Episode_21.15 老練


 夜明け前の遭遇戦は、思わぬ結末を迎えていた。なんと、リリアと「飛竜の尻尾団」を包囲し攻撃を仕掛けてきたのはデルフィルのアント商会に雇われた傭兵団「オークの舌」の首領が率いる斥候部隊だったのだ。


「いやぁ申し訳ない。お嬢ちゃん達が無警戒だったからな、つい驚かせようと思って」


 そう謝る「オークの舌」の首領ジェイコブに、リリアの表情は渋かった。その理由は、彼女自身が周囲に張り巡らせた緊張の糸・・・・とも言うべき警戒線を目の前の精霊術師が易々と潜り抜けた事実によるものだった。しかも、言うに事欠いて「無警戒」と評されてしまった。これではリリアの立場がない。


「……」

「なんだい、お嬢ちゃん。拗ねるなよ」


 リリアの事を一貫して「お嬢ちゃん」と呼ぶジェイコブは中年を過ぎて老齢に片足を突っ込んだような風貌だ。オーチェンカスクの外縁部に広がる森に出自を持つ彼は、コルサス王国の北部森林地帯に住みついた森人のように精悍な風貌をしている。


「……どうやって近付いて来たんですか?」

「どうって……歩いて近付いたんだが……」


 悔しさを隠そうともしないリリアの問いに、ジェイコブの答えは最初、有耶無耶にはぐらかせる・・・・・・ものだった。しかし、真剣な眼差しのリリアは二倍以上歳の離れた傭兵団の首領に真摯な眼差しを向けた。


「ったく……その目つきは反則だぜ」


 純粋に問うリリアのハシバミ色の視線は、自分に足りない部分を補おうと必死に教えを乞う若者の実直な力を帯びていた。そして、先達の者にその真摯さを断ることは難しい。それは傭兵であろうと、騎士であろうと、市井の職人や勤め人、果ては親子の間であっても変わらない、世代を繋ぐ人の営みの真理であった。


「無警戒って言ったのは悪かった。だが、これを言うとお嬢ちゃんは傷つくかもしれないが……俺の力が弱いからこそ、いや、お嬢ちゃんの力が強いからこそ出来る仕業だ」

「どういう意味ですか?」


 ジェイコブの言葉はリリアには意外なものであった。てっきり彼女は練達した精霊術師が自分の操る風の精霊を力尽くで支配下に置いたと考えていたのだ。しかし、本当の所は、彼女の想像とは少し違っていた。


「いいか、お嬢ちゃんは精霊術師として類稀たぐいまれな力を持っている。さっきのように、俺が支配下に置いた精霊を力尽くに自分の支配下に置く、あんな真似は、悪いが四十年以上生きたオレでも初めて見た所業だ」


 ジェイコブの言葉はリリアを褒めるようでいて、違う部分を意図していた。その雰囲気を察知したリリアは反論も謙遜も無く黙って次の言葉を待つ。


「いいな……そういう素直さは才能だ。でな、これは老婆心としか言えない話だが、力が有り過ぎるからこそ陥る失敗がある」

「力が有るからこその失敗?」

「そう……お嬢ちゃんは俺達が接近した時、多分寝ていたんだと思う。でもお嬢ちゃん達の周りを守る風の精はすこぶる強かった……強すぎたんだ。だから『何か他と違うものがある』って直ぐに分かった」


 ジェイコブの言葉にリリアの表情は強張る。しかし、老練した精霊術師であるジェイコブは言葉を続けた。


「風に限らず精霊の働きは『自然さ』を尊ぶ。しかし、強い力は時として周囲の状況から浮き立つように不自然だ、分かるかな?」

「……はい」

「それで、俺達は不自然な風が守る一帯に接近した。風の精霊はしきりに俺達の様子を探ろうとしたが、それに対して俺はその一つ一つを宥めながら進んだ」

「宥めながら? 一つ一つを?」


 ジェイコブが語る内容はリリアにはにわか・・・に信じられない内容だった。一つ一つの存在は肌を撫でる空気の動きのように細かい風の精霊に対して、目の前の男はその一つ一つを宥めながら茅野を進んだと言っているのだ。


「お嬢ちゃんの飼っている鷹もな、餌をやったらそれに夢中になったぞ。ハハハ……そんな変な顔をするなよ」


 と言う事だ。その言葉を受けたリリアは、意識を若鷹ヴェズルに送る。反応に少し時間が掛かったヴェズルは、ジェイコブが言う通り、可也離れた場所で干し肉の塊を夢中で啄んでいた。


「はぁ……、あの子ったら」

「まぁ責めちゃいけない。とにかく、力は強いに越したことはないが、時として小さな力を丁寧に操る技術や、周りを注意深く見る観察眼に足元を掬われることがある。俺が言いたいのはそう言う事だ」


