Episode_21.19 突入戦


 海洞へ繋がる通路は左右に一つずつ、合計二箇所存在していた。どちらも雨水が石灰岩を侵食することで出来た、大地の裂け目のような天然の通路だ。通り抜け易いような人の手は加わっていない。精々が高い段差に梯子を掛けて、手摺代わりの縄が垂らしてある程度だ。


 そんな通り難い通路を二十メートルばかり斜めに下り続けると、その先は海洞になっている。大きく抉り取られたような空間は波の浸食というよりも、何かの弾みで脆くなった岩盤が崩落して出来た空間だろう。差し渡しが二百メートル、奥行きが百メートルという巨大なドーム状の空間だった。その空間の奥行半分は海水に埋められており、大型帆船の停泊が可能だった。


 海洞の内部へ先に侵入したのは、右側の通路を伝った「オークの舌」の傭兵達だ。そこにはジェロやイデン、そしてタリルの姿もある。


「全員には掛けられないから、俺達だけだ」


 と言うタリルは正の付与術「身体機能強化フィジカルリインフォース」と「防御増強エンディフェンス」を仲間の二人と自分に掛けた。一方、イデンは魔術の「加護」に似た効果を持つマルス神の神蹟術「神の意志マイティウィル」を祈りの言葉と共に発動した。こちらは個人を対象とする付与術では無く、イデンを中心とした小さな効果範囲内の者に等しく効果を与える。


「最初から出しゃばって前に出るなって事だな」


 イデンが使った神蹟術による強化はその性質上、彼が前線に出ると敵にまで効果が及ぶ。そのため「神の意志」の効果が持続する間は、イデンは前線に出る事無く後方で待機することになる。その事を良く知っているジェロは、傭兵達を先に行かせると前列からは少し距離を置いた場所で状況を観察した。


 上に出て来た敵兵を倒した後、海洞内の敵に悟られる事無く中へ突入した彼等は、急に広くなった空間へ飛び出ると、そこで戦線を形成し不意を打たれた敵兵を蹴散らし始めた。戦闘が始まったのだ。


「敵襲だ!」

「反撃しろ!」

「指揮官は?」

「見てないぞ、船の中か?」


 敵兵の上げる驚きの声が大きな岩の空間に木霊した。組織的な反撃が始まるには未だ間が有りそうだった。


「押しまくれ、今の内に桟橋まで確保するぞ!」


 一気呵成に攻め込み、押し返される前に優勢を確保したい「オークの舌」の首領ジェイコブは、手斧を片手に部下へ指示を送る。そして、前列の前進を助けるように「石礫ストンバレット」や「土の槍アースジャベリン」といった地の精霊術を放っていくのだった。


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 一方、左型の通路から海洞内へ侵入したのは、弓使いトッドが率いる「骸中隊」の戦士達だった。弓兵主体の傭兵団であるが、近接戦闘も出来ないことは無い。しかし、近接戦闘に慣れた者は少ないため、彼等の前進はそれほど早く無い。そんな「骸中隊」の若い首領トッドは、桟橋を目指す「オークの舌」とは対象的に、海洞への入口付近に陣取ると、


「高所を確保しろ! そこの岩棚だ。岩棚から通路までを守れば良い。前進はジェイコブのオッサンに任せるんだ!」


 と指示を飛ばした。彼は自分達の利点である弓を最大限に生かせる場所取りを優先させた。そして「骸中隊」の弓兵達は、周囲よりも一段高くなった岩棚へ駆け上ると、積み込みから漏れた物資 ――恐らく塩漬け肉の樽詰め―― を盾に見立てて周囲を見渡す。


「標的は第一に指揮官、次にローブの男だ。それ以外は船に掛かった桟橋を狙え」


 その場へやって来たトッドは、自慢の長弓の弦を弾きながら弓兵達に指示を飛ばした。その後直ぐに岩棚から矢の射撃が始まった。それは、混乱から立ち直りつつある敵兵達の頭上へ降り注ぐ。或る矢は四都市連合の現場指揮官を射抜き、或る矢は、応射を仕掛けようとする海兵を牽制した。そして、応援のために陸地へ向おうとする敵の海兵や傭兵を桟橋で釘付けにすることに成功していた。


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「何が守護精霊だ! 一度ならず二度までも敵の接近を察知できないとは、大した優秀さだな!」


 大型帆船の離岸を補助するために旗艦「海魔の五指」へと移っていた呪術師に、先ほどの口論で譲らざるを得なかった若い作軍部長の剣幕は当然なものだった。浅黒い肌が怒気で朱に染まっている。


