Episode_21.14 海岸調査行
吹き抜ける風は爽やかな秋の夕暮れ時の風である。その風に明るい茶色の髪を乱されたリリアは、自然な仕草で乱れた髪を束ねると銀色の翼を模した髪留めでそれをひと纏めにした。そんなリリアの元を吹き過ぎた秋風は、一面に広がる茅原に波紋広のように広がるとやがて西日に照らされた海岸線へと抜けていく。
(風は自然のものね……)
朱色に染まった西の空を見上げるリリアは、周囲に意識の手を伸ばしていく。彼女の意識は何者にも遮られる事無く、大空へ達すると上空を舞う若鷹の姿を捉えた。
(ヴェズル……降りていらっしゃい)
若鷹の心に、僅かな不安と緊張を感じ取ったリリアは、まるで母親のような優しさで呼びかけた。上空のヴェズルは、その呼掛けに応じると大きな弧を描きながら徐々に高度を下げてくる。
今、彼女はデルフィルとトトマを繋ぐ街道から大きく南に外れた茅原の中にいた。遠くからは、海岸沿いの崖に打ち付ける波の音が聞こえて来る。周囲には人が住む村もなく、旅人が迷いこむことも
「リリアちゃん、もう少し進んだら野営の準備にしよう」
少し離れた場所から声を掛けて来るのは冒険者のジェロだ。その両脇にはマルス神の神官戦士イデンと魔術師タリルの姿も有った。
「わかったわ」
返事をするリリアの肩に、少し成長した若鷹ヴェズルが舞い降りた。
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リリアに同行しているのはジェロを始めとした冒険者集団「飛竜の尻尾団」の三人である。彼等の内、
そんな彼等を合せた四人の一行は、トトマ付近のレム村から海岸線をなぞるように西へ進み、現在は国境の川を不正規に超えてデルフィル側に入っていた。トトマを出発して既に三日が経過している。
そんな複雑な地形を調べることが目的である彼等は、多くの場合直接洞穴や崖下に降りるのではなく、専らリリアの操る精霊術 ――
それ等の作業は、如何に
「リリアちゃん、これで大丈夫かな?」
「イデンさん、ありがとうございます」
「俺達、何もしてないから。辛くなったらすぐに言ってくれよ」
「わかってます、タリルさん」
そんなリリアを補助するために、作業の合間にマルス神の神官戦士であるイデンや魔術師のタリルは
「リコットが居れば分担して出来るんだがなぁ」
「アイツ、俺達がリリアちゃんと仕事をしてるって知ったら悔しがるだろうな」
「黙っておこう」
そんな会話を続ける三人の冒険者であった。彼等からすれば、十歳以上年下のリリアは可愛い妹のようなものである。トルン砦への潜入の一件で知り合った彼等は付き合いも長い。同じく弟のように思っているユーリーとリリアの関係が順調な事を、リコットを含めた彼等は我が事のように喜ばしく感じていたのだ。
そんな会話を挟みつつ、一行は野営地を定めるとその場所に腰を落ち着けた。今晩も野宿である。敵性勢力の拠点調査であるため、野営といっても調理が出来るほどの火を焚くことは無い。精々が申し訳程度の小さな焚火で湯を沸かしつつ、薄明かりと暖を得るだけだ。そのため、食事は携帯口糧として持って来た干し豆や干し肉、種無しパンといった寂しいものになる。手練れの冒険者達は、そんな貧相な食事に文句を言う事無く、先ずは体を休める事に専念した。既に辺りは夜の帳が落ちていた。
「リリアちゃん、寝付けなかったら少し飲むかい?」
と言うのはジェロである。彼は革製の水袋に入れた酒をリリアに勧める。中身はワインの搾りかすをもう一度発酵させた後で煮詰めた強い酒である。
「ありがとう、でもいいわ。もう、目を瞑ったらそのまま寝てしまいそうなくらい眠たいわ」
「そうか、シッカリ休んでくれよ」
「ジェロは、シッカリと見張りをやれよ」
「わかってるって、お前らもサッサと寝ろ」
ジェロの言葉尻を捉えてタリルが
