Episode_20.05 辛苦の道程、ささやかな予言


 トトマに座するレイモンド王子の元には二つの凶報が立て続けに届いた。


 先に届いたのはストラ近郊の漁村を襲った悲劇の報せである。一晩の襲撃による漁民の被害は死者八百名、重傷者五百名、三つの村が壊滅し、二千を超える避難民がストラへ逃れることとなった。しかも、襲撃した側はストラとエトシア砦から繰り出した王子派の部隊を嘲笑う下の如く、日の出前には海上へ姿を消していたという事だった。


 攻撃規模と撤退の手際から、それらの襲撃を海賊の仕業と思う者は居なかった。しかし、生き残った漁民の証言によれば、襲撃者は王弟派の正規軍とも思えない。その事実が示すことは、


「やはり、王弟派は本格的に四都市連合の傭兵を手下に引き込んだのでしょう」


 というものだった。これまで二十年以上続いた内戦に於いて、たみに被害が出ることはしばしば・・・・であった。しかし、騎士や兵士ではなく、民を標的とした襲撃は王子派、王弟派、共に一度も行った事がない。過去に行われた王弟派によるディンス攻略やストラ攻略では、戦闘終了後にそれ等の街の住民に対して迫害めいた弾圧が加えられる事はあったが、それは「統治」の範囲内と言えない事も無い。しかし、今回の漁村襲撃は、コルサス王国の正統な支配者を名乗るのならば保護して当然である民を標的としたものであった。


「王弟ライアードは、その一点・・・・に於いて良識ある人物と思っておりましたが……とんだ買い被りだったようです……」


 騎士アーヴィルが吐き捨てた言葉は奇しくもレイモンド王子の内心を代弁したものだった。レイモンドとしても、敵ながら越えてはならない・・・・・・・・一線・・を弁えた相手だと思っていたのだ。敵対するとはいっても、血の繋がった叔父である。それは甘えだったのかもしれないが、それだけに、越えてはならない一線をあっさりと二つも破った相手に憤った。


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 そして、そんな王子の怒りを煽るように、次なる凶報が飛び込む。タバンを攻めたマルフル将軍率いる軍勢の敗北と撤退の報せである。ストラ近郊の漁村襲撃から二日後に届いた報せは、タバン太守アンディー・モッズの内応が罠であったことを報せるものだった。


「密使カドゥンは、昨晩監視の兵を殺害すると姿を消しました」


 そう報告するのは、トトマ衛兵団長のベロスだ。彼の報告によれば、トトマに留め置かれていた密使カドゥンは、ほぼ丸腰の状況であったにもかかわらず監視の衛兵十名を殺害すると、何処かへ行方を晦ましていたということだ。しかも、その事態に気付いたのはマルフル将軍率いる軍勢の敗退の報せが届いた後の事であったという。


「どうやらカドゥンは、その筋・・・の者だったようです」


 事情を弁えた筆頭家老ジキルの言である。密使カドゥンを追う兵は既に手配されているが、恐らく捕まえることは出来ないだろうという見込みだった。寧ろ、


「まだ、トトマに潜んでいる可能性があります。当分は身辺の警護を厳とする必要があるかと」


 と言う事になった。一方、タバン攻略に失敗しディンスへ撤退したマルフル将軍の軍勢については、情報を中継したエトシア砦駐留の西方面軍一個大隊の隊長がトトマへ報告のために現れた。


「タバン内部に進入を試みた騎士隊で大きな被害が出ましたが、全体としては撤退の指示が速やかだったため、被害は限定的です」

「分かった……だが、もう少し具体的に被害を伝えてくれ」

「はっ……騎士隊の損害は戦死者三十名、兵士の損害は戦死者二百です。その他重傷者が騎士と兵士を合せて三百……副官オシア様も、重篤な状態です」

「なんと! オシアが……大丈夫なのか?」


 報告を聞いていたレイモンド王子を始めとする面々は、その報せに驚いた。対して、報告する大隊長は、


「命に別状は無し、と伝わっておりますが……二度と騎士として働くことは出来ないかもしれないと……」


 と言う事だった。


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 アーシラ歴四百九十七年の七月、二つの凶事を受けた王子派であったが、事態はそれに留まらなかった。


 一個大隊分の損害を受けた西方面軍を中心とするタバン攻略軍は、そのままディンスの防備を固めることとなった。その一方で、デルフィルからディンスに続く広大なデルフィル湾の東岸線一帯は、王弟派と手を組んだ四都市連合の襲撃部隊に頻繁に襲われるようになっていたのだ。


 北部森林地帯から注ぎ込む幾つかの河川と、リムルベート王国内を縦断するテバ河の支流が流れ込むデルフィル湾は豊な漁場である。そのため、海岸線沿いには幾つもの漁村が存在していた。それらが、王弟派によって好きなように襲撃される事態になっていた。漁村を含む海岸線の巡回警備には、遊撃兵団の半数と後方に下がった元王弟派の二個大隊、通称「コモンズ連隊」が当てられることになった。更に不足分はストラ、トトマの衛兵団やエトシア駐留の西方面軍一個大隊が受け持つことになったが、それでも長い海岸線の全てを守ることは出来ず、頻発する被害に頭を悩ませることになった。


