Episode_21. +After Episode_5 スムル村騒動Ⅰ


 ユーリーとリリア、それにアデール一家の計八名は「斥候組」としてスムル村へ南進した。晩秋の午後の空気がひんやりと周囲を満たす中、細い畑沿いの畦道あぜみちには実を付ける頃合いの蕎麦が生い茂っている。疎らに残った白く小さい花は、見ごろであれば一面に白い絨毯を敷いたようになるが、今は救荒食糧としてその種子に栄養を蓄えている時期だ。もう二週間もすれば、周辺の農夫が一斉に刈り取るだろう。一旦植えると勝手に落実する種子によって来年も芽吹く。だが、春から夏に掛けての蕎麦は余り収量が無いため放置されるのが常だ。そして、麦の刈り入れ後に花を咲かせる実が収穫されるのだ。また、副次的だが周辺農村では蕎麦の花から蜜を集める蜂の養蜂に取り組む村が増えてきた。蜂蜜は貴重な甘味の原料である。南方アルゴニアから輸入される白糖や黒糖、それに糖蜜は高価であるため、滋味溢れる蕎麦花の蜂蜜は特産品と成りつつあった。


 だが、そんな長閑のどかな畦道を行くユーリーは内心複雑な気持ちであった。彼が思うのは最近の目まぐるしく忙しい日々であった。齢二十一の年も、もう終わりかけるユーリーだが、明確に思い出せる記憶はここ十年ほどだ。だが、その十年間の内、十三の秋に経験した郷里樫の木村の襲撃事件を発端として、よくまぁここまで忙しく日々を過ごしたものだ、と思う。特にウェスタ侯爵の領兵団に新兵として入り、見習い騎士として王都に配属となってからは日々の時間が矢のように早く過ぎる気がする。


 それは、濃密な日々を過ごした者が感じる時間の感覚だが、ユーリーはそれに疲れを感じていた。特に他人の色恋沙汰に首を突っ込んでいる今の自分には疑問を感じるほどだ。自分だけならまだしも、恋人リリアを巻き込み、さらに彼女の力を頼りにしている今の自分には呆れるような気もするのだ。


(やっぱり、何処かに落ち着ける棲家を持とう……)


 ユーリーは少し先を先行する馬上のリリアの後ろ頭を茫と見ながら、決心を固めていた。そんなひと時、不意にリリアが馬を止めた。


「前方に村が在るわね……スムル村で間違いないわ」

「わかった。マーリという人が捕えられているのは北側の納屋だったね……周囲にセブムの姿はあるか?」

「ちょっとまって……居るわ。少し西の道から村に向かっている」


 ユーリーの言葉にそう答えるリリア。二人は顔を見合わせると暫し眼だけで語り合う。そして、ユーリーが騎馬を駆って駆け出した。村では無くセブムが居るという方向だ。その後にはリリアも続き、そしてアデール一家も続いた。


****************************************


 セブムはユーリー達がダーリアの西の衛兵詰所で会話をしている時には既にダーリアの街を後にしていた。扉の下に差し入れられた書き付けに従い、彼は一路スムルの村を目指していた。だが、遊撃騎兵隊としては余り任務の無い土地柄、不案内な彼は道を何度か替えながら、行き過ぎる農夫に訪ねつつ目的地を目指していた。既に周囲は秋の夕暮れ時となっている。


 「恐ろしいか?」と問われれば怖いと思う。だが、セブムは自分以上に恐ろしい目に合っているだろうマーリを想った。そして、自分が足を向ける先に待ち受ける破滅も予感していた。だが、彼は止まらない。燃え上がった恋とも愛欲ともつかない情に煽られている自覚はある。生来の彼は元々冷静な男だ。だが、


(これに背を向けてこれからの人生を生きる位ならば)


 という決心があった。聡明な頭脳が絶望的な状況に対抗するための充分な言い訳を与えていた。そして生半可な強さが、敵うはずのない敵に立ち向かう勇気を与えてしまう。そんな彼は馬を進めた。やがてストム村が視界に入って来る。夕日を受けて朱に染まる背の高い納屋が数軒立ち並ぶ様子が視界に入った。


「マーリ……待っていてくれ」


 呟く言葉が風に流れるが、その時不意に畦道を掘り下げたような用水路から数人の男が姿を現した。彼等は投網を投げると騎乗のセブムを絡め取る。突然の事態に彼の馬が棹立ちになる。そして、状況に対処できないセブムはそのまま馬の背から払い落とされてしまった。


「クソッ! 待ち伏せか」


 中途半端に絡んだ投網を振りほどきながら、セブムは腰の剣に手を掛けるが――


「頭を冷やせってんだ!」


 という乱暴だが聞き覚えの或る声と共に、頭を強かに殴られた彼はその場で昏倒してしまった。


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「私の話に乗ってくれれば、酷い目は合わせないよ。私はお前を寝取った相手が憎いだけだ。お前の事は変わらず大切に思っている」


 鳥肌が立つほどの猫なで声が納屋に籠る。声を発したのはバジマ・ロクサーだ。彼は目の前の藁敷きの上に転がされた寝間着のままの娘マーリにそう声を掛けた。だが、手足を縛られたマーリはその声に対して、


