Episode_21. +After Episode_3 状況把握


 ダーリアの街でも大きな穀物商であるロクサー商会、その店はダーリアを東西に貫く大通りから南に外れた市場の近くに在った。市場に近く、労働者の居住区にも近い場所に大店おおだなを構えているのだから何かと物騒な気もするが、実際のところロクサー商会に因縁を付ける破落戸ごろつきは存在しない。ダーリアの裏社会では、ロクサー商会に手を出した者はダリヴィル一家から苛烈な制裁を受けることになると知れ渡っているのだ。


 そうなると、市場に近い立地は便利であった。また、市場を挟んで南側の街の外には最近造られた王子派領「民兵団」の兵舎が続いている。常時二千前後の新兵が訓練しているため、彼等は備蓄以外の日常消費分としても穀物の類を大いに必要としている。そんな大口の顧客と近い事も商売の上では有利であった。


 そんな店に数日振りに帰ったバジマ・ロクサーは、トトマの宿屋で見せていた怒りの表情を消し去り、如何にも愛想の良い大店おおだなの主、という顔をしていた。


「あら貴方、今回は随分とお早いお戻りで……宜しかったんですか?」


 そんな彼を出迎えるのは、バジマの妻ソンネだ。バジマと同じ歳のソンネは、言葉ばかりは丁寧だが、その口調は暗に夫の浮気を疑う響きがあった。


「宜しいも何も、商談が終わったから帰って来ただけだよ。変な事を言うねぇ」

「そうですか」


 一方のソンネは、それだけ言うと素っ気なく店の奥へ引っ込んでしまった。その後ろ姿にバジマは音の無い舌打ちをする。一男一女をもうけた夫婦の関係は随分昔から冷え込んでいた。だが、バジマは妻ソンネと離縁することが出来ない。それは、彼が入り婿だからだった。


 当時、店の若手で目立つ存在だったバジマは、先代の一人娘だったソンネと恋仲になり、それなりの紆余曲折を経て夫婦となった。そして、店の経営にバジマが入り婿としてたずさわるようになり長男が生まれたころ、先代が急死した。当時は未だ、ロクサー商会の規模は辛うじて中堅と呼べるかどうか、という規模だった。そのため、不審な先代の急死であっても、バジマの周辺に変な噂が立つことは無かった。


 しかし、ソンネの父である先代は、バジマに何か思う所が在ったのか、店の資産や経営権を全て入り婿では無く我が娘に指名相続させていた。これにはバジマは憤懣やるかたない気持ちとなった。だが騒ぐ事無く平静を装うと、


(何れは俺の物になる)


 と言い聞かせ、父を失った悲しみに暮れる妻には、


「これからは二人でお店を盛り立てて行こう」


 と元気付けたりもした。


 そんなバジマには商才があった。判断力に優れ、ここぞと言う時には勝負を仕掛ける度胸もあった。そして、商売敵を陥れるためには姑息な手段を厭わない汚ささえ持ち合わせていた。ロクサー商会の発展は、そんな彼の才覚によるものだ。


 そして、ある程度手元の金に融通が利くようになると、バジマは当時乱暴なだけの破落戸者ごろつきもの集団だったダリヴィル一家を手元の引き入れ、彼等を援助しながら金貸しを営ませた。完全に本業と切り離した副業で金を更に増やし、ロクサー商会を乗っ取る事が目的だった。


 だが、元はダーリアの貧しい家庭で育ったバジマは、その後の過程で大金の悪い遣い方を覚えていく。ヤクザ者ダリヴィル一家が借金のカタに取った若い娘の味を覚えたのだ。才覚があり、店を乗っ取るつもりでソンネと恋仲になったバジマでも、堅気の男であることには変わりはない。寧ろ商売以外には目もくれずに事業拡大に邁進していた男が、外で女を、それも嫌がる女を抱く楽しみを知ってしまったのだ。バジマはたちまちそっち・・・の遊びに歯止めがかからなくなってしまった。丁度長女を授かったばかりで、妻ソンネが子供に掛かり切りだった事が彼ののめり込み・・・・・に拍車を掛けてしまった。


 そんなバジマは以前は想像もしなかったほど、自分が囲った妾に執着する男になっていた。偏執と言っても良い具合に、妾を束縛して奴隷のように扱う。そして、逆らったり逃げ出したり、今回のように別の男に走った女達には容赦なく制裁を加えていた。寧ろ、その制裁が楽しみで、厳しく妾達に接するほどだ。


 人間というものは、多層的で統一性の無い内面を一つの理性の膜で覆った存在だ。通常の人間ならばその理性の膜は「善良さ」を以って表に現れる。だが、その近くに匂い立つほど魅力的な何か、例えば金や権力または圧倒的な暴力を置けば、たちどころに膜の下に隠された内面が蠢き出す。そんな者達の中には、善良さという理性の膜を突き破り、欲望のままに伸ばした腕で欲するものを掴んでしまう者が居る。そんな者達は内に潜んだ悪鬼の如き欲望を肥え太らせ、それが齎す飢餓感によって、飽きる事無く下劣な欲を満たすことを欲し始める。バジマ・ロクサーという男は、そんな力によって歪んでしまった男の一人であった。


