Episode_21.22 魔術剣士


 甲板に降り立ったユーリーの視界の先でリリアの左腕から血潮が舞った。パッと飛び散った血潮は、薄暗い夜明け前の海洞の内部では色彩など伴わないはずだ。しかし、ユーリーの瞳には、飛び散った血潮の赤く愛おしい色が映った。


(……ッ!)


 その光景は、普段から押えている感情の制御 ――魔剣「蒼牙」が与える増加インクリージョンの副作用への対抗―― を簡単に吹き飛ばす光景だった。


「うぉっ!」


 早速、声にならない音の塊がユーリーの口から吐き出された。そしてユーリーは板張りの甲板を跳躍するようにはしった。だが、彼と彼女の間には未だ十数メートルの距離がある。ユーリーの目の前には続く惨劇が展開された。


「キャァ!」


 鋭い上段からの振り下ろしは、確実にリリアの鎖骨を断って肺から心臓までを傷付ける意図を持った攻撃だった。それに対してリリアは短槍ストレッチスピアを水平に構えて防御を意図する。だが、ミスリル製の柄に打ち掛かった敵の刃は軽くその上で跳ねると、次の瞬間リリアの懐を抉るように、控えめな乳房の膨らみを下から斬り上げた。巧妙なフェイント攻撃である。それに対して、リリアは生まれ持った運動神経だけを頼りに、身を捻りながらその一撃を辛くも躱す。古代樹の板を仕込んだ革鎧の表面に逆袈裟状に裂傷が走った。そして、振り上げられた敵の刃はリリアの短槍の柄を捉えると、それを宙に弾き飛ばした。


 カァン!


 乾いた音が振動を伴って宙を舞う。丸腰となったリリアは咄嗟に右腰に収めていた養父ジムの形見の左手用短剣ソードブレーカーを抜き払い、新たな防御とする。しかし、小剣スモールソードの派生である小型の自衛武器は、四都市連合の作軍部長が振るう業物の片刃剣サーベルの前では如何にも非力だった。続く一撃を櫛状の峰で辛くも受け止めたリリアは、その斬撃の勢いに負けて尻もちを付く。無遠慮に押し込まれた刀身が彼女の左肩に食い込んだ。力尽くに圧し斬るように力が籠った刃は、彼女の革鎧を紙のように押切り、その下の柔らかい肌へ達した。


 再び上がる血潮。


「ぐぅっ!」


 リリアは、尻もちを付いた状態でその一撃を肩に食い込ませながら耐えた。激痛が全身を駆け巡る。しかし、意識が接触を持とうとする風の精霊、頼みの綱はまるで別の関心に注目するようにリリアの意志に反応しない。


「案ずるな女、無用に辱めることはない。死ね!」


 敵は見下した風に言うと、それでも粘るリリアの鳩尾を踵で踏み抜くように蹴り付けた。その反動により、リリアの左手用短剣ソードブレーカーに噛みあっていた敵の刃が自由になる。そして再び振りかぶられる白銀。


(やられる!)


 咄嗟にリリアは反射的に目を瞑りかけた。しかし――


「お前がな!」


 咆哮というには余りにも特定の意味を孕んだ声が海洞に響く。そして、リリアと敵の間に黒い影が走り込んだ。その一瞬後、四都市連合の作軍部長が振り下ろした片刃剣サーベルは、確実に目の前の小娘を屠るかに思えたが、予想外の反発に受け止められていた。二人の間に割り込んだユーリーが左腕の仕掛け盾でその一撃を防いだのだった。


「ユーリッ」

「リリア」


 二人の声が交錯する。


「なるほど、仲間がいたのか」


 一方、敵の作軍部長は新手の登場にも驚くことなく、冷静に次の一撃を仕掛けようとする。彼は女の方にはもう戦闘力が残っていないと判断すると、男の方を先に片付けるべき相手と定めていた。そして再び片刃剣サーベルを振りかぶる。