「厭です。お金も全て返しますから私を自由にしてください。あの人に酷い事をしないで!」


 と気丈に言う。そこへダリヴィルのヤクザ者が持った鞭が唸りを上げる。パシンと乾いた音を立てて娘の白い肌に赤いミミズ腫れが出来た。既にマーリの身体には何条もの傷が有る。


「痛くないのかい? 私が言うように、あの男の前で『それは遊びだった』と言えばそれで済むのだよ」


 そう言うバジマだが、その言葉は嘘である。これまで何度か他の男に入れ込んだ妾は居たが、全員、最後にはなますに切られて畑の肥やしとなるのだ。バジマの考える筋書きはこうだ。まんまとやって来た男を捕らえ、その目に痴態を見せつける。加わる者は多い方が盛り上がる。そして女からその言葉を言わせた後、先ずは男を殺す。そして「話が違う」と喚く女も嬲り殺しにしてしまう。


 二人の命を奪う結果になるが、それはバジマの陰惨な遊びに過ぎない。そして満足したバジマは手下であるダリヴィル一家に新しい犠牲者を要求するのである。


 一方、この場に居るダリヴィルの頭目ゴンザはとっくの昔に慈悲や悲哀といった人間の心を捨てた男であった。彼は多くの手下を率いて、バジマの金の下で享楽的な生活を送っている。昔気質むかしかたぎな任侠者の矜持など髪の先ほども持ち合わせていない男だった。


 そんなゴンザの所に手下が走り寄る。手下は小声で何かを伝えた。それに一つ頷いたゴンザはバジマへ歩み寄ると、わざと聞こえる声で言う。


「男を捕らえました……」


****************************************


 既に夕暮れを過ぎ夜の帳が降りる中、納屋の中は二、三本の蝋燭と暖を取るために燃やされた薪が炉の口からチラチラと見せる赤い炎に照らされるだけだ。そのため薄暗く全体に赤みを帯びて色彩に乏しい。そんな空間に、捕えられた男は縄でぐるぐる巻きに縛られた状態で蹴り入れられた。


 それは甲冑を纏った男だった。だが、甲冑以外に武器らしい物は持っていない。最初から丸腰でやって来たのは書き付けを信じて交渉する意志を示すつもりだったのだろう。しかし、結果としてヤクザ者達にあっさり捕まることになってしまった。随分と間抜けな話だが、ダリヴィル一家の男達はこの男が間男・・であることに疑いを持たず、マーリの近くへ蹴って転がすように動かした。


「ほう、優男風だね……お前、名前は?」

「せ……セブムだ! マーリを解放しろ!」


 バジマの問いに男は答える。一方マーリは混乱したような表情で固まっていた。その視線は同じように床に転がった男を見ているが、その瞳には戸惑いがあった。だが、バジマはそんな微細な反応には気付かない。


「セブムとやら。お前がお熱なマーリだがな、実はとんでも無い淫乱娘でなぁ。咥えこめる形のものなら何でも良いという女なんだよ」

「なにをっ! ふざけたことを言うな!」

「ははは、どうだろうねぇ」


 下卑た笑と共にそう言うと、バジマは縛られたマーリの足の縄を解く。そして汚れてクシャクシャになってしまった寝間着をはだけて、無理矢理片足を掴み上げた。


「きゃぁ!」


 寝間着の裾がズレ上がり、あられもない姿を晒すマーリは悲鳴を上げる。一方捕えられた男は目を背けた。


「この程度で目を背けるようじゃ、この後の光景は大変だぞ」


 バジマはそう言うと床に転がったままの男の頭を爪先で軽く蹴って笑い声を上げる。そして、


「そこの柱へ縛り付けな」

「へい」


 ヤクザ者達によって無理矢理立たされた男は縄で縛られた上から、納屋の柱にもう一度縛り付けられた。


「マーリを解放しろ! ただじゃおかないぞ!」

「ははっ! 何をどう、ただじゃおかないつもりだい?」


 気丈にもそう言う男だが、バジマはそれを鼻で笑う。彼は自分が圧倒的優位な立場に居ると信じている。この納屋の中には自分以外に十二人、外には五十人のダリヴィル一家のヤクザ者が居るのだ。しかも、バジマが動くとき、護衛役はダリヴィルの頭目であるゴンザ自ら仕切る、という取り決めがあった。ヤクザ者の中でも飛び抜けて武闘派で鳴らすダリヴィルの頭目ゴンザは手下への影響力もさることながら自身も相当に腕の立つ男だった。


「さぁマーリ。この男に言ってやりな、只の遊びだったって」

「……」


 バジマはマーリの足を掴んでいた手を離すと、今度はマーリの髪を掴んで顔を無理矢理柱に縛られた男の方へ向ける。痛みと恐怖に慄いた彼女の、男好きする顔が歪む。だが、それでも彼女は今の事態が呑み込めずにいた。何故なら、


(この人、誰? セブムじゃない……)


 と言う事だった。


「言わないつもりか……良いだろう、何人目で根を上げるか。オイ、やれ!」


 言葉を発しないマーリに、バジマは酷薄な笑みを浮かべる。そして、近くに立っていた若いヤクザ者に声を掛ける。そのヤクザ者は見苦しいニヤケ顔を隠そうともせずにマーリへ歩み寄りながら、自分のズボンに手を掛けた。


 その時、締め切られた納屋の中で空気が動いた。

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