Episode_22.05 アートンへ


アーシラ歴498年1月4日 早朝、トトマ


「じゃあ、行ってくるよ」

「うん、気を付けてね」

「わかってる。リリアも……」


 新街区の一番筋奥にある瀟洒な平屋の家。その玄関先で、ユーリーとリリアは少し見詰め合っている。ユーリーは昨年新調した黒染の軽装板金鎧ライトプレートを身に着けカルアニス島で仕立てたリリアと揃いの深緑色の外套を纏う。それ以外は普段通りの装備だ。玄関から外門へ繋がる短い細道には、旅の荷物が一式積まれた黒毛の愛馬が待っている。


 一方のリリアは、毛足の長い毛織物の上着セーターと、同じく編目の細かい毛織物の丈の長いスカートという格好である。その姿は旅姿のユーリーとは対照的だった。そんな格好でユーリーを送り出すリリアは、今更ながらに


(ついて行きたい)


 という気持ちが湧きあがるのを感じた。だが、その衝動を何とか飲み下すと、代わりに鎧姿のユーリーに向かって両手を広げた。その仕草につられるように、ユーリーは少し前屈みになる。そして、爪先立った彼女は両手をユーリーの首に回すとその顔を自分の胸に埋めるように抱き締める。グッと両腕に力を籠めると、ガチャと金属板が擦れる音が鳴り、困ったように呻く男の声が朝の冷たい空気に籠った。


「リリア……」


 愛する女の胸の柔らかさと温かさ、そして掴んだ腰の質感に、ユーリーはこのままベッドに逆戻りしたい誘惑を感じる。だが、そろそろ集合時間である。そのため強い誘惑を必死で断ち切ったユーリーは顔を上げる。対するリリアは、


「早く帰って来てね」


 と笑顔で返した。内心とは裏腹の表情で人を騙す術が、こんな時に役立つのは皮肉だと思う。だが、メソメソしていてはユーリーも困るだろうと思う彼女だ。それに、


「只の護衛任務だ、戦場に行くわけじゃない。二週間ほどで戻るよ」


 と何度も繰り返した言葉を再び言うユーリー。彼の言葉に嘘は無く、今回の任務はアートン城へ向かうレイモンド王子の護衛であった。


「そうね、私ったら、大袈裟ね……」


 その後さらにしばらく重なり合う二人の人影、それを横目で見る黒毛の軍馬は呆れたように鼻を鳴らすと、前脚で地面を掘るのであった。


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 新年早々のアートン行き。これは昨年末に急遽決まったことだった。


 昨年一杯は殆どトトマに居座っていたレイモンド王子だが、王子派領内の政治の中心は本来アートン城である。元公爵で祖父にも当たる宰相マルコナから再三に渡りアートン城への帰還を打診されていたレイモンドは、年末に従姉イナシアが持参した手紙を読むに至り重い腰を上げる決意をしていた。なんでも、その手紙には


 ――それほどトトマが良いのならば、我ら家臣一同城を引き払いそちらにお邪魔致します。よろしいですな? ――


 というような内容が書かれていたということだ。更に、レイモンド王子にとっては頭の上がらない従姉イナシアからも、


「トトマに居る方が色々と情報が入り易いのは分かるけれど、たまにはお爺様にもお顔を見せないと。余り放って置くと、皆拗ねますよ」


 と忠告を受けていた。そのため年明け早々にアートン城へ戻り、家老以下役人連中と今年一年の領内統治について話し合いの場を持つことにしたのだ。また、同時に西方面軍以外の各軍団長や騎士大隊長を集め、今後の戦略についての会議を行う事も合わせて予定された。


 そして、大分節祭のせわしなさの合間を縫って編制されたレイモンド王子の護衛部隊の陣容は、丁度トトマを中心に活動していた第一から第五遊撃騎兵隊、そして第一から第四遊撃歩兵隊の総勢二百五十の騎兵と歩兵だ。それに、遊撃兵団長のロージと近衛兵団長のアーヴィル、さらにレイモンドの内政的な補佐役をしていた筆頭家老ジキル以下の役人数名が加わった一団は、一月四日の午前早くにトトマの街を出発していた。


 街人は未だ「大分節祭」のお祭り気分が抜けていないため、出発するレイモンド王子の一行を見送ろうと東門付近に詰め掛けた。中にはダレスと恋仲になっているサーシャや昨年末にひと騒動を起こした三番隊長セブムの婚約者マーリの姿もあった。


 当然騎兵一番隊隊長としてこの護衛任務に参加したユーリーも人垣の中にリリアの姿を探した。だが、


(やっぱり、ちょっとは怒ってるのかな……)


