Episode_21.04 罠の入口
昨晩ストラ近郊の漁村を襲った惨劇など知る由もないマルフル将軍は、夜明けと共に全軍に南下の指示を下した。昨晩中に放った斥候の報告によれば、この後南の街道上には敵の姿は無いという事だった。そのため、四千を超える軍勢は街道の両側にはみ出しながら、大隊毎の方陣形で南へ進軍した。先に西方面軍の五個大隊が先行し、その後ろにマルフル将軍と副官オシアを中心とした騎士隊二百騎が隊列を組む。そして、民兵団の二個大隊と中央軍の攻城大隊が続くという隊列だ。
前進する全軍の先には、騎士隊から発した五騎一組の班が斥候役として先行している。彼等は前方の様子を定期的に偵察しては本隊へ戻るという作業を繰り返していた。そして、その日の午後に軍勢はタバンの城壁を視界に捉えるに至った。
西をデルフィル湾の入り口、東をコルタリン山系からせり出した山地と森に挟まれ、平野が急激に狭まる場所にタバンの街は位置している。古くから王都コルベートの北の守りを担ってきた古都である。タバンから先の地形は、崖ばかりの海岸線と急峻な山地の斜面に東西を挟まれた狭い土地が続く地形となっている。途中スガンという小さな街を過ぎるまでは、そのような地形が続く。そして、コルタリン半島の突端に位置する王都コルベートを臨む場所で、地形は再び広い平野へと変じる。
そのような地形であるから、王都コルベートを目指す外敵を阻止する場合、先ず第一に西トバ河で堰き止め、それが破られたときの次の防衛線として想定されるのがタバンの北に存在する狭い平野であった。勿論、この場合の外敵とは本来リムルベート王国を想定しているのだが、今は同胞であるコルサス王国の民、王子派の軍勢となっていた。
「
副官オシアの号令により、大隊毎の縦一列で進んでいた王子派軍は街道の左右に分かれると、城壁に正対する陣形へ移行する。そして、騎士隊の一部が本隊から分離すると東の森へ偵察に向かう。また、最後尾から進み出た十基の投石器を中心とする部隊が前面に押し出された。城壁までの距離は約一キロ。投石器の射程ではないが城壁の上のタバン側の兵の様子は辛うじて見て取れた。
「さて……定石通りにタバン側の出方を見るか」
「そうですな……第一、第二、第三大隊へ。横隊陣を組み城壁へ接近。攻城兵器部隊、
続くオシアからの号令により、三個大隊千五百の兵士が長い横隊を組み前進を開始する。その後ろをやや遅れて進むのは
「しかし、どの程度の激しさで撃って来ますかな?」
「分からんな……最悪は、内応の話自体が立ち消えている可能性もある」
「その場合はどうしますか?」
「勿論、撤退するさ」
「ですな」
そんな会話を交わす二人の先で、部隊の前列が敵の矢の射程に入った。だが、撃ち込まれる矢は散発的なもので、余程油断していない限り兵士の防具でも防げる程度だった。それでも、前列の兵士達は大型の矢盾を前面に出すと、その影に隠れるように前進を続けた。
「薄いな……」
「ですな。どうなさいますか?」
「投石部隊へ攻撃を指示、数回放って後退させよ。前列も同様に――」
その後、王子派軍とタバンの守備勢力は散発的に飛び道具の応酬を行う。そうやって時間を費やす内に消極的な戦場は夕闇に包まれ、攻撃は一旦中止となった。
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夕暮れの攻撃中断に伴い、後方へ下がった王子派軍は遠巻きにタバンの城壁を見ている。敵を前にしたわりには、城壁の上に焚かれた篝火は少なく、街全体が薄暗く感じる。また、城壁の上を行き来して然るべき兵士の人影は疎らであった。
「要らぬ心配でしたか」
「そうなら、そうで有り難いが」
携帯口糧による軽い食事を終えたマルフル将軍と副官オシアの会話である。二人は最悪の場合として、内応自体が罠である可能性も考えていた。そのため、見通しの利かない東の森への偵察を充分に行ったのだが、昼の間の偵察では伏兵の類は発見されなかった。伏兵が存在せず、その上で日中の
「手筈通りならば、後数時間で城門が開くはずです」
「最初は騎士隊から五十騎選抜して行こう。
「では、騎士隊の指揮は私が執りましょう」
「頼む」
そんな二人の会話通り、それから三時間後、深夜を過ぎた頃にタバンの門は静かにゆっくりと開かれた。
「門の向こうはどうなっているか分からぬ。皆充分に用心するように。前進!」
待ち構えたオシアの号令が掛かる。そして、王子派の軍勢は騎士隊を先頭に開いた門へ向かう。その先頭にオシアが立つことは無かったが、先頭集団の最後尾に付けた彼は、馬上のままでタバンの門を潜った。
(ん? なんだ、この暗さは?)
深夜であるから暗いのは当然なのだが、夜の闇とは質感が違う暗さが門の向こうに広がっていた。まるで黒い布を鼻先に垂らされたような暗さは、先行した騎士達の後ろ姿が見えない程だ。
(おかしい……っ!)
