Episode_21.11 敵の輪郭


 レム村を襲撃した王弟派に協力する四都市連合の傭兵部隊、その襲撃者と会敵戦闘を果たしたのは遊撃兵団の騎兵隊と歩兵小隊だった。しかし、結局は敵である襲撃者を取り逃がす事になった。襲撃者達は異形の怪鳥の援護を受けて海上へ脱出した。一方、そんな怪鳥に立ち向かったユーリーは意識を失ったままトトマの救護院に運び込まれる事となった。


 搬送を行ったのは、怪鳥が海へと飛び去るのとほぼ同時に村へ突入したダレス達騎兵隊だった。彼等は、冷たくなったユーリーの身体に取り縋って泣くリリアを引き剥がすと村に置いてあった荷車に彼を乗せてトトマへ急行した。更に、傷付いた村人の中でも息が残った者達は同じように荷車に乗せられ、トトマへ運ばれた。


 負傷者を乗せた荷車がトトマの街へ着いた頃には既に深夜を過ぎた時間であった。しかし、救護院の門には煌々と明かりが灯され、リシアを始めとした院の人々が待ち構えていた。その場にはレイモンド王子の姿も有ったという。


 リシアは、長くパスティナ救民使の白鷹団と行動を共にしていたが、地母神パスティナの声を聞いたことは無い。つまり、正しい意味での「神蹟術」を使うことが出来ない。そのため、人前で滅多に癒しの奇跡を行う事は無かった。何かしらの理由が彼女の心に、神蹟術とは異質な力の行使を押し留めさせていたのだ。しかし、この時は傷ついたレム村の人々の姿、そしてなにより凍えたまま命の灯火を尽きかけている弟の姿に、その戒めを解いた。


「湯を!」


 彼女は珍しく、短く命じるような口調で救護院の同僚達に言った。勿論湯は傷口の消毒に用いられるため、たっぷりと焚いてあった。彼等は、それをこの場に運ぶために裏の厨房へ走って行く。一方、リシアは救護院の入口広間 ――普段は診察の待合に使われている場所―― に運び込まれたレム村の住民達を見回すと


「流れ出る血よ、元の場所に留まりなさい」


 彼女の言葉は運び込まれ呻き声を上げるレム村の人々の上に響く。すると、大小様々な裂傷打撲傷からの出血が止まる。まるで魔術の「止血術ヘモスタッド」のようである。


「傷口は在るべき姿に、苦痛を生じてはいけません」


 その言葉に応じて、見るも無残な傷口がみるみる内に塞がって行く。その様は高位の神蹟術「修復リザレクト」であった。


「心の臓よ、鼓動を強めなさい。あなた達は癒されました、ゆっくり休みなさい」


 彼女の言葉は決して大声ではない。寧ろ注意していなければ聞き取れない性質の声だ。しかし、三度目に発せられた言葉は、彼女を中心として周囲に広がった力の波 ――穏やかな波動―― に乗って傷付いた人々の上に届いた。そして人々はリシアから発せられた生命力エーテルの波を受け取り、穏やかな眠りに就いた。それは、魔術や神蹟術、又は精霊術といった技術を超越した一種の奇跡であった。


 そうして、人々が癒されたころ、裏の厨房から湯桶が運び込まれた。


 一方のユーリーはリシアからの生命力を受け取っていたが、それでも身体は凍えるように冷たかった。尋常な事では無い。怪鳥の放った凍気は只の低温ではなく、ユーリーの身体に纏わり付くように留まり体温を奪い続ける性質のものだった。そして、本来その事実に直ぐ気付くことが出来るはずのリリアは、しかし、床に横たわった彼の隣で茫然と蒼褪めた顔を眺めるだけだった。


「皆、手伝って。レイ様も」

「分かった!」

「リリアも」

「……」


 リシアの呼掛けで、鎧を身に着けたままのユーリーの身体は数人が掛かりで持ち上げられると、湯気を上げる桶の中に沈められる。冷えてしまった身体を温めるための処置だった。しかし、ユーリーが入れられた湯桶の湯は、直ぐに川の水のように冷えてしまう。


