Episode_22.06 リムン砦の老将軍


アーシラ歴498年1月7日 リムン砦 朝


 王子派領の東を守るリムン砦は天然の要害を利用した鉄壁の防御を誇る砦である。その堅固な守りは「寡兵を以って万軍を退ける」と謳われるほどだ。実際二年近く前の王弟派第一騎士団による攻撃では、砦を正面から攻めた第一騎士団は元より、「抜け道」を伝い背後のリムンの街を奇襲した別働隊による攻撃さえも、難なく退けている。


 そんな砦を預かるのは、シモン将軍と配下の東方面軍の騎士や兵士達である。彼等は「大分節祭」明けの気の緩みを感じさせないほど、普段通りのキビキビとした動きで日常の任務に当たっている。指揮官であるシモン将軍の厳格な為人ひととなりが末端の兵士まで行き渡っている様子は、西方面軍と比較すると小規模な所帯である東方面軍ならではの風紀であった。


 そんな厳しい人物であるシモン将軍は「柳槍のシモン」と綽名されるほどの豪傑な騎士であるが、昨年後半は少し調子を崩していた。齢六十を超えても毎日指揮官として気を張っている彼だが、寄る年波には勝てない、という身体の不調を被ったのだ。或る日、砦の南側に続く坂道を南下し王弟派領内の威力偵察を行った時、砦に戻ったシモン将軍は下馬する際にあぶみを踏み外し、中途半端に騎馬からずり落ちてしまった。その時の弾みで腰を痛めてしまったのだ。


 その時は部下の手前、何とか痛みを堪えて足を引き摺りながら自室に戻ったシモン将軍だが、翌朝からベッドを離れる事が出来なくなってしまった。これまで壮健で通していた身体が発する突然の不調に、シモン将軍は一気に弱気となってしまったのだろう。


「オシアはもう馬には乗れぬというし……私も潮時か……」


 などと言い、レイモンド王子に引退を申し出たのだ。普段は恐ろしいほど厳格で部下にも厳しい老将軍が塩を被った青菜のようにしょぼくれる様子には部下達は相当に心配したという。だが、それも束の間のことだった。シモンの様子を心配したレイモンド王子の委託でアートン城からパスティナ神の聖職者ジョアナがリムン砦を訪れ、シモンの痛んだ腰を癒したのだ。


 パスティナ神の高位神蹟術による癒しは効果抜群で、それまで周囲を心配させていたシモンはその場で起き上がると、


「なんだ、思っていたほどではないわ! ハハハ、やはり後十年は戦えるな!」


 とベッドの上で飛び跳ねたということだ。


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 そして再び任務に戻ったシモン将軍は、それ以後精力的に砦の南の王弟派領に越境偵察部隊を送り込んでいた。しかも殆ど毎回、老将軍自らが指揮を執る熱の入れようであった。そうして日々続く越境偵察行為は「大節分祭」の最中であっても休むことなく行われていた。


「よし、大門を開け」


 シモンの号令により、この日もリムン砦の南を守る巨大な鉄門が開かれる。そして開けた視界の先には、延々と南へ続く下り坂という見慣れた光景が広がっている。西側を南トバ河へと落ち込む急峻な断崖に、東側を壁のように聳える山肌に挟まれた狭い崖沿いの街道だ。内戦以前の平和な時代は、アートンとターポを繋ぐ唯一の街道であった道である。そして、その先は王弟派領という事になっている。だが、


「前進開始!」


 開いた鉄門からシモン将軍を先頭に二十騎の騎士と二個小隊百人の兵士が次々と下り坂を進んでいく。そして、全部隊がリムン砦を出たところで、シモンは砦を振り返り、城壁上の騎士へ大声で言う。


「マドラ、夕方には戻る。大門の警戒を怠るな!」


 城壁上の騎士マドラは、長年シモン将軍に仕えてきた騎士隊長だ。彼は名実ともにシモン将軍の副官役を務めている。その騎士隊長マドラは、将軍の指示を受け、周囲の兵に命じる。そして、シモン将軍以下百数十名の部隊の背後で砦の鉄門は静かに閉じられていった。