不審な状況に馬を立ち止まらせようとするオシアは、その瞬間闇の向こうで膨れ上がる殺気を感じた。一つ二つでは無い、まるで敵を前にいきり立った軍勢を相手にしているような、肌がヒリつく殺気だ。
「後退! こう――」
咄嗟にオシアは声を上げるが、その声を無数の風切り音が遮った。それは数百の弓兵が一斉に放った必殺の矢の響きだった。
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「何事だ!」
「わかりませぬが、異変が――」
門を潜った騎士隊を襲った異変は、城壁の外からも見て取れた。進入する兵達の隊列が乱れ、一斉に自軍の方へ逃げてくるのだ。兵だけでは無い、先行したはずの騎士も交じっている。
「ええいっ! やはり罠か。第一、第二大隊、前進して救援! 騎士隊、隊毎に突撃態勢を取れ! 投石部隊は投石器の準備開始だ!」
マルフル将軍の怒声に似た指示が飛ぶ。先ず指示を受けた西方面軍の二つの大隊が城壁に接近すると、逃れてくる騎士や兵士達と城壁の間に割って入るように動いた。この段階になって、城壁の上にはタバン守備勢の弓兵が姿を現し、次々と矢を放ち始めた。
「何があった?」
「待ち伏せだ! 門を入ったところで射掛けられた」
後退する大隊に混じった騎士と前進する部隊の大隊長との会話だ。待ち伏せを受けた騎士達は状況を把握できていなかった。
「とにかく、下がってマルフル様に報告を!」
「わ、わかった!」
その大隊長は、鎧に弩弓のものと思われる太い矢を幾本も突き立てたまま、馬を失い後方へ逃れてきた騎士を本隊の方へ下げると、部下の中隊長達へ号令した。
「討ち出して来るやもしれぬ。矢盾を前面に、横隊陣!」
「了解! 横隊だ、早くしろ!」
混乱の中、矢の中にあっても歴戦の西方面軍は整然と隊長の指示に従う。その統率は、浮足立って城壁から離れようとした第四、第五大隊にも伝わると、彼等はその場で留まりタバンの街へ踵を返した。その時、
「アレは、オシア様!」
兵士達の目の前で、門から姿を現した騎士は、全身に矢を受け落馬したオシアを始めとする数人の騎士であった。全員血塗れの彼等はお互いを庇いながら這うようにして門の外へ逃れ出てきた。
「おい、お前とお前、隊を率いてついて来い!」
「え?」
「助けるんだよ! 早くしろ!」
「りょ、了解!」
その会話は、救援のために前進した第一大隊の大隊長の指示であった。無謀かもしれないが、傷付いた友軍が目の前に居るのだ、彼等の選択肢に「見棄てる」という言葉は無かった。
一方、門から這い出てきたオシアは、自分を始めとした傷付いた騎士を助けようと突進してくる歩兵の部隊を目にして、
(やめろ、罠だ)
と叫びたかったが、口から洩れるのは切れ切れの息だけだった。そして、オシアの言葉が届かないまま、仲間を助けようとした歩兵たちが門の前に到達した。その時、
「来たぞ、放て!」
今度は明確に、射撃の指示が街の中から聞こえてきた。そして開いたままの門から飛び出してきた濃密な矢の雨は歩兵達に降り注ぐ。
「ぐぇ!」
「うわっ!」
「ぅっ」
多くの者が矢を受けて倒れた。歩兵の装備では強烈な弩弓の矢を防げるはずは無かった。それでも、彼等は数を頼りに目的を果たそうとする。
「オシア様!」
そう言って彼に取り付いたのはオシアよりも少し若いベテラン騎士だった。今は大隊長をしている人物だ。その大隊長は、自身の肩に突き立った矢をものともせずに、
「少し乱暴ですが、御免!」
と言うと、オシアの鎧の襟元に手を突っ込むと胸甲の留め具を掴んで引き摺るように門から引き離した。周囲では、同じような光景が展開していた。
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罠に飛び込む格好となった王子派軍だが、状況は更に深刻な局面へと続く。門前から負傷者が引き上げてくるころ、今度は東の森に配していた斥候が駆け戻ってきたのだ。
「ほ、報告します! 敵の伏兵多数」
「なんだと! 数は?」
「分かりませんが、可也の数かと」
日中はいなかったはずの場所に伏兵が出現したのだ。その仕掛けの内容は分からないが、伏兵まで現れたのならば、マルフルの選択は一つだった。
「退くぞ! 負傷者を馬に乗せろ! 投石器は捨て置け、騎士隊は
マルフル将軍の号令は簡潔で明快だった。指示を受けた兵や騎士は迷う事無く従う。そして、最初に突入した騎士を馬の背に乗せた数十の騎馬が後退を開始すると、その後に兵士が続いた。そんな中、
「お、オシア!」
「もうし、わけ……」
「いい、喋るな! 誰か、オシアを早く!」
傷ついた副官オシアの姿を見た時のマルフルは、思わず将軍の立場を忘れそうになった。それほど、オシアの傷は酷かった。マルフルの悲鳴のような声を聞いて数人の騎士が近寄ると、オシアの身体を担ぎ上げ
「マルフル将軍、お行き下さい!」
「殿を努める総大将など聞いたことがありません。さあ、ここは我らに任せて先を行く者達の先頭で彼等をディンスへ導いて下さい」
彼等がオシアの身体をマルフルの馬に乗せたのは、単純にこの若い将軍に退く理由を与えるためだった。そうでもしなければ「殿軍は私が指揮する」と言い出しかねないマルフルである。
「すまない……皆、死ぬな!」
彼等の気持ちに、マルフルはそう返す他、言葉が無かった。
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