Episode_22.03 神聖騎士団
トリムの街の北から東に掛けての戦いは、早朝から始まり、正午を経て午後になっても終息を見ない。泥沼の混戦となりつつ、解放戦線の勢力を北東の居住区に釘付けとした王弟派第二騎士団には、後詰として街の他の地域の治安維持に当たっていた部隊も駆り出される。そして、北西の区画は監視の目が緩くなった。
「よし、今なら街から抜け出せる!」
集会場のような場所はトリムの街の北西にある「パン焼き場」だ。そこに集まったのは子供を連れた若い夫婦や年寄達、更にはトリム土着の衛兵の姿もある。全員が着の身着のまま、持てるだけの食糧と少しの家財道具を持っただけだ。彼等は、リコットの呼掛けに応じてこの戦乱に荒れ果てたトリムの街を離れ、王子派の領地へ逃げ込むことを決めた人々だった。そんな彼等にリコットは行動開始を告げる声を掛けた。だが、
「リコット。本当に上手くいくのか?」
と、この期に及んで疑問を発する者がいた。それは、草臥れた風貌の老人である。元は上等だったが垢じみて薄汚れた衣服を纏い、白い髭を整える事無く無精に放置した風貌はトリムの街の北西区画ではそれほど目立った存在ではない。だが、彼はれっきとしたトリム太守、いや元太守というべき老人ギムナンである。
先のトリムに於ける民衆派の暴動の際に、太守ギムナンは解放戦線により捕えられ、以後は軟禁生活を強いられていた。そんな彼は、再びトリムに進出してきた王弟派第二騎士団によって解放されていた。だが、解放された太守ギムナンは太守の座に戻る訳でもなければ、トリムの城砦に呼ばれることもなかった。そのまま街の北西にある住まいに放置される事となった彼は、自分への待遇から王都コルベートの意図を察知した。強力に中央集権を推し進めようとする宰相ロルドールにとっては、権威と力を失った太守ギムナンはそのまま朽ちるに任せておくべき存在だったのだろう。
そんな経緯で、今は国王となった王弟ライアードに対する忠誠を失ったギムナンは、住民を王子派領へ逃がそうとするリコットに積極的に協力したのである。だが、いざ実行という段で躊躇いを発するのが、如何にもこの元太守の
「ギムナン、今頃そんなこと言うな! みんなが不安になる!」
気弱な老人を叱咤するように声を発したのはこちらも年老いているが、背筋がしゃんと伸びた老人である。髭面の風貌には、元太守を何とも思わない凄味が備わっている。彼は港湾地区で労働者を斡旋する口入れ屋の店主であった。それだけを聞くと利益にがめつい商人を連想するが、この老人は敬虔なパスティナ神の信者でもある。街の北側に住む貧民と称される人々にも簡単な仕事を手配して気に掛けていた人物だった。元太守ギムナンよりも、よほど街の人々の事を考えて生きてきた人物である。
「なにを! 口入れ屋の分際で!」
「俺は口入れ屋だが、お前はなんだ?」
「ぐぬぅ……」
ギムナンが完全にやり込められたところで、リコットは二人の言い争いに気が付き声をかける。
「スランドのオヤジも爺さんも、今はやめてくれ」
この二人と協力関係に成れたのはリコットにとって天佑であった。スランドはリコットが潜伏していた安宿を経営していたし、実は以前にトリムへ潜入した時に面識が出来ていた人物だ。パスティナ救民使「白鷹団」を寄宿させていたのは彼である。一方、ギムナンの方は落ちぶれても「元太守」の矜持が残っていたのであろう。独自に人々を率いて王子派領に逃れようと画策していた。二人はリコットの立場を知った上で進んで協力を申し出たのだった。
「爺さん、今以上に上手く行くことなんてないよ」
「う、うむ……分かっておる」
「スランドのオヤジ、本当に一緒に行かないのか?」
「俺はいい。面倒をみている連中が多いからな」
「そうか……」
「それに、王弟派でも民衆派でもない人々はこれだけじゃない。レイモンド王子には、そのことを伝えてほしい。助けを待っている人たちがいることをだ」
「わかった」
二人の老人に声をかけるリコットは背中に幼い子供を縛り付け、両手には持てるだけの食糧を持っている。背負った存在の温かさが
「……皆の者、出発じゃ」
ギムナンの声というよりも、彼に僅かに付き従う元衛兵達の促しによって、人々の集団は街の北へと進み出た。午後の日差しを左手に受け、彼等は一路北の森を目指した。
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「突撃待てぇ!」
数に任せて闇雲に突っ込んでも勝てる相手ではない。そう悟った作軍部長の声が響くが、既に動き出した傭兵部隊は、その声を掻き消すほどの蛮声を上げて通りを一気に駆け抜ける。彼等の目指す先には一個大隊規模の敵の姿があった。彼我の距離はみるみる狭まると百メートルを切る。
