Episode_21.08 遊撃兵団参上!


 漁村の襲撃を行う傭兵部隊から少し離れた場所に一人の男が佇んでいる。


 その男は、襲撃を実行する傭兵や、それを指揮する四都市連合の作軍部現場指揮官には見えなかった。痩せ細った身体を緋色の丈の長いローブで包み、皮製の帯で腰の辺りを結んでいるだけの軽装だ。そんな服装から覗く手足の先と顔の肌の色は瞳同様、闇に沈んだように黒い。南方大陸を支配するアルゴニア帝国でも、深南部と呼ばれる地域出身の呪術者である。西方辺境では人目を惹く外見であるが、その男は更に何かの動物の頭骨を使った首飾りを身に着け、黒い羽根飾りの付いた杖を持っていた。それもまた、周囲には奇異に映る外見だ。


 そのためかどうか分からないが、男の周りには傭兵の姿は無い。だが、男は全く気にした素振りも無く、ただ夜空を見詰めている。その表情は何を考えているか分からないが、特徴的な肉厚の唇は先ほどから聞き慣れない言葉を呪文のように唱えている。そして、宙をさまよう視線は動揺を感じているように、小刻みに左右へ動いていた。


凍風の精・・・・が吹き散らされた? なぜだ……)


 先ほどまで周囲の大気を覆っていた凍える空気が、少し前から感じられなくなってしまった。丁度、村に近付く二騎の騎馬を察知した直後の事だ。そして、レム村を中心とした一帯を覆っていた凍える風の精霊は一気に力を弱めていた。


「呪術師殿……どうかされたか?」


 そこに、声が掛かった。声の主は四都市連合の作軍部長、今回の襲撃を指揮する立場の人物だ。彼もまた南方大陸の出身のようであるが、その肌色はやや浅黒い程度、呪術師の漆黒の肌とは異なる。出身地が違うのだろう。


「いや、なんでもない」

「ならば良い、いつものように敵の接近を報せてくれ」

「わ、わかっている」


 努めて尊大に返事をする呪術師の男は、そのまま作軍部長の視線を避けるように少し歩くと再び意識を集中する。


(守護精霊よ、我に力を。守護精霊よ、我に力を……凍えし大気の力を送れ)


 彼は、自分の身体に流れる血脈の力を頼り、大昔に結ばれた盟約の力にすがった。すると、遥か離れた海上に座する守護精霊から返答があった。


(不遜ナルモノヲ見タリ)


 その瞬間、呪術師の男は激流のように心に直接流れ込む強大な意志の力に耐えきれず、その場に膝を付いた。かつてこれほど明確な意志を守護精霊から受け取った事は無かった。それは、この男の呪術師としての素養の低さを示す事実でもあった。


「どうしたのか?」


 その様子を見つけた指揮官が歩み寄ろうとするが、その時、前方から駆け戻ってきた傭兵が大声で報告した。


「敵部隊が現れました!」

「なんだと!」


 今回の作戦中、初めての報告に指揮官は思わず呪術師を睨む。そして、盛大な舌打ちと共に、


「所詮、深南の賤民か」


と、吐き捨てるように言うと、


「わかった、敵の規模は?」

「およそ百人」

「よし、追い返した後に撤退だ」


 そう言って、自らも前方へ駆け出していた。


 残された呪術師の男は地面に蹲ったまま、じっと動かない。守護精霊が発した意志の力と、現場指揮官が吐き捨てた侮辱の言葉 ――深南の賤民―― の両方がもたらす苦痛に耐えていた。そんな彼は、彼の一族の守護精霊が接近しているのを感じると、


「凍える風……あれは……俺の力なんだ……」


 と、小さく呟いた。昏い力の籠った声であった。


****************************************


 異質な風、凍えるような冷たい風を払った後、リリアは正常な働きを取り戻した風の精霊を利用してレム村の様子を確認していた。


「歩兵百人位が襲撃者と戦っているわ!」

「敵の数は?」

「二百前後よ」

「村の人は?」

「逃げる村人と襲撃者の間に歩兵の部隊が割り込んでいるわ……街道の方へ逃げている」

「分かった、急ごう!」


 これまで、迎撃する王子派の巡回監視部隊を煙に巻いていた襲撃側だが、この夜は様子が違った。リリアの介入によって周囲を確認する「目」を失った彼等は、接近した遊撃兵団の二個小隊の存在に気が付かなかったのだろう。