「何なんだ、これは?」


 その様子にレイモンド王子が驚きの声を上げた。救護院の面々は床に水が溢れるのも構わずに湯を足すが、やはり直ぐに冷えてしまうのだ。


「リリア、私がユーリーに力を送るから、あなたは纏わり付いた冷気を払って」


 流石に状況を読み取ったリシアは、そのようにリリアに言う。しかし、リリアの返事は判然としなかった。何事かを呟くのみで、目の前の状況が全く見えていない様子だ。


「リリア?」

「……私のせいで……」


 怪訝な様子で近付いたリシアは掠れ声の小さな呟きを聞いた。それは後悔の言葉を繰り返す力無い呟きだった。何を以って後悔しているのか分からないが、リシアはそんな彼女にスッと手を伸ばすと軽くその頬を張った。パチッと極小さい音が響く。そして、優しい声が続いた。


「後悔はまだ早い。あなたの力で、ユーリーを助けるの、いいわね?」

「……はい」


 その言葉でやっと我に返ったリリアは、恋人と同じ黒曜石の瞳に向けてそう返事をしていた。


 ユーリーが体温を取り戻し、容態が安定したのは、翌朝の夜明け前だったという。


****************************************


 翌日の昼過ぎ、トトマの南城砦には王子派の主要な面々の内、トトマ近郊に居る者達が集まった。その顔ぶれは遊撃兵団長ロージやエトシア砦を管理する西方面軍の大隊長、それにトトマの衛兵団長ベロスやストラの衛兵団長などである。更にはトトマ在住の魔術師アグムや隊商達の代表ゴーマス等の軍とは直接関係の無い人々も集められた。彼等が集められた目的は会議である。その内容は今後予想される襲撃への対応策であった。


 レム村襲撃事件を機に、これまで王弟派及び四都市連合の襲撃部隊と会敵出来なかった理由が判明した。それは、


「――つまり、広範囲の風の精霊を支配下に置くことが出来る存在、精霊の最上位である存在が敵方に助力しているということです」


 凛とした声でそう説明するリリアの言葉の通りだった。昨晩は狼狽し己を見失っていた彼女だが、ユーリーの容態が落ち着くにつれて、普段の様子を取り戻していた。そんな彼女は精霊術の専門家としてレイモンド王子の求めに応じて会議に参加していた。しかし、彼女の説明を聞く面々は押し黙ったままだ。只一人、魔術師アグムが確かめるような声を発した。


「つまり、それは風の精霊王の一種、と言う事じゃな?」

「はい。凍える風、と表現するべき力を感じました」

「うーむ……精霊王か。古竜に比肩する強大な存在じゃな……」


 全員が押し黙っているのはこの事実が理由だった。如何に原因を掴んだとして、対応する術が無かった。古竜と同じ、と言われてもその強大さを推し量ることが出来る者はこの場には居ない。ただ、コルサス建国史で後の建国王である西方鎮守府総統カウモンドがコルタリン山系奥の金鉱脈を守る竜を打ち倒した話が伝わっている。千を越える騎士や兵士を動員したコルタリン山系の戦いは壊滅的な被害を出しながら、最後には竜を倒した事になっている。しかし、その時倒された竜は「成竜」であった。倒すのに軍勢を用いても壊滅を覚悟しなければならない成竜と比較して、古竜はその数倍も強力だといわれているのだ。


「皆、悲観する前にもう一度考えるんだ。何か良い方法は無いか?」


 レイモンド王子は会議に参加した面々を勇気づけるように言葉を発する。自分自身に向けた言葉でもあるようだった。


「取り敢えず黒い怪鳥は一旦脇に置いて・・・・・・・敵兵だけを考えれば、ダレスやアデールの報告によると『そこまでの強敵では無かった』ということです。四都市連合の指揮官と思しき者が率いているようですが、傭兵中心の敵部隊の戦力は充分遊撃兵団や西方面軍の兵士で対応できるとのことです」