 「オークの舌」の首領ジェイコブはそう言うとリリアの顔を窺った。そこには端正な顔に悔しさを浮かべた若い女の表情があった。それは、充分に言われた事を理解した者の表情だった。その事にジェイコブは満足したように頷く。彼の表情は、見込みが無い者に丁寧な説明をするはずも無い彼ならでは・・・・・の、自分の意図が充分伝わった事に満足するようなものだった。


 そして、彼の言葉はリリアのその後に大きな影響をもたらした。


 ――優れた者の言葉を受け入れ真似ることは恥では無い。寧ろ頑なに自分のやり方に拘る者こそが、真の恥ずべき愚か者だ――


 暗殺者であり凄腕の密偵でもあったリリアの養父ジムの言葉が、今頃になって身に染みて理解できるリリアであった。


****************************************


 衝突の憂き目を辛くも回避した二つの勢力は、同じ目的に対して合力して事に当たることになる。敵性勢力の拠点を探るという意図を持った彼等は夜明けには未だ時間がある海岸線を西のデルフィル方面へ向けて進んだ。


 この日は日の出前から冷たい風が海から吹いた。まるで真冬のリムルベート北部のような空気の冷たさであった。そして、周囲の状況をひと際注意深く探るようになったリリアには、その冷たい風の正体が薄らと理解できた。


「海から……何かが来る?」


 「何か」と言いつつ、彼女の言葉が指し示す正体は一つである。そんな彼女の言葉に二十人弱に増えた一行は崖の端に身を屈めるようにして南の海上に目を凝らした。


 やがて東の空が淡く白み始める。アザミ色と称される青紫掛かった淡い色が薄い雲 ――東雲しののめ―― を下地に暗い空に映えた。そんな空の下の方、墨汁を垂らしたように黒い眼下の海に白い波が立つ。それは三隻の帆船の航跡であった。


 その船が目に入ったと同時に、崖に身を潜める彼等の上に尋常ではない風の動きが生じた。まるで真冬のように冷たい風は地面の上の存在を確認するように周囲を吹き飛ばす強さで吹き荒れた


「お嬢ちゃん……見てな」


 その時、ジェイコブは短くそう言うと周囲に吹き付ける風に意識を広げた。それは広範囲を強制的に支配するような強い力ではない。寧ろ柔らかく、一個の風精に対してそれを受け止め、受け流すような対応をする意識であった。


(凄いわ……こんな事が出来るのね)


 精霊の動きを見ることが出来るリリアには、無骨な老齢の精霊術師の周囲を薄青い燐光を帯びた風の精霊が無関心に吹き過ぎる様子が見えた。中には幾つか、自分達の存在に気付く精霊も居たが、それ等はジェイコブの意志に絡み取られると、彼等の存在を忘れて吹き過ぎるだけであった。


「でも、これは手強いな……お嬢ちゃん、手伝ってくれ」

「……はい」


 冷たい風に吹かれつつもジェイコブの額には玉のような汗が滲む。そして助けを求めるように発せられた言葉にリリアは反射的に応じていた。彼女は老練な精霊術師のやり方を目の前で見ながら、注意深く一個一個の風の精霊に対して呼びかけていく。


(吹き過ぎなさい、それがあなたの使命なのよ)


 リリア達に関心を持った冷たい風の精霊はその場に留まろうとするが、その一つ一つにリリアとジェイコブが呼掛け、動きを自然のものへと返していく。それは細やかな作業であり、神経をすり減らすような時間であった。延々と続くような時間に、リリアの神経は削り取られるように消耗していく。しかし、彼女は最後の部分で踏ん張った。荒れ狂う暴風のような力を示すのではない。それは柔らかく、他者を懐柔するような意志の働きであった。そして、その行程は、何故か彼女の精霊を操る力に適合を見せていた。


(ああ、そうか……寛ぎの風が私の風・・・だったんだ)


 リリアがそう自覚する頃には、一行に吹き付ける冷風は弱まり、自然の大気と変わらない状況となっていた。


****************************************


 冷たく吹き付ける風を躱し切った一行の眼下で、二隻の大型帆船と一隻の小型帆船が海岸線を形作る断崖に接近する。そして総勢三隻の船団は夫々帆を畳むと、船尾付近から長い櫂を何本も突き出して海面を漕ぎ始める。船体は帆走とは比較にならない低速で、大きな岩場を迂回するように舵を切ると、薄い白波を立てつつ彼等の眼下に広がる静かな湾に進入した。そして、船はそのまま進むと、崖に潜む彼等の足元へと消えて行ったのだ。


「この真下が襲撃者の拠点だったのか」


 言わずもがな・・・・・・な言葉を呟くジェロの声が、やけに大きく聞こえてきた。

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