 しかし、二個小隊百人の歩兵と二百の敵方傭兵では敵が有利であった。ユーリーとリリアは、そんな歩兵小隊を援護するべくレム村へ急行する。


****************************************


「てめぇら! 数の差は気合いで補え!」

「おうっ!」

「突っ込め!」


 レム村の東端に響くのは第一小隊、通称アデール隊の蛮声だ。彼等はにわか・・・に炎を上げ出した村から東の街道へ逃れようとする村人と、それを追う襲撃側の傭兵達の間に楔形の陣形で突入した。


「なんだ、敵だと?」

「どうして?」


 一方、これまで迎撃を受けた事が無かった襲撃側は、姿を現した王子派の部隊に動揺した。村人を追い立てていた傭兵達の先鋒は戸惑ったように動きを鈍らせる。その隙にアデール隊を先頭とした二個小隊の遊撃歩兵隊は完全に敵と村人の遮断に成功していた。


「横隊陣形! 押し返すぞ!」


 アデールの号令により、二個小隊は薄く長い横隊列を組むと槍と盾を襲撃者へ向ける。整然とした動きだった。普段の口調はヤクザ者と変わらず、平時の様子は少しだらけて・・・・錬度が高い部隊には見えない。元はコルサス東側の食い詰め者やダーリアのヤクザ者なのだから仕方がない。だが、彼等は確実に王子派の軍勢の中でも精鋭の集団だった。領内のクーデター事件である八月事件からエトシア砦防戦、そしてディンスへの渡河上陸作戦といった主要な戦いをレイモンド王子と共に経験し生き残った猛者達である。


「後列、弩弓だ!」

「構え――、放て!」


 その瞬間、前列で槍衾を形成していた兵士は一斉に右へ倣え・・・・の動きを取る。そして前列に出来た隙間から弩弓の矢が一斉に放たれた。三十人程が三段構えになっただけの薄い横隊陣から撃ち出された三十の矢は、狙いを付けた射撃ではなく斉射だ。外れる矢も多いが、それでも敵の先鋒を確実に削っていた。


「前進!」


 そして、崩れた敵の先鋒を押し返すように、横隊陣は一歩前へ進む。その頃になって、ようやく襲撃側の傭兵も対応を取り始めた。


「散開! 敵は少数だ、横隊の両端を叩け」


 後方から前線にやって来た敵の指揮官が声を張り上げて指示を飛ばす。四都市連合が誇る作軍部の現場指揮官の指示は的確だった。狙いは横隊の防御力と攻撃力が劣る両端を叩くことだ。数の差が倍も違う状況で少数側が横隊陣を組む事は、本来の戦術では定石に反している。にもかかわらず、王子派の部隊が横隊陣を取ったのは、村人を逃がすための止むを得ずの判断だった。そして、そこを冷静に突く指示を発する現場指揮官は、末端の構成員としても「流石は四都市連合作軍部」と言わしめるものである。


「親分、これじゃ持たねぇ!」

「ったく、ダレスの野郎何してやがる!」


 反撃に転じた傭兵達は、指揮官の指示通りに横隊の両端に激しい攻撃を開始した。さらに、十人程度の小集団が遊撃兵団の後方へ回り込む動きをみせる。そのため二個小隊規模の兵士達は包囲される可能性があった。しかし、退却する訳にはいかない。村の住民達、特に女子供の足は遅い。少なくとも後十分は粘りたかった。


「気合いで持たせろ!」

「親分、さっきから気合いってしか言ってない気が!」

「うるせぇ!」


 周囲を怒鳴り付けるアデールは自分も剣を抜く。しかし、


「だめだ、横隊の中央が破られる!」


 誰かの悲鳴のような声が響いた。両端に攻撃を受けた彼等の隊列は自然と敵に対するように両端へと動く。その結果、真正面が手薄となり、そこに突撃を受けたのだ。


(やべぇな……)


 アデールはその瞬間、逃げる村人の命と自分達の命をはかりに掛けた。心の中に出来上がった天秤は、さも当然のように大きく村人達の命へと傾いた。それが、ヤクザ上がりアデールの矜持だった。


「よっしゃ、隊列を解いて乱戦――」


 アデールが覚悟を決めた指示を発し掛ける。しかし、その声は突然辺りに吹いた風と、それに乗って凛と響く女性の声に遮られた。


(もうちょっと、持ち堪えて!)