 と彼が思うように、リリアの姿は人垣の中には無かった。ユーリーは二人の間に僅かに起こった「行く行かない」の口喧嘩を思い出して肩で息を吐く。その瞬間、ふと、冬の風とは思えない暖かな空気が彼の頬を撫でた。そして、


(でも、浮気しちゃだめよ――)


 という、リリアの声を耳元で聞いていた。そんな彼は思わず、


「バカだな、僕はリリア一筋なんだ!」


 と、大声で答えてしまった。突然の大声に周囲の騎兵や歩兵達はギョッとして彼を見る。その後しばらく、ユーリーは周囲の好奇の視線とダレス達の明らかな冷やかしを浴びて赤面する事になってしまった。


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 レイモンド王子一行の旅は何の問題も無く進んだ。その日の夜遅くにダーリアへ到着した一行は、南の民兵団兵舎に寄宿することになった。その晩のマーシュを交えた細やかな晩餐で話し合われたダーリアの近況は、


「ダリヴィル一家が居なくなり、裏社会は混乱するかと思いましたが。思いの外平穏です」


 というマーシュの報告の通りだった。これにはダーリア衛兵団長も同意であったという。


「このままヤクザ者など一掃したいものです!」


 と気を吐くダーリア衛兵団長だが、その彼にレイモンド王子は、


「だが、強面こわもてな連中でも弱い者の味方を志す昔気質の任侠者も居るという。そういった連中と対立するのではなく、取り込み協力させるように仕向けなければな」


 と言った。その言葉を横で聞いていたユーリーは、


(レイは面白い事を言うな……)


 と感じたものだったが、後になってその言葉がアデールからの入れ知恵と分かり納得した気持ちになった。


****************************************


 そして、ダーリアを出発したレイモンド王子の一行は民兵団長マーシュと配下の指揮官数名を加えると次なる宿泊地、アトリア砦跡に出来た村で翌晩を過ごした。


 アトリア砦の建物はこの村の人々によって保全されている。レイモンドは彼等の働きをねぎらったあと、家屋を提供するという村の代表の申し出を断ると、


「真冬の野宿というのは、一度経験してみたかったのだ」


 と言い、その晩は護衛の騎兵や歩兵達と焚火を囲んだ。そんなレイモンド王子一行には、村から今日獲れたばかりの猪や鹿、そして酒の差し入れがあった。対する王子は、持参した食糧を同じだけ返礼とした。だが、焚火を囲んだ宴席で、レイモンドは村人からの差し入れに手を付けなかった。香ばしく焼けた鹿のアバラ肉を目の前に、彼は干し鱈を噛みながらワインを舐めるだけだった。


「やはり、例の件が気になるの?」

「ああ、死に掛けたからな。そう毎度毎度リシアに助けて貰う訳にも……」


 その様子に声を掛けたユーリーと答えるレイモンド王子の二人は以前ディンス攻略戦中に起きた暗殺事件の事を言っていた。その話をユーリーは最近リシアから聞かされていた。


(魂を呼び戻した、って姉さんは言っていたけど……それって一度は死んでたってことだよな)


 ユーリーは口に出すのも恐ろしい気持ちになる。一方、レイモンドの方は「酷い毒に冒された」という認識しか無いようだった。それでも以降は暗殺の類には気を使うようになっている。彼にしてみれば、自分が毒にやられた事よりも、その事態にアーヴィルが自刃を試みたという話の方が、余程骨身に堪えたようだった。


「そういえば、新居の暮らしはどうなんだ?」


 レイモンドは話題を変えるようにユーリーに問い掛ける。近くには聞きたがり・・・・・の騎士アーヴィルとマーシュとロージの兄弟騎士、そして話したがり・・・・・のダレスやアデールが居た。


「もう、仲が良いってもんじゃねぇですよ! 見ていて目玉が融けちまう!」

「はははは、確かに、もう喉の奥が甘くて仕方な……」


 案の定、アデールとダレスがそう言い合うとゲラゲラと笑い声を上げる。ムッとするユーリーだが、心当たりが在るだけに何も言い返せないところが辛い。そのため、後から言葉を発したダレスを目で殺した・・・・・。だが、ダレスが途中で言葉に詰まったのにも気付かず、マーシュが興味ありげに言う。


