Episode_21.17 抑圧と反発


 海洞の内部には多くの傭兵や海兵が立ち働く音が響いている。彼等の仕事は陸上側の協力者によって運び込まれた物資を船へ積み込む作業をする者、簡易な桟橋の先にある岩棚の上で存分に炎を使って調理をする者、そして地上に続く場所に歩哨として立つ者など様々だ。それ等の動きは喩え傭兵であっても、海兵団の仕事を専門に請け負う傭兵達であるから殆ど正規の海兵と遜色無い統一感を持って立ち働いている。そんな動きはもう二日も続いていた。そして、今宵の夕食を仮設拠点である海洞内で済ませた後は、再びデルフィル湾の洋上に繰り出す事になっている。


 その光景を海洞に停泊した帆船の上から見渡す提督は、海兵達の働きを納得するように見渡している。彼は四都市連合が誇る海兵団の内、第二海兵団を指揮する提督だ。彼の同僚であり出世を競う相手は第一海兵団の提督と第三海兵団の提督の二人だ。第一海兵団の提督は老齢である上、今はニベアスに駐留しロ・アーシラ支配下の中原沿岸域を不定期に襲う任務に就いている。一方第三の提督であるフロンドは同年代の提督だが、最近立て続けに失敗を繰り返しているので「更迭間近」と噂され、今は西の果てにあるオーバリオン王国での任務に就いている。そのため彼は、次なる階位である四都市連合海軍総督の座に一番近い立場であった。


(ダーフィット総督は近く引退を考えているという。恐らく背後に回って権力を維持するつもりだろうが、操り人形であっても地位は地位だ)


 そう考える第二海兵団の提督は、少し先の将来を見通して愉し気に頬を緩ませた。彼は海も船も嫌いではないが、出来れば沈むことも揺れることも追い詰められる事も無い陸地で残りの人生を送りたかった。


「提督!」


 そんな彼の背後から配下の海兵の声が掛かった。


「なんだ、もう夕飯時か?」

「いえ……作軍部長殿がお話をしたいと」


 提督は呑気な風に言葉を返すが、彼を呼んだ海兵は困ったような声色でそう言った。提督は部下の声とそれが伝える内容に、いぶかしそうな表情となる。しかし、海軍、又は海兵団と言っても今の四都市連合では権威を増した作軍部には従わざるを得ない。その事実に提督の返事は一つしか選択肢が無かった。それに、呼ばれた理由も察しがついている。


「分かった」


 うんざりするような気持ちを寸前の所で押し留めた提督は少し肩をいからせる・・・・・と船室へ戻って行く。表面化した対立は既に五日の時間を経ても治まる気配は無かったのだ。


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「ならば次の襲撃はご自分でやるが宜しい!」


 その男は貧相な身体を目一杯大きく見せるように胸を張り、顎を突き出して眼を剥くような表情で言う。緋色の貫頭衣ローブに野蛮な髑髏の首飾りを身に着けた呪術者だ。見開いた白目と黒い肌が意図的に作った嘲りの表情を強調していた。


「よろしい、次回は我らだけでやろう。その上で貴殿の呪術が何の役にも立っていないと証明しようではないか!」


 一方、その呪術師と言葉を戦わせるのは若手の作軍部長だった。彼はチャプデインの出身ということで、浅黒い肌を持っている。現中央評議員であるヒューブ・クロック作軍総長の秘蔵っ子と呼ばれる若い世代の作軍部長だ。ヒューブの薫陶を受け、彼が中央評議員に選出された後に急速に頭角を現した若手将校集団の一員である。今回は、呪術師と同じ南方大陸の出身ということで作戦指揮の白羽の矢が立った。だが、蓋を開けてみると、南方大陸独特の民族の軋轢が有ったようだった。


 四都市連合第二海兵団が誇る旗艦「海魔の五指」の船長室の真下にある部屋での論争は、早速只の口喧嘩である。作軍部長は先の襲撃で王子派の軍勢の接近を報せなかった事を責め、呪術師はその際に吐かれた侮辱的な言葉を根に持っていた。お互いを非難して謝罪を拒む言い争いの場へ足を踏み入れた第二海兵団の提督はうんざり・・・・とした表情を隠し切れずに、


「ここは私の船だ。言い争いは許可しない。これ以上不和を重ねるようならば、作戦を打ち切りカルアニスに戻る……双方、それで良いか?」


 と大声で言った。流石は三十年近く海で戦った男である。その声は音量以上の迫力を持っていた。そして、任務の性質と「船の上」という力関係を把握した若い作軍部長が、


「提督、申し訳ない。以後は慎みます」


 と答えた。その返答だけで、この若い作軍部長が如何に視野の開けた人物か分かる。しかし、もう一方の当事者、緋色のローブを纏った南方の呪術師は言葉の意味を取り違えたように声を張り上げた。


「宜しい、提督閣下の御一存で戻られるがいい。私の船はそのままアルゴニアへ向かう」


 その表情は、不遜で矮小な存在に対してそれを見下すような色を帯びていた。


(こんな者が相手ならば、腹を立てるのは仕方がない)


 呪術師の言葉と態度に提督は内心で溜息を漏らした。細切れに切り刻んで魚の餌にしてしまおうか、そんな黒い誘惑がふと頭を過るほどだ。だが、神出鬼没の黒い怪鳥に守られた呪術師に対して、そんな事をする勇気はない。


