Episode_21. +After Episode_1 かどわかし


――話は少しだけ時を巻き戻す――


 四都市連合の拠点を攻略した一団は、ボロボロになりながらも他国の領内に留まることなくトトマに帰参した。レイモンド王子を始めとするトトマ衛兵団が門前に立って出迎えたその様は、華美では無いが、立派な凱旋であった。トトマの住民達は歓声と振る舞い酒を以って彼等を迎え入れた。また、遊撃騎兵やコモンズ連隊以外にも、「オークの舌」や「骸中隊」といった傭兵達にも、凱旋の栄光が分け与えられていた。


 トトマの西の門から大通りへ入った一団は、負傷兵を連れる一団は救護院へ向かうが、その他はレイモンド王子の先導に従いながら大辻おおつじを南へ折れると城砦へ向かう。だが、その隊列からふと外へ転げ出る者がいた。それは騎馬から下りた遊撃騎兵、しかも隊長の腕章を付けた騎兵だ。だが、彼の隊の面々も、それに気付いたダレスも何も言わない。全員が見て見ぬ振りだ。その様子に気付いたユーリーとリリアは顔を見合わせるが、


「ユリーシ……ユーリー殿、それにリリア殿も、御無事で何より!」


 南の城砦から駆けてきた騎士アーヴィルの言葉によってそれ以上の詮索は遮られていた。


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「セブム……無事で良かったわ」

「泣くなよ……マーリが待っている限り、僕は必ず帰ってくる」


 二人は広いベッドの上で絡まりながら愛を語り合う。一度事を終えた後の甘いひと時を過ごす二人の様子は恋人のそのものだ。女は騎兵三番隊の隊長の腕の中で華奢さと肉感的な柔らかさを絶妙に保った身体をくねらせる。そして不意に背を向けた。突然始まった拗ねた素振りに、セブムの両手が女 ――マーリ――の両肩を抱き寄せながら自分の方へ向けた。


「……愛してる?」

「勿論さ」

「私もよ」


 そんな他愛のないやり取りは、瀟洒な造りの小さな家の寝室にしか響かない。だが、その言葉に耳をそばだてる者が居た。しかし、その時のセブムもマーリも、そんな存在が居ることに気付くはずが無かった。若い二人は次を求める。再び亜麻布リネンを手繰り寄せては振りほどきながら、まるでそれだけがやるべき事のように、愛欲の深さに没頭するだけだった。


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 遊撃騎兵隊の凱旋から二日後、ユーリーは仮住まいとして与えられた南の城砦の一室から起き出すと、外にある井戸場へ向かった。晩秋の朝の陽ざしは眩しいが冷え冷えとして眼が覚める思いだ。そこに、


「ユーリー、おはよう!」


 鈴を鳴らすような声を発するのはリリアだ。彼女は城砦に勤める下女達が寝泊まりする一画に部屋を借りると、そこで寝起きをしていた。二人は、城砦内の風紀に遠慮して別々に寝泊まりしているのだ。但し、洗濯板を使う彼女が洗うのはユーリーの肌着だったりする。


「着替え、そこに有るからね。早く着替えて頂戴、今の内に洗っちゃうから!」

「悪いよ、僕も手伝う」

「えーと……大丈夫よ、余計に時間が掛かっちゃうから」

「ハハハ、御尤ごもっともです」


 少し肌寒い晩秋の朝一番、二人のやり取りは弾むような会話である。リリアは口元に笑みを浮かべながら洗濯作業を続けている。忙しく動く彼女の腕には、先の戦いで斬り付けられた傷が薄らと白く残っていたが、


「これなら直ぐに跡は消える」


 という救護院の老医師の言葉通り、日に日に目立たなくなっていた。勿論傷が有ろうがなかろうが、そんな事を気にするつもりも無いユーリーは、作業を続ける彼女を洗濯タライ越しに見る。そんな彼は、前かがみになったリリアの襟元から覗いて見える美しい谷間に、チラチラと視線を向けたり外したりしながら、


(二人で一緒に住める家……探そうかな)


 と考えていた。彼の手元には貯まりに貯まった金貨二百枚以上がある。ウェスタ侯爵家の公子アルヴァンがユーリーとリリアにインヴァル半島東岸の偵察を依頼したとき、そのついえとして預かった金貨の残りである。それに加えて、以前の「東方見聞職」下命の際に渡された支度金も一部は「暁旅団」のブルガルトに取られたが、可也の額が残っていた。


 それ等の金は、


「餞別代りに持って行ってくれ。特にレイには、無一文で放り出した、と思われたくない」


 と冗談半分で言うアルヴァンの言葉通り、ウェスタ侯爵家から返却を求められることは無かった。気前の良い話であるが、リリアを含めた二人の働きに報いる報酬と「次に何かあった時」のための手付金のような性質の金であった。


 昔と違いリリアも居るため、金はあったに越したことは無い、と考えたユーリーはそれを遠慮無く受け取っていた。そういう経緯があったため、軽装板金鎧を新調した後でも、ユーリーの懐は寂しく無かった。


「他の女の人の胸元、そんな風に覗いちゃ駄目よ」

「え? な、なんのこと?」

「……まぁいいわ。それより、ねぇユーリー」


 そんな事を考えていたユーリーにリリアの声が掛かる。いつの間にか彼の視線は色白で柔らかそうな谷間を無意識に凝視していたのだろう。その事を咎めるリリアは咄嗟にとぼけるユーリーを一度だけムッと睨んだ後に、調子を変えると今度は甘えたような声を出した。