「ほう……リリア殿とは、やはり美しい女性なのか?」

「ああ、ありゃ、ちょっとキツイが――」


 マーシュの言葉に調子に乗ったアデールが言い掛けるが、不意に殺気の籠ったユーリーの視線を感じて、次の言葉を呑み込むと話を修正する。


「――綺麗だ! うん、間違いねぇ……と、ところでマーシュの旦那はいつまで男やもめ・・・・を気取っているおつもりで?」


 アデールとしては前門の虎、後門の狼状態である。明らかに怒った視線を投げ付けるユーリーよりも、まだ民兵団長マーシュに話題を振る方が生還の道があった。そんなアデールの言葉にマーシュは面白いように動揺を見せた。


「な? お、男やもめなど……」


 すると、彼の弟のロージがニヤリと笑って言う。


「大丈夫だ、兄貴は上手く遣っているらしい」


 訳知り顔の弟の言葉にマーシュは、


「こら、ロージ。兄を売るとは不届きな!」


 と顔を赤くして怒鳴るが、そこに珍しくニヤケ顔のアーヴィルが口を挟んだ。


「ロージ殿も、まぁ女性にもてる・・・ようですから、その内良い相手を見つけるでしょう。しかし、お二人ともいつまでも若くない事を忘れてはなりません」


 少し酒の入ったアーヴィルは三本指で杯を持つとそう言う。しかし、これこそ藪蛇中の藪蛇であった。


「アーヴィル殿、これだけは言いたくなかったが……その言葉、お主にそっくりお返しするぞ!」

「兄者の言う通りだ、イナシア殿とケジメを付ける頃合いだ!」


 兄弟揃った反撃にアーヴィルは今更ながらに自分の言葉を振り返り少し慌てた風になる。その様子が可笑しかったのか、周囲で聞いていた者達がドッと笑い声を上げる。そして、焚火を囲んだ酒盛りは一気にガヤガヤと喧しくなった。そんな喧騒の中で、杯のワインを空けたレイモンドが片膝立ちになった。彼は周囲の面々を柔らかい視線で見渡すと、


「ははは、良いな。皆、思った通りに好いた相手と一緒になればいい」


 と言った。だが、その言葉は視線と裏腹に少し言葉尻が重かった。そのため、一同は次の言葉を待つように沈黙した。そこへレイモンドが次の言葉を言う。


「だが、私とリシアの事を気にして、遠慮を以って慶事を先伸べにすることは禁止だ。いいな、アーヴィル、マーシュ、ロージ。それに皆もだ」


 そう言うレイモンドは近くの面々を見回すと、最後にユーリーに視線を向けた。そして、


「済まぬ……私はリシアと一緒になるのはコルサスを統一してからと決めたのだ。許せ」


 と言った。それは、リシアの双子の弟であるユーリーに対する詫びでもあり、仁義でもあった。それを理解したユーリーは短く一言だけを言う。


「姉さんはなんて?」

「分かった、と」


 ユーリーの問いにレイモンドも短く答えた。ユーリーとしては、それ以上言うべき言葉が無い。だから頷くだけで了解の意志を示した。


 だが、それを聞く周囲の反応は別だ。


「よっしゃ、王弟派をやっつけたら王子が結婚するぞ!」

「なるほど、明瞭簡潔だ!」

「ならば容易い。我らが成し遂げよう!」


 そんな声がそこかしこ・・・・・から挙がった。そして、寝酒程度の祝宴は大盛り上がりとなる。冬の澄んだ大気を満たす星空の下、焚火を囲んだ宴会はもうしばらく続くのだった。


****************************************


 翌日の早朝、深酒の気配も見せず、レイモンド王子と護衛の集団は野営地を撤収すると村を後にした。そして街道をアートン目指して進んだ一団は直ぐにアートン城からやって来た中央本隊の騎士隊と合流を果たした。その後は彼等の先導を受けてアートン城へ向けて街道を進むだけの行程である。


 一方、ユーリーはレムナ村近辺の光景に懐かしさと胸の痛みを感じた。ロージやダレスが伝える話では、かつての遊撃騎兵三番隊でリムンの街の襲撃の際にユーリーの指揮の元で命を落とした面々の墓はリムンの街に在ると言う事だった。そのためユーリーは、


「レイ。もしも問題無ければ、リムンの街の墓を参りたい」


 とレイモンド王子に申し出た。一方、その意図を汲んだレイモンドは、


「アートンの中央本隊が加わっているから護衛に心配はない。アートン城での会議は四日後だ。それに間に合えばいい」


 と、ユーリーの申し出を認めた。そして、ユーリーと彼が率いる遊撃騎兵一番隊の面々がレイモンド王子の本隊から離脱し、リムンの街を目指したのはその日の正午の事であった。

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