 そして今、彼は理性の膜で包まれた表の顔であるロクサー商会のバジマを装いながら、裏では自分を裏切った妾への復讐を画策していた。間男共々、酷いやり方で痛めつける方法が際限なく頭に浮かんでくる。それ等は考えるだけでも愉しい情景だが、彼はその想像を脇へ押しやると、ロクサー商会のバジマの声で、店の奥へ引っ込んでしまった妻に声を掛ける。


「明日からち二、三日、ちょっとスムル村へ出かけて来ますよ」


 彼の言葉に妻の返事は無かったが、バジマは気にする風でも無かった。


****************************************


 遊撃兵団第三騎兵隊長セブムは、その晩単身でトトマの街を後にした。隊長章をダレスに押し付けた後の彼は、トトマ街道会館を出ると南の城砦へ向かい、自分の馬を厩舎から出すとそれに跨って街道を東へ進んだ。厩舎を出る際には武器庫から小型の弩弓と矢、それに馬上槍を持ち出していた。まるで単身で戦場に向かうような様子である。


 そんな彼の様子は、気配を感じさせないリリアによって完全に追尾されていた。馬に乗って東へ進んだセブムの追尾を若鷹ヴェズルに任せた彼女は、自分も馬を曳き出すとそれに乗って後を追う。ただし、追いつくつもりの無い彼女の尾行は、先行した騎兵の姿が自らの視界に入らない程度に離れて行われた。それでも、尾行対象の行動は手に取るように分かるのは、リリアが類稀な精霊術師であることの証しである。


 そうして、夜通し騎兵の後を追ったリリアは、翌朝早朝に彼がダーリアの街に入るのを認めると、若鷹ヴェズルに書き付けを託し、その後を追った。セブムは民兵団の兵舎を避けるように、主にダーリアの北側を中心に午後遅い時間まで町中を歩き回ると、夕方には一軒の安宿に腰を落ち着けた。


(……マーリとか言う人だったかしら、その人を探しているのね)


 その様子は、傍で見守るリリアにも良く分かるものだった。そしてリリアは大胆にも同じ宿に部屋を取った。気取られない自信は十二分にある。注意と意識の大半が「失踪した恋人」に向いている素人・・の騎兵隊長に尾行を悟られるほど、リリアの密偵技能は低く無い。


 リリアはセブムの部屋の斜め向かいに部屋を借りるとそこで休む。休むと言っても、彼女の事だ、廊下を人が行き来する気配は敏感に感じ取っていた。最初は何の変化も起きなかった。だが、深夜を過ぎ未明近い時間に変化が起きる。それは、盗賊のように足音を殺しながら廊下を進む者の気配だ。その気配は丁度セブムが泊まる部屋の前で止まると、入口扉の下に何かを差し込み、来た時と同じように立ち去って行った。


 翌朝、セブムが目を覚まして差し入れられた紙片を読んで、驚きつつも自然に罠へ誘導されるような仕掛けである。だが、この宿にはリリアが居た。


(……凝った真似ね)


 ベッドの上でパッと目を空けた彼女の最初の思考はこのようなものだ。そして、気配が充分遠ざかったところで、彼女は部屋を出ると、セブムの部屋に扉の下に差し入れられた紙片を摘み上げて中身を読む。


 ――女はスムル村の北の納屋に居る。条件次第では折り合えるかもしれない。明日の夕方にその場所で待つ。一人で来い――


 紙片に書かれた文字の内容はこうであった。リリアは溜息と共にその紙片を元に戻す。そして、


(あの人、明日の午前にはダーリアに着くわよね……休まらないな)


 と思うのだった。自分の事は棚に上げ、愛する男ユーリーの心配をするリリアは、頭にこびり付いたような眠気を払うと、宿屋に進入した男の後を追った。敵の正体を見極める必要が残っていた。


****************************************


 レイモンド王子領で不埒な行いをする者は押し並べて各地のヤクザ者の一派に属している。それは、長く内戦が続く旨みの乏しい地域・・・・・・・・故に中原地方から盗賊ギルドが流入してこなかった旧西方国境伯アートン公爵領ならではの事情であった。そのため、悪党を統制する盗賊ギルドの存在は無い。替りに勢力抗争に鎬を削るヤクザ者の跳梁跋扈ちょうりょうばっこがあるだけだ。


 そんな地域で表に出る事無く裏の稼業を続ける者達の勢力は大きい。特にダーリアに於けるダリヴィル一家の勢力は凄まじいものが有る。構成員は千人を上回り、関係者を含めると五千を超える規模だ。実にダーリアの住民の十人に一人は何等かの形でダリヴィル一家と関係があった。


 リリアが後を追った男は、そんなダリヴィル一家の構成員であった。夜明け前の市場に入った男は、尾行に気付くことなく一軒の大きな商店に裏口から入って行った。その商店の表には、


 ――よろず穀物卸売処「ロクサー商会」――


 と書かれた大きな看板が軒から下がっていた。

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