Episode_21.07 異質の風


 秋の夜とは思えないほどゾクリと凍えた空気に包まれるトトマ南西の海岸付近。トトマからエトシアに繋がる街道を海岸側に外れた場所には、歩兵と騎兵の集団が西を目指して進んでいた。


「どうする、ダレス?」

「レム村か……海岸から五百メートルくらい内陸たったな」

「ああ……」


 集団は三十騎の騎兵を先頭に、その後ろに二個小隊百人の歩兵が続く隊列だ。そんな隊列の先頭に立った三騎の騎馬、言葉を交わすのは遊撃騎兵四番隊のダレスと、昔からの付き合いであるドッジとセブムの三人だ。ダレス以外の二人は、ユーリーとヨシンが抜けた後を埋めるように、騎兵二番、三番隊を任されていた。因みに壊滅した三番隊は欠員が補充され戦線に復帰している。


「このまま接近すれば、いつもみたいに逃げられてしまう。騎兵隊が海岸線を遮断するように動く、歩兵隊はそのまま前進。これでいいな?」


 ダレスの言う策は、これまで後手に回り続けていた彼等遊撃兵団が考え出した苦肉の策だ。但し、敵の勢力は全く不明である。そんな敵の退路を十騎一隊の騎兵隊三個隊で塞ぎ切れるかが疑問であった。しかし、かといってこれまで通りに歩兵小隊と共に進めば敵の撤退を許してしまう。


 長く一方的に襲撃を受けるだけの王子派は焦れていた。そんな焦りがダレスにこの策を実行させる。


「ああ、そうしよう」

「行こう、ダレス」


 三人の若い隊長による話し合いはそのように決した。直ぐに三個部隊三十騎の騎兵隊は歩兵集団から分離すると、レム村へ向かう小道を大きく外れ、村を南から迂回して海岸線に出るように進行方向を変更した。彼等は急に冷え込みを増した空気を裂きながら、ただ只管に馬を進ませる。


****************************************


 トトマの街を飛び出したユーリーとリリアは南西のレム村を目指していた。ユーリーによって身体機能強化フィジカルリインフォースの付与術を掛けられた二頭の軍馬は、文字通り矢のような速さで夜の闇を切り裂き進む。トトマからレム村までの距離は通常ならば馬で一時間程度だが、習熟度の進んだ正の付与術を受けた馬足ならば半分近くの速さで到着するはずだった。


 整備された街道といっても、見通しの利かない夜に馬を走らせるのは、それなりの技量と集中力、そして度胸を要する作業だ。しかし、ここ一年ほどで馬に乗るようになったリリアは、六年以上乗馬術の研鑽を積んでいるユーリーに遅れることなく後を付いて走っていた。しかも彼女はそんな馬上にあって、馬を走らせる事以外にも気を回せる余裕すらあった。彼女はレム村が近付くにつれて周囲の空気が変質していくのを感じ取っていたのだ。


(なにかしら……でも気のせいじゃないわね)


 いつの間にか周囲の空気は重たい冷気を帯びていた。まるで真冬の真夜中のような張り詰めた空気だ。そんな空気にリリアは寒さ以外のものも感じ取る。表現は難しいが、周囲の空気が彼女の存在を拒むような重たさを伝えてくるのだ。それは、彼女が自然と引き連れる風の精霊がその場に存在している空気と融合できず、分離したまま存在するような孤立感であった。明らかに自然の摂理に反した状態だといえる。しかも、上空を旋回する若鷹ヴェズルは警戒を露わにした感情をしきりにリリアへ伝えていた。その状態に彼女は堪らず前を行くユーリーに声を掛けた。


「ユーリー、ちょっと待って!」

「えっ?」

「止まって!」


 ユーリーは、リリアの制止を受けて馬を止める。レム村まではもう三キロ程度の場所だ。


「どうしたの?」

「うん……ちょっと――あっ」


 リリアの声の調子から、何かの異変を推測するユーリーである。そんな彼の問い掛けにリリアは自分が感じている異質な空気感を伝えようとするが、その言葉を途中で遮った。その瞬間、彼女は周囲を取り巻く凍えた風の精霊が様子を変えたことに気付いたのだ。


(私達を探ろうとしている……)


 立ち止まった二人の周囲で、凍えた風の精霊が恣意的に動いた。それは、風の精霊の質は違うものの、リリア自身が良く使う精霊術「風の囁きウィンドウィスパ」そのものである。


(そうか、これが原因で襲撃側は反撃を受けずに撤退できたのね)


 考えてみれば単純な理屈である。並みの精霊術師では難しい距離の探知だが、リリアと同程度以上の術者が敵方にいれば可能である。


 リリアは馬を寄せると近くからユーリーを見て自分の口を指差した。読唇術で会話をしよう、という合図である。


(どうした?)

(たぶん、敵の精霊術師が支配する場に入っているわ)

(じゃぁ、やはり風の精霊による探知だったのか?)

(間違いないと思う……対抗してみる?)