 そして、季節が夏を過ぎるころには、王弟派の襲撃は幾分大胆さを増していた。巡回警備を続ける王子派の部隊の疲弊度合いに比例するように、敵の襲撃部隊はより内陸へ侵入し街道沿いの町を襲うようになったのだ。そういう状況は、王子派の街々に暮らす住民達に少なくない影響を与える。特に海産物の値段は高騰する気配を見せ始め、悲観的な噂が頻繁に囁かれるようになった。


 しかし、そんな状況に王子派の面々は有効な策を打ち出すことが出来なかった。ディンスの港に僅かに保有する軍船で海上の何処かに在る敵の海軍勢力を叩く案も出されたが、先のリムルベートと四都市連合の戦争でも明らかなように、海上に留まる四都市連合の海軍は強力である。僅かな軍船で太刀打ちできるはずが無かった。寧ろ、ディンスの港を守るという任務のために、それ等の軍船は港から出航することが出来ない状態となった。


 有効な対応策が無いまま、襲撃に対して後手に回る状況が続く内に、王子派領には襲撃以外の影響が出始めた。それは交易の停滞である。というのも、沿岸域を自由に襲撃されるということは、その場所の守りが薄いことの証しである。そして、いつ襲われるか分からない状況に曝された街道や航路には物も人も寄りつかない。


 そのためデルフィルからディンスへの航路とデルフィルからトトマへの街道という王子派領の大動脈で物流が停滞することになった。そして、停滞した物流はトトマやダーリア、それにディンスの住民に悪影響を与えた。彼等の多くは直接・間接を問わず交易に携わることで生計を立てている。その仕事が低調になったため、収入面で悪影響を受けた人々の不満は大きかった。


 度重なる襲撃と一連の不況により、都市部に於いてはレイモンド王子に批判的な意見が囁かれるようになった。人々の不満や不安が為政者に対する不信として噴出するのは世の常である。今の所、そういった意見は少数に留まっている。しかし、今の状況が数年に渡って続くようならば、無視できない大きな声となるだろう。そうなることが、王弟派の狙いの一つであることは明らかな状況だった。


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「はぁ……」


 そんな或る日の夕方、レイモンド王子は久々にリシアを訪ねてトトマの救護院にいた。街中の巡視のついでに寄った、という口実だった。二人は同じトトマの街に居ながら、中々顔を合わせることが無い。情勢悪化を受けて、生真面目なレイモンド王子が自ら会いに行くのを自粛しているせいだった。


「はぁ」


 そんな彼だから、久々に愛する女性の顔を見たからといっても、明るい気分を取り戻すことは出来ないようだった。テーブルに向かい合って座り、短く近況を話し合った後は溜息がちに視線を落とすばかりである。そんな彼の前には、リシアが淹れた薬湯の入ったカップが置かれているが、上がる湯気は既に薄くなり始めていた。


 リシアは、そんなレイモンドの様子に特に不平を言う訳でもなければ、機嫌を取ろうと話し掛ける訳でもない。柔らかく視線を送り、


(レイ様、お疲れなのね)


 と察するのみだ。彼女には目の前の男が、自分に会いに来て何を求めているかが分かっていた。それは意見を交わす事でもなければ、今は残念な事に愛を語らう事でも無い。只一時、不安や焦りを忘れたいと願ってやって来たのだ。そんな事が、リシアには分かってしまう。


 リシアの直感は少し特殊な鋭さを有している。それを周囲は神秘的に感じて「聖女」と勝手に呼んでいるが、彼女にしてみれば「気になるもの、知りたいこと」が時折見通せる程度である。しかも、幼い頃から持っていた感覚であるため、さほど特殊だとは思っていない。


「レイ様、温かい内に飲まないと……あまり美味しいものではないですから」

「あ、ああ……そうだな。折角淹れてくれたんだ」


 リシアの淹れた薬湯は森人の村から取り寄せた薬草を煎じたものだ。心を落ち着け眠気を呼ぶ強い作用がある。但し、すこぶる不味いものだ。


「うっ……」

「苦いですか?」

「い、いや。これくらい、大丈夫だ」


 無理をして飲み下すレイモンドの表情に、リシアは柔らかく微笑む。その笑みにつられて、ようやくレイモンドの顔にも笑みが生じた。


「今晩は、きっと良く眠れるわ」

「……そうかな」

「大丈夫……そして明日、良い事がある」


 リシアの声は特段高い訳でも低い訳でも無い。ただ、耳を通じて頭の中、そして心に滲みる力を持っている。そんな彼女に「明日はよい事がある」と言われたレイモンドは、十日ほど前に親友に宛てて書いた手紙のことを思い出していた。


「良い事か……」

「そう」


 リシアの言葉と、彼女に似た人物の姿を思い浮かべ、レイモンドの表情がフッと緩んだ。根拠はない。いや、リシアが言った、と言う事が根拠だろう。彼は彼女の言葉を素直に信じる気持ちになっていた。


「それでは……ずっと一緒に居たいが……」

「私も、です」


 席を立った二人は、一度だけ抱き締めあうと名残惜しいように一度だけ両腕に力を籠めてからそっと離れる。そして、しばし見詰め合った後、レイモンドは南の城砦へ帰って行った。立ち去るレイモンドの後ろ姿を見詰めるリシアは、聖女では無く一人の女性の目をしていた。

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