 遊撃兵団長ロージ・ロンドの発言だ。因みにダレスとアデール達の部隊は現在海岸線沿いに逃走した四都市連合の水兵を捜索していた。ロージは配下である遊撃兵団の歴戦の兵士達を信頼して、そう断言していた。


「となると、尚更にその黒い怪鳥の存在さえどうにかなれば、対応は可能ということだな……ところで、リリア殿」

「はい」

「その怪鳥は、何故王弟派や四都市連合に協力しているのだろうか?」


 それは騎士アーヴィルの問いであった。アーヴィルは、そう問い掛けてから、リリアの返事を待たずに言葉を続ける。それは彼自身が持っていた古い記憶でもあった。


「私が以前リーザリオンという北の国の騎士であったことは皆も御存知と思うが、そのリーザリオンには盟友がいた。その盟友とは、今回の怪鳥のような大きな鳥の形をした存在だった。王家の方々はその巨鳥を『北風の王』と呼んでいた。私も二度ほど姿を見たことがある。だが、その『北風の王』は如何に王家の盟友だったとしても、アルヴィンユングとの戦いやリーザリオンの滅亡には介入しなかった……マーティス陛下が助力を求めなかったということもあるのだろうが……精霊の王というのは人間の営みには全く関与しない、するべきではない、そういう存在だと陛下自身から聞かされている」


 アーヴィルの言葉の中に「北風の王」の名前を聞いて、リリアは少し驚いた。そして、アーヴィルの説明が精霊王の本質を的確に言い当てていることに、二度目の驚きを感じた。本来、精霊王や上位の精霊種を含む精霊達は、この世界の力の動きを司っているだけだ。精霊術などは、そんな精霊達の力の動きを少し「拝借している」だけに過ぎない。


 だが、助力を得ることは全く不可能ではない。稀有な例だが、最も有名なのはドルドの森を守る一角獣の守護者達だろう。彼女達の力の源は一種の精霊種というべき幻獣一角獣ユニコーンとの盟約だ。その盟約の代償は守護者達の純潔だといわれている。また、リリア自身は北風の王からその力の一部を託されている。こちらは彼の眷属である「寛風の王」と呼ばれる若鷹ヴェズルがしっかりと育つまでその存在を守るため、という名目で託された力だ。何を代償にしているかは今の所不明だが、これも一種の盟約と呼べる。


 人間の世界の出来事には干渉しないと言いつつも、実際には友好や親愛の情を土台として何等かの代償を提供する事で「盟約」という状態を作り出し、その力を享受することは可能なのだ。恐らくリーザリオンの王でユーリーの祖父であるマーティスは、それを知りつつ実行しなかったのだろう。尤も、それがどのような理由によるものか、今の世代の人々には分かるはずもない事である。


「恐らく何等かの盟約を……精霊術師のような存在と結んでいるんだと思います」

「ならば、その精霊術師を倒してしまえば、或いは黒い怪鳥はそれ以上我らの戦いに干渉しないのではないだろうか?」


 リリアの意見にアーヴィルが言う。リリアもその意見には同意だった。そして、一つ気になった事を付け加える。


「レム村での戦いの最中、敵の傭兵の背後に他とは格好の違う者がいました。緋色のローブを纏い、汚らしい髑髏の首飾りを付けた黒い肌の男です。その時は、その男から何も力を感じませんでしたが、今にして思えば、あの男が盟約者なのかもしれません」


 ということだった。


「アーヴィル、名案じゃないか! その線で行こう。その緋色のローブの男を探し出すんだ……い、いや……居場所は分かり切っていたな」


 初めて出てきた前向きな意見にレイモンドは語気を強めて言う。しかし、その言葉の語尾は弱まり、そして自嘲気味になった。敵の居場所は分かり切っている。それは海の上だ。そして、王子派の勢力では、海の上に居る彼等に手出しをすることは出来なかった。


 議論は振出に戻ったかに思えたが、その時遠慮がちに手を挙げる者が居た。隊商達の代表者となったゴーマスである。


「それなのですが、先日デルフィルで妙な噂を聞いてきました――」

「妙な噂?」

「はい、実は――」

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