教会の門前の狭い場所に展開しているアフラ教会神聖騎士団は、防御に適した横隊陣ではなく、まるでこれから突撃を開始するように騎士を前列に配した方陣形を取っていた。彼等の隊列は、眼前に迫る四都市連合の傭兵達の大部隊を目の前にしても動じることなく
「いと聖なるかな! 至高にして至聖の神よ、我らに加護を。罪人に救いを!」
朗々と歌い上げるような声が響く。すると、背後の聖騎士や兵士達がその祈りに続いた。
「いと聖なるかな! 至高にして至聖の神よ、我らに加護を。罪人に救いを!」
「いと聖なるかな! 至高にして至聖の神よ、我らに加護を。罪人に救いを!」
唱和は三度続くと呼吸を合わせたようにピタリと止まる。その光景は異様であるが、その祈りを発した神聖騎士団の聖騎士や歩兵の表情はそれ以上に異様である。一個大隊五百人の男達が、まるで純粋無垢な幼子のように清らかな表情に変わっているのだ。彼等の顔には戦場に付きものといえる憤怒や憎悪、恐怖の影が無い。それどころか、まるで父母の腕に抱かれたように安らかな笑みさえ浮かべている。信じる神への祈りが通じ、確実な加護を感じた者達の安らぎである。
「抜剣!」
先頭の聖騎士が発した次の号令にも敵に向ける殺気や憎悪の感情は籠っていない。ただ、自分達の信仰を実践する修道士のような真摯さがあるだけだ。そして、祈りの言葉と自分達の信仰を実践するべく、振り上げられた剣先がゆっくりと迫りくる集団へ向けられた。
「突撃!」
そして、アフラ教徒に牙を剥く罪人たちへ
先に突撃を仕掛けた傭兵部隊に対し、神聖騎士団は逆に突撃を仕掛ける。お互いに駆け寄る両軍は、あっという間に真正面から衝突した。その先頭に立った者達の悲鳴や断末魔の叫び、罵声や怒号が通りを満たした。だが、それらを発するのは傭兵ばかりである。
神聖騎士団の最前列騎士は無言のままで敵集団に飛び込むと、中原北部産の騎馬が持つ俊敏性を生かして次々に傭兵達を撥ね飛ばす。そして、同時に馬上用としては大振りな
傭兵の集団に切り込んでいく聖騎士達は、当然幾人かは足や鎧の端、武器の先を掴まれて馬から引きずり落とされる。だが、徒歩となっても聖騎士達は強かった。いや、四都市連合の傭兵達の常識で言えば
落馬した聖騎士を三人がかりで押え付け、残りの者が鎧の襟元から剣を差し込みトドメを刺す。傭兵なりの騎士・騎兵との戦い方だが、それが通用しないのだ。三人がかりで押さえつけたはずの聖騎士は、まるで毛布を振り払うように傭兵達を振り飛ばし、驚いた別の傭兵に長剣を叩きつける。革製の胴鎧を易々と切り裂いた刃が胴に食い込むと、そのまま横薙ぎに内臓と背骨を断ち切り反対側へ抜ける。文字通りの一刀両断に切られた傭兵の上半身がドス黒い血を撒き散らしながら宙を舞った。常人にはあり得ない膂力であった。だが、この聖騎士一人が
或る者は馬上に突き込まれた槍の穂先を掴むと、逆のその槍を持った傭兵を宙に吊り上げ反対側の地面に叩きつける。また或る者は進んで馬を降りると、大振りなカイトシールドを前面に出して近付く敵を撥ね飛ばした。盾で打たれた傭兵はまるで荷馬車に撥ねられたかの如く宙を舞う。
神聖騎士団の強さ、それはアフラ神の神蹟術「
「なんだ、こいつら!」
「ば、化け物?」
だが、それを知らずに見る者には「聖戦士」達は人外の強さを得た化け物のように映る。そして、四都市連合突撃の戦陣を切った前列の傭兵達は完全に浮足立った。だが、アフラ教会神聖騎士団による
ドンッ――
という地響きに似た音が通りに響く。
防ぎようの無い強烈な打撃に傭兵達が打ちのめされる。その一撃は鎧や兜の上からでも肉を裂いて骨を砕く威力があった。また、傭兵の身体に当たらなかった槍は削るように地面を打ち据えた。
「――神の元へ歩まれよ、罪を認めて赦されよ、アフラは偉大、アフラは至聖――」
神聖騎士団の歩兵は、そんな祈りの言葉を呟きながら再び槍を振り上げて、躊躇う事無く振り下ろす。この一撃が奪う命はアフラの元で赦される。つまり、この一撃は傭兵達に救いを
「――神の元へ歩まれよ、罪を認めて赦されよ、アフラは偉大、アフラは至聖――」
「――神の元へ歩まれよ、罪を認めて赦されよ、アフラは偉大、アフラは至聖――」
歩兵達の祈りの言葉は重なり合うと、いつしか調子を揃えたような唱和となる。とても戦場の最前列に居るとは思えないほど安らかな顔で槍を振る彼等の姿に、四都市連合の傭兵達は恐怖を感じた。そして、
「退け! 撤退だ! 撤退!」
そんな彼等の耳に、ようやく指揮官の指示が届いた。傭兵達はその場に武器を投げ出すと、我先とばかりに一斉に港湾地区へ向けて遁走を開始した。大分節祭にトリムの街で巻き起こった戦いの
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