Episode_21. After Episode_8 トトマの大分節祭


 アーシラ歴497年末 トトマ


 トトマの街の北側には「新街区」と呼ばれる区画があった。二年前にレイモンド王子の指示により造成された区画だ。既に大半は出来上がっているが、最も北側の部分は依然として開発中である。これは、最近王子派領の東側にあるリムン砦へ助けを求めてくるターポやトリムの人々が増えつつあることに由来していた。長年住み暮らした土地を離れざるを得ない人々が居ることは由々しき事態であるが、そんな難民同然の人々を当然のように受け入れる王子派領は、彼等を住まわせるためにも、トトマの新街区を更に北側へ伸ばしていたのだ。


 そのため新街区は日中から行き来する荷馬車や労働者で賑やかしくも騒がしい。だが、年末最後の日であるこの日は、大半の現場仕事が休みのため、街は別の騒がしさに包まれていた。


 大分節祭は年末最後の日と翌年最初の日に跨る祭日だ。神殿宗派によっては聖別祭とも呼ばれるが、六神教とアフラ教が一致して認める祭日でアーシラ帝国歴前四十八年に、帝国開祖の祖父である聖人セラシオンが龍山山脈の頂きで光輝く翼を持った創造神の使者、光翼使プルイーマと邂逅し、六つの神への信仰を授かった日とされている。


 他は神殿宗派によって祭日はバラバラである。だが、この大分節祭の日は一致しているので、日常人々を忙しく働かせる仕事もこの日に限っては休みである。こんな日に働く罰当たりな者といえば、通りに軒を連ねる露天商や屋台店主、それに神殿の聖職者くらいだろう。


 六神を祭る各神殿は一年で一番訪問者が多い時期だ。そのため、有り難い説法を一時間おきに行い、帰りにお布施を集める。お布施と引き換えに来年一年の無病息災を祈願する護符に名前を書いて渡すので、名実共に「書き入れ時」である。


 そんな年末の混み合う通りを歩く二人の若い男女の姿があった。一人はユーリー、もう一人はリリアである。二人はフリギア神殿で決まり事の祈りを捧げると、短い参道の露店を冷かしながら歩いている。ユーリーには明確な信仰は無かったが、リリアは父の影響から幸運の神フリギアを信仰していた。そのため、フリギア神殿に足を運んだのだ。


「ねぇユーリー、今晩どうする?」

「うーん、大分節祭だからね。どこも混んでいるだろうし、何か買って家で食べようか?」

「うん! そうしましょう」


 そんな会話も二人が同じ場所に暮らしていると再認識させるもので、若い二人は嬉しそうに笑い合う。冷たい風が吹く年末のトトマであるが、その二人の間だけは春のように温かい空気があった。これまでは旅から旅、戦場から戦場という日々を過ごしていた二人だがコルサスのトトマで棲家を得たのだ。誰にも気兼ねする必要のない二人だけの時間が特別なものでなく、日常として存在する空間を得た嬉しさは二人の日常と表情を明るいにした。


 しかし、どの場面にも意図せずに邪魔をする者は居る。参道から普通の道へ出ようとした二人に背後から声が掛かった。


「お二人揃ってフリギア様詣でか。イイね! 来年には赤ん坊の顔がみれるかな!」

「親分、そんな事を言っちゃ駄目ですよ!」

「そうですよ、リリアの姐御もそりゃぁコワイ人です」

「ありゃ、ユーリーの兄貴よりよっぽど・・・・ですよ」


 肩を並べて歩く二人が思わず天を見上げる風になる。そんな言葉を掛けてきたのはアデールとその子分達だった。彼等は非番の年末年始を兵舎に籠って酒盛りでもして過ごすつもりだったのだろうか、両手に干し肉や干し鱈、そして随分重そうな杉樽を抱えている。樽は殆どがワインや火酒の類だが、中には野菜の漬物ピクルスの樽や、塩蔵肉の樽もあった。男ばかりのアデール一家がそれらをどうやって食べるのか、余り想像したくないユーリーは、しかし無視するわけにもいかず回れ右をするとアデールに言う。