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 シモン将軍率いる東方面軍が拠点であるリムン砦を出て王弟派の領内へ部隊を送るのには理由があった。それには昨年中頃からリムン砦へ逃れてくる王弟派の民の増加が関係していた。逃れてくるのは主にターポの住民であることが多いが、その周辺の農村出身の者も居た。そんな彼等が語る王弟派内の不法な状況に、レイモンド王子は、


 ――逃れてくる民を一人でも多く助けるように。追手が掛かる事もあるかも知れない。無理が無い分には越境しても構わない――


 という指示を出していた。リムン砦に逃れてくる王弟派領の民は、当初は数人とか一家族という規模だったが、次第に十人から数十人へと数を増やしていた。そのため、王弟派が民の流出を防ぐために何等かの部隊をリムンの南に配する可能性があった。シモンは、そんな王弟派の動きを牽制するために、リムンの山道を下った先まで部隊を送っているのだ。状況確認と共に、万一リムンへ逃れようとする者があればそれを保護する、それがレイモンド王子の意向を汲んだシモンの意図だった。


「いっそ、登り口付近に在る村を確保したほうが良い気もするが……」


 騎乗のシモンはそう呟く。山道を下った先に幾つかの村が街道沿いに点在しているのは周知であった。その内一つを支配下に収めれば流民の保護はもっと簡単になるだろうと思っての独り言だった。


 尤も、攻め難いリムン砦はその反面で、そこから先の補給が困難であることを意味している。王弟派側もそれは承知の上で、リムン砦南側の村々は通常無防備に近い状態で放置されている。その状態は或る意味で王弟派側が意図的に作り出した「誘い」であった。堅い守りを誇るリムン砦を攻めるのは無理でも、王子派軍がその南の村々へ侵攻するならば、効果的に迎え撃つ事が出来る。そして、南トバ河と森林地帯に挟まれた場所で王子派を叩くことにより北のリムン砦を攻略する糸口を見出す、そんな意図から、この地域の守りは元来薄いのだ


 勿論、そんな王弟派の意図は百も承知なシモン将軍であるから、今の独り言は殆ど「ぼやき」のようなものであろう。というのも、老将軍が「ぼやき」を発するほど、下り坂を進む部隊の速度は遅いのだ。行軍の速さよりも、隊列を保つことに注意を割き、まるで行軍訓練のように坂を下る部隊である。


 そんな部隊が坂の終盤に差し掛かったのは正午を過ぎて午後となった頃合いだった。周囲は温かさが感じられない冬の日差しに包まれ、山肌がち・・・・だった風景は、徐々に森林へと変わっていく。また、それに従い南トバ河の流れが発する水音が耳に届くようになっていた。このまま一時間も進めば街道沿いの最初の村が視界に入るはずである。


「よし、全体止まれ。この場で待機する。各自空腹は適当に満たしておけ!」


 シモン将軍の号令により、人気ひとけのない山道の下り口に堂々と陣取った部隊はその場で待機状態となる。各自が携帯口糧を使ったり、水を飲んだりと、思い思いに過ごすが、


「騎士隊一班、周辺の状況確認だ。私も行く」


 東方面軍の騎士隊第一班は、シモン将軍に指名され周囲の偵察を命じられた。勿論、部下、特に騎士には厳しい将軍の元で長年勤めている彼等は当然の如くその命令に従う。その命令は、部下へ命じるだけではなく、自らも同行するという実にシモン将軍らしい命令であった。


 そして、十一騎となった偵察隊が街道周囲の森や河原の状況を確認するために本隊から離れた。


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 ユーリーはこの日の午前半ばにリムン砦を訪れていた。昨日レイモンド王子の本隊から離れた彼の率いる遊撃騎兵一番隊は、昨晩の内にリムンの街へ到着していたが、元三番隊の墓は同じリムンでもリムン砦・・・・に在ることを知ったからだ。ユーリーの同僚達の墓は山間のリムンの街ではなく、峠の頂点に在るリムン砦の見晴らしの良い場所に建てられていると言う事だった。