「もしもね、もしも可能ならば……別々じゃなくて、一緒に暮らしたいな……駄目かな?」


 そう言う彼女の頬は少し赤らんで、少女の面影を残していた。明るい茶色の髪を割って先端を覗かせる少しとがった耳が先まで赤くなっている。彼女はそう言うと、ユーリーが差し出した着古しの下着を洗濯板で擦る作業に戻った。だが、その様子はユーリーの返事を待っているようだった。


「僕もね、リリア。同じことを考えていたよ」

「本当?」

「本当さ。ちょっと待っててね。良さそうな所をゴーマスさんにでも聞いてみるから」


 その後の会話は、終始ご機嫌な様子となったリリアの笑顔で彩られていた。


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 その日の午後、トトマ街道会館の並びにある小さな宿屋の一室では、数人の男達が膝詰めで狭いテーブルを囲んでいた。部屋自体は二、三人で使っても問題の無い広さであり、寝室と居室に分かれた造りである。調度品が置かれ、絵も飾られている事から、高級志向の宿であることが分かる。


 そして、恐らくこの部屋の宿泊客であろう中年の男は、宿の品格に合致した身なりの良い商人風であった。だが、残りの男達はお世辞にも人品に優れているとは言い難い。傭兵や冒険者崩れなのか、それともヤクザ者なのか、判別は付かないが押し並べて人相の悪い男が三人である。


 だが、そんな人相の悪い三人の男達は、恐る恐る、といった感じで商人風の中年男を窺っている。商人風の中年男は、張り付けたように変化の無い笑みを浮かべているが、時折左側の口角付近が痙攣するように震えていた。それは、この男が怒り心頭に達した時の表情に間違いが無かった。


「そうですか……マーリは他の男を咥えこみましたか」

「へ、へい……なんでも騎兵隊の隊長らしいです」

「確かなんだろうね?」

「へ、へい。それは、その。大丈夫です」


 顔面に張り付けた笑みはそのまま、但しコメカミには青筋を浮かべた商人風の中年男が確かめるように言うと、男達の中でもひと際人相の悪い一人が、肩を縮めながら頷く。


「なら、さらって連れて来るんだよ」

「二人ともですか?」

「バカかい。マーリの方をだよ」

「こ、ここに?」

「本当にバカだねお前は! 只でさえ警備が厳しいトトマで余所者の私達が動けばバレちまうだろう。いいかい、ダーリアへ連れて来るんだ。場所はいつもの村の外れの倉庫だ」

「へい」


 念を押すように言う商人風の中年男に、三人の男達は頷き返した。


「私の用事が済んだら、後は好きにしていい。だけど、それまでは手を出すんじゃない。あくまで連れて来るだけだ」


 そして、商人風の中年男はそう言うと、次いで忌々し気に言葉を続ける。この段階で、男の表情からは笑みが剥がれ落ちていた。そして現れたのは酷薄さを憤怒で彩った何ともゾッとする形相であった。


「……このバジマを裏切って他の男とねんごろになるとは、バカな女だったね。間男の方は……そうだな、騎兵の隊長ならば強いのだろう」


 バジマという男の中では、マーリという妾は既に死んだ女となっていた。そして復讐はそれに留まらず、妾を寝取った男にも向く。そんな彼はいい考えを思い付いたようにニヤリと口を歪めた。いつの間にかその表情は張り付いた笑顔に戻っていた。


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 バジマ・ロクサーはダーリアを拠点とするロクサー商会の元締めである。ロクサー商会はダーリア一帯に広がる穀倉地帯の農村に対して商品作物の買付けを一手に担っている穀物商が本業である。以前はダーリアの行政代理官や徴税人と結託し暴利を得ていた時期もあったが、二年前の不作を期に発覚した穀物価格操作の不正事件時には、まんまと追捕ついぶの手を逃れていた。そして、以降は真っ当な穀物商としての商売に専念しているように見えた。


 しかし、その裏では潤沢な資金を元手に貸金業を営んでいた。勿論法外な金利を取る違法な貸金業である。その客はダーリア都市部に住む者に限らず、周辺の農村にも及んでいる。そして、幾つかの村はバジマへ借金を返す事が出来なくなり、土地の一部を奪われていた。だが、狡猾なバジマは表だって土地を占有するのではなく、土地はそのまま農民に耕させ、利子として作物を持って行くという方法で「生かさず殺さず」に利益を吸い上げていた。


 その貸金業は手下であるヤクザ者達を前面に立てて営んでいる。バジマが背後に付いて操るヤクザ者は「ダーリアのクサリヘビ」通称ダリヴィル一家と呼ばれ、ダーリアでは一二を競う大きな勢力であった。そのためダーリアの一般の人々には、ダリヴィル一家の法外な金利や乱暴な取り立ては有名であったが、そこからロクサー商会を連想出来る者は居なかった。巧妙に裏に隠れて甘い汁を吸う、姑息なやり方を好むのがバジマ・ロクサーという男だった。


 そして、バジマの意向を受けたダーリアのヤクザ者達は、翌日の昼過ぎ、間男セブムが去った後の妾宅に押し入ると、驚いたマーリを数人がかりで麻袋に圧し詰め、易々と拉致して行った。しかも、ヤクザ者達はその現場をわざと荒らされたままで残して行った。


 いそいそとした足取りで妾宅を再び訪れたセブムがその形跡を見つけたのは拉致が有った日の更に翌日の夕方であった、ということだ。

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