 その気配にユーリーは敵へ向き直る。背後に手負いのリリアを庇った状態では、間合いを外すように下がる事も、横へ剣線を逸らすことも出来ない。そのため、敵の斬撃を真正面から受け止めた。


 ガキィ――


 甲板上に再び剣と盾が打ち合う音が響く。


 左上から袈裟がけに振り下ろされる敵の剣を、ユーリーは真正面から盾で受け止めた。体格に勝る敵は、盾に打ち付けた剣に体重を乗せるとユーリーを押し退けようとする。だが、その重圧をユーリーはビクともせずに受け止めた。この一度の斬撃と、リリアをここまで追い詰めた状況に、ユーリーは敵の技量を見極めていた。


(強い、だが、驚くほどではない!)


 そう断じる事が出来るのは、ユーリーが積んで来たこれまでの訓練と、その相手であった強者つわもの達のお蔭であった。剛剣を巧みに操る騎士、長剣を豪快に振るう幼馴染、そして片手剣の名手であった老剣豪、彼等の存在があってこその現在のユーリーである。


 そんなユーリーは、敵の重圧に少し押されるようにして見せ・・・・ながら、同時に魔力を溜め込んだ魔剣「蒼牙」の増加インクリージョンの効果を使い、正の付与魔術である「治癒ヒーリング」と「止血ヘモスタッド」を立て続けにリリアへ掛けた。圧し負ける様子を見せたのは、二つの魔術を使う時間を得るための演技であった。


 増幅された「止血」の効果は、腕と肩からの出血を止めて傷口を埋める。そして「治癒」がリリアの自然治癒力を極大化した。致命傷では無いが、相当に深い傷を負った状態から回復したリリアへ、ユーリーは短く声を掛ける。


「動けるね?」


 一方、リリアはユーリーの言葉の意図を読み取ると、力強く頷く。そして、取り落とした槍を再び掴み船尾の呪術師目掛けて走り出した。


「まだ動くのか! 弓兵、女を射よ!」


 その様子に、驚いた声を発したのは敵の作軍部長だった。瀕死ではないが、充分に痛めつけた、と思っていた女が再び動き出した様子に、彼は船尾付近で弩弓を放つ弓兵達へ指示を発した。瞬間だけ気が他へ逸れ、ユーリーの盾を圧し込む力が僅かに緩んだ。その隙を見逃すユーリーではない。


「ッ!」


 声にならない気合いを発したユーリーはこれまでの力が嘘であったかのように、一気に左手の盾を押し返す。そして作った僅かな隙に敵の腹を「蒼牙」で横薙ぎに斬り払った。


「うぉっ」


 盾の陰から繰り出した斬撃だが、敵は辛くもその切っ先を飛び退いて躱した。対してユーリーはこれを追うのではなく、逆に飛び退いた。そして両者の間に三歩分の距離が開く。恋人リリアの窮地に、肉迫してこれを防ぎ、盾で庇いながら治癒魔術を行使した彼は、これまで一度も敵に対して魔術を使っていない。その意図は明らかだった。


 ユーリーは右手の「蒼牙」に再び魔力を籠めると、盾を展開したままの左手で宙に模様を描く仕草 ――補助動作―― を取る。


「なっ、魔術剣士ルーンフェンサーだと!」


 敵の作軍部長は明らかに動揺すると、遮二無二に距離を詰めようと駆け出す。しかし、その正面には既に展開を終えた魔術によって具現化した白熱の大きな炎の矢があった。作軍部長は、その魔術が発動されるまでの僅かな間隙に望みをかけて、板張りの甲板を蹴ると一気に間合いを詰めた。


****************************************


 海洞への降り口に進入したダレス達騎兵隊とコモンズ連隊の歩兵小隊は、降りた先にある海洞手前の空間で防戦一方となっていた「骸中隊」に合流した。弓矢による遠距離攻撃主体の傭兵団は、陸戦専門の四都市連合の傭兵達に押されながら、通路に入る狭まった場所に何とか踏みとどまっていた。だが、近接戦闘に秀でる者が少ない彼等は、徐々に押される、と言う展開だった。