(アデール、頑張って!)


 聞き覚えのある女の声の後には、懐かしい声 ――ユーリーの声―― が続いた。そして、次の瞬間、横隊列を食い破る寸前の傭兵達の背後にいかずちが落ちた。空気を切り裂く轟音と広範囲に広がる雷撃が次々と傭兵達を打ち倒すのを、アデールは唖然とした表情で見ているだけだった。


****************************************


 夜の闇の中を駆けたダレス達の騎兵隊は、大きくレム村を迂回して海岸線に出ていた。途中丁度良い道が無かったため、思った以上に時間が掛かったのが誤算だった。しかし、彼等の狙いは功を奏していた。目の前には、襲撃部隊が使用したであろう上陸用の小舟が全部で十艘、浜に乗り上げたまま放置されている。その周囲には少数の海兵達が内陸へ侵攻した部隊の帰りを待つようにして待機していた。


「見つけたぞ!」


 ダレスの声を待つまでも無く、遊撃騎兵団の騎兵達は三か月間追い続けた敵の姿を前にして勇躍した。


「突撃だ!」

「二番隊、続け!」

「三番隊は周囲の偵察だ!」


 突撃の号令を掛けるのは四番隊のダレス、そして二番隊のドッジだ。一方三番隊のセブムは生来の思慮深い性格から、自隊を突撃に参加させず周囲の警戒を指示した。戦力として二十騎の騎兵が突撃を仕掛ければ充分事足りる敵勢力の数だった。


「うわ! て、敵だ!」

「なんで?」

「どうするんだよ!」


 一方、敵側の対応は完全に虚を突かれたものだった。しかも、その様子を隠そうともしない。指揮官が不在の完全な居残り隊だったようだ。そんな彼等は五十人弱の海兵である。しかも漕ぎ手が専門のようで、大した武装をしていない。王子派の歴戦部隊である遊撃騎兵隊とは精強さに於いて比べるべくもない。そして、長く一方的に襲撃を受けるだけの状況に鬱憤を溜め込んだダレス達騎兵は容赦が無かった。


「各騎、放てぇ!」


 その号令で、突進する騎馬の上から騎兵達は小型の弩弓クロスボウを一斉に放った。合計二十のボルトは馬の速力を助力に受けると動揺した敵集団に襲い掛かった。この勝負はこの一撃で決したといっても間違い無かった。矢に当たらなかった海兵達は、浮足立つと任された上陸用舟艇の防衛を放棄して一斉に村の方へ逃げ出した。だが、彼等の背後を追撃する騎兵達は、次々と海兵達を打ち据え、斬り殺して行った。


「本隊が戻る前に……」

「舟を焼くか!」

「そうしよう」


 ささやかな勝利に沸いた騎兵達はダレスの号令に従い、松明に火を灯す。何人かは燃えやすいように、舟の側壁を手斧で斬り砕きはじめた。そんな時だった。不意に上空を強い風が吹き抜けた。


「ぶわっ――、な、なんだ?」

「うわっ……」

「いてぇ」


 波と浜辺の砂を巻き上げるほど強い風に数人の騎兵が落馬する。彼等は地面に這いつくばりながら驚いた声を発した。一方ダレスはその瞬間、頭上を一瞬で通り抜けた何か・・の輪郭を見ていた。


「鳥?」


 その外観は夜空を背景としても更に浮き立つ闇のような影、首の長い水鳥のような輪郭だが一瞬頭上を覆うほどの大きさは尋常では無かった。それが内陸、レム村の方へ飛んで行ったのだ。


「……レム村へ急ごう!」


 騎兵隊は波を被って濡れてしまった舟に火をつけることを諦めると、ダレスの号令でレム村の方へ向かう。


 ――ギャァァァァァッ


 彼等が馬を向けた先、レム村の方から不意に大きな叫び声が上がった。騎兵達はその不気味な響きに顔を見合わせるが、怯むことなく馬を進めるのだった。

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