「やぁ、アデール。随分と買い込んだんだね」

「そうよ、四日まで休みになっちまったからなぁ。大節分の休みは有り難いが、飲み屋が休みばかりで、暇でしょうがねぇ」


 アデールが言うように、トトマ街道会館一階の酒場も含めて、新年の最初の週は殆どの店が閉まっているのだ。


「たまには酒を飲まずに、身体を休めた方が良いよ」

「なんでぃ、妙な事をいうんじゃねぇよ」


 ユーリーの真面目な指摘もアデールにはどこ吹く風・・・・・である。まぁ、口調は乱暴だが真面目に任務をこなしている第一小隊長とその部下達である、この歳になって羽目を外し過ぎる事も無いだろう。そう考えたユーリーは隣のリリアが発する、


(ちょっと、早く行きましょうよ)


 という無言の重圧を受けて、会話を切り上げようとする。だが、その目論見は思い通りに成らなかった。


「よお! ユーリーにリリアさんじゃないか!」

「あら、ユーリーさん、リリアさんもお二人で御参拝ですか」


 と、新たに声を掛けてきたのはダレスとサーシャの二人である。しかも、


「あ、久しぶりだね色男! まぁ、こんな彼女がいるんなら、ウチらが出番無しなのも分かるわ!」


 と酒焼けした声を上げるサーシャの母親ナータまで一緒だった。


「あ、ああ……ダレス達も?」

「ああ、俺達は食糧の買い出しさ。年末年始のトトマは店が殆どやってないからなら……って知らかったか?」

「え、そうなんだ?」

「どうしよう……殆ど買い置きが無いわ」


 地域によって習わしは違うのが常識だが、ユーリーは年末年始でも賑やかな王都リムルベートの光景を想像していた。リリアの方も大差はない。そのため、殆どの店が閉まるというトトマの大分節祭に少し驚いた。それはリリアも同じようで、彼女は家に買い置いてある食糧を思い出すと少し不安な気持ちになった。


「なんだ、新婚さん・・・・はならではの不手際だな。ははは、ちょいと市場へ行って色々仕入れようぜ!」

「いいなアーデル、俺達も一緒に行くよ」


 そしてアデールとダレスがそう言い合うと、ユーリーとリリアは彼等を伴ってトトマの市場へ向かった。重い荷物を持ったままもう一度市場に向かう羽目になったアデール一家の子分達は何か言いたそうな目を親分に向けているが、言葉には出さないようだった。


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 結局トトマの市場で一週間分の食糧 ――といっても干し肉や干し鱈、それに乾燥野菜や塩蔵肉少々であるが―― を買い込んだユーリーとリリアは、同行したアデール一家やダレス達が、


「この際だから新居を見せて貰おう!」

「いいな、何時も同じ面子ばかりじゃ飽きちまう」

「ウチの女の子たちを呼ぶかい?」


 と言い合う言葉に押されるように、彼等と共に新居へ戻っていた。既に年末最後の午後の日が夕暮れ時へ傾く時刻である。


 ユーリーとリリアの家は「新街区」へ続く北通りの一番筋、辻から七本目の少路を入った三軒目の家である。一番筋は新街区の中でも静かな一帯だ。その奥まった場所に立つ他の家々の主は、皆、何処かの商人か中堅の隊商主といった小金を持った人々であった。


 そんな人々の豪勢な家が立ち並ぶ中、ユーリーとリリアの新居はその場の雰囲気に馴染んだような瀟洒な平屋造りの一軒屋であった。白い漆喰が塗り込められ、明るい茶色の屋根を持った家は玄関から客間、居間を経て台所と寝室に通じる造りだった。寝室には備え付けの蒸し風呂と浴室まで完備している豪華な造りは、故バジマの妾宅ならではの造りであろう。しかも両隣の家と比較して、家屋が小さい分、相対的に庭が広い。そして、広い庭の両脇には目隠し代わりに背の高いけやきが並木のように植えられていた。そのため、トトマの街中にあって、この家は森の中の一軒屋のような風情を醸していた。


