Episode_21.21 妨害


 一陣の疾風のように甲板を駆けたリリアは、腰だめに構えた短槍をローブの男の背中 ――丁度心臓の辺り―― 目掛けて突き出した。しかし、


「何者か!」


 必殺の刺突は、物陰から飛び出て来た男によって切っ先を弾かれてしまった。


「しまっ――」


 その男が放った斬撃は、思わずリリアが槍を取り落としそうになるほど強烈であった。思わぬ妨害の出現にリリアは舌打ちする。事に掛る前に余計な事を考え過ぎたと後悔するも、後戻りはできない。


「敵が船に潜入したのか」


 冷静な声で言う男はリリアとローブの男の間に割って入ると、背後に呪術師を庇うようにして立った。一方、自分の命が狙われていたことを、その時点で察した呪術師は驚愕した表情を隠そうともせずに、男とリリアを見る。


「あ、ああ……」

「呪術師、仕方ないから守ってやる。その間に陸地の兵の援護を」

「わ、わか……良いだろう!」


 一瞬剥げ落ちかけた尊大さの仮面を何とか保った呪術師の返事に、男 ――四都市連合の作軍部長―― は露骨に舌打ちする。そして、ひと目で業物と分かる片刃剣サーベルの切っ先をピタリとリリアに向けた。


「女……小娘一人か、大したものだ」


 凄む訳でも威嚇する訳でも無い低い声だ。しかし、切っ先を向けられたリリアは強い重圧を感じた。それは剣気と呼べるような殺気を伴った威圧感だった。そして、居竦んだようになったリリアへ、作軍部長の剣が振るわれる。


 ガキッ――


 一瞬で間合いを詰めた鋭い太刀筋は、斜め上段からの斬り下ろし。寸前の所で我に返ったリリアは、その一撃を槍の横薙ぎで逸らせようとする。しかし、敵はそんな防御を読んでいたように更に一歩踏み出すと、逆にリリアの槍を押し退けるようにして、柄に沿って刃を振り抜いた。力比べでは男女の差は拭いきれない。敵の刃は長柄の武器を持つリリアの懐に飛び込み、隙の多い手元を攻撃するものだった。生半可な者がリリアを相手に同じ真似をすれば、穂先の餌食になるだろう。しかし、四都市連合に於いて精鋭の集団である作軍部長はリリアの槍術を上回る剣技を見せた。


 柄の上を滑った刃は、シャッ! と音を立てるとリリアの右手を切り落とそうと迫る。


「ッ!」


 リリアは敵が放った予想外の攻撃に咄嗟に槍を引き戻すが、間に合わず左の前腕部を浅く斬り払われてしまった。切り裂かれた革製の手甲からパッと赤い血が舞う。


(強い……)


 ドルドの森の守護者直伝の棒術を発展させたのがリリアの槍だ。しかし、今の一合で相手の力量が自分を上回っていることを悟ったリリアの脳裏に「逃走」という選択肢が浮かぶ。だがそれと同時に、まだ自分にはやれることがある、という想いも浮かんだ。そしてリリアは、後者を選択すると、


「風よ、集いて敵を打ち倒せ!」


 意志の力を鋭い声に乗せて発した。リリアが意図したのは風の精霊術「強風ブロー」だ。強風により相手の体勢を崩し、その隙に背後の呪術者を狙うつもりだ。逃げるのはその後で良い、という判断だった。そして、リリアの周囲に満ちた風の精霊は彼女が持つ強い強制力によって、意図通りの風塊を形成すると、目の前の敵に襲い掛かる。


 一方、作軍部長は単身で船上に乗り込んできた目の前の少女をただの戦士・・・・・とは思っていなかった。そのため、彼女が風の精霊に呼びかける声を発した瞬間、それを精霊術の発露と判断して一気に間合いを詰めた。


 ブオッ――


 そして、風塊と作軍部長が衝突する。しかし、


「えっ!」


 驚愕の声を上げたのはリリアだった。彼女の発した強風は普段の力よりも数段弱い風にしか成らなかった。それは、突進する敵を退けるには力不足、只の突風であった。


(風が……干渉された?)


 不意に感じる寒気は、剣を振りかぶった敵によるものか、それとも凍てつく風を司る精霊王によるものか、リリアには答えを出す時間が無かった。残忍な刃が彼女の頭上に迫った。


****************************************


 呪術師の男は、内心を恐怖と焦り、そして腹立たしさで埋めていた。恐怖と焦りは、自分の気が付かない内に背後に敵が迫っていたことによるものだ。先程まで口論をしていた作軍部長の助けが無ければ、今頃自分は死んでいただろうと思う。そして、腹立たしさとは、そんな作軍部長に助けられた事であった。自分を「深南の賤民」と嘲った言葉を忘れた訳ではない。だが、自分を助けた事には後で何かしらの感謝をしなければならない。その事が無性に腹立たしかったのだ。


 船の中央部で争う作軍部長と女を避けるため船尾側に移動した彼は、渦を巻いたような昏い感情を叩きつける相手として、海洞内に進入した敵に目星を付けた。特に彼から見て左側の戦線は、多少押し返したといっても、大勢の敵が健在だった。


「お前達に我が守護精霊の力を見せてやろう!」


 そう言う呪術師の男は、彼自尊心の拠り所である守護精霊アンズー・ルフに呼びかける。


(凍える風の主よ、来たりて我にその力を見せよ)


 変化は一瞬の出来事だった。呪術師の頭上には海洞の広大な空間が広がっていたが、まだ日の出前の暗い空間に突然周囲よりも濃い闇が凝集した。そして、次の瞬間、そこには宙に浮いた状態で留まる漆黒の翼が具現化した。一瞬で怪鳥の形を成した守護精霊アンズー・ルフである。


