Episode_21.23 混ざり合う風


 船側から射掛けられる弩弓の矢が、「オークの舌」の傭兵達とジェロ達冒険者の頭上に降り注ぐ。対して、魔術師タリルは「縺れ力場エンタングルメント」の力場魔術を頭上に展開して矢を凌ごうと試みた。だが、大きく広がった味方の頭上全体を覆うことは出来ない。


「ジェイコブさんよ、アンタの精霊術で」


 タリルは魔力欠乏症による頭痛を堪えながら、やや乱暴に傭兵の首領へ言う。しかし、


「駄目だ、風の精霊が言う事を聞かない! 悪いが、一人で頑張ってくれ!」


 そう返事をしたジェイコブは両手に手斧を持つと襲い掛かる敵兵と切り結ぶ。魔術師タリルの周辺は仲間のジェロもイデンも敵と切り結んでいる。一時船へ通じる桟橋付近まで前進した彼等だが、最前列に居た味方の傭兵達は先ほどの凍気の一撃であっさりと壊滅してしまった。しかも、後方の逃げ道は分厚い氷壁で塞がれている。逃げ場を失った傭兵達は、正に死にもの狂いである。


 彼等は必死で戦うが、皆心の中は恐怖で満ちていた。


 ――先程と同じ一撃を受ければ、今度こそ全滅する――


 それが全員に共通した恐怖感の正体だった。前線を押しまくられ、後退は出来ない状況で、彼等は狭い場所に押し込められている。そんな真っ只中に凍気の塊を撃ち込まれれば、全員が氷漬けになって一巻の終わりである。それは、必ず的中する悪い予感のようでもあり、逃れられない破滅の未来のようでもある。


 そんな中、懸命に頭上の隙間を力場魔術で埋めようとした魔術師タリルは、痛む頭の片隅で疑問を感じた。それは、


(でも……何故撃って来ない?)


 というものだった。そして、彼は視線を恐々と漆黒の存在へ向けた。そこには相変わらず宙に留まった異形の精霊王の姿があった。しかし、先ほどと違う点もある。それは、


「あれは……」

「どうした、タリル!」

「ジェロ、あれは……?」


 茫然と宙を見上げて動きを止めた仲間にジェロが声を掛ける。彼は腕から肩、そして胸の鎧に掛けて敵の返り血を浴び、また、自分も幾つか切傷を負った壮絶な姿だった。だが、仲間想いの彼は、タリルの様子を心配したように声を掛けた。そして、タリルが指差す方を見る。そこには、


「あれって、リリアちゃんの飼っている鷹?」

「ヴェズルだったか?」


 漆黒の存在に対峙するように、薄い燐光を発した一羽の鷹の存在があった。


****************************************


 凍てつく風の化身。南天の精霊王、いや、正しくは精霊王だった存在・・・・・。それが発した絶叫を伴う強烈な意志は、幼い若鷹ヴェズルを圧倒した。だが、ヴェズルもまた、怪鳥と比すると小さな身体ではあるが、精一杯に胸を張って重圧を受け止めた。そして、言葉にはならない幼い思念で応返した。それは、自然の条理に反する働きを止めるように呼びかける意志である。寛風の化身としての霊格を備えた幼い鷹の意志、その強さでは無く正しさに対して、堕落した精霊王アンズー・ルフは怯む様子を見せた。


 存在の根本が「この世界の維持」という意義を帯びた存在にとって、正しい働きを呼びかける意志は、幼かろうが弱かろうが関係の無い強さを帯びている。それは存在の大小強弱とは別の次元、この世のことわりという根幹に根ざした呼びかけであった。太古の昔に存在したということわりの巨人と原始の力の龍。その二つの争いの中で混じりあった概念と力流が今の世界の骨格であり微細に入り込んだ機微である。そんな世界に存在する者、そして、世界を成立させる役割を帯びた者にとって、この世のことわりに従い、力を正しく使うように呼びかける意志は無視できない。


(……)


 だが、アンズー族の守護精霊の道を選んだ漆黒の怪鳥は、そのことわりに反発する。


(余に命じ得るは愛おしき漆黒の乙女、ただ一人のみ!)