「前列は任せろ! 行くぞ!」


 そこに合流したダレス等は、騎兵用の装備である馬上槍と丸盾ラウンドシールド、そして金属製の胸甲という比較的重装備を生かして、骸中隊の前へ出ると敵兵達と槍を交えた。狭い洞窟内であるが、精々が二メートルほどの馬上槍は何とか取回すことが出来る。そして、歩兵よろしく隊列を組んだ彼等は普段やらない槍衾やりぶすまを形成すると、徐々に敵を海洞内へ押し返した。


 この時点でダレス達応援部隊は、海洞内部の惨劇を知らない。そのため、再び優勢を取り戻しかけた状況に、仲間の騎兵達を鼓舞した。


「押し返せ!」


 王子派の軍勢では、最近の戦いを最も数多くこなしている遊撃騎兵隊は、徒歩であっても精強だった。彼等はダレスの声に応じるように、息を合わせて盾を突き出して敵の前列を殴り、そして槍を振るう。大勢の敵兵が盾に殴られ槍で突かれ、その場に倒れる。そして出来上がった空間に――


「抜剣! 突入!」


 という掛け声と共に、元捕虜であった兵士達で構成されたコモンズ連隊の歩兵小隊五十人が突っ込んだ。長く続く内戦で「寝返り」という行為を選択した彼等の、一人一人の気持ちは分からない。だが、全体として大隊長であった騎士コモンズへの忠誠は確かな男達である。彼等は、嘗ての敵王子派の一部となった今、自分達の精強さを示す場を見出し、勇躍して敵兵に飛び込む。


 戦場は乱戦の状況を呈しつつも、徐々に海洞内部へ移って行く。そして、


「アレが敵の船か!」


 大きな空間に出たダレスは、開けた視界の先に停泊する大小三隻の帆船を見る。だが同時に、彼の視界は異様な存在を捉えていた。


「な、なんだ?」

「あれが……敵の精霊王?」


 その存在は帆船と陸地を繋ぐ桟橋の上の空中に留まっていた。その姿についてはアデール小隊の兵士達から聞いていたが、我が目で見ると何とも異様な存在だった。まるで巨大な黒鳥のようであるが、その頭部は獅子である。しかも、その存在は羽ばたく事無く、翼を広げた状態で空中に静止していた。一目で尋常な存在ではない、と分かる光景だった。と、その時、彼等の頭上を切り裂くような絶叫が海洞内部に木霊した。


ギャァァァァァァッ!


 ただでさえ異様な存在が、魂を削るような絶叫を発したのだ。遊撃騎兵隊もコモンズ連隊の歩兵達も、その場で躊躇するように動きを止めてしまった。


「ダレス! どうする?」

「進むか? でもアレは……」


 そんな言葉は、ドッジとセブムのものだ。彼等だけでは無い、海洞内部に再突入を果たした面々は、全員がその異様な存在 ――アンズー・ルフ―― の姿と鳴声に恐れを抱き、それ以上先へ進むことが出来なくなってしまったのだ。


 しかし、ダレスだけ・・は違った。彼は、単身別行動を行ったユーリーと、彼に寄り添うようにいつも一緒に居るリリアの存在を頭に浮かべた。そして、


(アイツならば、絶対に何とかしてくれるだろう)


 という確信を持っていた。「信頼」や「友情」と言えば面映ゆい気もする。出会いの形も再会の形も最悪なものだった。だが、共に戦った日々はダレスにそのような確信を与えるのには充分な濃密さであった。


「ユーリーが何とかしてくれる! 俺達は進むぞ!」


 ドッジやセブムにだけ答えるのではない。ダレスは自分全体が聞こえるように大声を張り上げる。そして、自ら率先して先頭に立った。


 この時、ダレス達が前進しなければ、反対側の通路付近で孤立していた「オークの舌」は全滅していたかもしれない。その事を今は知る由も無い騎兵や兵士はダレスに引っ張られるようにして、再び前進を開始していた。一人の仲間の名前が全員に勇気を与えていた。

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