「彼の者共に凍える死を送れ!」


 呪術師の言葉は本来精霊王たる存在には何の強制力も持たない微弱な意志でしかない。しかし、その声に纏わり付いたいにしえの盟約によるかせが、言う通りに行動するよう堕落した精霊王を縛り付けた。アンズー・ルフは獅子の顔に不快の表情を浮かべつつも、呪術師が意図した場所 ――「オークの舌」の傭兵達―― へ極冷の空気の塊を送り込んだ。


 極冷の風塊は頭上から真っ直ぐ地面を目指すと、気付かず目の前の敵に集中していた傭兵達の少し背後に着弾し、凍風を辺りへ撒き散らした。


「うわっ!」

「なんだ?」

「うぐ――」


 直撃を受けた者は一瞬にして凍り付く。また、渦巻く凍風の範囲内に居た者達も一気に体温を奪われるとその場に突っ伏した。


「まずい! 一旦退け! 退け!」


 その状況に「オークの舌」の首領ジェイコブが後退を指示した。しかし、彼等の退路を塞ぐように、海洞への通路入口付近へ二度目の極冷の風塊が投げ付けられた。二度目のそれ・・は一度目とは異なり、周囲の水分や海水を取り込むと急速に分厚い氷壁を形成して通路を塞ぐ。不運な傭兵達がその分厚い氷の壁に閉じ込められて絶命した。


 退路を断たれた傭兵達は、その時ようやく頭上に現れた異形の存在に気付いた。それは、全身を漆黒の羽で覆った巨鳥。しかも、本来鳥類の格好をしているべき頭部には黒いたてがみを備えた獅子の頭が乗っている。


「こんな敵だなんて……聞いていないぞ!」


 その存在の正体は分からないが、その存在の強大さは分かる精霊術師ジェイコブが呻くような声を発する。だが、その声は血も凍るような絶叫、いや鳴声に掻き消された。


ギャァァァァァッ


 海洞の半閉鎖された空間に、漆黒の怪鳥の鳴声は絶叫のように木霊した。


****************************************


「ははは、これが我が力だ。畏れろ! そして死ね!」


 恐慌状態に陥った敵の傭兵を見下しつつ、呪術師の男は狂気じみた声を発する。この一瞬だけは、虐げられた民という自分の出自を忘れる事が出来る。この一瞬の愉悦が全ての憂鬱を取り払ってくれる。そんな昏い快楽に溺れきった声だった。


「アンズー・ルフよ、奴らの真ん中に凍える嵐を引き起こせ!」


 高揚した声が笑い声を含んで発せられる。その視線は絶望して死んでいく者達の表情を一つでも多く脳裏に焼き付け、後日に続く心慰みの糧にしようと、爛々と見開かれて眼下に注がれていた。


 しかし、意図したような変化は起こらなかった。


「アンズー・ルフよ、我が血脈の力に於いて命じる!」


 呪術師は再度言葉に力を籠める。自分の力だと思い込んでいる「力」を籠めたのだ。だが、やはり何も起こらない。


「……なんだ?」


 その時、呪術師はようやく視線を頭上の守護精霊へ向けた。そこには、いつも通りの巨大な怪鳥の身体と、見慣れない小さな鳥が向き合っている光景が広がっていた。


「何をしている! アンズー・ルフよ! 我が声に従え!」


 もう一度怒鳴った精霊術師だが、彼の頼みの綱である守護精霊からは何の反応も無かった。守護精霊は薄く燐光を纏わり付かせた若い鷹と向き合い全ての動きを止めていた。


****************************************


 母の恋人ユーリーに先んじて海洞内部に飛び込んだ若鷹ヴェズルは、眼下で窮地に陥った母の姿を見つつも、同時に別の存在を感じて意識を向けるべき対象を迷わせた。幼い心では結論を下せない逡巡に支配される。


 しかし、直ぐにあの男・・・が降りてきた。こんな事態・・・・・なのに、背に持つ光る翼で羽ばたくことも無く、ヴェズルからすれば使い難い不便な力魔力に頼ってゆっくりと宙を浮遊している。その呑気さに、ヴェズルは言葉が通じるならば直接文句を言ってやりたい気持ちとなった。だが、そんな若鷹の気持ちを知らないユーリーは、船首に降り立つとリリア目掛けて駆け出したのだ。


 その状況に、ヴェズルは母への心配は一時脇へ置くと、もう一つの存在へ意識を向ける。それは、彼にとって無視できない現象を引き起こしている存在だった。そもそも、ヴェズルが飛び込んだ空間は、渦巻く異質な風の力に支配されていた。それは本来、空の高い所に留まり、南北の極を行き来するべき風であり、地上に長く留まるべきではない・・・・・・風だ。それが、海洞内部に充満していたのだ。


 寛風 ――上空の大気と地上の大気を正しく循環させるための風―― を司る存在としてこの世界に具現化したヴェズルは、幼いながらもその不自然さに反発した。そして、この異質な風の中心ともいえる巨大な存在へ向かう。


 その存在は、地上の人間達に凍気を投げ付け命を奪っていた。そして、存在しない逃げ場を求めて恐慌する人々を全滅させるべく最後の凍気を嵐として具現化させようとしていた。一方、風の精霊王の眷属であるヴェズルには人間を守るという意志はない。それは彼の存在意義ではなかった。だが、意図せず割り込んだヴェズルは、人間達の中に出現しようとした凍気の嵐の「核」といえる風の精霊の働きに全力で干渉した。そして、怪鳥と比べれば小鳥のような幼い翼の羽ばたきで、その凍気を吹き飛ばした。


(邪魔をするな!)


 そんなヴェズルに漆黒の怪鳥が放った強烈な意志が叩きつけられた。

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