Episode_21.13 窃盗事件
デルフィルは単独で国家として成立するほど大きな都市だ。内陸のダルフィルと合せると人口は十万を超える。デルフィル湾の最奥に位置する港湾都市であるが、街は海岸よりも内陸に向かって広がっている。これは、港の付近を除くとこの辺りの海岸線が非常に古い石灰地質の崖で、地盤が脆いせいだった。そんなデルフィルはリムルベートからコルサスへ至る街道が東西に走り、インヴァル半島へ向かう街道が南へ伸びている街道の要衝でもあった。そのため、人の行き来は西方辺境でも随一の活発さがあった。
大都市の片隅、港付近に広がる港湾労働者達の居住区に張り付くように広がる安手の飲み屋街。その中の一軒の店では、二人の男が混み合う店内で相席していた。二人とも、その格好は周囲の労働者と変わらず、その場の雰囲気風景に溶け込んでいる。どちらも三十から四十の間と見える男だ。二人は偶然の相席であるため、打ち解けた雰囲気も無くお互いをチラチラと見ながら安い酒を舐めるように飲んでいる。
そのように見える二人の男だが、そこには余人には分からない意志の伝達があった。時折モゴモゴと、まるで酒の肴に出された薄削りの干し鱈を噛むように口が動く、それが彼等の会話の手段だった。
「
「問題無い、三人が
「
「知らん……今は配膳のみだ」
読唇の技術を用い、更に独特の
「
「予定通り」
「念のためだが、新月ではなく
「そうだ」
「
「ダルフィルの北の外れまでだ、そこで
「陸か……てっきり海かと思ったが」
「時を置いて乙地で合流」
問う男に答える男。問うた男が意外そうに眉を上げた。だが、それを黙殺するように短く言った相手の男は、まるで「それ以上無駄口を叩くな」と戒めるような一瞥を与えたのみだった。
その後しばらくして、二人の内の一人が店を後にした。それから一時間以上経過した後、もう一人の男も店を出た。別々に飲み屋街の中に姿を消して行った二人が同じ組織に属していると見抜ける者は皆無のはずだった。だが、
(……『無明衆』やはり動いていたか)
深夜に差し掛かっても混み合う店の最も奥のテーブルから、一人の男が今出て行った一人の背中を目で追っていた。痩せた体に頬のこけた貧相な顔立ち、そして、底冷えするような異様な雰囲気の男であるが、今は全てを押し殺して店の客の一人に成りきっていた。
(甲標的とはこの街の何処かだろう……だが、乙地とはどこか?)
その男は、先の二人の男が交わした声の無い会話の内容を読み取っていた。しかも、南方アルゴニアが誇る「無明衆」が用いる
(とにかく、デルフィルで盗みをやり、どこかで暗殺の準備をしている、そう言う事だな)
そう結論付けた男は、席を立つと酒場の店員に銀貨を一枚投げ渡す。
「毎度あり! 今お釣りを――」
「釣りは要らない。とっておけ」
少年といっても良い年頃の店員に、その男は短く言った。その声は割れたように聞き取り辛い。そのため少年は困ったようにカウンターを振り返った。そして、再び客の方へ向いた時、男は既に店の中から姿を消していた。
****************************************
翌朝、デルフィル随一の豪商アント商会ではちょっとした騒ぎが起きていた。昨晩の内に何者かが侵入し、地下の金庫が破られたのだ。しかし、盗まれたのは金貨や証文、台帳の類ではなく、スカース・アントが個人的に冒険者から預かっていた「金細工の心臓」だった。
デルフィルのアント商会の責任者であるスカース・アントは、この出来事に大いに驚き落胆した。と言うのも、彼は好意を寄せる冒険者リーズに少しでも良い所を見せるために、専門外の古物取引を引き受けた上に、それなりの鑑定を手配して対応していたのだ。しかも、インカス遺跡群から出土品で、強力な魔神と共に封じられていた宝物ということで、鑑定は魔術によるものを手配した。
しかし、実際に鑑定が行われる前に「金細工の心臓」はアント商会の金庫から盗まれてしまった。盗みの手口は鮮やか、というよりも奇怪なものだった。進入経路は二階の窓だった。しかし、その窓から地下の金庫に至るまでは、夜間の不寝番が大勢詰めている部屋を二つ通り、厳重に施錠された罠付きの扉を三つ潜り、更に所定の方法で入室しなければ自動的に襲い掛かるように設定された
「はぁ、リーズさんにどう謝ろうか」
そう落胆したスカースは、隠す訳にもいかず、その日の昼にはリーズ達に事情を打ち明けた。強大な
「こんなに厳重な警備を破られたんじゃぁ……どうしようもないわね」
と、リーズは訳知り顔で理解を示した。
「あのまま私達が持っていたら……酷い目に遭っていたかもしれないわ」
