Episode_22.04 逃避行
僅か一個大隊の勢力に二千の傭兵部隊が正面から激突し敗れた。
潰走状態となった四都市連合の傭兵達は拠点である港湾地区の海洋ギルドに逃げ込むと、必死の形相で守りを固める。だが、神聖騎士団の騎士も兵士も彼等の後を追撃することは無かった。
強烈な神蹟術による加護を受けている神聖騎士団だが、不死身になる訳ではない。剣や矢で傷を負う事もあるし、それが深ければ死ぬこともある。その上、それほど強力な神蹟術を発揮できる者は限られている。そのため、無用な部隊の損耗を嫌った彼等は、追撃に移ることなく、負傷者の治癒に当たったのだ。
一方、トリムの北側で市街戦を繰り広げる王弟派第二騎士団は目算を誤る格好となった。彼等が敵の本隊であると思われていた解放戦線を引き付ける間に、傭兵部隊が手薄な拠点である教会を襲うというのが彼等の作戦だった。だが、教会を襲った傭兵部隊が潰走した事実に、第二騎士団を率いるオーヴァン将軍は動揺した。
「所詮傭兵か!」
彼がそう吐き捨てるのも無理は無い。オーヴァン将軍には、栄光あるコルサス王国の「王の剣」と称賛される第二騎士団を預かる将軍として、下賤な傭兵と共に戦うことに抵抗があった。有象無象の寄せ集めに、
勿論多種多様な技能を備えた傭兵達は適所に配した際に大きな戦果を挙げることは承知している。その上「時流である」という諦めもある。また、失敗続きの自分は大きな口をきけない立場であることも
だが、その結果として連携に劣る傭兵部隊が信仰という名の強固な絆で結ばれた少数の部隊に敗退する事態となった。その事実を伝令兵から聞いたオーヴァン将軍は憤懣やるかたない様子で、伝令兵に問い質した。
「後詰の部隊の合流が遅い! 集結し我々だけで教会を陥とす!」
部下への叱咤も力が入った。だが、その時駆け込んできた別の伝令兵が大声で報告した。
「後詰部隊から報告! 北西区画の住民が街の外へ脱走しました」
「だからどうした、貧民など捨て置け!」
「ですが、北西区画の監視をしていた大隊が後を追ったようです」
「バカな……連れ戻せ!」
オーヴァン将軍の采配は或る意味正しく、或る意味間違っていた。配下の部隊に勝手な行動を取らせない、というのは軍全体の士気にかかわる問題だ。また一個大隊とは五個百人隊である。総勢五百の兵力が揃わない状況では第二騎士団の勢力だけで教会まで攻めるのは不安がある。そういう意味で「連れ戻せ」という指示は正しい。だが、二千の傭兵部隊を力押しに押し返した教会側の勢力は疲弊しているはずである。戦略目的である「民衆派と解放戦線のトリムからの駆逐」を真に達成するならば、彼等の拠点は犠牲を顧みず陥落させなければならない。
このように難しい局面で判断を誤るのがオーヴァン将軍の限界なのかもしれない。または、そうなる星回りに産まれた彼の運命なのかもしれなかった。それは誰にも答えの出せない事だが、この時のオーヴァンは、
「後続部隊の合流を待って教会を攻める!」
という判断であった。そのため、第二騎士団は泥仕合と化した市街戦の場にしばらく留まることを余儀なくされた。
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「もう少しで森だ、今は休まず先へ急ごう!」
老若男女総勢三百を超えるトリムの住民達、そのほとんどが徒歩で逃げる彼等の足は遅い。そんな彼等を先へ急がせるのは
既に夕日が西のコルタリン山系へ沈みつつある時間帯。この黄昏時をやり過ごし無事に森へ逃げ込む事が出来れば、このまま王子領迄辿り着ける可能性は一気に高まる。
(もうちょっとだ……)
そう考えるリコットは自分の肩越しに背中の子供の様子を窺う。歳は二才くらいだろうか? 幼い子供の面倒を見たことが無いリコットには推測が難しい。拾った時は頭の先からつま先まで路地裏の泥に塗れていた。だが、それを拭き取り綺麗にしてやると白い肌と濃い茶色の髪を持った女の子だと分かった。だが、
