Episode_21.12 鷹の乙女と聖なる乙女


 その日の夕方、リリアはトトマの救護院に居た。勿論ユーリーの様子を見るためである。彼女が救護院を訪れた時、ユーリーが横たわったベッドの脇にはリシアの姿があった。彼女は、双子の弟の様子を見詰めながら何事か考えているようだったが、近付くリリアの気配に気付くと、立ち上がり微笑みながら隣に座るように促した。


「昨日は、ゴメンなさい」

「え? 何がですか?」

「だって……ブッてしまった、ゴメンなさい」

「ああ、気にしてません。寧ろ感謝してます」


 ベッドの上で寝息を立てるユーリーを脇に見ながらの会話である。謝ったのはリシアであった。軽くだが、茫然自失となったリリアの頬をブッた事を気に病んでいたのだろう。


あなたの妹・・・・・なんですから、不甲斐なければ叱ってください」

「リリア……」


 しばらく沈黙が流れた。ベッドの上のユーリーの寝息は安定していた。昨晩、冷気を取り払われ、体を温められたユーリーだが、そうなると今度は凍傷を発していた。全身、特に手足や顔面が青黒くうっ血し腫れあがったのだ。恐らく可也の苦痛を伴ったのだろう、ユーリーは気を失いつつも大きな呻き声を発していたものだ。それは、レイモンド王子やリリアをしても正視に耐えない痛々しい状況であった。


 だが、今のユーリーにはその凍傷の跡はない。一命を取り留めても惨い傷跡が残るほどの凍傷であったはずだが、普段通りの顔色と身体に戻っていた。勿論、リシアの発した神蹟術の「修復リザレクト」に似た奇跡のお蔭だった。しかもその効果は高位の神蹟術を軽く凌駕するもので、全身のうっ血は瞬く間に治まると、ようやくユーリーの容体は安定したのだった。


「ユーリー、……目を覚ましましたか?」

「いいえ、でも大丈夫よ。お腹が空けば、自然と目が覚めるわ」


 それでも心配気なリリアに、リシアはそう答える。そして、


「他の人達も、診ないといけないから。ここは、お願いね」


 と言うと、椅子から立ち上がった。そして、立ち去りかけたリシアだが、ふと立ち止まると、背後からリリアに声を掛けた。


「……リリア、自分を責める気持ちで、行くのは良くないわ……あなたは、自分自身と、あなたを母と慕う者を信じなさい」

「え?」

「そして、ユーリーの事も信じるの。良いわね……お姉さんと、約束よ」


 内心を見透かされたような言葉にリリアは驚いて振り返る。そこには言い慣れない言葉に少し頬を赤らめた聖女が、ニコリと笑って立っていた。


****************************************


 ユーリーの元に残されたリリアは、安らいだ表情で寝息を立てるユーリーを見ながらリシアの言葉と、先程まで続いた会議の内容を思い出していた。


 隊商主の代表であるゴーマスが話したのはデルフィルに最近流れている噂だった。それは、


「デルフィルとコルサスの境界付近の海岸に海賊が棲みついた。というものでした」


 と言う内容の噂だった。デルフィルとコルサスの国境には一本の川が流れている。その川は、そのまま南へ流れるとデルフィル湾に注ぎこむのだが、その河口の周辺は切り立った崖が海岸線を作っている場所だ。周囲に漁村は無く、居るのは海鳥ばかりという場所である。


 噂話の内容では、そんな国境の河口からデルフィル寄りの海岸線で、崖が崩れて深い入り江になった場所に大型帆船数隻からなる海賊の船団が停泊しているということだった。


「なんでも、最寄りの漁村の者達が海賊から多額の金を貰い、その替りにしばらくその場所に停泊することを許したとか、海賊達は近くデルフィルを襲うつもりだとか、疫病で全滅したとか、果ては財宝を隠しているなどと……そのような噂話でした」


 その言葉に、会議に集まった面々は考え込んだ。というのも、ゴーマスが言う話は、丁度数年前に王子派が経験したデルフィル―トトマ間の街道襲撃事件に似ていたからだ。その当時の事件では、断崖が続く海岸線のトトマ寄りの場所に王弟派が誇る精鋭兵 ――猟兵―― の一団が中型の帆船で上陸したことが後の調査で判明していた。