「良い家だね! さぁ、ナータ母さんが何でも作ってやろうじゃないか。世の中には何の変哲も無い食い物に『娼婦風』と付けて売り出す店もあるくらいなんだ。正真正銘の娼婦風を――」

「お母さん! もう、バカみたいなこと言ってないで座っててよ!」


 新居の感想もそこそこに、既に酒が入っているナータは、相変わらずの母娘の会話をサーシャと交わす。これでもナータはサーシャを援助したユーリーへ感謝の念を持っている。だが、表に出さないのが彼女の流儀だった。


「じゃぁサーシャちゃん、一緒に何か作ろうか。ユーリーは適当にやっててね」


 ちょっとあんまり・・・・な言葉(とナータ)を残してリリアはサーシャを伴って新居の台所へ行く。火を熾すのが飛び抜けて早いリリアのことだから、直ぐに温かい物が出来上がって来るだろうと思うユーリーは、


「アデールもダレスも、それにみんなもありがとうね」


 と言うと、素焼きの瓶の封を切って、今年初めのワインを各自に振る舞った。若く酸味の強い味わいが全員の喉を潤した。ほどなくしてリリアとサーシャが湯気を上げる大皿を持ち込んだ。塩鱈と芋のグラタン、塩蔵肉とピクルスのスープ、干し肉は薄くそぎ切りにした状態を炙っただけで山のように木皿に積まれている。


「さぁ、家主、何か挨拶しろ! 乾杯の挨拶だ」

「いいね、よっ! 一番隊長」

「男前が上がるねぇ!」


 そして、囃し立てるようなアデールとダレスにナータの言葉で、杯を持ったユーリーが何かを喋る。全員がどっと沸いたように笑うと、杯を重ねていく。今年最後の夜は、ユーリーとリリアが当初思っていたような静かな一夜ではなく、騒々しいほど賑やかに過ぎて行った。


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 この夜、色々な人々が思い思いに過ごしていた。


 ストラの街ではジェロとエーヴィーが今年の無事を感謝しつつ来年のお互いの平安を祈る。一方、イデンはストラの衛兵達に連れられて外で酒を飲んでいた。朴訥とした彼は、衛兵達に人気があった。


 タリルはダーリアの施政官達と年末の仕事納めの宴席に居た。皮肉屋の彼は終始つまらなさそうにテーブルの角でそっぽを向いている。彼が何を考えているか、周りの者達には察する術が無かった。


 トトマに居るアーヴィルは、この日アートンからやって来たイナシアと久し振りに一緒に過ごした。美しいイナシアは、極上のワインよりも深く、一本気な騎士を酔わせることになる。


 レイモンドは、自室で今年一年を振り返りながら来年の所領地の運営を考える。目の前には問題が山積している。そんな彼は、椅子から立ち上がると肩を解すように回しながら部屋の中を少し歩いた。そこへ扉が外から叩かれた、控えめな音の後にそっと開く扉の先には、黒髪の女性がニコリと微笑んで立っていた。


 西に遠く離れたリムルベートでは、アルヴァンが幼い息子と美しい妻に囲まれた温かい年末を迎え、マルグス家では今年一年の支出を再計算するヨシンとマーシャの姿があった。


一方、東の地、コルサス王国の東部トリム近郊の森では一人の小男が、一人でも多くの人を北の王子派領へ逃がそうと躍起になっていた。彼は幼い子供を背に負っていた。数奇な巡り合わせで自分の背にしか安住の場所を得られない子。それを守りながら、リコットは任務に反する行動を決死の覚悟で行っていた。但し、その口から出るのは、


「くっそ、ジェロもタリルもイデンも、今頃遊んでいるんだろ! 後で会ったらただじゃおかねぇぞっ!」


 という悪態であった。その悪態も当然である。今、コルサス王国で最も苦しい立場にあるのは、ターポとトリムといった四都市連合に租借された土地だったのだ。

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