「……」


 一方の呪術師は反論することが出来ず唇を噛む。彼自身も何故これほど大勢の敵の接近に気付くことが出来なかったのか分からなかった。ただ、認めたくない事実だが


(私よりも優秀な呪術師が居るのか……)


 という予感は有った。認めることを拒否している事実だが、彼の精霊を操る力は無いに等しい。ただ唯一「守護精霊アンズー・ルフ」という強大な存在の力を使うことが出来るだけだ。そのため、冷たい風以外の四精を用いた術は全く使用できないし、その気配や囁きを聞くことも出来ない。


「さっさとその強大な守護精霊様を呼び出して、この状況を何とかして貰おうか! なぁ!」


 黙り込んだ呪術師に作軍部長の剣幕はいよいよ凄まじい。少しは仕方ないと思って聞いていた第二海兵団の提督だが、流石に止めようと思った。このままでは剣を抜きかねない勢いだったのだ。


「やめないか……貴殿は陸戦の指揮をとってくれ、押されているぞ。呪術師殿は離岸の準備を、兵を収容して沖へ逃れるぞ」


 冷静な提督の言葉に、作軍部長は大きく一度舌打ちしてから踵を返した。一方の呪術師はしばらく沈黙を保っていたが、


「な……何と言う事も無い……この程度の敵ならば我が守護精霊で打ち払って見せよう!」


 と、突然の大声で叫ぶと、作軍部長の後を追うように船室を飛び出して行った。


「待て、私の指示に従え!」


 後ろからは提督の怒鳴り声が聞こえてきた。


****************************************


 戦場と化した海洞の内部を俯瞰すると、三隻の大型小型の帆船の内、僚艦の帆船は出航準備を途中で中断して、乗り込んでいた海兵や傭兵を陸側へ送ろうとしていた。それは提督が意図した行動とは違っていたが、指示が伝わる前に反射的に行った自衛行為だった。一方、旗艦「海魔の五指」から吐き出される兵はそれ程多く無い。そして、南方の小型帆船は静かに沈黙を保っていた。


 船から陸地へ吐き出される敵兵だが、左側の通路付近の食糧集積場所となっていた岩棚に陣取った弓兵によって面白いように矢で射止められていた。元々重装備でない事がたたった格好だ。


 一方、船へ乗り込む前だった敵兵達は、油断したところを襲われて一時的な混乱状態に陥ると徐々に桟橋へ追い詰められていた。そんな敵兵達は混乱状態を脱しても、主要な武器を船に積んでしまっていたため、満足な反撃が出来なかった。


 だが、彼等を押しまくる「オークの舌」の傭兵達が桟橋付近まで迫ったところで、ようやく敵の反撃が始まった。反撃は強力な弩弓に依るもので、それは停泊した二隻の五本マストの帆船に展開した海兵によって射掛けられた。


 敵が飛び道具を持ち出してきたため、岩棚に陣取った骸中隊の弓使い達は射撃目標を桟橋から船の上の弩弓部隊に向ける。その変化によって、桟橋を渡り切れなかった敵兵達は密度の薄まった矢を掻い潜ると桟橋付近まで押された戦線を徐々に押し返す動きを見せ始めた。


 特に四都市連合の作軍部長が旗艦の甲板、船尾付近から戦線の指揮を執るようになると、戦線は「オークの舌」の傭兵達がジリジリと下がる情勢となる。しかも、


「高台の弓兵が邪魔だ、二個小隊を編制して高台を奪え!」


 という作軍部長の指示は的確だった。そして急場で編制された敵側の小隊が左側の通路付近で防衛線を展開していた「骸中隊」の傭兵達に襲い掛かる。


「クソ、このままじゃ孤立する……一旦後退だ!」


 近接戦闘に不慣れな部下達が防衛線を維持できないことを見て取ると「骸中隊」の首領トッドは高台の弓兵を一度通路へ下げる指示を下した。


「くそ、骸のトッドめ、もっと粘ってくれよ!」


 その様子を察知したジェイコブは悪態を吐く。このころには冒険者ジェロとイデンも前線に出て敵兵と剣を交えていた。


 全体としてはそのような推移を見せる戦場を、海洞の天井付近から見下ろす者が居た。器用に目隠し用の布に掴まった状態で身体を固定したリリアである。彼女はハシバミ色の瞳を凝らして標的・・を探していた。その時、緋色のローブを翻した男が一番大きな帆船の船室から甲板へ姿を現した。


「……見つけたわ」


 リリアの瞳がスッと細くなった。

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