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――ガサ
それは、周囲に生い茂る茅が長い茎とその先の黄ばんだ葉を揺らす音だった。茅原を風が吹く度に、生じる何の変哲もない音の一部に聞こえる。しかし、その音にリリアの意識は眠りの底から急速に覚醒した。
――カサ、カサ
再び音が鳴る。
(さっきよりも近い? 獣? いや、違う)
目覚めたリリアが最初に考えた事だ。ドルドの森で修行していた時は、森の中の一軒家(レオノールの酒の隠し場所)に棲家を与えられていた。その間、濃密な野生の獣の気配に囲まれて過ごした彼女は、眠っている間も周囲の気配を意識することを求められていた。そんな彼女だからこそ、他とは調子の違う茅葉の音に気付いたのだ。
時間は既に夜明けが近い頃だろう。月は先に沈んでしまい、夜空には星だけがあった。見張りは既にイデンに移っている。彼は茫と焚火の小さな火を眺めていたが、不意に音も無く起き上がったリリアに気付くと驚いた様子になる。しかし、リリアが口元に指を当てる仕草をすると何かを察したように、持っていた木の棒でタリルとジェロを突いた。
「なんだよ……」
「未だ暗いじゃないか」
二人は睡眠を邪魔されたことに文句を言いつつも、身体を起こした。直ぐに目覚める辺りは、やはり手練れの冒険者といったところだ。
一方、リリアはその頃には周囲の状況を風の精霊を使って探っていた。そして分かった事は、
「囲まれてるわ……十五人」
と言う事だった。完全な包囲網ではないが、周囲三十メートルの範囲に三人一組の集団が五つあった。少しずつ包囲を狭めるように動くさまは統率が取れたもので、野盗の類と思えない。それに何より、眠っているとはいえ周囲の気配に気を配っていたリリアの風の精霊による警戒範囲を潜り抜けて接近してきたのだ、相手の中には優秀な精霊術師が居ると分かった。
「例の傭兵達か?」
「分からないわ……でも武装しているわ」
「どうする?」
「取り敢えず逃げよう、数が多い」
ジェロの言葉を切っ掛けとして、彼等は一斉に立ち上がると真っ直ぐ北 ――街道の方―― へ駆け出そうとする。しかし、次の瞬間、足元の地面が不意に泥濘に様子を変えた。
「しまった、精霊術だ!」
「タリルさん、縺れ力場を!」
「わ、わかった!」
不意を突いて仕掛けられた地の精霊術「
交戦已む無しの状況に、ジェロは業物の
「
と声を上げると、意識を足元の地面に集中する。嘗てドルドでの修行の日々の総仕上げとされた模擬戦で同じ精霊術を使ったリリアは、守護者の導き手と呼ばれるカトレアが使った
「地の精霊よ、私の言葉に従いなさい。その泥濘で捕えるべきは私ではない!」
という言葉となって外に発せられた意志、つまり、同じ術を相手に返すものだった。可也強引な手法であるが、自らの風の精霊による警戒を掻い潜られたことへの怒りが含まれたリリアの意志は強烈だった。
そして次の瞬間、膨れ上がったリリアの意志の力は、相手方の精霊術師による地の精霊への干渉を断ち切ると、言葉通りの現象を引き起こした。
「うわぁ!」
「なんだ?」
「クソッ」
周囲の茅野からそんな男達の声が聞こえて来た。彼等はリリア達が地の精霊に束縛されたことを察して、飛び道具ではなく、近接戦を仕掛けるように一気に近付いて来ていた。そこで、術を返され泥濘に足を取られた格好となったのだ。
「渦巻く風よ、来たりて吹き荒れ彼の者の姿を示せ!」
更にリリアの言葉は続く。彼女は得な風の精霊に呼びかけると巨大な風の渦「
「待った、待った! 鷹のお嬢ちゃん、降参だ! 降参っ!」
「あっ……ジェイコブさん?」
そこに居たのは傭兵団「オークの舌」の首領である精霊術戦士、ジェイコブの姿だった。
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