 更には、そんな事・・・・をしてしまえば後々外交問題になりかねない。インバフィルを失った四都市連合にとって南方大陸の都市チャプデインを介して関係を構築するアルゴニア帝国の存在は日毎に重要性を増している。そして、この呪術師はそのアルゴニア帝国から「協力」という形で送り込まれた存在だった。邪険に扱うことは出来ない。それだけに頭が痛い存在だった。


「作軍部長、次回の襲撃作戦では、呪術師殿の助力を全面的に受けるように」

「……わかりました」

「ハハッ、それが懸命というもの。無知蒙昧にして愚かで下賤な腕力だけの者共であっても、私と守護精霊の言葉に耳を傾ければ、どのような作戦であっても成功するのだ」


 提督の言葉に作軍部長は渋々といった表情ながら了解の意を示した。一方、提督の言葉が仲裁と執成とりなしを意図しているものだと気付かない呪術師は、尊大で傲慢な態度を改めなかった。そして、鼻で笑うような言葉を残して部屋を出て行ったのだ。


「クソが……」


 呪術師が船室を出て行き扉が閉じられると、若い作軍部長は小さく吐き捨てた。提督はその気持ちを察するように言う。


「あんなのでも、力だ。存分に利用しろ」

「しかし……」

「自らの一族を滅ぼした敵であるアルゴニアの威光を疑う事無く笠に着る、憐れな男だと思って我慢するんだ」

「……はい」


****************************************


 呪術師は自分の船に戻ると船内の私室に籠った。彼の私室には一度だけ水夫がうやうやしく飲み物を運んだきり、誰も立ち入ることは無かった。その部屋は、古ぼけてはいるが元は豪華な造りだったことが窺える。彼が腰を落ち着けた長椅子も擦り切れているが本繻子張りの高価な品である。テーブルや戸棚も南方では高価な樫材をふんだんに使用し、意匠を凝らした彫刻が施されている。この部屋を含めた小さな快速帆船が彼の元に遺された嘗てのアンズー族の栄光の残滓であった。


 その船を操る水夫達は皆、アンズー族の血を引いている。嘗て南方大陸の最南端で栄華を誇った一族の末裔だ。しかし、そんな彼等は今、深南方人としてアルゴニア帝国内では最下層の奴隷民とされている。そして、この呪術師はそんな奴隷民の王であった。アンズー族では唯一奴隷とされなかったのが王族だった。しかし、その扱いは奴隷と何の違いも無い。


 帝国からは妻を娶ることも子を持つことも禁止され、嘗て秘密裏にもうけた子はその母親もろとも殺されてしまった。それは「お前の代で滅べ」というアルゴニア帝国の冷徹な意志であった。そしてそんな冷徹な帝国の命令に諾々と従い王の血脈に遺された力として守護精霊アンズー・ルフの力だけを提供する。


(これを奴隷と呼ばずして、何と呼ぶのだろうか?)


 私室で一人きりとなった呪術師の胸中にはそんな想いが渦を巻く。


 だが呪術師には抗う術が無い。強力な守護精霊の力をもってしても、アルゴニア帝国に単独で立ち向かう事は不可能であった。彼に遺された生きる道は恭順しかない。しかし、その内心には怨嗟の炎が昏く燃え上がっている。父祖の代で滅びたとはいえ、元は王族である。彼は幼い頃から在りし日の栄光、一族の再興、王族の誇り、そして守護精霊の力の使い方を教え込まれた。


 少年期から青年期に掛け、そんな二律背反する価値観に直面した彼は、その葛藤から逃れる術を血脈が自動的に与える大きな力アンズー・ルフに求めた。そして、呪術師は尊大な自尊心を膨らませた存在に成長した。それは、彼が彼自身の自我を保つために行った哀しい防衛本能だったのかもしれない。


 しかし、多感な歳頃はとうの昔に過ぎ去った呪術師は、自身の出自や長じる事の無かった我が子への未練などに深く思慮を割くことは無くなっていた。そんな感情は心を疲弊させるだけだった。そして、彼は自分が育て上げた自尊心によって立つ、尊大で侮辱に過敏な男となっていた。


 そんな彼は、先ほどの口論で多少の溜飲を下げることが出来た点をまるで輝かしい勝利のように感じていた。


「四都市連合など……大したものではない」


 不必要に自尊心が高く尊大な者は、自らよりも劣る者を見つけて安らぎを得る。彼にしてみれば、守護精霊アンズー・ルフの力に及ばない存在は全て劣る存在だった。そう考えていれば幸福感と安心感を得られるのだ。


 呪術師は本繻子張りの長椅子に横たわると目を閉じた。些細な口論での勝利の余韻に浸りながらしばらく休息するつもりだった。出発は深夜から明け方と言う事だ。


(どうせこの海洞から出る時には櫂で漕ぐよりも風の力に頼るのが便利なのだ。精々もったいぶって、今度はあの提督に頭を下げさせようか)


 そんな小さな企みに、目を閉じたまま口元を歪ませる呪術師であった。


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 デルフィル付近に隠された仮設拠点では粛々と出発の準備が整いつつあった。既に外の時間は深夜を過ぎ、明け方が近い時間となっている。物資は粗方が積み込まれ、海洞の入口を覆い隠した大きな布を取り払うための海兵や傭兵が外へ向かう。


 その様子を少し離れた茅原の中から窺う者達が居た。彼等はそっと視線を交し合うと頷くような素振りを見せる。そして、音も無く行動を開始した。

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