「その海賊話は、数年前の街道襲撃事件の話が姿を変えたものではないのか?」


 というのは魔術師アグムの言葉だ。その問いにゴーマスは


「しかとは分かりません……夏過ぎには廃れた噂でしたが、スカース様は一応気にしておりました……」


 と答えた。一方、その話を聞いていた面々の内、レイモンド王子は別の反応をした。


「最初の襲撃が始まって以来、既に三か月以上経過している。その間、襲撃は一週間と間を空けずに起こっている……コルベートやカルアニスとの間を往復しつつ補給しながらの作戦と考えるには些か頻度が高い、という疑念は前からあった」

「何処かに中継基地があるかも知れないと、海岸線に兵を送り調査しましたが……流石にデルフィル側は兵を送っておりません」


 レイモンドの言葉にアーヴィルがそう応じる。


「つまり、デルフィル側に襲撃者の中継基地がある可能性が高い……」


 敵が海上に在る内は手を出す術は無いが、停泊中ならば話は別である。その後会議は、デルフィル側の海岸線に在るかもしれない敵の中継基地を調査する方法が話し合われた。そして決まったことは、レイモンド王子と好誼を通じるスカース・アントの助力を得ること。そして、海岸線を調査するための人を派遣することだ。


 スカース・アントへの助力の要請は、ゴーマス隊商が行う事になった。丁度三日後にはデルフィルへ向けて出発する予定だったのだ。ゴーマスはその予定を繰り上げる事にした。しかし、人の派遣については目ぼしい人材が居ないという状況だった。


「冒険者のリコットはトリムへの潜入に掛かって貰ったばかりだ。彼の仲間はストラとダーリアに居るが……この手の仕事をこなせるだろうか?」


 そんな言葉がアーヴィルの口から洩れた。しばらく発言せずに黙って会議を聞いていたリリアは、その時初めて既知の冒険者「飛竜の尻尾団」がコルサスに滞在していることを知った。そして、


「適当な者をデルフィルの冒険者ギルドで雇い入れるか……」


 と言うレイモンド王子に対して、


「それならば、ジェロさん達を集めてください。私が一緒に行きます」


 と口にしていた。


****************************************


(それにしても、どうして分かっちゃったんだろう?)


 ユーリーの寝顔を眺めつつ、リリアはその事を考えた。ユーリーも何処か不思議な雰囲気を示すことはあるが、彼の姉であるリシアはその遥か上を行っている気がした。


(まぁ、二人揃って使徒の血を引いてるのよね……当然なのかしら)


 リシアによって見透かされたリリアの内心は、一つにユーリーを危険な目に遭わせながら何も出来なかった自分を責める気持ちである。そして、もう一つは、強大な精霊王に対して何か出来る可能性が有るのは、ヴェズルを連れる自分自身しかいない、という気負いと、それでも強く残る恐れだった。しかし、そんな気持ちはリシアによって簡単に見透かされ、そして諌められた。


「自分を信じ、ヴェズルを信じ、そしてユーリーを信じるか……ちょっと疑ったのかな……駄目だな、私」


 傷ついたユーリーの姿を目の当たりにしたリリアは、心のどこかで「私がやらないと」と思っていたのだろう。今にして思えば、そうではないと否定しきれない気がするリリアである。


「うぅ……」


 その時、ユーリーが微かに声を発した。リリアは慌ててその様子を覗き込むが、声を発しただけのユーリーが目を開ける事は無かった。


「いいのよ、今は寝ていても……私が見つけておくから……」


 寝顔に語りかけるリリアは、そのまま顔を近づけるとそっと唇を重ねた。清潔なシーツからは日干しした匂いが漂ってくる。そのまま、ユーリーの右頬の辺りに顔を埋めたリリアは不意に眠気を感じた。


(そうだった、昨日から寝てないんだった……)


 その事実を思い出した瞬間、彼女は抗い切れない眠気に囚われ、深い眠りに落ちて行った。ベッドの横に膝立ちで居た彼女だが、次に目が覚めた時、彼女は何故かユーリーと同じベッドの中に居た。夢現ゆめうつつの感覚の内に、誰かが背中を優しく擦り、そっと抱き上げてくれた気がした。不思議に思ったリリアは隣の恋人を見る。そこには、相変わらず安らかな寝息を立てるユーリーの姿があった。


 そして、この日の午後、冒険者達と合流したリリアはトトマの街を後にした。彼女と冒険者の集団は街道を西に進んで行った。

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