「……」
リコットの顔を見詰めるとび色の瞳は何かを言いたげだが、この女の子は喋ることが出来なかった。恐らく目の前で母親を惨殺された悲惨な光景に言葉を失ったのだろう。だから名前も分からない。
「大丈夫だ、俺が付いているからな」
肩越しにそう言うリコットに女の子は一度だけ瞬きをすると、彼を掴んだ小さな手にギュッと力を籠めた。
やがて一団の前に黒々とした森が姿を現す。だが同時に
「追手だ、畜生!」
と元衛兵の声が上がった。その男が指し示す先、南側の原野には最初ポツポツと黒い影が姿を現した。その影はみるみる内に数を増やすと総勢十騎の騎馬の姿となって逃げる一団を追うように近付いてくる。
「早く森へ逃げ込め! 北を目指せ!」
追手が掛かった時の対処は予め決めていた。住民達は
「くっそ、ジェロもタリルもイデンも、今頃遊んでいるんだろ! 後で会ったらただじゃおかねぇぞっ!」
仲間が居れば何とかなる。その想いに、思わずリコットの口から別行動をとっている仲間への悪態が毀れた。
「おい、リコット。どうするんじゃ?」
そんな彼に声を掛けるのはギムナン老人だ。早速元太守の威厳を捨て去った老人は黄昏時でもそれと分かる蒼褪めた顔色をしていた。
「どうもこうもねぇだろ! 爺さんは追手の騎士を説得できるのかよ!」
「むっ……無理じゃ」
「じゃぁ、さっさと北へ逃げろよ。皆を纏めて、森の中で
「わかった。達者でな」
リコットの剣幕に押しやられるように、ギムナンはそう言うと踵を返す。だが、立ち去りかけた彼の背中にリコットが声を掛けた。
「あ! 爺さん、ちょっと待ってくれ!」
「なんじゃ?」
「この子、預かっておいてくれ、頼む」
そして、背中の女の子をギムナンの背中に縛り付けたリコットだった。女の子は一瞬だけ抵抗するようにリコットの肩を掴んだ手を力ませたが、
「大丈夫だ、直ぐ戻る」
というリコットの言葉を理解したのか、大人しくギムナンの背中に移っていた。
「気を付けるんじゃぞ」
女の子を背負ったギムナンはそう言うと住民達の最後尾から彼等を急き立て森の中に入って行った。
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トリムの街の北西区画から逃げ出した住民を見つけたのは第二騎士団の一部隊、その斥候隊であった。十騎一組の騎士隊である。彼等は、黄昏時の薄明かりの中で、森へ逃げ込む集団を見つけた。
「お前は本隊に伝令、他の者は後を追うぞ」
斥候隊である騎士隊隊長は、そう指示を下すと残り九騎を従えて森へ肉迫する。やがて、森との距離が縮まると、原野との境目に数人の男達が留まっている事が分かった。
「
「隊長、どうしますか?」
彼等の任務は逃げた住民を連れ戻すことであり、彼等を殲滅することではない。だが、森の手前に留まった十人程度の男達は貧相な外見ながら、衛兵が持つような短槍を持っている。
「手向かうならば仕方がない。さっさと倒して後を追うぞ」
「はい!」
その指示によって九騎の騎士は馬上槍を構え、その穂先を眼前の男達へ向ける。そして彼等の騎馬は一気に速度を上げた。だが、双方の表情が見えるか見えないか、という距離まで肉薄したところで、森の手前に留まっていた男達は槍を投げ捨てて森へ逃げ込もうとする。
「やっぱり無理だ!」
「かないっこない!」
「逃げるぞ、皆の後を追おう!」
大きな声で喚きながら男達は森へと逃げ込む。彼等は
「逃すな!」
第二騎士団の九騎の騎士は、逃げる男達の後を追って森へ飛び込んだ。両者の距離はみるみる縮まって行く。
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トリムの北に広がる森は、広葉樹と針葉樹が混生した森だ。奥に進むに従い、木々の密度は増していくが、外縁部の木々は