 リリアの形の良い唇が、そんな言葉をユーリーに伝えた。声音では分からないが、その表情は自信あり気だった。そのため、ユーリーは深く考える事無く、


(頼む)


 と答えていた。リリアはその言葉に頷くとユーリーから少し馬を離す。そして意識を周囲に存在する風の精霊に向けた。相変わらず周囲を満たす凍えた風の精霊はリリアの意識を受け付けない。しかし、リリアの意識はそこに留まらず一気に範囲を広げる。古のエルフの血と北風の王フレイズベルグから分け与えられた力により、広大な領域に拡大したリリアの意識は、遠くに押しやられた風の精霊 ――彼女に従う自然な大気―― の存在を探り当てた。そして、


「流転と変化、混合と拡散を担いし原始の龍の力の欠片よ、北風の王の名の元に正しき姿を取り戻せ」


 謳い上げるような言葉がリリアの口から紡がれた。精霊術は基本的に意識を周囲の精霊に同調させて、意志の力で精霊の働きを制御する技術だ。そのため、精霊術に於いて言葉は意志の力を補強する効果を持つ。そんな言葉が途切れることなく彼女の口から紡がれ続けると、不意に上空から秋の夜に在ってしかるべき涼風が吹き下ろし始めた。


 それは地上近くに蟠った冷気の塊に遮られるも、一度で止むことは無く、次から次へと押し寄せる。そして、しばらくの時間の後、二人の周囲の空気は自然なものに戻っていた。周囲には温度差によって生じた薄い霧が漂っている。


(……凄いな)


 或る意味、天候に働きかけて広大な空間の様相を一変させたリリアの力にユーリーは改めてそんな感想を持った。今の彼女が使った力は、名前を付けられた精霊術ではない。魔術陣を用い、この世界のことわりの範疇の中で決められた効果を発揮する魔術とは、根本的に構造が異なる力の発露であった。


「はぁ……流石に疲れるわね……でも、これで相手側の状況が見通せるわ」


 そう言うリリアの額には一筋の汗が伝っていた。その上で少し上気した顔色の彼女は少しユーリーに笑い掛けると、次いで「風の囁きウィンドウィスパ」の精霊術を発動させようとするのだった。


****************************************


 デルフィル湾の沖合に停泊する三隻の帆船は、四都市連合の第二海兵団の艦隊の一部だ。この艦隊から発した傭兵達が昨今王子派領を悩ませている襲撃部隊の正体だった。艦隊は先ほど出発した襲撃部隊の帰りを待つために、トトマの沖合近くに投錨していた。


 三隻の帆船は夫々、三本マストや五本マストといった、中型と大型の帆船だ。しかし、その中に一隻だけ他とは様式の違う小型の帆船があった。周囲を囲む四都市連合の海軍船は無駄な装飾を省き無骨だが機能的な造りになっている。華美さが無いため、海賊船のように見えるくらいだ。しかし、その一隻の小型帆船は黒粘油タールを塗り込めた船体を鮮やかな朱で縁取りし、船首と船尾が高く巻き上がるように反り上がった形状をしている。更にその先端には翼を畳んだ魁偉な魔獣の姿が彫り込まれた装飾性を持った帆船だった。しかも、五十人も乗れば満員となる小型な船体には三本の帆柱マストが備えられ、船足の早い快速船として充分に実用に足る構造である。ただし、華美かといえばそうともいえず、全体的には不気味な雰囲気を醸し出していた。


 その船は、今回の作戦に際して四都市連合の一角である南方大陸の港湾都市チャプデインが派遣してきたものであった。乗り込むのは南方大陸の南側に住み暮らす黒い肌を持った水夫達。そして、彼等を束ねる呪術師だった。彼等と彼等が連れた或る存在・・・・が原因で、その船は船団の他の船から一定の距離を置かれている。というのも、


「帆柱に鳥が止まるのは吉兆だが……」

「あんな気色悪い鳥が居るとなぁ」

「おい、止めとけ……あんまり見ると呪われるぞ」


 見張り役の水兵二人と傭兵一人は、そんな会話を囁き声でしていた。彼等が話題にしているのは、南方から来た小型の帆船である。そして、あんな鳥とは――


ギャァァァァァァッ!


 その時不意に小型船の帆柱の上から悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。まるで断末魔のような叫び声であるが、実際は悲鳴ではなく只の鳴声だ。しかし身の毛もよだつほど禍々しい音だ。それが、周囲に投錨した船団の上を響き渡る。そんな不吉で恐ろしい鳴声を放つ正体こそが、海兵や傭兵達が恐ろしげに囁いていた鳥である。その躰は小型船の帆の大きさと遜色ないほど大きい。尋常な存在ではない怪鳥であった。


 その怪鳥が小型船の帆柱の先に舞い降りるのを見た者は誰も居ない。普段は姿を見せないが襲撃のある夜には、決まっていつの間にか・・・・・・帆柱の先端に止まっているのだ。そして、襲撃部隊が帰投する頃には、まるで夜の闇に溶け込むようにして姿を消している。それがこれまでの決まりだった。しかし、この夜は違った。


 怪鳥は帆柱の先端に止まったまま、東の海岸線を見ていた。そして不意に鳴声を上げると大きく羽ばたいた。不意に吹き荒れる凍えた風が、周囲の大型船の甲板を揺らした。そして、


ギャァァァァァァッ!


 と再び身の毛もよだつような鳴声を上げた怪鳥は、帆柱を蹴って空に舞い上がった。瞬間、弱い月の光がその躰を照らす。異様に長い首と、その先端に付いた獅子の頭。そして全身は濡れたように光沢を持った漆黒の羽根で覆われている。不運にもその姿を見てしまった者は、しばらく悪夢にうなされる事になっただろう。それほど強烈な禍々しさを持った姿だった。


 空へと舞いあがった怪鳥は、東の海岸を目指して一直線に夜の空気を切り裂き飛ぶ。自分の力を振り払った不遜な者の存在を確かめるためだった。

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