 その話をリムンの街の救護院で聞いたユーリーは、早朝に街を出発するとリムン砦に向かい、正午前には献花と祈りを終えていた。墓地は聞いた通りの見晴良い場所に在り、峠の頂上から王子派領を見渡すように建てられていた。聞くところによると、リムン砦で任務中に命を落とした騎士や兵士が埋葬されている、という事だった。


 その墓地で、墓標に対して頭を垂れるユーリーは無言だった。だが、彼の心は短いが中身の濃い付き合いだった戦友達の死を悼む気持ち、そして指揮官として不甲斐なかった自分を反省する気持ち、更に、彼等の死に対してどう報いるか? という問いが渦巻いている。そんなユーリーの後ろ姿に、同じ一番隊の騎兵達は文句を言う事も無く従うと、彼と同じように仲間の冥福を祈った。


 その後ユーリー達はアートンに向かおうとしたが、砦を守る東方面軍の騎士隊長マドラから、


「明日にはシモン将軍もアートンに向かう事になっています。今晩は砦に泊まり、明日一緒にアートンへ向かっても良いのでは?」


 と引き留められていた。当のシモン将軍は越境偵察部隊の指揮を執っているということで不在だった。そのためユーリーは、


「確かに、砦にお邪魔して挨拶無しで先に行っては……叱られそうですね」


 と返す。すると騎士隊長マドラは笑いながら、


「はは、ウチの大将の気性をよく御存知で……折角ですから酒宴の口実にさせて頂きますよ」


 と嬉しそうに返事をしたのだった。


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 同じ日の正午過ぎ、リムン砦の南側麓に広がる森の中にはトリムの街から逃げ出した人々の姿があった。


 森の中を手持ちの食糧を頼りに一週間近く進み続けた彼等は限界に近付いていた。特に子供や年寄は厳しい行程に体調を崩す者が多かった。だが、全員が手を取り合い、肩を貸し合い、重い足取りで何とか北を目指している。ここまで脱落者無しで来られたのは幸運であった。


 彼等を先導するリコットは、振り返りその様子を見る。そして、


(そろそろ限界だが……もう少しの我慢だ)


 と考えていた。


 彼は自分達の位置がリムン砦から南に下って最初にある村の付近であることを把握していた。恐らく、村の位置から少し北東に離れた場所だと思う。一団の中には、その村で一時の休息を取ろう、と言う者も居たが、リコットはその提案を退けていた。何が待っているか分からない王弟派支配下の村に立ち寄る危険性は休息の必要性を上回っていると考えたのだ。


 そのため、一団は村を大きく東に迂回して、只管ひたすら森の中を進んで来たのだ。そんな逃避行も後二時間ほど森の中を進み、日暮れを待ってから西へ針路を変えれば街道に出るはずだった。街道に出た後は北へ進みリムン砦を目指す。リムン砦のシモン将軍ならば、この悲惨な民の集団を追い返すことは無いだろうとリコットは確信していた。


 そして彼は、視線を自分の肩口に向ける。そこには疲れ切ってぐったりとした子供の顔が在った。昨日からハッキリ分かるほど熱を発している。時折耳元で咳き込み、その後に漏れるゼイゼイという弱い息が無意識にリコットを急き立てていた。


「頑張れよ」


 背中の子供にそう声を掛け、リコットは集団が追いつくのを待ってから歩み出す。そんなリコットは普段以上に自分の足が重いことを感じたが、頭を振って疲労感を脇に追いやる。自分が皆を率いるんだ、という柄にもない正義感・・・・・・・・が彼を突き動かしていた。だが、蓄積した疲労は消え去る訳ではない。その証拠に、この時、彼は普段なら気付けていた気配、いや視線を感じ取れずに見逃していた。


 やがて集団が行き過ぎた森の中で、一つの人影が動いた。それは、近くの村に住む木こりだった。その木こりはしばらく逡巡した後、踵を返して村へ向かった。村には第一騎士団の部隊が駐留していた。

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