Episode_21.16 空を飛ぶ便り


 四都市連合の大型帆船二隻と南方アルゴニア帝国から派遣された小型帆船一隻からなる三隻の船団はこの日の早朝に仮設拠点の海洞に碇を下ろした。この場所にはデルフィルから運び込んだ食糧や水といった物資が蓄積してある。船団はほぼ二週間に一度の割合でこの仮設拠点に入ると物資の補給と乗員の休息のために二日ほど停泊する事になっていた。


 彼等が仮設拠点を設営した海洞は、満潮時であっても大型帆船の帆柱がギリギリ入るほどの大きさである。しかし、沖から見た場合は手前の岩場が視界を遮る格好となり見通すことが出来ない場所だ。正に彼等の目的にうってつけ・・・・・の地形であるが、彼等は更に念入りに姿を隠すための偽装を行う。


 船から降りた船員や傭兵達の内、数十人が大きな荷物を持つと、海洞から雨水による侵食跡を伝って地上に出る。そして海洞の上に当たる崖上まで進んだ彼等は、その場で荷物を広げた。それは船の帆のような巨大な布であった。その布は黒みかかった茶色を基調としたまだら模様をしており、周囲の岩に溶け込む色彩を持っている。片側には崖上に打込まれた杭に引っ掛けるための縄があり、もう片方には鉛の錘が付いている。彼等はそれを崖下に向かって垂らした。これで、完全に沖からの視認は不可能となる。


(なるほどね……そういう仕掛けだったのね)


 そんな彼等の作業を可也離れた距離から観察するのはリリアと「飛竜の尻尾団」そしてジェイコブを始めとした「オークの舌」の斥候部隊である。


「ジェイコブさんよ、これからどうするんだ?」

「俺の部隊とトッドの『骸中隊』は此処から北西に一日ほど離れた街道で待機している」

「準備が良いんだな」

「仕事は段取り八分っていうだろ。手を抜かないさ」


 ジェロとジェイコブの会話である。短いやり取りだったが、ジェイコブの言葉には歴戦の傭兵としての心構えが滲み出ていた。


「それでお前達はどうするんだ?」

「そうだな、襲撃者の拠点が分かった時点でトトマに報告することになっている」


 そんなジェイコブに逆に問い掛けられたジェロは、予めの決め事を口にした。


「だが、ここからトトマだと、一度街道に出てから進んだとしても一日半は掛かる。その後にトトマから軍勢が直ぐに出発したとしても到着するまで更に三、騎馬が出たとしても二日だな……連中がそんなに長く停泊するとは限らないぞ」


 ジェイコブの意見は尤もなものだった。そこにリリアが口を挟む。


「報せを届けることは直ぐできるわ。ヴェズル、おいで」


 そう言うリリアは、次いで上空に向かって呼びかける。すると空を舞っていた若鷹が彼女の元に舞い降りた。


「……便利なもんだな」


 ジェイコブのやや呆れたような呟き声が小さく漏れた。


 その後、リリア達一行は襲撃者の拠点を監視しつつ、トトマからの応援を待つことにした。拠点発見の報せを簡潔に纏めた文章は折り畳まれると若鷹ヴェズルの足に括り付けられた。これにはヴェズルが少し厭そうな素振りを見せたが、リリアが「お願いね」と言うと大人しくなった。そんな若鷹が東の空に飛び去って行ったのは直ぐのことだった。


 一方ジェイコブは斥候隊の一部を本隊へ戻すと、本隊を拠点に接近させることにした。但し、距離にして五キロ以上は距離を置いて待機するように命じていた。更に、一部の傭兵達は王子派軍を誘導するために街道に留める、という配置であった。


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 ユーリーはその日、早朝から完全武装を整えた状態で、トトマの南の城砦前広場に待機していた。彼の周囲には遊撃騎兵隊の見知った顔触れが同じような状態で待機している遊撃騎兵隊の面々がこのように待機を続けるのはこれで三日目だった。ディンス攻略後に総勢百騎に増えた彼等は二組に分かれると交替を繰り返しながら待機を続けていた。そんな彼等の中にユーリーが加わったのは昨日の午後からであった。


 木製の長椅子に浅く腰掛けた状態で両手を組んで瞑目するユーリーは、居眠りをしているようにも見えるが、実際は逸る内心を落ち着けるために瞑想の要領で感情を抑制していた。しかし、考えないように努めても、どうしても彼の意識は一点へ向かう。それは、


(リリア……大丈夫だよな)


 という、一人離れて行動している恋人を案じるものだった。


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 ユーリーが目覚めたのはリリアがジェロ達と海岸調査に出発した翌朝の事だった。朦朧とした意識の中で激しい空腹だけが明瞭に感じられる目覚めだった。そんな彼が恋人の不在を知ったのは目覚めてしばらく経ってからだった。何度かに小分けした麦粥を啜っていた所に遊撃騎兵隊のダレスの見舞いを受け、彼から状況を伝え聞いたのだった。