それは追う側には非常に有利で、逃げる側には絶望的な状況である。だが、逃げる側には
バシィッ――
不意に矢弦を弾くような音が響き、九騎の騎馬の中程を走っていた一頭が
「なんだ、落馬か!」
「情けないな……おい、大丈夫か?」
彼等の更に後ろを走っていた騎士達はその様子を単なる落馬だと思った。そして先行する仲間を追うのを中止し、倒れた仲間を助け起こそうと馬を下りかける。次の異変はその瞬間だった。馬を下りようとする動作の瞬間、不意に彼等の馬が棹立ちとなったのだ。けたたましい嘶きが上がる。鞍から半身を外していた二人の騎士は堪らず落馬してしまう。
「な、なんだ!」
「おい、これ……」
落馬した二人の騎士の内一人が、馬の尻から剥がれ落ちた小さな金属の粒を見つけた。それは立方体の角を鋭利に尖らせた、見た目よりも重い鉛の塊である。それが馬の尻に食い込んだことで、馬が驚いたということだ。
「待ち伏せ? ……罠か?」
別の一人はそう言うと辺りを見回す。すると、地面の上に千切れた細い革紐を見つけた。
「やっぱり、罠だ!」
彼等がそれに気付いたとき、罠を仕掛けた者は先行する残り四騎を追っていた。
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(後続が付いて来ていないな……なにがあった? どうする?)
先頭を走る騎士隊長は、背後で薄くなった部下の気配に気付くと、後ろを振り返る。そして、自隊が自分を含めて四騎に減っている事に気付いた。そんな彼は前方と後方を見比べると一瞬の逡巡を見せたが、片手を上げる合図とともに騎馬の速度を緩める。
「遅れた者の合流を待つ……どうせ連中はベートへ逃げ込むつもりだろう」
「ですが隊長」
「なんだ?」
「森に入るまでは大勢の住民が見えていましたが、あの様子ではそれほど速く進めないはず。騎馬の我々ならもう追いついて当然だと」
騎士隊長は自らを含めて四騎となった部隊を一旦止める。そこで、副官の立場であろう部下がそんな疑問を呈した。確かに、一度は立ち向かう様子を見せていた男達ならいざ知らず、老人や女を含んだ集団ならばもう追いついていても不思議ではなかった。
「……確かに……すると奴らは囮か?」
「分かりませんが、住民達全員が東へ逃げたとは考えにくいです」
「ならば北……まさか、リムン砦に逃げ込むつもりか?」
そのような会話になる。会話の中で「リムン砦」と口に出した騎士隊長は、住民達が王子派と示し合わせて逃走を図った、という想像を頭の中に持った。周囲の森はいつの間にか先が見通せないほどの闇に覆われ始めている。その闇の向こうで王子派の軍勢が待ち構えているような気がした。
その時、森の奥から灌木や木の枝をガサガサと揺らす音が鳴った。一か所ではなく、四騎のみの彼等を取り囲むように場所を変えながら、まるで森の闇に紛れた敵兵が自分達を包囲するため移動しているように聞こえて来る。風かも知れないし、獣かもしれない。だが、四騎のみの彼等は全員がその音を耳で追っていた。その音はしばらく続くと、不意に鳴り止む。そして、しんと静まる夜の森の闇だけが残った。
「……本隊へ戻るぞ」
王弟派第二騎士団の斥候役となった騎士隊隊長は、そう決断した。自分達は斥候である。それに、周囲は探索が難しい夜の森だ。そして、万一王子派の軍が森に潜んでいるならば一大事だ。先ずは本隊へ報告しなければならない。怖気づいた自分にそう言い聞かせ、騎士隊長は馬の向きを来た道へ向けた。
追跡を諦めた騎士隊の後ろ姿を、森の木々に紛れ、地面に身を伏せた状態のリコットが見送る。
(ふう……まずは一段落、だな)
思わず安堵の溜息が漏れた。だが、これで彼とトリムの住民達の安全が保障された訳ではない。リムン砦までの道程は長いのだ。
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