 漆黒の怪鳥は、爆発的な意志の力で幼い「寛風の王ヴェズル」の意志を弾き飛ばす。それは、幾星霜の彼方に置き去りにした淡い思慕の発露である。そしてヴェズルの目の前に渦巻く凍風の塊が現れた。


(悠久の時に、姿形すがたかたちを留め得ぬのがこの世の理ならば、余はそれに逆らおう。朽ちて骨と蝋のみとなったあの乙女に、もう一度抱かれる夢を見よう!)


 それを狂気と決め付けるには容易いが、その言葉に籠った永遠の喪失感は筆舌に尽くしがたい。幼いヴェズルを圧倒する強い情動が、堕落した精霊王から発せられる。そして、吹き荒れる極低温の凍風。ヴェズルは鷹の翼を懸命に羽ばたかせると宙空に留まるのがやっと、と言う状況だ。但し、その幼い心は悲しみで覆い尽くされていた。


 ヴェズルには分かる。母と慕う存在を喪失する悲しみが分かる。そして、その母が思いを寄せる人間の男が、もしも死んでしまった時に、母が感じるだろう悲しみも分かった。それは、人間という存在を母と思い込んだが故に知り得た感情である。だからヴェズルは、目の前の存在が発する凍える風にも悲しみを感じた。


 悲しい事は良くない事だ。何が有ったのだろうと思う。何故、怒りながら泣いているのか? 先ずは怒りを止めないか? そう感じたヴェズルは、言葉として発する事の出来ない感情を風に乗せる。そして、迫りくる凍風の塊に対して、自らの風 ――寛風―― を送り込んだ。


 強大な存在である二柱の精霊王の間で、質の異なる風が混ざり合う。強力な力の衝突ではあったが、その様子は妙に静かなものであった。小さな風の精霊達は逃げ場をなくすことも、悲鳴を上げることも無い。只々混ざり合い、打ち消し合って行くだけだ。


 この時点で、両者の力は拮抗した。


****************************************


 呪術師は尊大な立ち姿を保ちつつも、その内心は動揺と疑いに溢れていた。


(なぜだ? なぜ守護精霊は何もしないのだ?)


 彼はそんな疑問に支配されていた。血脈による盟約の力で強大な守護精霊と繋がるのみの彼は、目の前の状況が理解できていない。彼の意志は常に彼から守護精霊に伝わり、その逆は滅多に無いのだ。


(あんな小鳥一羽に何をやっている!)


 呪術師の目にはそう映る。守護精霊アンズー・ルフは、その漆黒の巨体と比較すれば小鳥同然の鷹に対して何もせずにいた・・・・・・・。呪術師が先ほどから送り続ける意志は、まるで無視されているようだった。


(おのれぇ……)


 だが実際には、守護精霊アンズー・ルフは凍気の風を送り続けている。そして、呪術師の意志通りに、鷹の形を持った幼い精霊王を退け、その背後に居る人間達を滅ぼそうとしている。しかし、その風は生み出されると同時に打ち消されていく。そして、海洞の中に吹くのは、外よりもやや冷たいと感じる風だけだった。


 そんな状況だが、力の無い呪術師には、まるで自分が守護精霊から無視されているように映る。そして、その誤った認識が、呪術師の尊大な自尊心を燃え上がらせる。


「血脈の力に於いて再度命じる! 守護精霊アンズー・ルフよ、全ての力・・・・を以って敵を滅ぼせ!」

(……全テ、全テデ良イノダナ!)

「うわっ」


 呪術師は、敢えて再び言葉に出して命令を発した。すると、普段は一方通行な意志に返答があった。それは強大な存在が持つ大きな意志の塊ともいうべき思念だった。不意にその思念に接した呪術師は思わず悲鳴を上げて頭を押さえる。そして、


「そ、そうだ……全てを以ってだ!」


 と呻くように答えた。その瞬間、拮抗していた二柱の存在に変化が現れた。凍気の風が冷たさと量を増し、打ち消す風の凌駕し始めたのだ。海洞内の温度が一気に下がり、岩の上に霜が降り始めた。


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