とも言った。勝気な性格のリーズには珍しい対応だったのは、リーズがスカースの好意に応える気持ちになったのか、又は理解を示すことで少しでも多く補償を得ようという考えなのか、男達には分からなかった。
その後、スカースは謝罪の意味を籠めて、五人の冒険者に金細工の買い取り値としては破格の金貨五百枚を支払った。しかも、
「もしも皆さんがよければ、アント商会の警備担当としてウチで働きませんか?」
とも誘ったという。因みにリーズ達の返事は
「考えておくわ」
というものだったという。
****************************************
そんな騒動が有った日の翌日、スカースの元を隊商主のゴーマスが訪れていた。ゴーマスは、盗みの一件を聞くと大いに驚いた。彼は元々アント商会で密偵部門を束ねていた人物である。そのため、金庫の厳重な護りは良く知っていたのだ。その上で、
「スカース様も災難でしたな……しかしその金細工、或る意味金貨五百枚で手放すことが出来て良かったとも」
と答えていた。鮮やかな手口で盗まれたとはいえ、アント商会の金庫を破るのは相当に危険度が高い。その危険を冒してまで盗み取ったということは、何か
「それで、ゴーマスは何の用事だ?」
「実は……これはこれで厄介事ですが――」
ゴーマスの言葉にやや不機嫌そうなスカースは、来訪の用件を尋ねた。対してゴーマスは、懐からレイモンド王子の手紙を取り出すと、スカースに差し出す。
「ふむ、
「今の所は調査するだけですが、万一の場合は王子派の軍勢が越境して事に対処する可能性もあります」
「……確かに厄介事だな」
現在のデルフィルは随分と政治的にリムルベート側に近い立場となっている。もう一つの隣国コルサス王国が二十年来の内戦を続けている状況では仕方のない事だ。そのため、先のインヴァル戦争では、リムルベート王国軍が域内を通過することを当然の如く受け入れていた。
しかし、これがお互い様としてコルサス王国の軍に域内での活動を許すかと言うと、それは簡単な事では無さそうだった。スカースはデルフィルの施政には参加していないが、強大な財力を背景として強い発言権を持っている。しかし、それであっても今回の件を認めさせるのは骨が折れそうだった。
「有るか無いか分からない襲撃者の拠点をコルサス王国の軍勢が越境し攻撃する。事前にその了承を得るための政治活動をすれば、確実に四都市連合にも王弟派にも筒抜けになるな……どうしたものか?」
レイモンド王子がスカースに宛てた手紙は、万が一越境し襲撃者の拠点を攻撃する場合に備えて、予めデルフィル側の了解を取り付けて欲しい、という内容であった。しかし、スカースは事前に活動を行う事によってレイモンド王子の敵対勢力に情報が漏れる可能性を危惧した。
「少々乱暴だが……レイモンド王子には『勝手』をやって貰い、事後に起こるデルフィル側の抗議を押える方向で活動した方が良いと思う。ゴーマスはどう思う?」
少し思案した上で、スカースは少し姑息な思い付きを昔の部下に問い掛けた。
「はい……恐らくレイモンド様も本心ではそう言いたいのでしょうが、あの方の性格ですと、自分からはそういう策を頼めないのだと思います」
「ははは、成程。確かにそうだろう。性根の整ったお方だからな」
ゴーマスの返事にスカースは魁偉な顔に笑みを浮かべた。そう言う事なら是非協力したいと思った。
「そう言う事ならば、海岸線の調査には協力しよう。妙な噂の真相を確かめるという口実だ……そういえば、リムルベートから移ってきた傭兵達がデルフィルに滞在していると聞いた。彼等なら、四都市連合に遺恨を持っているな」
スカースとゴーマスの話はそのような方針、つまりデルフィル域内の海岸線に王弟派の拠点がある場合に備えて傭兵を雇入れることになった。万が一本当に拠点があれば、これを排除することも視野に入れての対応だった。
その後、二人の話合いは費用負担へと話題を移す。元部下でありながら、今は祖国コルサス王国の統一のためにレイモンド王子の下で働く立場となったゴーマスは、中々にしぶとく条件を交渉し、スカースは終始苦笑いだったという。そして、費用負担についても条件が折り合ったところで、アント商会は傭兵の雇用に取り掛かった。
目的の性質上、傭兵の募集は大々的には行われなかった。寧ろ特定の傭兵団に特命に近い格好で仕事の依頼を持ち込む形になった。そして、仕事を持ち掛けられた傭兵団 ――「オークの舌」と「骸中隊」―― はこの依頼を受けることになった。彼等は、秘密裏に準備を進めると共に、デルフィル付近の海岸線を調査するための斥候を派遣することになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます