、シモンの視線はリコットを捕え続けていた。この程度の矢ならば、シモンの知っているリコットという男ならば確実に躱すはずである。だが、その瞬間、視線の先の小男は何を思ったか、矢に対して正面を向くと、その躰に矢を受けた。


 生粋の武人であるシモンは、ストラ解放の功労者である冒険者達が好きになれなかった。特にリコットという小男は飄々としてシャキッとしておらず、いつも斜に構えたような物言いで仲間の悪口を言っているような軟弱な男・・・・に見えていた。だがこの瞬間、その軟弱者は何かを庇うように矢を真正面から身体で受け止めた。その理由は一目瞭然だ。彼は背に幼い子供を負ぶっていたのだ。背を向けたまま気配を頼りに躱せば、万にひとつ、背中の無防備な子供に矢が当たる可能性がある。そんな事態を避けるため、あの小男リコットが身を挺する行動を取ったのだ。


 それが分かったシモンは、愛馬の鞍に据え付けた名物「柳槍」を手に取る。しかし、その間にも事態は悪化する。背を庇うように膝を突いた小男に再び矢が射掛けられたのだ。今度はその小男を狙った射撃だった。再びの射撃に何本かの矢を左手に受けた小男の身体が前倒しに傾く。


「リコットォ! 今行く! 全員、追手との間に割って入れ!」

「応!」


 短い命令だが、東方面軍の騎士はシモンの意図を読み取った。全員、とシモン将軍は号令したが、騎士隊を率いる班長は最若年の騎士に、


「お前は人々を街道へ誘導せよ。その後は後続部隊へ伝達。後は第二班の班長の指示に従え!」


 と別の命令を下す。東方面軍ではよくある事だった。若い騎士は班長の命に従うと、人々を纏めて街道へ誘導し始めた。


 一方、背後を気にせず飛び出したシモンは馬の上で背を低くし、木立の中を突っ走る。目の前にはようやく王子派の騎士の出現に気が付いた敵兵が居る。弓兵もさることながら、抜剣した歩兵が立ち向かうように距離を詰めてきた。


「笑止!」


 気魄と共にそう吐き出すシモンは、馬を操り敵兵と倒れたリコットの間に割り込むと長めに持った槍を一振り、いや、一閃させた。


 ビュンッ――


 風を切り裂いて振るわれる槍はまるで鞭のように撓ると、不用意に接近した敵兵三人を一纏めに打ち据えた。その一撃で後ろに弾かれた敵兵は後続を巻き込んで転倒する。だが、シモンはそれに満足しない。両脚の加減だけで愛馬の向きを変えたシモンは倒れ込んだ敵兵の上に馬で圧し掛かるように進むと今度は中程を持った槍で素早く刺突を繰り返す。


 一突一殺の勢いで繰り出される穂先は鋭く砥がれた両刃である。それが馬上の高い位置からまるで地面を突くように突き込まれる。それを地上で受ける者には、迫る穂先が波打つように見え、防御が定まらない。そして、次々と細い血の噴水が出来上がる。


 シモンの振るう槍は通常の馬上槍ではない。頑丈さと安定性、それに突撃時の威力を重量で確保する通常の馬上槍は、太く重く造られる傾向にある。上等な槍は柄の半ばまで穂先から伸びるなかごが通っているものもある。そのため、短い割に重くなる傾向の馬上槍は通常重量配分を調整し、馬上の使用者が使い易いように調整されている。


 対してシモンの振るう槍は通常の馬上槍より三分の二ほど細く、一メートルほど長い。柄の母材は上質な長弓に用いられる弾力性と強靭性を備えた木材だ。それを細く加工したものを何本も束ね、麻布を強く巻いてにかわうるしで固めて造る。結果的に長さの割には軽量で、良く撓る鞭のような槍になっている。その性質を以ってこの槍に贈られた名は「柳槍」である。


 西方辺境域では異質な槍であるが、シモンがこれを手に入れたのは騎士となったばかりの若い時代の話だ。当時、父の後を継ぎ西方国境伯アートン公爵家の騎士となったばかりのシモンは、或る出来事が切っ掛けで流れ者の男をしばらく自宅に泊めていた事がある。スインと名乗ったその男は見るに堪えない醜男だったが、身の丈の倍はある大槍を自在に操る猛者だった。その槍遣いスインから槍術の手ほどきを受け、シモンの体格や身のこなしに合った槍として、前述の特殊な槍の製法を伝授されたのだ。そして、この「柳槍」を操る技を磨いた末に、シモンは愛槍と共に「柳槍のシモン」を呼ばれるようになった。


 そんなシモンは老いても尚、生半可な騎士では手におえない強さを誇る。そんな豪傑を相手に、村に駐留していた兵士だけでは成す術が無かった。しかも、突出したシモンにやや遅れて東方面軍の九騎の騎士が駆けつけると、彼の左右を固めて防衛線を敷く格好となった。そして、


「押し出せ!」


 という号令の下、彼等は一斉に突撃するように防御線を押し上げる。その勢いに、村から出撃した五十人強の敵兵は一気に後退を開始した。前列の歩兵が下がるため、後列の弓兵も射撃が出来ずに一緒に下がる。やがて敵兵は戦線後退から潰走の気配となると、一斉に村へ駆け戻って行った。


「よし、これ以上は追うな! 負傷者を回収して合流するぞ!」

「応!」


 森の中に、シモンと騎士達の声が響いた。

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