「レム村は結局半壊だな……でも村人は可也助かった」

「そうか……」

「それで二日前の会議で、襲撃者の拠点がデルフィル側の海岸線に在るかもしれない、という話になってな。リリアさんが、ジェロさん達と調査に向かった」

「えっ……そ、そうか」


 ユーリーが昏睡中に開かれた会議の経緯はユーリーにも納得のできるものだった。しかし、その会議を受けてリリアが調査に志願したことは、ユーリーには少し意外だった。彼女ならば、自分の側に付きっ切りになっているだろうと考えていたのだ。しかし、実際には彼女は明確な意志を持って別行動を取っていた。


 自分が眠っている間にリリアが姿を消す。それは数年前のリムルベートの王都を襲った事件の後のような出来事である。その出来事が随分と昔の事のように思い出されたユーリーは、本音を言うと少し寂しかった。しかし、


(リリアが自分で決めた行動だ……信じて待とう)


 と、肚を決めていた。


 その後ユーリーは丸一日掛けて調子を取り戻すと翌日には装備を整えた。彼自身と共に湯桶に漬けられた鎧は綺麗に水気を拭き取られ薄く油を塗り込めてあった。一方、着古した鎧下は、ユーリーと共に湯につけられた後、身体から剥ぎ取られる際に刃物で切り裂かれていた。そのため、新調する必要があったのだが、


「ユーリー、目が覚めたと聞いて……もう動いて大丈夫なのか?」


 という声と共に姿を現したレイモンド王子が、


「いや、あの時は気が動転していて……お詫びにこれを使ってくれ」


 と言って差し出した新しい鎧下を手に入れていた。


 それは分厚い緩衝綿を詰めた革製の上等な造りの品であったが、目を惹いたのは外皮の模様だった。薄くうろこ状の模様が光沢を持って浮き立っていた。レイモンド王子の説明によれば、数年前に北部森林地帯で討伐された偽竜ドレイクの皮だと言う事だった。偽竜の外皮ドレイクスキンは一般的に手に入る皮革製品では加工性と着心地に難点があるものの耐久性は抜群に高いものだ。ユーリーが身に着ける軽装板金鎧では、右肩の一部や上腕から肘に掛けては運動性を優先するため装甲に隙間がある。そのため鎧下と言いつつも、その堅牢性は重要だった。


「有り難く頂戴するよ、レイ」


 と答えるユーリーに、レイモンドは満足気だったという。


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「ユーリー、ユーリー」

「ん……ダレスか、どうかした?」


 瞑目しつつ目覚めてからの出来事を思い返していたユーリーは、ダレスに声を掛けられて目を開いた。


「兄貴からの手紙、ありがとうな」

「ああ、ザリア子爵家は大幅な増加があったよ。良かったな、ダレス」

「ああ」


 昨日の内にユーリーから兄ハリスが書いた手紙を渡されたダレスは、手紙の内容をユーリーに語ったりはしないが、その表情は晴れやかであった。


「リムルベートに戻るのか?」

「まさか……」


 ユーリーの言葉にダレスは手を振って否定の言葉を発しようとした、しかしその声は別の声によって遮られた。


「あっ! ユーリーさん……元気になったんですね!」

「やぁ、サーシャ、久しぶりだね。前に見たときよりも可愛い……いや、綺麗になった」

「やだぁ、恥ずかしいわよ」


 少し張り詰めた空気の漂う城砦前の広場に似つかわしくない声はトトマ街道会館で給仕をしている娘サーシャだ。日中は魔術師アグムの元で魔術の研鑽をしているという事だが、今は両手に籠を持っていた。


「サーシャ、いつも悪いな」

「いいのよダレス。ユーリーさんも食べてください」


 自然な感じで言葉を交わし、寄り添うように立つダレスとサーシャ。その様子が微笑ましくて、ユーリーの口元には自然と笑みが浮かんだ。そんなユーリーに差し出された籠の中には塩漬け肉やピクルスを挟んだパンが詰められていた。どうやら早めの昼飯として差し入れを持って来た、ということのようだった。


「ありがとう。じゃぁ遠慮なく」


 サーシャの勧めに応じて、ユーリーは籠に手を伸ばすと、端のパンを摘み上げる。そして、そのまま口へ運ぼうとした瞬間、


「頂きま―― うわっ!」


 ユーリーの目の前を素晴らしい速さで何かが横切った。それは飛び抜けざまの一瞬で鮮やかにユーリーの手からパンを奪い盗ると一旦上空へ駆け上がり、広場の上で優雅に一度旋回した後、ユーリーの座る長椅子の端に止まった。


「ヴェズル?」


 恋人が可愛がっている若鷹の登場にユーリーは驚いた声を上げる。しかし、ヴェズルの方は余りユーリーには関心が無いようで、太く鋭い嘴を器用に動かすと、足に括り付けられた紙片を咥えてそれをユーリーの方に放る。そして、用事は済んだ、とばかりに手に入れた獲物パンを啄み始めるのだった。


****************************************


 その出来事から二十分もしない内に、トトマの街から五十騎の騎兵が街道へ飛び出した。彼等は馬を駆けさせると街道を西へ向かう。その先頭には黒い甲冑を身に着け、頭の上に鷹を止めた状態で軍馬に跨ったユーリーの姿があった。

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